90 / 136
兵庫県予選大会 1日目
第88走 伝統の隠れ家
しおりを挟むいよいよ始まった兵庫県予選。
早くも緑山記念競技場では熱い戦いが繰り広げられている。
「1着川島くん、宝田※。49秒37」
※学校名
競技場内には、たった今終わったばかりの男子400m予選2組の結果がアナウンスされる。
そして大型のビジョンに次々と結果が表示され、結城達もそれをメインスタンドで座りながら見ているのだった。
だが結城に関しては、その表情は明らかに”固い”。
それもそのはず、結城は前回の北城市予選の100mに出場したとはいえ、試合勘自体はまだまだ取り戻せてはいないのだ。
さらに言うと大型ビジョンが使用されるような大きな大会は、ケガをする直前に出場した2年前の中学近畿予選大会以来である。
この独特の緊張感とレベルの高い選手が次々と出てくる状況は、今の結城を緊張させるには十分だったようだ。
(あーヤバ。まだ4継まで時間あるのに、思ったより緊張してるな俺……)
そもそも結城は自分を客観的に見るクセがある。
普段はその性格に助けられる事も多いのだが、今日に限っては緊張に気付いてしまった自分の性格を恨んでいた。
だが仮に気付かなかった所で、この後の4継予選で走るという事実は変わらない。
むしろ”緊張に対する準備ができるだけマシ”と考えるようにしているのだった。
◇
「だめだ、俺ちょっと散歩してくる」
だがとうとう座っているだけの状況に耐えられなくなったのか、結城は康太にそう言い残して競技場を出ていた。
とにかく体を動かさないと落ち着かなかったのだ。
「お、4継のエース出陣ですか、頑張れよ~」
そして県予選には出場しない康太は、気楽に結城を見送るのだった。
————————
緑山記念競技場の周りには、豊かな自然と運動施設が混在している。
野球場、テニスコート、体育館、アスレチック……。
プロアスリートから健康志向の一般人にまで需要がある場所なのだ。
そんな緑に囲まれた運動公園の中を、結城は少し早足気味に歩いていた。
目的地は無いが、とにかく体を動かして緊張をごまかしているようだ。
するとふと見えてきたのは野球場である。
プロの野球チームも使用するほどの立派な球場だが、どうやら今日は草野球チームが試合を行なっているようだった。
(野球か~、久しくやってないな)
実は結城は中学生になるまでは少年野球をやっていた。
その時から数えると、約3年以上は野球から離れている事になる。
すると球場の外でキャッチボールやノックを行う選手達も同時に視界に入った。
その光景を見た結城も、当時の練習風景などを少し思い出している。
「ナイスキャッチ―!次ぃ」
「腰高いんちゃうか!?低く低く~!」
「今日はエラー多かったヤツは焼肉おごりな!」
結城は楽しそうに練習をする大人たちを、歩く速度を落としながらぼんやりと見ていた。
(この人達は、向こうで陸上の大会がやってる事なんて知らないんだろうな」
そう考えると、結城は少しだけ気持ちがラクになっていた。
”自分は見られていない”という、競技場では絶対に気付けなかった感情。
あのまま競技場に居れば、狭い視野で自分を苦しめ続けていたかもしれない。
(来てよかったかもな)
結城は再び歩く速度を上げた。
◇
さらにそこから10分程歩いた所に、結城は森林の中へとつながる小道を見つけていた。
どうやら登り階段になっており、先の見えない森林の上部へと繋がっているようだ。
(なんだろココ?ハイキングとかの道かな?)
ここまでの”整備された道”とは正反対と言えるようなガタガタの木の階段。
4継のアップまで時間がある結城は、興味本位でその階段を登って行くことにした。
急な階段では無いが、1段1段が高いせいか自然と結城の息も弾み始める。
(結構長いな……!あ、でも頂上見えてきた)
すると結城の視線の先には、少し朽ちた木で出来た”東屋”が見えてきた。
作りは立派だが、かなり年数は経っているように見える。
「へ~、こんな所に東屋あるんだ」
気付けば結城の口から感想がこぼれていた。
その間にも、木々の間から心地良い風が吹き抜けている。
————だが突然、東屋の向こう側から”ガサ……”という物音が響いた!
「え!?」
結城は驚きのあまりサッと身構える。
だがそれもそのはず、明らかに”人の影”が結城の視界には映っていたのだ!
(ヤバい、知らない人に独り言聞かれた!?)
だがそんな結城の予想とは違い、その人影は”結城の知っている人物”だった。
「早馬くん……!?こんな所でどうしたの?」
その人影の正体は、まさかのキタ高3年・如月美月だったのだ。
さすがに美月の方も予想外だったのか、3年の部員達も見た事の無いような表情を浮かべている。
「き……如月先輩っ!?何でこんな所に!!?」
動揺を隠せない結城も、何とか質問を絞り出す。
「それはこっちのセリフでもあるよ早馬くん!そっちこそ何でこんな所に?フフッ」
さすがは3年生。
先ほどまでの驚いた様子は既に無くなっており、いつもの可憐な雰囲気へと戻っていた。
「えっと、僕は完全にたまたまです……。その、アップついでに歩いてたら、たまたま見えたんです。あ、その、階段がある小道が!」
結城は動揺のあまり、急に日本語が下手くそになっていた。
だが何とか最低限ここに来た経緯だけは説明をする。
「そうだったんだ。てっきり後を付けられたのかと思っちゃった」
「えぇ!?そんな事はしないですよ!そんな、はい…」
「ごめんごめん、冗談だよ、フフフッ」
美月はいつになく機嫌が良さそうだ。
そして彼女は続ける。
「……私はね、緑山で試合がある時はいつもこの場所に来るんだ。中学の時からお気に入りの場所」
美月は東屋の手すりに指をかける。
「ここは人も来ないし、自然に囲まれてるし、風も凄く気持ちいいでしょ?だから緊張をほぐすには最適の場所なんだ」
するとそれを聞いた結城は、明らかに申し訳なさそうな表情を浮かべながら答えた。
「え!?す、すいませんでした、僕なんかが入ってきちゃって!か、帰りまーす……」
さすがに気まずさを感じ取った結城は、スグに登ってきた階段の方に身体を向けようとした。
だが意外にも美月はそれを制止した。
「え?早馬くん、大丈夫だよ?私はもうすぐ4継のアップだから。男子の方が4継は後でしょ?だからまだここに居ても大丈夫だよ」
「え?ま、まぁ確かに本格的なアップまでも1時間以上ありますけど…」
「じゃあ、ここ譲ってあげる。これからもね」
「ゆず……これ……えぇ!?」
相変わらず結城は動揺を隠せない。
だがそれと同時に、美月の言い放った”これからもね”の意味が理解出来ていなかった。
次の言葉を聞くまでは。
「3年として、ここで試合するのはもう最後だからね」
結城はスグに”あっ”という表情を浮かべる。
「私が引退したら、次は早馬くんがこの場所を使ってくれたら嬉しいな。伝統……?みたいな感じで、なんか良いでしょ?」
美月はとてもリラックスした笑顔を結城に向けている。
だが雰囲気のある東屋も相まって、結城には美月が神様のように映っていた。
「神様みたい……」
「え?何か言った?」
「え!あ!?何でもないっす……。あの、先輩が良いのであれば、今後も使わせてもらいます!!」
「良かった。有効に使うんだよ?」
「は、はいっ!」
「あ、それとね早馬くん…」
すると最後に美月は、少しだけ目を伏せた。
そして軽く息をフッと吐いた後に、自らの思いを吐露する。
「1年生に頼むのも恥ずかしいんだけど、みんなを……3年生のみんなを少しでも長く陸上部に居させてね。君ならきっと出来るから」
それは美月にとって、3年と共に4継を走る結城への熱いエールだったのだ。
「……はい!」
その想いを肌で感じ取った結城は、1人残された東屋で気持ちを整えるのだった。
————————
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
女装とメス調教をさせられ、担任だった教師の亡くなった奥さんの代わりをさせられる元教え子の男
湊戸アサギリ
BL
また女装メス調教です。見ていただきありがとうございます。
何も知らない息子視点です。今回はエロ無しです。他の作品もよろしくお願いします。
13歳女子は男友達のためヌードモデルになる
矢木羽研
青春
写真が趣味の男の子への「プレゼント」として、自らを被写体にする女の子の決意。「脱ぐ」までの過程の描写に力を入れました。裸体描写を含むのでR15にしましたが、性的な接触はありません。
隣の席の女の子がエッチだったのでおっぱい揉んでみたら発情されました
ねんごろ
恋愛
隣の女の子がエッチすぎて、思わず授業中に胸を揉んでしまったら……
という、とんでもないお話を書きました。
ぜひ読んでください。
女子高生は卒業間近の先輩に告白する。全裸で。
矢木羽研
恋愛
図書委員の女子高生(小柄ちっぱい眼鏡)が、卒業間近の先輩男子に告白します。全裸で。
女の子が裸になるだけの話。それ以上の行為はありません。
取って付けたようなバレンタインネタあり。
カクヨムでも同内容で公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる