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兵庫県予選大会 1日目

第107走 これからの話

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 インハイ兵庫県予選1日目が無事終了した、肌寒い夕暮れの緑山記念競技場。
 各校の部員が帰路へと着く中、スタンド下のAゲートでは重苦しい雰囲気が漂っていた。



「まずは4継、決勝進出おめでとう!……と言いたい所なんだけど」

 そう気まずそうに語ったのは、キタ高の4継第2走・佐々木隼人だ。

 現在Aゲートには、4継を走った黒崎慎吾・佐々木隼人・郡山翔・山口渚をはじめ、サブメンバーの早馬結城と菅原健太郎、長野康太の7人。
 そしてキタ高顧問である吉田重国先生も含めた計8名が、暗い表情を浮かべて立っていたのだ。

 その暗い表情の原因はもちろん、今日の準決勝の”黒崎慎吾”についてである。

「おい黒崎先輩、なんで先に痛めてる事言わんかったんや!?あとちょっと遅かったら、決勝にも進めてなかったんやぞ!!?」

「おい郡山、やめろって……」

 とうとう我慢の限界を迎えた翔は、先輩の慎吾に向かって怒鳴りつけていた。
 だがそれを止める結城も、翔の気持ちは少しだけ理解はしている。

 すると2人の様子を見た3年の渚は、なぜか少し笑みを浮かべながら間に入った。

「まー、確かにギリギリだったな。だってあと0.07秒遅かったら、準決勝敗退だったんだぜ!?こういうヒリヒリした勝負、面白すぎるな」

 彼の言う通りキタ高の4継は、首の皮一枚つながったような形で決勝に進んでいた。

 なにせ決勝に進む8チームのうち、キタ高のタイムは”全体8番目”。
 そう、まさに九死に一生を得ていたのだ。 

 だからこそ翔はまだまだ納得がいかない。

「なにが面白いんすか渚さん!!?ここで敗退してたら、もう渚さんが出る種目全て終わってたかもしれないんすよ!?引退だったかもしれないんすよ!?」

「お、でも結果的に大丈夫だったじゃん。明日もあるんだし、反省は全部終わった後でよくね?」

「…………!」

 とうとう翔は、顔を真っ赤にしたまま黙ってしまっていた。
 確かに彼の怒りにも正当な理由はあるのだが、先輩の渚にそう言われてしまっては、もう何も言い返す事はできない。

 だが渚の方も、決して能天気な訳ではない。
 むしろ人間の些細な感情の変化にも敏感に気付くようなタイプだ。

 そんな彼が”大丈夫”という言葉を口にした時点で、この問題の傷口をこれ以上広げる者はいなくなっていた。

「……さて、言いたい事は言えたかな?それじゃあ山口君の言う通り、明日の話をしよう」

 するとここで空気を整えたのは、顧問の吉田先生だった。
 まずは選手たち本人に話をさせて、ある程度納得した中で自分の話を始めると決めていたようだ。

「結果的には決勝に進めた、まずはそれを喜ぼうね。本当に立派な追い上げだったよ。だけど、周知の通りもう黒崎君は明日走れない。じゃあ今考えるべきは、明日の第1走は誰が走るのかって事だね?」

 すると選手たち6人は、吉田先生の目を見て小さくうなずいた。
 だが黒崎だけは、ずっと地面の方を見てピクリとも動く様子はない。

「とりあえず候補は、最低限のバトン練習もしてきた上に、今日の予選も走ってくれた早馬くん。あとは去年に1度だけ4継に出た事のある菅原くん。長野くんはバトン練習すらほとんどできていないし、ちょっと難しいかな」

「はい!僕もそう思います!!」

 吉田先生の言葉に対し、康太はいつも以上に元気な声で即答をしていた。
 なにせ”兵庫県予選の決勝”だ、心も体も準備できていない康太が走るには、あまりにも荷が重い。

「うん、そうだね。じゃあとりあえず、私は結論から言うことにしよう」

 すると吉田先生は、サッと1人の選手へ視線を送っていた。
 その目には”期待”と”申し訳なさ”が含まれている。

「僕は早馬くん、君に明日走ってもらいたいと思っている」
 
 そしてそうハッキリと言い切っていた。
 その瞬間、7人の選手の間にもピリッとした緊張感が走る。

「ぼ、僕ですか?」

「そうだね。もちろん無理を言っているのは分かっている。だけど予選を走り切れた事、そして君の持つ果てしないポテンシャル。どこを切り取っても、私は君が走るのが最善だと思ったんだ」

 するとそれを聞いた隼人は、間髪入れずに結城にフォローを入れた。

「でも早馬、かなり疲労はきてそうだったよな?もし脚に違和感が出てきたなら、無理はするなよ?」

「はい!でも俺は……」

 結論から言うと、結城は脚に違和感はなかった。
 ただあるのは、純粋な肉体疲労のみだ。

 だからこそ結城は”明日も頑張って走ります!”と言うだけだった。
 そう、言うだけのはずだったのだ。



 だが今日の予選では、隼人がスタートのタイミングを調整してくれなければバトンは渡らなかったかもしれない。
 それぐらいギリギリの中で走っていた事に、結城自身も気付いていた。

 ”明日走ったとして、俺はバトンを佐々木キャプテンに渡せるのだろうか?”
 ”この疲労感は、明日さらに悪化しているのではないか?”
 ”そもそも俺は、こんな状況で走っていい選手なのか?”

 このように色々な感情が、突然結城の心をむしばんでいた。

(……声が、出ない?)

 結城は自身の異変に気づく。
 ”明日も走ります”という言葉だけが、喉に詰まって出てこないのだ。

「あ……あ……あれ?」

 するとそれに気付いた翔が、結城に問いかける。

「なに口パクパクしとんねん早馬。金魚か?それともまさか、緊張しとんちゃうやろな!?」

「いや……そんな事は……」

 だがパッと答えを出せない自分に、結城は焦りとイラだちを感じ始める。

 どうやら結城にとっての”走る恐怖”というのは、まだトラウマの一種として心の奥の奥にいたようなのだ。

「…………」

「………………」

 そして訪れる沈黙。
 さらには自分の異変に対し、何が起きたのかも理解できていない結城。
 そう、まさにキタ高4継メンバーの間には奇妙な空気が漂い始めていたのだ。

【ズゥン……】

 場の重力が強まり、時間の流れも遅くなり始める。
 だがとうとう”4継のリーダー”が、その沈黙に終わりを告げた。

「ま、どうせリレーオーダー出すのは明日だし、それまでに決めてくれ早馬。とにかく今はサッサと帰って体を休めよう」

 そう言い放っていたのは渚だった。
 だが彼の言う通り、リレーオーダーは最悪明日に決めても間に合う。

 それよりも短期決戦において最も重要な”回復”を彼は優先したのだ。
 まさに勝利を見据えた上での、冷静な判断である。

「うん。渚がそう言うなら、ここで無理やり決めるのはやめておこうか」

「ほら、隼人もそう言ってるし。まぁ早馬、できるだけ早く決めといてくれよ。最悪無理だった時のため、スガケンも心の準備だけはしといてくれな?」

「はいっ」

 こうして4継の緊急会議は終わりを告げるのだった。

(3年生の2人、本当に立派になったね……。もう僕が口出しする事もない)

 吉田先生も、もはや顧問というよりは父親の気持ちで彼らを見ている。
 だが対照的に結城は、何も状況を飲み込めない表情で立ち尽くしていた。

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