神がこちらを向いた時

宗治 芳征

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第一章

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 これが夢だと直ぐにわかった。

「賢さん」
 そう話し掛けてきた青年は、奥二重の目に高い鼻、大きい口、整っている顔立ち。
 知っている顔、忘れることはできない姿。
「俺のことは気にしなくていいから」
 そんなことはできない。
「俺は、こっちで目的を果たすよ」
 こっちってどこだよ?
「俺のことは気にしないで」
 だから無理だって言ってんだろ!
「賢さん、幸せになっていいんだよ」
 それをお前が言うのか?
「それだけが心残りだったからさ」
 苦笑まじりに言う青年の姿は以前と変わらず、脳裏に焼きついていたものと同じだった。
「お願いだよ。幸せになってね」
 何でだよ……幸せになれなかったお前が言うのか!
「じゃあね。賢さん」
 言い終えると、青年は消えていく。
 ……待てよ……もういいだろう?
 ……待てって! 俺も連れて行けよ!
 ……待ってくれよ!
「コウ!」
 上半身を起こし、叫んだ。
 額の汗を拭い、激しくなっていた呼吸を整えると、ベッドを何度も叩いた。
 これが夢だと直ぐにわかった。
 わかっていたよ。
 だけど、神様。あんまりじゃねぇか?
 家族同然だった大切な友。
 それを命日の夢に出すとは、残酷すぎるだろう。
 そりゃねぇよ……神様よ。

 雲一つなく青く晴れた空。
 肌にこびりつくような不快な湿気から解放され始めた季節。
 秋。
 十月五日。
 場所は神奈川県横浜市港南区にある、日野公園墓地。
 いくつもの墓が並ぶ中、大きい墓が二つ。
 一つは大宮家と書かれており、そしてそれより一回り大きいもう一つの墓は、大宮真利亜おおみやまりあ波多野輝成はたのこうせいと連名であった。
 墓周りを清掃し終えた男は、何度か墓に水をかけて花や供え物を置き、線香に火をつける。その後、瞼を閉じて両手を合わせていた。
 男は身長百八十三センチ、黒髪オールバックに強面、筋肉質で逞しい体格をし、喪服を少し着崩している。年齢は三十五で年相応の顔つきだが、疲労が顔にあらわれていた。
 その男こと、大宮賢吾おおみやけんごは二つの墓前で何分も拝んでいた。
 一つ息を吐いた後、ゆっくりと目を開き顔を上げた。
 あいつが死んだ日もこんな天気だった。と賢吾は思う。
 ただでさえ変な夢を見たので、賢吾は何か嫌な予感がした。咄嗟に携帯電話を取り出して、瀬戸竜次せとりゅうじに電話をかける。
「どうした?」
 電話の相手である竜次は一コールで出た。
「いや、生きてるかなって思って」
 バカらしい答えだと賢吾自身も思ったが、竜次は優しげな吐息であった。
「心配しすぎだろ?」
「……そうだよな。でもさ、今日コウが夢に出てきて変なこと言ってきてよ。しかも、似たような快晴とくりゃ嫌な感じがするじゃん」
 賢吾はこれまた子供じみた内容を口にしたが、
「……そっか」
 竜次はただ相槌を打つだけだった。
「まぁ、無事ならいいんだ」
「ああ。お前今日は全休なんだし、ゆっくり家で休めよ」
「うーん」
 竜次の言葉で安心したと同時に、賢吾は不安の残骸を片付けられずに唸った。
「何?」
「いやさ、この状態で家に帰っても憂鬱なままで終わりそうだわ」
「じゃ、飲みにでも行け」
 軽口を言った竜次に、賢吾は鼻で笑う。
「そんな気分じゃねぇよ。それにまだ午前中だぞ」
「だったら何だよ。ぐずってる子供か?」
 竜次に呆れた声で返され、賢吾は微笑んだ。
「そうだな。じゃ、会社に行こうかな。午前休みだけということで」
「は? お前毎年この日は仕事する気が起きないって言っていたじゃん?」
「休みたくなくなった」
「ったく、やっぱりガキみてーな奴だなお前は」
「うるせぇよ。じゃあな」
 通話を終了し、賢吾はフッと笑った。
 気が滅入りそうだったが、賢吾は竜次と会話をして何とか息を吹き返した。
 このまま帰って家で休んでいいのかもしれない。だが、そうはしない。いや、してはいけない。嫌な予感は消えたが、夢からこれまでの流れを含め妙な感じがまだ続いていた。
 賢吾はもう一度墓の前で拝んでから、
「じゃあ、行ってくる。親父、母さん、真利亜。……コウ」
 墓に向かって呟き、墓地を後にした。
 賢吾は自家用車である白色のトヨタのクラウンに乗り、エンジンをかける。日野公園墓地から離れ、一旦自宅に戻ることにした。
 賢吾の家は神奈川県横浜市中区山手町にあり、二階建てでガレージ付きの豪壮な邸宅であった。なお、これは代々大宮家が継いでいる土地と家であり、賢吾の功績ではない。
 賢吾は自宅に着くと、スーツに着替え直し、足早に家を出た。今度は、車ではなく徒歩である。というのも、賢吾の職場へ向かうには徒歩の方が楽だからだ。
 賢吾は、みなとみらい線の元町・中華街駅に向かっていた。
 職場は、横浜市西区みなとみらい駅直通のクイーンズスクエア。二十一階と二十二階の二フロアを、自社として賃貸契約をしている。
 会社名はソリッド。
 業務内容はスマートフォン向けアプリの開発と運営。
 主力アプリはFlame。
 Flameは写真加工ができるアプリで、特に中高生や二十代の男女から支持を受けている。
 そして、社長は賢吾であった。
 だが、賢吾は職場の問題点に頭を悩ませていた。
 創設時のメンバーは輝成を除くと、ほとんどが賢吾の暴走族時代の仲間だった。竜次は大卒だが、他は高卒が少しと中卒が主で華々しい学歴もなく、あるのは持て余した力と激しい気性だけである。
 不良だらけのメンバーで立ち上げた会社であり、誰がどう見ても上手くいくはずなどなかった。
 だが、その中に紛れた一般人が、ただの一般人ではなかった。
 ……いや、人ではなかったのかもしれないと賢吾は思う。
 輝成は正真正銘の怪物だった。
 荒くれ者達を上手く束ね結果を出し、良い人材を自らスカウトしてきては、自社の拡大へと加速させていく。そして運営軌道は安定し、ベンチャー企業から、百名以上の正社員を抱えるそこそこ名の知れた企業となった。
 元暴走族の総長が成り上がった、底辺からのサクセスストーリーといえば聞こえはいいが、実際は妹の恋人だった輝成におんぶにだっこだった。というわけである。
 賢吾は会社の成り立ちを振り返って、薄っすらと笑う。そして元町・中華街駅から、みなとみらい線に乗車した。
 賢吾本人に不満は全くなかった。輝成は自分のために会社を作り、充実した生活を送らせてくれた。不満などあろうはずがない。
 ……自分の不満は……だが。
 心の中で思いを呟く賢吾。自然と眉間にしわが寄った。
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