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3、織田信長
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俺は目の前で立ち上がった男と、横で両手を合わせてぶつぶつ呟いている不気味な奴を見て小さくため息をついた。
話の内容から真人がやらかしたことが伺えた。信長も知らない味だと?
別に新しい料理が食べられていいじゃないかと思っていたが、そう簡単に納得できる話ではなくなってしまった。
真人が口走ったちーず。これって前に敏之達とご飯に乗せて食べた、あの伸びる食べ物だよな? ムーバとかいう宣教師に図々しく頼んでいたからはっきりと覚えている。
広間の外にいた俺にまで声が聞こえてきた。しかしどこで知ったのかはわからないが、あの場にいた家臣達も誰もその存在すら知らなかった。
南蛮で作られるそんな貴重なものを百姓生まれの行商人もどきが知るはずないだろうが。
せっかくの設定が早くも崩れそうで頭を抱える。…………実際にはため息が一つ溢れただけだが。
真人は立ち上がった信長すら意に返さず、真剣な表情で両手を擦り合わせていたが信長の方が動きが早かった。
ドシドシと足音を鳴らしながら俺達の前まで歩いてくると、ビシと首元に扇子を置いた。上から見下ろされ、尚且つ扇子で動きを制限された真人は声を漏らすことすらできていない。
あわあわと手だけ動かしている真人から目を逸らさず、信長は低い声で話しかけてきた。
「少し前に来た宣教師がそれを話していた。故郷で食していた、牛の乳から作るちーずなる物があると。それを聞き、日の本でも細々と作られているという蘇を取り寄せた。まだ尾張にいる奴らにそれを届ける手筈だったが、まさか使ってくるとはな」
それを聞き、近くにいた家臣も口を挟む。
「初めは蘇を料理に使い、南蛮からはるばるやってきた宣教師に振る舞う予定だったが、どう調理すればいいのかわからない。そこで、ひとまず厨房に保管しておき、他の品と一緒に届けることにしたのだ」
なるほど。ここにも宣教師が来て話していたのか。確かに斎賀に来て、着々と勢力を拡大している織田に来ないというのは考えられない。
しかし、ここで空気を読まない人物が一人いる。誘導尋問にすらなっていない話にまんまと乗っかってしまった。
信長の言葉を受けて、怖がっていたのが嘘なように笑顔を見せる。
「えっ、ムーバさんここにも来たんですか? まだ斎賀にいると思ったんですけど、移動早いですね。あっ、それか先にここに来てから斎賀に来たのかな」
(この馬鹿!)
「貴様、宣教……」
「ああはい、尾張に来る前は斎賀にて商いをしておりました。その方は、町で会いちーずとやらについて教えていただいた方にございます」
「無礼な!」
「えっ? 何!?」
ついに耐えきれなくなり、口を挟んでしまった。家臣の怒鳴り声に真人が驚いているが、今はそちらに目を向けていられない。
(……切られるか?)
信長の声を遮って話し出した無礼に、平身低頭の姿勢を取る。目立ちたくなくとも、このまま話していれば俺たちの出自がばれる恐れがある。いや、もうばれたかも知らない。
ひたすらに頭を下げ続けていると、ふっと空気の漏れる音が聞こえた。
「斎賀にはむーばという奴が行ったのか。近頃の斎賀は噂が絶えん。つい先日入った情報も中々のものだったな」
「…………噂とは何でございましょう?」
にやりと笑っている信長に聞き返す。運良くさっきのことは見逃してくれたようだ。俺達が離れた後の情報は何一つ入っていないから、ここで知れるなら集めておきたい。
興味があることを隠す素振りすらない真人はやはり気になって仕方ないようだ。
耳を傾けて聞こうとする俺達を見て鼻を鳴らすと、信長は何てことないという態度で伝えてきた。
「面白いのがあってな。今までは羽川の倅が斎賀にいるという話題で持ちきりだった。しかし、新しく入った情報がまた問題だ。今度は斎賀の倅が襲撃に遭い怪我を負ったというのだ。羽川の子にやられたのではないか?」
「っ!!」
「嘘だ! 重孝が敏之を襲撃するはずがない! きっと八津左の人達が襲ってきたんだ!」
敏之が怪我を負った? 一瞬、背筋が凍るような感覚が身体を駆け抜ける。怪我の具合を聞こうとしたが、その前に動揺した真人が信長に叫んでいた。
「ほう、貴様は羽川と斎賀の次期当主を知っているのだな。まあいい。ただの行商人でないことは先の言葉で既にわかっておる。安心しろ、腕を負傷したがすぐに対処したおかげで大事ないようだ」
「よかった……」
それを聞いてほっと肩の力を抜く。真人も安心したように床にへたり込んだ。しかし一体誰に襲われたのか。それに、ただの行商人じゃないと知りどうするのか。
今度は何を言われるのかと身構えていると、衝撃の事実がその口から飛び出してきた。
「そやつは南部の忍びに襲われたようだ。なんでも、敏之とやらは誰もいない殺風景な部屋に行く習慣があるらしく、今回も一人でその部屋に入ったところを襲われたと。二郎丸と瀬奈姫もよくいる部屋で、秘密でもあるのかと探らせても何もない。つまらんがな」
「南部って……」
信長の言葉を聞いた真人が俺を見る。多分考えていることは同じだ。誰かが村に敏之を殺すように依頼をしたのだろう。体中の血が頭に上った気がするが、努めて平静を装う。
それに、他にも聞き捨てならないことを言っていた。まるでその話だと織田の手の者が屋敷に入り込んでいると公言しているに等しい。
あと真人は気づいていないだろうが、おそらく敏之の向かった先は真人がいた部屋だ。当主の子供が揃いも揃って集まるのは不自然だが、あそこにそんな部屋はない。
真人の残したちーずでも食べておしゃべりでもしているはずだ。慕われている証だし伝えた方が面白そうだが、それは戻った時に知ることだろう。
まだまだ聞きたいことは多いが、大体のことは理解した。そうなると、次に俺がするべきことはどうやってこの場から脱出するかだ。
話の展開に付いてこれてない彦助はいい。まずは真人と俺、二人の逃げ出し方だ。策を練る時間もないこの場では無謀だが、さてどうするか。
「ああそれと、こちらも聞きたいことがある」
「なんなりと」
「貴様等は斎賀の密偵か?」
ーーーーー
鉄が返事をしたあと、信長が検討外れなことを聞いてきた。やばいよやばいよ。完全に疑われてるじゃん。
ほら、また家臣の皆さんもお揃いの顔で。
「何! やはり此奴らは……!」
「殿! 即刻捉えるべきです! 尋問はこの勝家にお任せを!」
「そなたのような力尽くの拷問はすぐくたばってしまうわ。吐かせる前に死んでしまう」
「なんだと!」
ひっ!! 拷問!! これは誤解を解かないと大変なことになる!
「ち、違います! 決して、けっっして密偵なんかじゃありません!」
おろおろと手を振って違うと言い続けるが、誰も聞いちゃくれない。鉄を見ても澄ました顔をしてるだけだし頼りにならない。こうなったら俺が動かないと。
俺は目の前で立っている信長を見上げる。相手もちょうど俺のことを見ていたようだ。目があってびくっと肩が震えるが、身の潔白を証明するために口を開いた。
「俺たちは密偵ではありません。確かに斎賀にいて敏之達と一緒に過ごしていました。でも、居候みたいな感じでほぼ仕事なんてしてません! 諜報活動なんか頼まれてないです!」
「ふん、そんなことはわかっている。全て顔に出ておるからな」
「はい?」
「殿?」
そう言って信長はまた鼻を鳴らして扇子で自分の肩を叩く。
いや、あなたがこの騒ぎの原因ですよね。俺に密偵かって聞いてきたからこんなに家臣の人達が怒っていて……。
何がしたいのかわからない態度に不満を覚えるが口には出さない。俺は空気の読める男だ。
「もし貴様が密偵だったら斎賀はなくなっておるわ。諜報とは、こやつのような奴が行うのだ」
話しながら信長が目を向けたのは鉄だった。自分の肩に置いていた扇子を今度は鉄の頭上に置く。
でもそれはそうだろう。なんていったって鉄はれっきとした忍びなのだから。いつもふらっと居なくなるし、居ないと思うといつの間にか戻っていたりする。
本当にさっきから何が言いたいんだと思い、鉄を見やると無表情だった。ああ確かにこれは密偵向きだ。
けれど、顔から汗を書いている。暑いとはいえ汗が滲むほどの室温か? どちらかというと、縁側で二郎丸と日向ぼっこをしている時よりちょっと涼しいくらいの温度だ。
鉄に聞こうと思ったけどダメなら彦助さんだ。そう思って彦助さんに声をかけようとすると、すでに振り向いてこちらを見ていた。
でもその顔が大変な事になっている。目を見開いて鉄以上に汗が浮き出していた。しかも手をぶるぶるとさせながら鉄を指差している。
「彦助さん? どうしました?」
挙動不審だし大丈夫かと声をかけるが治まらない。でも、俺を見てから唾を飲み込むと声を震わせながら質問してきた。
「真人、いや、真人殿。鉄は……あいつは……」
「え? 真人殿なんて」
「…………忍びなのか?」
パシッ
「ぐえっ!」
その瞬間、広間の空気が変わった。俺の時は騒いでいた家臣達も静かに刀に手をかけている。
彦助さんが忍びという言葉を発した途端、鉄が扇子を手で弾き、一瞬で俺の襟を掴んで引きずった。喉がしまって反射的に声を出してしまったが誰も何も言わない。
あんな声が響いてしまってなんとも言えない恥ずかしさが湧き上がってくるが、緊張が張り詰めた空間に圧されて声が出せない。
鉄が警戒しながら、先程まで信長が座っていた所に移動する。必然的に俺も引きずられて。しかし広間の出口は反対側だ。
これは逃げ出せないのでは、と目の前に広がる武士達を見ながら思ったとき、信長が近づいてきた。
「さて、出口は反対側だ。一人なら逃げられてもそやつを連れては逃げられまい」
「…………俺達をどうするつもりだ」
「もちろん」
——鉄の言葉ににやりと笑うと、魔王がささやいた。
「使えるものは全て使う、だけだ」
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