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第一章 祈望の芽吹き

第三話 蜜柑色で灰色の罪人

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 午後十一時五十九分。
 新宿警察署八階にある刑事課のデスクにて。
 ベルは複数本のエナジードリンクや栄養剤の空き缶や空き瓶が転がる机に座り、パソコンを眺めていた。
 ベルが見ているのは、千澄がこれまで犯したとされる犯罪の捜査資料であり、その中でも重点的に見ているのは、被害者の情報が記載されている項目だ。

 千澄は重罪人だ。
 己の復讐の為に悪魔を召喚して契約を結ぶ事で魔法少女となり、無許可かつ違法に活動しただけに飽き足らず、殺人未遂、傷害、脅迫、その他諸々の犯罪を犯してきた。
 罪状だけ見れば、悪辣極まる凶悪犯に思えるだろうが、一概にそうとも言い切れない。何故なら、千澄が犯した犯罪の被害者達は、全員ーー……

「……いじめっ子、反社、半グレ、人身売買の仲介人、違法薬物の売人、魔女や凶悪な異種族犯罪者等……あいつの被害者は、どいつもこいつも胸糞が悪くなるような犯罪を犯して、他人の人生を遊び半分で壊してきたような奴らばかりだな」

 同情の余地のない、本物の罪人達。
 千澄が、魔法少女マーガレットが標的としてきた者はそういった者達ばかりだ。
 その者達によって人生が壊されそうになっていた者、既に壊されてしまった者の数は計り知れない。
 ベルは膨大な数の資料をスクロールしながら、いくつかの事件の被害者情報を速読していく。


『二○二二年の六月二日。午後十時四十九分。岐阜県で起きた傷害事件。被害者は谷口俊平と他数名。谷口らは半グレグループ『グルーサム』の構成員で、とあるバーで酒に酔って一人の女性客に絡み、胸や肩を執拗に触るなどの猥褻な行為を行っていた。その様子を見かねた壮年のマスターがそれを止めようとするも、集団でマスターの額を割り、複数本の歯を折る等の暴行を加える。あわやマスターが殺されかけていた所、サンクローズの足取りを追っていた暫定魔法少女マーガレットに見つかり、手足と肋骨の骨を折られる』


『二○二二年の八月十八日。午後六時二十三分。兵庫県で起きた殺人未遂事件。被害者は原田大蔵。原田は元機動隊員という経歴を持つハイオークの連続婦女暴行殺人の指名手配犯で、当日も獲物を物色している最中だったが、暫定魔法少女マーガレットに見つかり、奇襲をかけられ瀕死の重体を負う。その後は暫定魔法少女マーガレットの通報を受けて駆けつけた警察により逮捕される』


『二○二三年の一月二十一日。群馬県で起きた脅迫事件。被害者は当時高校二年生だった山崎実槻みつき。山崎は同じ高校の女子生徒を誰にも悟られぬように巧妙にいじめていた男女の集団のリーダー。女子生徒から金銭を強奪する、裸の写真や自慰を撮らせる事を強要して実際に写真や動画を撮る、食べ物に虫を混ぜて無理矢理食べさせる等のいじめを日常的に行なっていたが、当日にいじめの現場を暫定魔法少女マーガレットに目撃される。自首しなければ山崎らを極限まで苦しめて殺すという旨の脅迫をされた後、取り巻きと共に警察署に自首し、事情聴取によっていじめと事件が明るみになる』


 ――灰色だな、あいつは……

 数々の事件の被害者情報を一読したベルは、心の中で千澄の事をそう評する。
灰色。千澄の本質は白でも黒でも、善でも悪でもない。
 それらのどちらの要素も兼ね備えているのが千澄だ。

 魔法少女として活動するには、『第一種特別魔法活動免許証』ーー通称『特魔免許証』と呼ばれる資格がいる。
 特定の機関で特殊かつ高度な訓練を受けた上で、極めて過酷な試験に合格しなければ手に入れられないそれがなければ、魔法を行使する活動をしてはならないと法律で定められているが、千澄はそれをアイリスに不正に入手させ、使用した。

 具体的な手口はこうだ。
 当時、密かに麻薬組織と癒着し、利益を得ていた魔法少女がいた。
 その魔法少女の存在を独自の調査で割り出したアイリスは、事が警察や犯罪捜査専門の魔法少女に露見する前に取引の場に潜り込んだ。そして、魔法少女と組織の癒着の決定的な証拠を押さえた後に、即座に組織と魔法少女を襲撃。

 組織の人間と薬物のみを施設ごと跡形もなく消滅させ、魔法少女のみ生かした。
 目的はもちろん『特魔免許証』の入手の為だ。

『――貴女の身体、壊れるまで借りるわね』

 アイリスは自分よりも一定以上実力が低い者の身体に憑りつき、操る事ができる、悪魔の秘術――『悪魔憑き』を行使する事ができる悪魔だった。
 魔法少女の身体に憑りついたアイリスは難なく『特魔免許証』と、ついでに便利な操り人形を手に入れた。

 『特魔免許証』には個人IDが割り振られており、それと個々人が設定したパスワードがあれば、魔法少女と魔法少女の契約妖精、警察等の関係者のみが利用できる情報サイトにアクセスできるようになる。
 パスワードの方は『悪魔憑き』の能力の一つである、憑りついた者の記憶を読む力で容易に把握ができた。

 情報サイトには魔女や異種族犯罪者に関する情報が数多記載されている。それ故、サンクローズの居場所に関する手掛かりをつかみ、遭遇率を上げるためにも『特魔免許証』は千澄とアイリスには絶対に必要なものだった。

 もちろん、だからといって上記の行為が許されるという事ではない。
 『特魔免許証』の不正入手及び不正使用、そして、それに伴う違法な魔法少女活動を行った場合に想定される罰則は、甘く見積もっても懲役数十年という重いもの。動機がどうあれ、奪った相手が魔法少女――いや、魔女であれ立派な犯罪だ。
 そして、それよりも、もっと問題なのが
 
「やり過ぎだな、どう考えても……」

 大半の犯罪者への制裁が、どう考えても過剰なものである事だ。
 千澄と遭遇した犯罪者達は、たとえ軽犯罪を犯しただけの者であっても、軒並み重傷を負うか再起不能になっている。
 ベルが特に衝撃を受けたのは、千澄が島根県で引き起こした傷害事件の話だ。



 被害者は陸上部に所属していた中学三年の女子生徒。
 その女子生徒はマスクや帽子で顔を隠し、カラコンやウィッグまでして素顔を隠し、複数のコンビニで万引きを繰り返していた。 
 たまたまその現場を千澄に見られて捕まり、盗んだ商品を返すように千澄が言うも、女子中学生は一向に反省の色を見せなかった。
 それが、千澄の逆鱗に触れた。

『じゃあ、そのくだらない脳みそが詰まった頭と、悪さしかしねぇ腕、逃げる速さだけが取り柄の足……ぶっ壊していいよな? なぁ?』

 女子中学生の態度と言動に激昂した千澄は、マーガレットに変身した後に素手で女子中学生の頭蓋骨を叩き割り、両腕の骨を粉々に砕いて、両膝を巨大な鋏で貫いた末にその場を後にした。

 幸いにも、女子中学生は負傷させられてから数分以内にやってきた警察に保護され、治療を受けために死ぬ事はなかった。
 完治した後の取り調べでは、過去の万引きについて深く反省した様子を見せ、洗いざらい何もかも白状したが

『ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい殺さないで殺さないで殺さないで殺さないで殺さないで殺さないで殺さないで……』

 その後、殺されかけた恐怖から精神を病み、一時期は部屋から出る事も、人と会話する事もできなくなってしまった。
 現在は回復し、更生してまともに人と関れるようになり、とある飲食店のスタッフとして勤める事ができているらしいが、心が壊れたままになってしまっていてもおかしくなかった。

 魔法少女による犯罪者への過剰な制裁は、『特別魔法活動を行う者の犯罪者への処罰に関する法律』――通称『特魔処罰法』という法律で原則禁止されている。
 千澄の行動の多くは重大な違法行為。
 法的な観点から見れば千澄はれっきとした悪人だが、その一方で、千澄に、魔法少女マーガレットに救われた人間が大勢いるのも確かな事実だ。


 ――あいつが谷口共を叩きのめしたから、マスターは死なずに今もバーを続けられていて、売り上げは右肩上がりの状態が続いている。


 ――あいつが原田を瀕死に追い込んだ後に通報したから、原田は逮捕され、その三ヶ月後に死刑が執行された。それによって原田に殺された女性達の遺族の溜飲は下がり、明日に目を向けられるようになったと共に、未来の被害者を救う事ができた。


 ――あいつが山崎らを脅し自首させたから、山崎らは全員退学となり、いじめられていた女子生徒は残りの高校生活を友人と楽しく過ごす事ができた。無事受験も成功して、今は看護系の大学に通っているんだったか……



「……狂気に等しい正義で、誰かの明日と心を救う、か……まるで、えりねぇの――」

 ――と、何事かを言いかけて、ベルは下唇を噛んで俯いた。

「どうしたら、正しさと優しさだけで誰かを救えるヒロインになれるんだろうな……」

 誰に向けたものでもない、小さな声の問いかけ。
 それが、薄暗く広いデスクに溶けて消えた時だった。

 ――ブーッ‼ ブーッ‼ ブーッ‼

 ベルのズボンのポケットの中で、スマホが震え出した。
 すかさずスマホを取り出して画面を確認すると、『ジュギ姉』という名前が表示されていた。
 それはベルの仕事仲間でもあり知人でもある人物の名前だ。
 わざわざこの時間に掛けてくるという事は、おそらくは緊急の連絡だろうと思いながら電話に出たベルは

「はい、もしもし、どうし――え? 橘浦? あぁ、確かに今日捕らえたけど……は? はぁ⁉ いや、そんなの無理に……何? 警視総監に直接話して、許可も貰って、もう手続きも済ませてある? で、その後二人でマリパした……って友達か‼」

 ころころと表情を変え、昼間の様子からは想像できない大きさの声で通話をする。
 そして、一際大きな声で叫んだ後、頭を押さえながら溜息を吐き

「あぁー、大体の事情は分かったが、その前にいくつか聞きたい事がある。ジュギ姉達は……あっ、おい、こら待て切るな。まだ話は、あっ……」

 いくつか質問しようとしたが、一方的に要件を伝えて満足した相手は、それより早く通話を切ってしまった。

「……相変わらずテンション上がると人の話聞かないな、あの馬鹿姉は。来たら引っ叩く」

「やめた方がいいのではないですかね。特別公務員暴行陵虐罪に抵触する恐れがありますよ」

「大丈夫だ……そこまで本気で叩いたりはしない。軽くじゃれるていーーーーっっ⁉︎」

 電話相手への愚痴を溢していたベルに、低く落ち着いた男の声が応じた。
 あまりに自然に話しかけられたので、最初は普通に会話していたベルだったが、遅れてその声が聞き覚えのないものであり、声がした方から微かに血の匂いがする事に気付き、咄嗟に振り返った。

 すると、そこにいたのは、中央に紫のメッシュが入った短い白髪と蒼天の瞳が特徴的な、痩身痩躯の黒縁の眼鏡をかけた妖精の男だった。
 黒のスーツに身を包み、肩に同じ色のコートを羽織ったその男の拳と靴の先は、血に濡れていた。

「……警備はどうした?」

「御安心を。全員、眠ってもらっているだけです。重傷を負わせる事になってしまった方々も何人かいらっしゃいましたが、その方々も命に別状はありません」

 真っ先に仕事仲間の安否を問いかけてきたベルに、男は淡々と、静かな口調で無事ではない事を口にする。
 その答えを聞いて怒りのままに飛びかかろうとしたベルだったが、何とか堪え、深く息を吐く。

「そうか……で? お前は何者だ? 単独で警察署に襲撃なんて、良い度胸をしているな」

「あぁ、自己紹介がまだでしたね。私はフギン。国家の壊滅と占領を目論むテロ組織ーー『堕天』の副首領といえば、伝わりますかね」

「『堕天』の副首領⁉︎ 関東最大のテロ組織の二番手が、どうして、ここに」

「その前に、こちらも聞きたい事があるのですが、よろしいですか?」

 ベルの言葉を遮って質問の許可を取ろうとするフギン。
 その手にはいつの間にか拳銃が握られていて、銃口の照準はベルの心臓に合わせられていた。

 ーー速い。こいつ、厄介だな。

 短いやり取りの中で、ベルはフギンが一筋縄ではいかない実力者である事を実感し、小さく舌打ちして、背後を取られ、拳銃を向けられてしまっている状況を切り抜ける方法を考える時間を稼ぐためにも、ひとまず素直に質問に答える事にする。

「何だ? 何が聞きたい?」

「ありがとうございます。こちらの留置所に、天使のような可愛らしい女の子がいる筈なのですが、ご存知ないですか?」

 

 
 
 
 
 







 一方、その頃。
 鉄格子で外界と区切られた約六畳の独居にて。
 トイレと小さな机と洗面台、それから畳まれた布団のみが置かれた板の間の中で、千澄は鉄格子に寄りかかり、窓から見える月を眺めていた。

「思ったより、悪くないですね……やや狭い気もしなくはないですが、一人暮らしはこれくらいの広さの部屋が丁度良いんですかね……」

 逮捕された身。
 勾留されている最中であるとは思えない呑気な独り言を呟く千澄。
 起訴されれば死刑になってもおかしくない状況だが、それでも千澄が落ち着いているのは、己の生存を半ば諦めているからーー

「……でも、お風呂ないのきついですね。そろそろお風呂入りたいですし、外に出て銭湯か噴水にでも行くとしますか」

 ーーではなく、これから脱獄するつもりだからだ。

 一目見てベルの実力が自分の倍以上であると見抜き、ベルが警察官と知った時には、千澄は逃亡を諦めた。

 全力で抗戦すれば、かなり低い確率ではあるが、逃げ切る事もできたかもしれない。
 だが、ベルは、本物の、一切の穢れのない正義の味方だ。
 傷付けるのは、気が咎められてできなかった。

 今の時間なら、ベルも、他の警備も収監されている者達も全員寝ている頃だろう。
 千澄を逮捕した時のベルの口振りから察するに、警察は千澄が完全なる不死者ではなく、存在である事を知っている。

 起訴されて死刑が確定すれば、死刑は従来の絞首刑ではなく、確実に千澄を殺せるような形式に内容を変更し、厳戒態勢で執り行われるだろう。
 犯罪を犯した魔法少女が向かうとされる刑務所の警備の妖精や魔法少女は、国内でも随一の実力者ばかりだと聞く。
 千澄でも脱獄はほぼ不可能だろう。
 
 ーーふっつーの刑務所で、死刑のやり方が絞首刑だったら死んだふりでやり過ごせたのに……ちっ。

 心の中で舌打ちしながら屈伸や伸脚をした後、千澄は立ち上がって目を閉じ、深呼吸をする。


 ーー殺される前に逃げてやる。


『いつか、多くの人と繋がって、貴女が本当に叶えたかった夢を叶えて、どうか……どうか、幸せになってね』


「……えぇ、分かってますよ。ちゃんと、叶えられ……叶えますから、安心していてください」

 幾百、幾千回思い出したアイリスの願いをもう一度思い出しながら、千澄は胸に拳を当てる。
 そして、恋人への誓いを再確認した千澄が

「さて、行きますか」

 脱獄への決意を固め、鉄格子を蹴破ろうとしたーーその時だった。
 突如として吹き荒れた黒炎が、千澄の背後の壁を吹き飛ばした。

「うあ"っーーーー‼︎」

 予想外の爆発によって生じた熱を伴う衝撃。
 それに千澄は鉄格子を突き破る勢いで殴り飛ばされ、向かいの壁に鉄格子諸共めり込む。
 その瞬間、けたたましい音量の警報が留置場全体に鳴り響く。

「……あ、やば、ぶっ飛ばしちゃった。死んでない? 死んでないよね?」 

 鼓膜を掻きむしってくる耳障りな音。
 それに混じって聞こえてくる掠れた女の声を、千澄は確かに聞いた。
 飛び起き、その声が聞こえてきた方向に千澄が顔を向けると、そこにいたのは

「あ、よかった。生きてた。人殺しは絶対やるなって言われてるから、死んじゃってたらどうしようかと思った……」

 胸に手を当てて安堵の表情を浮かべる、頭にカラスの羽の髪飾りをつけた、紫のメッシュを入れた灰色の長髪と、猛禽類のような黄色の瞳、長い下まつ毛が特徴的な背の高い女だった。


 鴉のお姫様。灰色と黒の天使。


 女を一目見て千澄が受けた印象は、そのようなものだった。
 胸の白いエーデルワイスの花の装飾が目立つ、黒を基調とし、所々に紫と桃のフリルやリボンの飾りつけが施されている、肩、腹、両足を大胆に露出したドレスに身を包み、純真無垢な子どものような、愛らしさに溢れる満面の笑みを浮かべている女。

 留置場の壁を爆撃し、その両手に黒く揺らめく炎を灯してさえいなければ、素直に可愛いと思えただろうーーと千澄が思っていると、女は笑顔のまま首を傾けて

「あなた、マーガレットちゃんだよね? あのサンクローズを殺したっていう、すごい魔法少女なんでしょ? そうだよね? どうやって殺したの? 誰と契約して魔法少女になったの? そんなに凄い魔法少女が、どうして捕まってこんな所にいるの? ねぇ何で? 何で? どうしてなの?」

 好奇心旺盛な幼子のように、千澄に対して矢継ぎ早に問いを投げかけた。
 女の質問に素直に答えてもよかったが、千澄にも気になる事があった。故に

「……こっちも質問していいか? お前、誰だ?」

 女の質問は一旦全部無視して、気になる事ーー女の素性について尋ねる。
 聞くだけ聞いてみたが、まず素直には答えてもらえないだろう。
 そう思っていた千澄だったが、次の瞬間、意外にも、女はあっさりと己の素性を暴露した。

「そっか、先に自己紹介しなきゃだよね。私、ネヴァン‼ 見ての通り魔法少女だよ。ねぇ、マーガレットちゃん‼ 『堕天』に入って、一緒に国を壊して乗っ取らない⁉︎」 

「……あ?」
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