109 / 136
兵庫県予選大会 1日目
第107走 これからの話
しおりを挟む
インハイ兵庫県予選1日目が無事終了した、肌寒い夕暮れの緑山記念競技場。
各校の部員が帰路へと着く中、スタンド下のAゲートでは重苦しい雰囲気が漂っていた。
◇
「まずは4継、決勝進出おめでとう!……と言いたい所なんだけど」
そう気まずそうに語ったのは、キタ高の4継第2走・佐々木隼人だ。
現在Aゲートには、4継を走った黒崎慎吾・佐々木隼人・郡山翔・山口渚をはじめ、サブメンバーの早馬結城と菅原健太郎、長野康太の7人。
そしてキタ高顧問である吉田重国先生も含めた計8名が、暗い表情を浮かべて立っていたのだ。
その暗い表情の原因はもちろん、今日の準決勝の”黒崎慎吾”についてである。
「おい黒崎先輩、なんで先に痛めてる事言わんかったんや!?あとちょっと遅かったら、決勝にも進めてなかったんやぞ!!?」
「おい郡山、やめろって……」
とうとう我慢の限界を迎えた翔は、先輩の慎吾に向かって怒鳴りつけていた。
だがそれを止める結城も、翔の気持ちは少しだけ理解はしている。
すると2人の様子を見た3年の渚は、なぜか少し笑みを浮かべながら間に入った。
「まー、確かにギリギリだったな。だってあと0.07秒遅かったら、準決勝敗退だったんだぜ!?こういうヒリヒリした勝負、面白すぎるな」
彼の言う通りキタ高の4継は、首の皮一枚つながったような形で決勝に進んでいた。
なにせ決勝に進む8チームのうち、キタ高のタイムは”全体8番目”。
そう、まさに九死に一生を得ていたのだ。
だからこそ翔はまだまだ納得がいかない。
「なにが面白いんすか渚さん!!?ここで敗退してたら、もう渚さんが出る種目全て終わってたかもしれないんすよ!?引退だったかもしれないんすよ!?」
「お、でも結果的に大丈夫だったじゃん。明日もあるんだし、反省は全部終わった後でよくね?」
「…………!」
とうとう翔は、顔を真っ赤にしたまま黙ってしまっていた。
確かに彼の怒りにも正当な理由はあるのだが、先輩の渚にそう言われてしまっては、もう何も言い返す事はできない。
だが渚の方も、決して能天気な訳ではない。
むしろ人間の些細な感情の変化にも敏感に気付くようなタイプだ。
そんな彼が”大丈夫”という言葉を口にした時点で、この問題の傷口をこれ以上広げる者はいなくなっていた。
「……さて、言いたい事は言えたかな?それじゃあ山口君の言う通り、明日の話をしよう」
するとここで空気を整えたのは、顧問の吉田先生だった。
まずは選手たち本人に話をさせて、ある程度納得した中で自分の話を始めると決めていたようだ。
「結果的には決勝に進めた、まずはそれを喜ぼうね。本当に立派な追い上げだったよ。だけど、周知の通りもう黒崎君は明日走れない。じゃあ今考えるべきは、明日の第1走は誰が走るのかって事だね?」
すると選手たち6人は、吉田先生の目を見て小さくうなずいた。
だが黒崎だけは、ずっと地面の方を見てピクリとも動く様子はない。
「とりあえず候補は、最低限のバトン練習もしてきた上に、今日の予選も走ってくれた早馬くん。あとは去年に1度だけ4継に出た事のある菅原くん。長野くんはバトン練習すらほとんどできていないし、ちょっと難しいかな」
「はい!僕もそう思います!!」
吉田先生の言葉に対し、康太はいつも以上に元気な声で即答をしていた。
なにせ”兵庫県予選の決勝”だ、心も体も準備できていない康太が走るには、あまりにも荷が重い。
「うん、そうだね。じゃあとりあえず、私は結論から言うことにしよう」
すると吉田先生は、サッと1人の選手へ視線を送っていた。
その目には”期待”と”申し訳なさ”が含まれている。
「僕は早馬くん、君に明日走ってもらいたいと思っている」
そしてそうハッキリと言い切っていた。
その瞬間、7人の選手の間にもピリッとした緊張感が走る。
「ぼ、僕ですか?」
「そうだね。もちろん無理を言っているのは分かっている。だけど予選を走り切れた事、そして君の持つ果てしないポテンシャル。どこを切り取っても、私は君が走るのが最善だと思ったんだ」
するとそれを聞いた隼人は、間髪入れずに結城にフォローを入れた。
「でも早馬、かなり疲労はきてそうだったよな?もし脚に違和感が出てきたなら、無理はするなよ?」
「はい!でも俺は……」
結論から言うと、結城は脚に違和感はなかった。
ただあるのは、純粋な肉体疲労のみだ。
だからこそ結城は”明日も頑張って走ります!”と言うだけだった。
そう、言うだけのはずだったのだ。
◇
だが今日の予選では、隼人がスタートのタイミングを調整してくれなければバトンは渡らなかったかもしれない。
それぐらいギリギリの中で走っていた事に、結城自身も気付いていた。
”明日走ったとして、俺はバトンを佐々木キャプテンに渡せるのだろうか?”
”この疲労感は、明日さらに悪化しているのではないか?”
”そもそも俺は、こんな状況で走っていい選手なのか?”
このように色々な感情が、突然結城の心を蝕んでいた。
(……声が、出ない?)
結城は自身の異変に気づく。
”明日も走ります”という言葉だけが、喉に詰まって出てこないのだ。
「あ……あ……あれ?」
するとそれに気付いた翔が、結城に問いかける。
「なに口パクパクしとんねん早馬。金魚か?それともまさか、緊張しとんちゃうやろな!?」
「いや……そんな事は……」
だがパッと答えを出せない自分に、結城は焦りとイラだちを感じ始める。
どうやら結城にとっての”走る恐怖”というのは、まだトラウマの一種として心の奥の奥にこびりついていたようなのだ。
「…………」
「………………」
そして訪れる沈黙。
さらには自分の異変に対し、何が起きたのかも理解できていない結城。
そう、まさにキタ高4継メンバーの間には奇妙な空気が漂い始めていたのだ。
【ズゥン……】
場の重力が強まり、時間の流れも遅くなり始める。
だがとうとう”4継のリーダー”が、その沈黙に終わりを告げた。
「ま、どうせリレーオーダー出すのは明日だし、それまでに決めてくれ早馬。とにかく今はサッサと帰って体を休めよう」
そう言い放っていたのは渚だった。
だが彼の言う通り、リレーオーダーは最悪明日に決めても間に合う。
それよりも短期決戦において最も重要な”回復”を彼は優先したのだ。
まさに勝利を見据えた上での、冷静な判断である。
「うん。渚がそう言うなら、ここで無理やり決めるのはやめておこうか」
「ほら、隼人もそう言ってるし。まぁ早馬、できるだけ早く決めといてくれよ。最悪無理だった時のため、スガケンも心の準備だけはしといてくれな?」
「はいっ」
こうして4継の緊急会議は終わりを告げるのだった。
(3年生の2人、本当に立派になったね……。もう僕が口出しする事もない)
吉田先生も、もはや顧問というよりは父親の気持ちで彼らを見ている。
だが対照的に結城は、何も状況を飲み込めない表情で立ち尽くしていた。
————————
各校の部員が帰路へと着く中、スタンド下のAゲートでは重苦しい雰囲気が漂っていた。
◇
「まずは4継、決勝進出おめでとう!……と言いたい所なんだけど」
そう気まずそうに語ったのは、キタ高の4継第2走・佐々木隼人だ。
現在Aゲートには、4継を走った黒崎慎吾・佐々木隼人・郡山翔・山口渚をはじめ、サブメンバーの早馬結城と菅原健太郎、長野康太の7人。
そしてキタ高顧問である吉田重国先生も含めた計8名が、暗い表情を浮かべて立っていたのだ。
その暗い表情の原因はもちろん、今日の準決勝の”黒崎慎吾”についてである。
「おい黒崎先輩、なんで先に痛めてる事言わんかったんや!?あとちょっと遅かったら、決勝にも進めてなかったんやぞ!!?」
「おい郡山、やめろって……」
とうとう我慢の限界を迎えた翔は、先輩の慎吾に向かって怒鳴りつけていた。
だがそれを止める結城も、翔の気持ちは少しだけ理解はしている。
すると2人の様子を見た3年の渚は、なぜか少し笑みを浮かべながら間に入った。
「まー、確かにギリギリだったな。だってあと0.07秒遅かったら、準決勝敗退だったんだぜ!?こういうヒリヒリした勝負、面白すぎるな」
彼の言う通りキタ高の4継は、首の皮一枚つながったような形で決勝に進んでいた。
なにせ決勝に進む8チームのうち、キタ高のタイムは”全体8番目”。
そう、まさに九死に一生を得ていたのだ。
だからこそ翔はまだまだ納得がいかない。
「なにが面白いんすか渚さん!!?ここで敗退してたら、もう渚さんが出る種目全て終わってたかもしれないんすよ!?引退だったかもしれないんすよ!?」
「お、でも結果的に大丈夫だったじゃん。明日もあるんだし、反省は全部終わった後でよくね?」
「…………!」
とうとう翔は、顔を真っ赤にしたまま黙ってしまっていた。
確かに彼の怒りにも正当な理由はあるのだが、先輩の渚にそう言われてしまっては、もう何も言い返す事はできない。
だが渚の方も、決して能天気な訳ではない。
むしろ人間の些細な感情の変化にも敏感に気付くようなタイプだ。
そんな彼が”大丈夫”という言葉を口にした時点で、この問題の傷口をこれ以上広げる者はいなくなっていた。
「……さて、言いたい事は言えたかな?それじゃあ山口君の言う通り、明日の話をしよう」
するとここで空気を整えたのは、顧問の吉田先生だった。
まずは選手たち本人に話をさせて、ある程度納得した中で自分の話を始めると決めていたようだ。
「結果的には決勝に進めた、まずはそれを喜ぼうね。本当に立派な追い上げだったよ。だけど、周知の通りもう黒崎君は明日走れない。じゃあ今考えるべきは、明日の第1走は誰が走るのかって事だね?」
すると選手たち6人は、吉田先生の目を見て小さくうなずいた。
だが黒崎だけは、ずっと地面の方を見てピクリとも動く様子はない。
「とりあえず候補は、最低限のバトン練習もしてきた上に、今日の予選も走ってくれた早馬くん。あとは去年に1度だけ4継に出た事のある菅原くん。長野くんはバトン練習すらほとんどできていないし、ちょっと難しいかな」
「はい!僕もそう思います!!」
吉田先生の言葉に対し、康太はいつも以上に元気な声で即答をしていた。
なにせ”兵庫県予選の決勝”だ、心も体も準備できていない康太が走るには、あまりにも荷が重い。
「うん、そうだね。じゃあとりあえず、私は結論から言うことにしよう」
すると吉田先生は、サッと1人の選手へ視線を送っていた。
その目には”期待”と”申し訳なさ”が含まれている。
「僕は早馬くん、君に明日走ってもらいたいと思っている」
そしてそうハッキリと言い切っていた。
その瞬間、7人の選手の間にもピリッとした緊張感が走る。
「ぼ、僕ですか?」
「そうだね。もちろん無理を言っているのは分かっている。だけど予選を走り切れた事、そして君の持つ果てしないポテンシャル。どこを切り取っても、私は君が走るのが最善だと思ったんだ」
するとそれを聞いた隼人は、間髪入れずに結城にフォローを入れた。
「でも早馬、かなり疲労はきてそうだったよな?もし脚に違和感が出てきたなら、無理はするなよ?」
「はい!でも俺は……」
結論から言うと、結城は脚に違和感はなかった。
ただあるのは、純粋な肉体疲労のみだ。
だからこそ結城は”明日も頑張って走ります!”と言うだけだった。
そう、言うだけのはずだったのだ。
◇
だが今日の予選では、隼人がスタートのタイミングを調整してくれなければバトンは渡らなかったかもしれない。
それぐらいギリギリの中で走っていた事に、結城自身も気付いていた。
”明日走ったとして、俺はバトンを佐々木キャプテンに渡せるのだろうか?”
”この疲労感は、明日さらに悪化しているのではないか?”
”そもそも俺は、こんな状況で走っていい選手なのか?”
このように色々な感情が、突然結城の心を蝕んでいた。
(……声が、出ない?)
結城は自身の異変に気づく。
”明日も走ります”という言葉だけが、喉に詰まって出てこないのだ。
「あ……あ……あれ?」
するとそれに気付いた翔が、結城に問いかける。
「なに口パクパクしとんねん早馬。金魚か?それともまさか、緊張しとんちゃうやろな!?」
「いや……そんな事は……」
だがパッと答えを出せない自分に、結城は焦りとイラだちを感じ始める。
どうやら結城にとっての”走る恐怖”というのは、まだトラウマの一種として心の奥の奥にこびりついていたようなのだ。
「…………」
「………………」
そして訪れる沈黙。
さらには自分の異変に対し、何が起きたのかも理解できていない結城。
そう、まさにキタ高4継メンバーの間には奇妙な空気が漂い始めていたのだ。
【ズゥン……】
場の重力が強まり、時間の流れも遅くなり始める。
だがとうとう”4継のリーダー”が、その沈黙に終わりを告げた。
「ま、どうせリレーオーダー出すのは明日だし、それまでに決めてくれ早馬。とにかく今はサッサと帰って体を休めよう」
そう言い放っていたのは渚だった。
だが彼の言う通り、リレーオーダーは最悪明日に決めても間に合う。
それよりも短期決戦において最も重要な”回復”を彼は優先したのだ。
まさに勝利を見据えた上での、冷静な判断である。
「うん。渚がそう言うなら、ここで無理やり決めるのはやめておこうか」
「ほら、隼人もそう言ってるし。まぁ早馬、できるだけ早く決めといてくれよ。最悪無理だった時のため、スガケンも心の準備だけはしといてくれな?」
「はいっ」
こうして4継の緊急会議は終わりを告げるのだった。
(3年生の2人、本当に立派になったね……。もう僕が口出しする事もない)
吉田先生も、もはや顧問というよりは父親の気持ちで彼らを見ている。
だが対照的に結城は、何も状況を飲み込めない表情で立ち尽くしていた。
————————
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
女装とメス調教をさせられ、担任だった教師の亡くなった奥さんの代わりをさせられる元教え子の男
湊戸アサギリ
BL
また女装メス調教です。見ていただきありがとうございます。
何も知らない息子視点です。今回はエロ無しです。他の作品もよろしくお願いします。
双子の妹の保護者として、今年から共学になった女子高へ通う兄の話
東岡忠良
青春
二卵性双生児の兄妹、新屋敷竜馬(しんやしきりょうま)と和葉(かずは)は、元女子高の如月(きさらぎ)学園高校へ通うことになった。
今年から共学となったのである。
そこは竜馬が想像していた以上に男子が少なかった。
妹の和葉は学年一位の成績のGカップ美少女だが、思春期のせいか、女性のおっぱいの大きさが気になって仕方がなく、兄竜馬の『おちんちん』も気になって仕方がない。
スポーツ科には新屋敷兄弟と幼稚園からの幼馴染で、長身スポーツ万能Fカップのボーイッシュ少女の三上小夏(みかみこなつ)。
同級生には学年二位でHカップを隠したグラビアアイドル級美人の相生優子(あいおいゆうこ)。
中学からの知り合いの小柄なIカップロリ巨乳の瀬川薫(せがわかおる)。
そして小柄な美少年男子の園田春樹(そのだはるき)。
竜馬の学園生活は、彼らによって刺激的な毎日が待っていた。
新屋敷兄妹中心に繰り広げられる学園コメディーです。
それと『お気に入り』を押して頂けたら、とても励みになります。
よろしくお願い致します。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる