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第四章 祈りを繋ぐ道
第七十四話 失われた者と奪われたもの
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「今回集まってもらったのは、皆にとって大切な、避けては通れない話をするため……単刀直入に言えば、被害状況の確認と今後の方針についての話し合いが目的だ」
「比較的軽傷だった自警団の皆さんと私、回復が早かったライゼさんが行った調査により、詳しい被害状況が確定したため、まずはそれについての報告を私からさせていただきます。その後は、フスティーシアとライゼさんから『夜天の箱舟』について分かっている事、新たに判明した諸々の情報を共有してもらい、今後の方針、つまりは、『夜天の箱舟』についてどう対策していくかを話し合っていこうと思います」
被害状況の確認と『夜天の箱舟』への対策のための話し合い。それが、今回集まった目的だった。
何をどれだけ傷付けられたのか、被害にはどのようなものがあったのかを知り、その重さを胸に刻む事。
今後も対峙する事になるであろう難敵にどう対処すべきか考える事は、とても大事な事だ。
何事も、終わった後に振り返る事をしようとしなければ、次には繋がらない。
良かった事と悪かった事、嬉しい事と悲しい事、それら全てを噛み締めるから意味がある。
「まずは人的被害についてです。ヘルハウンドとの戦闘に参加した方の負傷についてはユナが全快させたために問題なし。『夜天の箱舟』が連れ込んだであろう三種の魔獣の内、猫の魔獣に襲われた住人はゼロ。鼠の魔獣に襲われた住人は複数人いたものの、全員軽傷で、リオさんの活躍のお陰で死者は一人も出ませんでした。ただ……」
「……蛙の魔獣には、十四人が殺されてしまったんだよね?」
口ごもったアクルに代わり、左頬に湿布を貼り付けたローザが、重い声で続きを口にする。
それに対し、ライゼは沈痛な面持ちで「うん……」と頷いた。
「あとで調べたら、ローザ君の目の前で殺されたマルジューって妖精の方と同じ殺され方をしている人が、十三人見つかった。いずれも一人暮らしだった方で、恐らくは声を出す間もなく殺されてしまっていた所為で発見が遅れた。全員、共同墓地に埋葬させていただいたけど……やっぱり、つらいね。あぁいった場面に立ち寄るのは……」
「そう、ですね……」
調査の流れで埋葬に参加した際の所感を述べるライゼに同意し、ローザは膝の上で拳を握りしめる。
ローザにとって『サルジュの森』の住人は一人一人が家族に等しい存在だ。
小さな頃から可愛がられていたし、面倒も見てもらっていた。
皆、それぞれのやり方、それぞれの思いやりでローザに構い、ローザを独りにしないようにしてくれる心優しい人ばかりだった。
ローザの目の前で蛙の魔獣――ラ―ナネグロに頭部を破壊されて死んだマルジュ―という青年は、その中でも特に世話焼きな妖精で、何かとローザを気にかけ、元気な時も落ち込んでいる時も、大好物の蒸しパンを食べさせてくれる気のいい青年だった。
だからこそ、目の前で殺された時は、激しい悲しみと怒りで我を忘れてしまった。
あの時の愚かで直情的だった自分を、警戒を怠っていた自分を、恨まずには、呪わずにはいられない。
自分にもっと力があれば、もっと早く気付く事ができていれば、マルジュ―は――
「その可能性はあったかもしれないけど、だからといって、あまり自分を責めてはいけないよ」
「――っ‼」
胸中で渦巻く後悔、思考が自責に偏り始めた事を瞬時に見抜かれ、ローザは思わず飛び上がりそうになる。
ぱっと顔を上げたローザに、ライゼは「いいかい?」と、諭すような口調で語り始める。
「守れなかった事への後悔を抱くのはいい。当然の事だ。自責の念を覚えるのも自然な事。でもね、下を向いてばかりでは、君を想ってくれていた人達は報われないし、遠くない内に潰れてしまうよ」
「今すぐ無理に顔を上げる必要は無いが、今言った事と、これだけは覚えていてほしいんだ。誰だって、大事に思っている相手には、明るく前を向いていてほしいと思うものだ。僕も、ユナも、皆も、つらい時は君を支える。だから、何でも自分の所為にしないで、遠慮なく僕らに縋って来てくれ」
「私達も同じ事を思ってるよ。あなたは弟のようなもので、長い間私達の故郷を守ってくれたヒーローでもある。だから、本当につらい時は、今度は私達が助けるよ。恩返し、させて?」
「マスター……レアルさん……」
一人で抱え込まないでほしいと願うライゼとレアルの言葉に、ローザは胸と目頭を熱くする。
散々迷惑を、いや、迷惑というには軽い所業をした自分には贅沢すぎる程の思いやりに、嬉しいと感じると同時に申し訳なくなる。
どちらからも見捨てられてもおかしくない事をした。
疑心暗鬼からステラを、リオを、レアル、ジークフリート、グラニを殺そうとした。優しくされる資格なんて、自分にはもうないのに、それなのに、独りにしないと言ってくれる二人の優しさが、痛い程染みて、ぽろぽろと涙が零れ始めた時
「それに関しては昨日しっかり怒ったし、君が改めると約束して、殺されかけた当人達も許すと言った……だから、もういいよ。二度と同じ過ちを繰り返さないのであれば、僕からはもう言う事はないし、それが理由で一歩線を引かれる事の方が、僕も、皆もつらいよ」
またしてもローザの胸中を読み取ったライゼが、過ちを理由に自分達を頼る選択肢を放棄する必要は無いと告げ、ステラ達もそれに同意するように頷く。
その言葉を聞き、皆の反応を見たローザは、一瞬呆気に取られた後、「はは……」と肩の力が抜けたように笑った。
「全部、お見通しなんですね……」
「まぁね。大好きな仲間の事は何でも分かるよ。僕に隠し事はできないから、覚悟した方がいいよ。あまりにも長い間一人で苦しむようなら、無理矢理捕まえて強制的に手を差し伸べるからね」
「何その脅迫なのか思いやりなのかいまいち分かりにくい宣告……あんた、さっき『今すぐ無理に顔を上げる必要は無い』って言ったの忘れた? 無駄に頭が良いのも数少ない長所の一つだったのに、それがなくなったらどうするのよ……」
「言ったけど、僕、待たせるのはともかく、待つの苦手だから。それでも限界まで頑張るけど、無理そうだったら自分から聞きにいくよ。つらい思いをしてる仲間をずっと見ているのは心が痛いからね……あと、ユナ? 帰ってきた時も思ったけど、僕への当たり強くない? 僕にだって痛む心はあるんだよ?」
「日頃からあなたが私に与えてるストレスと心労の量を考えたら、妥当な態度よ。優しくしてほしいなら、普段の仕事をちゃんとして頂戴。まぁ、でも、言っている事自体はまるきり間違いって訳じゃないし、私も同意よ。ローザ、誰にも頼る事ができなかったら、私の所に来なさい。私になら、少しは話やすいでしょう?」
「ユナ……うん、分かった……ありがとう、マスターに、レアルさんに、皆も……」
ローザの痛みを自分事のように感じ、放っておかないと言ってくれる仲間達に、ローザは涙を拭いながら、笑顔で礼を言う。
本当は優しくて、でも、どこか控えめで遠慮しがちなのがローザだ。だからこそ、今回の件を機に心が潰れてしまわないかは『魔神の庭』と『白雪の森』、コナーらの共通の心配であったが、どうやら、そうなる事はなさそうだ。
そうして、一つの心配事が解消された所で、話は本題へ、被害状況の確認へと戻る。
「さて、被害状況の確認の続きですが、人的被害については先程述べた通りで、建造物への被害については『白雪の森』の本拠地と西の居住区にある民家が倒壊し、今集まっている『デール』も一部損壊しはしましたが、いずれもノームさんが建て直し、テオさんが修繕を行ってくださったために問題なし」
「木々の中には元通りにできなかったものもありますが、幸いにも『サルジュの森』の暮らしに致命的な打撃を与えるようなものではありませんでした。時間は掛かるでしょうが、少しずつ元の状態に戻っていくと思われます。荒れた最終決戦の地の土壌も、これまたノームさんが均してくださいましたし、土地への被害も概ね問題ない範囲に収まりました」
「そうだったのね……じゃあ、ここからは」
「『夜天の箱舟』への対策をどうするか、について話し合いたい所ですが、そうもいかないんです。絶対に奪われる訳にはいかなかったものが一つ、『夜天の箱舟』に奪われてしまったために、まずはそれの報告を行わなければなりません」
話題を移そうとしたステラに、エードラムが否と首を横に振る。
その反応にステラは「絶対に奪われる訳にいかなかったもの?」と首を傾げ、テオは苦々しい表情で小さく舌打ちし、組んでいた腕に爪を立てる。
『夜天の箱舟』の最終目標――自分達の好きなものだけの創造に必要なものは『幻夢楽曲』のみの筈。それ以外に連中が奪いたいと思うものが何なのかテオと大精霊達、『プリエール』組の面々が疑問符を浮かべた時、エードラムは全員が想像し得なかった最悪の答えを口にした。
「――『白夜の逆十字』が、最凶最悪の邪精霊、『邪欲の皇女』オスクリタを封印していた魔道具が、奪われました」
「え?」
「あ?」
「――――っっ‼」
その答えを聞いた途端に、ステラ、リリィ、リオ以外の面々は一様に息を呑み、その顔に憂色をたたえる。
『白夜の逆十字』、オスクリタという単語にピンとこない三人だが、全員の反応とその場を包み込んだ雰囲気、封印されていたという者の穏やかではない二つ名から、無視できない緊急事態である事は分かった。
ほとんどの者とは異なる反応を見せた、オスクリタの事を詳しく知らないであろう三人に向けて、エードラムは説明を開始する。
「邪精霊とは、殺意、憎悪、怨念等の負の感情が収束した事で生まれた邪悪な精霊の総称。オスクリタはその頂点に立つ存在で、言うなれば闇の大精霊。僕私に匹敵する実力者です」
「あなたに匹敵……」
「えぇ……僕私が万全の状態かつ命を捨てる覚悟で挑まなければ、勝つ事ができない相手です。幾度も殺し合いましたが、その度に死の淵まで追いつめられました。それ程までに彼女は強く、凶悪な存在です」
「そんな……」
オスクリタの概略、その強さについての説明を聞いたステラは愕然とする。
エードラムが『レーヴ』では数少ないライゼと互角に渡り合う事ができ、本気にさせる事ができる存在である事を、ステラはまだ傷が治り切っていない時にライゼにエードラムとの関係性を問いかけ、教えてもらっていた。
世界有数の実力者であるライゼと張り合える存在に匹敵する邪精霊。それを封印していた魔道具が『夜天の箱舟』に渡ってしまっていたという事実は、最悪以外の何者でもない。全員が深い憂慮と緊張感を抱くのも当然だ。
「オスクリタは強さもそうですが、その性質が何より厄介です。彼女はあらゆる悪意を抱いて生まれた存在であるが故に、他者を傷付け、尊厳を踏みにじり、大切なものを壊す事にのみ悦びを感じ、それを自らが生きる意味としています。彼女にとって、他者とは自らの愉悦を満たすための玩具でしかない。自らの邪な欲望を満たす為なら、躊躇いなく悪意を振り撒く。故に」
「『邪欲の皇女』なんて二つ名がつけられてる。俺の両親も、奴に皮を剥がれて、原型を留めない壊され方をして殺された」
「――っ、そんな……‼」
エードラムの言葉を引き継ぎ、テオが口にした数多あるオスクリタの罪の一つ、テオの壮絶な過去の断片を聞いたステラは、胸を強く締め付けられる思いを覚えながら、咄嗟に口元を押さえる。
動揺を隠し切れなかったステラに、テオは顔を向ける事なく続ける。
「あいつは、楽しいからってだけで、そうゆう事ができる奴だ。執念深さも半端じゃねぇ。一度標的にした相手は、地の果てまで追いかけて、殺すか、死んだ方がマシだったって思うような目に遭わせに来る。悪辣極まるクソ最悪なゲス外道だ。その上、『霊王』並みの力を持ってるときた。奴の全盛の時代に生きていた善の魔導士達は、奴を命懸けで討伐しようとしたし、召喚の儀式の方法が流布される事がないよう、存在そのものの情報統制を全力で行った」
「まぁ、前者はとある理由で無理だったし、後者も完全に成功したとは言い難かったがな。儀式の方法はともかく、存在自体を知ってるって奴は、見ての通り大勢いるからな」
「そう、だったのね……討伐が、無理だった理由は?」
「端的に言うと、殺し切る事が不可能なんだ。あの性悪ブスは」
「殺し切る事が不可能? それって……不死身、って事?」
テオが口にした新事実に、ステラはごくりと唾を飲む。
ライゼやエードラムに並ぶ力を持っていて、積極的に他者を破滅に追いやる存在が、不死身の肉体を持っている。
それはどんな悪夢も生温いと感じてしまう最悪の事実だ。だから、討伐ができなかったのかと納得をするステラに、テオは「いや」と答える。
「不死身じゃない。殺す事じゃなく、殺し切る事ができないんだ」
「えっと、とゆうと……?」
「あいつは精霊の中でも特異な存在で、殺してもすぐに復活するんだ。何度でも、どんな殺し方をしても、必ずな」
「復活……‼」
――殺し切る事ができないっていうのは、そうゆう事なのね……成る程、どおりで……
最凶最悪の邪精霊と呼ばれる訳だと、ステラはようやくオスクリタの凶悪さを本当の意味で理解する。
どれだけ殺してもキリがないなら、討伐を諦め、封印を選択するのは至極当然の事だ。
「あいつは誰かの悪意を糧にして復活する。この世界に悪意がある限り、あいつを消滅させる事は不可能だ」
「だから、瀕死に追い込んで封印するというのが最善の方法だったんです。とはいえ、生半可な魔道具では彼女の封印はできない。それ故、キティという魔女の友人に頼んで、彼女を封印できるだけの力を持った十字型の魔道具『白夜の逆十字』の制作を依頼し、オスクリタをその内に封印。その後、『白夜の逆十字』が誰かに奪われる事が無いよう、『プリエール』の奥底に隠し、幾重もの結界を張っていたのですが、戦いが終わった後に『プリエール』に戻った時には、『白夜の逆十字』が失くなってしまっていました……」
「じゃあ、『夜天の箱舟』の中には、『プリエール』の『鍵』を持つ誰かがいたって事?」
「いや、その可能性は薄いと思うよ」
問いかけを発したマリに、隣の列に座っていたニンフが答える。
「彼ら程の邪悪な存在に『鍵』を渡す事なんてあり得ない。ライゼは例外として、普通は強奪できるような代物ではないからね」
「それじゃあ……」
「おそらく、『白夜の逆十字』を奪った何者かは、『プリエール』が解放された後に事を起こしたんだ。解放された後なら、『鍵』が無くても入る事は可能だからね」
「そんな……」
「クソッ‼ あいつら……」
敵の手口を聞いたマリとステラは、それぞれ項垂れ、拳を膝に叩きつける。
自力では『プリエール』に入れない何者かは、マリ達が『プリエール』を解放するのを待ち、マリ達の努力を利用する形で『白夜の逆十字』を奪い去った。
その事に、二人はやるせなさと怒りを覚えずにはいられない。
温度差のある反応を見せる二人を見つめながら、ニンフは「ただ」と口にしながら顎に手を当てる。
「気になる事があるんだ」
「気になる事?」
「微精霊の記憶を見て、犯人の特定を行おうとしたんだが、私達がいなくなっていた間、『プリエール』にいた時の記憶を遡っても、その者の姿を見る事ができなかった上、結界も強引に破られていた訳ではなく、一つ一つ丁寧に術式を書き変えられていた」
「力づくで破るとエードラムの元に報せが届く仕組みなんだが、エードラムでも察知できない程の繊細さで結界に入り込める者の条件を書き変えられていた所為で、戻るまで気付けなかった。条件も十二歳以上の全ての種族の者なんて、おちょくってるとしか思えないものだったお陰で、そこから犯人を絞り込む事もできない」
「敵だけど、凄い魔導士なんだ……あれ? 待って、それって……」
ニンフの説明を聞き、敵の力量に慄いていたマリだったが、途中である事に気付き、僅かに目を見開く。
「気付いたかい? 精霊の目に映らないように行動する。何の対策も無しにそんな事はできない。犯人は」
「犯人は、高度な技術を持っていて、精霊について詳しい誰か……って事?」
マリの推測に、ニンフは「そうだ」と首肯する。
「おそらくは精霊術師の可能性が高いと考えているが、秘匿事項である『白夜の逆十字』の存在を知っているのは、エードラムと私達大精霊、そしてテオとキティのみなんだが、キティは既に故人で、秘密を言いふらすような人物ではなかった。当然、私達も他者にその存在を流布するような真似はしていない。だから、誰がどのようにしてその存在を知ったのかが分からないんだ」
「エードラムがオスクリタを封印する瞬間や、『プリエール』に『白夜の逆十字』を持ち込んだ時の事を、備精霊の記憶を通して見て知ったっていうのは?」
「それもないと思います。オスクリタとの最後の戦いでは、周囲一帯の備精霊を遠ざけ、光の結界で封印の場面を見えないようにしました。『白夜の逆十字』を封印した後も、『プリエール』に戻ってすぐに懐から出すような事はせず、微精霊の目が届かない地下深くに潜ってから出しましたね。同様の対策は、キティに製作を依頼した時、製作最中にも行いました。だから、『白夜の逆十字』の存在も、封印場所も露呈する筈はなかったんです……」
「ものすごく警戒してたんだね……」
エードラムの抜け目のなさに感心しつつ、マリはそれならばどうしてと考える。
今の所、ニンフやエードラムが言っていた通り、『白夜の逆十字』の存在と封印場所が把握されてしまう要素があるとはとても思えないが、奪われてしまったのは紛れもない事実だ。
暫定『精霊術師』に知る事ができない事柄はないのではないか。
明日にはオスクリタが『夜天の箱舟』の味方となって、再び猛威を振い始めるのではないか。そんな事を考え、不安になるマリだったが
「『白夜の逆十字』が奪われてしまった事自体は嘆くべき事ですが、あれは簡単に封印が解けるような代物ではありません。物理的な破壊は僕私でも不可能ですし、魔神の力を以てしても封印の術式を消す事はできません」
少なくとも後者は杞憂である事を、エードラムは力強い口調で断じた。
「魔神の力でも無理って事は……」
「えぇ。術式には『幻夢楽曲』……『雪月の輪舞曲』の力を組み込んでいたそうです。当時の『白雪姫』と彼女は良き友人だったそうで、依頼を出す遥か前に彼女の魔力を封じ込めた魔水晶を作っていたために、実用性のある装飾として使用する事にしたそうです」
「そうだったんだ……じゃあ、今すぐオスクリタが解き放たれる心配はしなくていいんだね?」
「だとは思いますが、敵の力量が未知数な以上、過度な油断はできません。なので、近日中には僕私と大精霊達で『白夜の逆十字』の捜索を開始します。オスクリタの復活を許す事など、許してはなりませんから。復活は、絶対に阻止します。絶対に……」
幾度となく繰り返した殺し合いの中で死の寸前まで追いやられた時の事。
オスクリタが起こした数々の悲劇。意義も理由もなく愛しいテオの大切なものを奪い、心に消えない傷を刻んだ事を思い返しながら、実感がこもった口調で決意を口にするエードラム。
それに応じて、ニンフ、シルフ、グローム、サラマンダー、ノームらも闘気を高め、同じ決意を抱いている事を示す。
全員の纏う空気の変化を感じ取った者達――特に、彼ら彼女らと実際に矛を交えたマリ、アルジェント、リリィ、ライゼの四人は強い頼もしさを覚える。
この五人が本気で捜索し、見つけ次第一致団結して戦う事ができれば、『白夜の逆十字』は必ず取り戻せる。そればかりか、『夜天の箱舟』の壊滅あるいは捕縛も不可能ではないのではないかとすら思える。
最悪の事態の中で、突破口が見えた気がして、少しだけ前向きになれた面々だったが
――あれ?
ただ一人、マリだけが、テオの表情が曇っている事に気付いた。
何が言いたげに下の方を向いているテオ。その姿が、我儘を言いたいのを必死に我慢しようとしている子どものように思えて、マリはテオに声をかけようとしたが
「これで、被害状況の確認は終わります。それでは次の話題に移ります」
その前に、アクルが話し合いを進行すると呼びかけた事で、声をかけるタイミングを失ってしまった。
アクルの言う通り、確認できた被害は今までに述べたもので全部……という事になっている。
ユナだけは、そうだと認識している。
本当は、もう一つ、ある事が理由で今のユナに告げる事ができなかった被害が残っていた。それはーー
「『巫蠱の骸』で呪い人形と化したフェイさんの遺体が、『夜天の箱舟』に奪われた……」
ヘルハウンドとの最終決戦から二日が経った日の夜中。建て直したばかりのレアルの家の地下にて。
ユナがへし折れるか焼けるかした木々の再生のために駆け回っている間、ユナとライゼを除いた『魔神の庭』のメンバーを集めたレアルは、重い口調でそう口にした。
それは、その時点でユナの過去、十七年前に『サルジュの森』で起きた悲劇を知らなかったリリィに向けて、要点をかいつまんだ説明をした後に告げられた事だった。
その知らせは、ヘルハウンドに勝利した事で少なからず浮かれていた全員の気持ちをどん底に落とすには十分なものだった。
『巫蠱の骸』。
それは、かつて『サルジュの森』に襲撃を仕掛けた『イヴォール国』の暗部に位置する暗殺組織『無色の牙』の長――アノニムが用いた呪術の名称だ。
『巫蠱の骸』は大量の虫を殺し合せ、最後に残った一匹を用いて対象に呪いをかける呪術――『蠱毒』の発展系の呪術。
『蠱毒』で生み出した虫を容れ物である死体と融合させ、死体を不死性と毒の力を持つ呪いの骸人形に変える人の道から外れた外法だ。
それにより骸人形に帰られたフェイという青年は、『プリエール』の解放の為に『イヴォール国』からやってきた心優しく明るい青年だった。
アノニムによって骸人形に変えられた彼を止めるべく、レアルが心を痛めながら氷漬けにしたという所までは、ステラもリオも知っていたが
「それから、ずっと消滅せずに残っていたの……?」
「色んな意味で利用されちゃなんねぇ奴だろ。何でユナに頼んで呪いを消し――……あぁ、そうだった……できねぇのか……」
早々に葬るべきだった青年を葬らず、敵に奪われる事を許したレアルに追及しようとしたリオだったが、途中である事を思い出し、強いもどかしさを覚える。
魔力と強い負の感情を源に発動する、他者を害する事に特化した力――呪術あるいは呪詛魔法。
その中には、一度発動すれば、術者の死後もその効果が継続するものがある。
そうしたタイプの呪術を無効化する事は容易ではない。完全な無効化を図るには、ライゼ並みの力を持つ魔神もしくは浄化の力を持つ者が最低でも二人以上必要となる。
それ程までに強大な力を持つ呪術をたった一人で完全に消し去る事が可能だった唯一の存在が、『残英の対舞曲』の力を持つ『親指姫』――ユナ=マリスタだった。
『残英の対舞曲』の特性は浄化。
数多ある魔法と特性の中で唯一あらゆる呪いと病を完璧に払いのける力を持っている。
ユナはその力で、『巫蠱の骸』よりも強大な呪いの力を持つ、『巫蠱の骸』と同じ蟲毒の発展形の呪術――『屍惨血牙の儀』で生み出された大百足を祓ってみせた。
能力だけの話をするならば、ユナならフェイの内に渦巻く『巫蠱の骸』の力を完全に無効化し、フェイを呪いから解放する事は可能だっただろう。だが、リオが口にした通り、そうできない理由があった。ユナは
「自分が死んだ時の事や、それ以外の忘れてる事についての話をしようとすると、苦しんで意識を失う……」
「そう……その度に全身がひび割れて、砕けそうになっていた。フェイさんの事も忘れてて、フェイさんと出会った時期と死んでしまった日は、とても近かったから……」
「フェイさんの姿を見たら、その瞬間に身体が砕け散ってしまうかもしれないって事ね……」
レアルが再度口にした、ユナに過去にまつわる話をしようとした時に起きる現象。
それを聞いたステラと他の面々は、レアルがフェイを封印したままにする選択肢を取らざるを得なかった理由について納得する。
呪術は魔法よりも遥かに扱いが難しい。
発動条件が厳しく手順が複雑な上に、完璧な行使には高い才能を求められるものが多いため、アノニムのように実戦に用いる事ができるレベルで扱える者は一割にも満たない。
だが、その分、完璧な状態での発動ができれば絶大な効力を発揮する故、完璧な対処ができる者の数は行使できる者よりも遥かに少ない。
「呪術に強い魔導士の情報を集めたり、ライゼさんを含めて頼れる伝手を頼って、『巫蠱の骸』を無効化できるレベルの魔導士を探したりもしたけど……結局、今に至るまで見つける事はできなかった……だから、目の届く安全な場所、私の家の地下の隠し部屋に隠していたんだけど……」
「残念ながら、カステリコスがその事を『夜天の箱舟』に明かしてしまった事でフェイさんの存在を把握され、混乱に乗じて奪われてしまいました。おそらく、ヘルハウンドや魔獣による襲撃は私達を皆殺しにするためというより、陽動に重きを置いた一手。本命は『紅血の協奏曲』の力を伸ばす事とフェイさんを奪う事だったんでしょう。不死性がある呪いの兵士は、強大な戦力になりますから」
レアルの言葉を引き継ぎ、『夜天の箱舟』がフェイの情報を知った経緯、その本当の目的を語るアクル。
それを聞いたステラ達は情報を漏らしたカステリコスと『夜天の箱舟』に対する怒りを募らせる。
――レアル達の故郷を救おうとした人を奪って利用しようとするだなんて、許せない……
誰であっても、その者がどんな想いを抱いていたかも関係なく、自分達の欲望の為に他者を利用しようとする『夜天の箱舟』の悪辣さに、ステラは赫怒を燃やし、拳を強く握りしめる。
そうして怒りで自然と力むステラの隣で、マリが恐る恐る「でも……」と小さく声を上げた。
「連れ帰って、氷を溶かしたとして、言う事を聞かせられるの、かな? 自由に命令できたのって、レアルさんが倒したアノニムって人だけなんですよね?」
「できる……と思うよ。ヘルハウンドを従わせられるんだもの。それなら、『レーヴ』にいるほとんどの生物は自由に操れると考えていい。それに、『夜天の箱舟』はフェイさんを操りたいんじゃなくて、別の目的があるのかもしれないし……」
「別の目的?」
「まさか……」
深刻な表情のレアルの発言にマリは首を傾げ、アルジェントはある可能性に思い至り、憂慮で表情を歪ませる。
二人が異なる反応を見せた後、レアルは『夜天の箱舟』がフェイを奪った理由について考えられる可能性の中で、一番最悪なパターンを口にした。
「『巫蠱の骸』は、支配下に置いている呪いの虫と死体を融合させる事で、自由に操れる骸人形を生み出す呪術。『夜天の箱舟』はフェイさんの中にある虫を量産。戦力の確保の為に目をつけた実力者を殺すか、『レーヴ』各地に残っている歴史に名を残す実力者の墓を掘り返す事で死体を手に入れて、意のままに操れる死者の軍団を作り出すつもりなのかもしれない」
「――っ‼」
レアルが述べた推測にステラ達は一様に気を呑み、閉口する。
いくら何でも考え過ぎでは? とは誰も言い返せない。
『夜天の箱舟』の凶悪さ、用意周到さを考えれば十分あり得る話だ。
「ヘルハウンドを服従させた黒魔術――『魂禍の心臓』も『巫蠱の骸』と同等かそれ以上の難易度の外法。可能不可能の話をするなら、可能と考えていいと思う。ただ、可能ではあっても、一日に数十体量産するって事はできない筈だよ」
「それに、虫だけじゃなくて死体も用意しないといけないから、爆発的な勢いで勢力が増えるなんて事はないだろうけど……それでも、油断はできない。『夜天の箱舟』がより強大な力を得る事は、確実と考えた方がいい。今後、『夜天の箱舟』の殲滅に動き出す時がやってきたら」
覚悟をしないといけない。
そう言って、レアルは話を締め括った。
この事をレアルはユナを除いた全員に既に共有している。
故に、ユナとそれ以外では被害状況に対して抱いている憂慮の深さに若干のずれがあったが、それが顔に出る事は無かった。
『夜天の箱舟』は、これまで様々なものを奪い去ってきた。
リーベの故郷――『深海都市エクラン』からは『海鳴騎士団』に属する騎士二百人の命と魔法でできた莫大な数の宝石を。
『サルジュの森』からは十四人の住人の命と骸人形と化し、氷の中に閉じ込められていたフェイを。『プリエール』からはオスクリタが封印された『白夜の逆十字』を。
いずれも絶対に奪われてはならなかったものだ。
命は回帰せず、宝石、フェイ、オスクリタは今後の『夜天の箱舟』の計画に間違いなく利用される。
『夜天の箱舟』が力を得れば得るだけ、奪われるものが、傷付く誰かの数が増えていく事になる。だから
「それでは次の話題に移ります。私達『白雪の森』も、『魔神の庭』の『夜天の箱舟』に多大な被害をもたらされました。レアルの『雪月の輪舞曲』は奴らに奪われ、『魔神の庭』の皆さんの中には『幻夢楽曲』の所有者が二人もいて、オルダルシアはステラさんに対して執着のようなものを覚えている。『プリエール』からは『白夜の逆十字』を奪われ、何の罪もない十四人の命も奪われました……」
「ここにいる方達は、全員、『夜天の箱舟』と全くの無関係という訳ではありません。ですから、皆で話し合って決めたいんです。今後、『夜天の箱舟』に対してどのように対処していくのかを」
『夜天の箱舟』を野放しにしておく訳にはいかない。
直接戦うのか、それとも他の手段を取るのか、どちらにせよ何らかの形で対処を行う必要がある。そのための話し合いを始めるべく、議題を切り出したアクルだったが
「ごめんね、その前に一応、カゲツ君から報告があったここ三日間の『夜天の箱舟』の動きと、フスティーシア君の方から、『夜天の箱舟』について分かった事を話させてもらってもいいかな? そっちの方が話し合いよりも短く済むだろうし、情報が多い方が話し合いもしやすいだろうからさ」
軽く手を挙げたライゼが、先に自分とフスティーシアに話させてほしいと頼む。
ライゼの言う事はもっともだ。分かっている情報が多い方が、より多くの事態を想定し、より密度の濃い話し合いをする事ができる。
全員、無言で首を縦に振り、アクルも「そうですね。では、ライゼさんからお願いします」と提案を受け入れる。それに対し、ライゼは「ありがとう」と返し、軽く咳をしてから話を始めた。
「皆がヘルハウンドと、僕とエードラム、大精霊の皆がオルダルシアと戦っている間……タイミングとしては空が氷塊で埋め尽くされた時かな? 『カルディア城』の王室と議事堂に、『夜天の箱舟』のメンバーと協力者と思わしき二人の人物が現れたらしいんだ」
「なっ……⁉」
「嘘⁉」
『グリム王国』の王都『トラオム』に位置する美しくも荘厳で巨大な王城――『カルディア城』。
国王と王女が住まうその城は『グリム王国』の象徴にして、国政が執り行われている名の由来の通り心臓とも呼べる場所だ。
警備は国内のどこよりも堅牢であり、羽虫一匹の侵入すら許さないといわれている要塞のような場所の中でも、特に厳重な警備が敷かれている王室の中に賊が入り込んだ。
その信じられない内容の報告に、ステラとマリは思わず声を上げ、他の者達も目を見開くか絶句する形で驚きを露わにする。
「王室には丁度国王様とアイリスちゃん……あぁ、王女様の事ね、が、議事堂には『幻聖会』の皆々様が勢揃いしているタイミングで現れたらしいんだよね。国王様とアイリスちゃんは当然として、『幻聖会』の人らも不本意ながら死なせる訳にはいかなかったからさ、カゲツ君達は相当焦ったって言ってたよ」
「王室に現れたのはセルドア、ギガ、ルクルハイドの三人で、彼らと戦ったのはツルギ君。協力者は仮面とローブで体型と素顔を隠していたから、正体は分からなかったそうだけど、相当な手練れだったそうだよ。彼らと戦ったのはカゲツ君、コウガ君、カナタちゃん――『かぐや姫』の三人だったそうだ。幸い、死者は一人も出ずに済んだけど、カゲツ君達の方は痛み分けで終わってしまって、協力者二人を捕まえる事はできなかったらしい」
「ツルギの方は?」
「彼も悔しながら一人も捕まえる事ができなかったそうだよ。全員にそこそこの深傷を負わせる事ができたそうだけど、ぎりぎりの所で瞬間転移で逃げられたらしい。ちなみに、彼自身の負傷は軽い切り傷と掠り傷、打撲のみ。国王様とアイリスちゃんには傷一つ付かなかったって、カゲツ君が言ってた」
「『グリム王国』最強って話、嘘じゃなかったのね……」
ツルギの戦果と負傷度合いを聞いたステラは感嘆したようにそう呟き、その隣に座っていたアルジェントは軽く舌打ちし、面白くなさそうな顔をする。
ツルギが相手取った三人は、かつて『海鳴騎士団』の精鋭である五大聖騎士と多くの騎士を打ち倒した実力者達だ。それもただ打ち倒したのではなく、アルジェントやリリィが苦戦した相手に対して、実力の大半を出さず、無傷の状態で倒すという信じ難い戦果を打ち立てている。
それ程までの実力を持つ者達を、ツルギは戦う力を持たない国王と王女アイリスを守りながら戦い、ほぼ無傷で打ち倒し、二人の事も守り切ってみせた。
――上には上がいるって言うけど、次元が違いすぎてもう訳が分からないわね……
強さの格があまりに違いすぎて、ステラの感想は投げやりなものになる。
ステラが半ば考える事を放棄し、ツルギの強さに関して手放しで感心していると、ライゼは「その時の彼らの目的は」と続きを述べ始める。
「『月帝の五剣』の足止めを行う事だったと考えられてる。あれだけ大きな氷が空を覆えば、『月帝の五剣』は当然動く。そうなれば氷塊はすぐさま壊されてしまっていただろうし、異変の原因であるヘルハウンドの存在を察知される可能性があった」
「氷塊を作り出したのはヘルハウンドの独断だったんだろうけど、オルダルシアにとっては都合の良いものだった筈だからね。あれだけの大きさの氷塊なら、壊すのにはかなりの戦力がいる。戦力のほとんどが氷塊の破壊に動けば、ステラちゃんの手助けをできる人が減って」
「私に降りかかる困難がより大きなものになって、私の中の『紅血の協奏曲』の力をより強くしやすくなる……と。ずいぶんと傍迷惑でスパルタな育成方法ね……」
『夜天の箱舟』の、オルダルシアの意図に対し、ステラは顔を顰め、皮肉混じりの感想を漏らす。
自分勝手な理由で『紅血の協奏曲』の力を伸ばしてほしいと願われた事、その為にまたしても関係のない誰かを傷付けようとした事は許せる事ではない。
苛立ちばかりが募って、ステラは分かりやすく不機嫌になり、他の者も『夜天の箱舟』の所業に気を悪くする。
「で、『夜天の箱舟』が『カルディア城』から去ったタイミングと、氷塊が消えたタイミングなんだけど、どうやら同じだったみたいなんだよね」
「その日は幸いにも取り返しのつかない被害が生じる事はなかったけど、『夜天の箱舟』の関係者が『カルディア城』に入り込んだのは、これで二度目だからね。『月帝の五剣』はその後本気で『夜天の箱舟』のメンバーと本拠地の捜索を行ったらしいんだ」
「そうだったんですね……『月帝の五剣』は、あいつらを見つける事ができたんですか?」
「一人だけ見つける事ができたみたいだよ。それが発端となって、昨日、一大事件が起きたみたいで、今は色々と大変だってカゲツ君が嘆いていたよ……」
「一大事件? 何が起きたんですか?」
「それはね……」
昨日の昼下がり。
『カルディア城』前広場にて。
汚れ一つない純白の大理石で形作られた、透き通る清らかな水流が絶えず流れる立派な噴水ーー『ユスティーツの泉』の縁に、一人の男が腰掛けていた。
短い黒髪に吊り目の黒瞳が特徴的な、白いコートを羽織り、首に真紅のペンダントをぶら下げた端正な顔立ちの優男だ。
穏やかな午後の日差しを、ただ黙って浴びているだけで絵になるその男に、ゆっくりと近付く男がいた。
「よぉ、探したぞ」
男は、優男に低い声で話しかけた。
こちらもまた整った顔立ちをしているが、優男とは全く異なる雰囲気を放っていた。
研ぎ澄まされた剣のような、不用意に触れれば命脈を断ち切られると確信する程に鋭い覇気を放つ男だった。
それまで多くの人が行き来していた広場だったが、その男が現れた途端に、本能で危機を察知したのか、全員、怯えながら足早にその場を後にした事で、辺りは一気に閑静な雰囲気に包まれる。
威圧感だけで他者に死を感じさせたその男は、癖のある黒い髪と同じ色の垂れ目の瞳が特徴的な男だった。
出立ちは忍び装束の上から緑の羽織を羽織り、腰に刀を差しているという、忍びなのか侍なのかはっきりしない曖昧なもの。
少なくとも武人である事ははっきりしているその男に、優男は顔を向け、臆する事なく「よぉ」と片手を挙げる。
「久しぶりだな、ツルギ。何年振りだ? 見た目、あんま変わってねぇな。全然老けてねぇ。若々しくて羨ましい事で」
「そりゃお互い様だろ。お前も全然変わってねぇ……いや、見た目はともかく、中身は変わっちまったようだけどな。残念だよ、オルダルシア」
互いに軽口を叩き合うオルダルシアとツルギ。
両者の間には、濃密な死の気配が、どこまでも冷たい底無しの殺意が満ちている。
数秒の間、光と温度のない瞳で睨み合った後、ツルギが呆れたように溜息を吐き、口を開いた。
「……普通、もっとこそこそするもんだろ? 昨日仲間にやらせた事、忘れたのか?」
「うっかりが多くて大雑把な俺だが、流石にそこまでボケちゃいねぇよ。お前が動いたら、全部終わっちまうからな。どうにかして足止めしたかったんだ。国王と王女を襲えば、お前は最優先で二人を守るだろ? 『かぐや姫』でもそうしただろうが、あっちは普通に強いから、足手纏いにならそうでな」
「んな事のために、二人を殺そうとしたのか……?」
「別に殺すつもりはなかったが、最悪死んでもいいかとは思ってはいたな。あの爺さんの事は嫌いじゃねぇけど、絶対にいなくなってほしいって程好きな訳じゃねぇし、王女の事はよく知らねぇからどうでもいい」
あっけらかんと笑いながらオルダルシアが口にした答え。それを聞いた途端に激発しそうになったツルギだったが、ぎりぎりの所で耐え、刀の柄を握り締め、肩を震わせる。
「どうでもいいだと? お前、そうゆう奴だったか?」
「お前の中で俺がどんなイメージなのかは分かんねぇけど、俺は俺だ。今日は試したい事があったから、こんな見つかりやすい場所で待ってたんだ。『五剣』の誰かが来ればなと思ってたが、よかったよ。来てくれたのが最強で。試し甲斐がある」
「俺もよかったよ。一番最初に見つけられて」
待っていたと言ってきたオルダルシアに対し、ツルギは抑揚のない声で返事を返し、勢いよく刀を抜いた。
そして、剥き出しになった刃の切先を、オルダルシアに突きつけ
「お前は、今日、ここで斬り捨てる。絶対に、生かしてはおかねぇ……」
確実に斬殺すると、死の宣告を叩きつけた。
その次の瞬間、最強と最凶の殺し合いの幕が上がった。
「比較的軽傷だった自警団の皆さんと私、回復が早かったライゼさんが行った調査により、詳しい被害状況が確定したため、まずはそれについての報告を私からさせていただきます。その後は、フスティーシアとライゼさんから『夜天の箱舟』について分かっている事、新たに判明した諸々の情報を共有してもらい、今後の方針、つまりは、『夜天の箱舟』についてどう対策していくかを話し合っていこうと思います」
被害状況の確認と『夜天の箱舟』への対策のための話し合い。それが、今回集まった目的だった。
何をどれだけ傷付けられたのか、被害にはどのようなものがあったのかを知り、その重さを胸に刻む事。
今後も対峙する事になるであろう難敵にどう対処すべきか考える事は、とても大事な事だ。
何事も、終わった後に振り返る事をしようとしなければ、次には繋がらない。
良かった事と悪かった事、嬉しい事と悲しい事、それら全てを噛み締めるから意味がある。
「まずは人的被害についてです。ヘルハウンドとの戦闘に参加した方の負傷についてはユナが全快させたために問題なし。『夜天の箱舟』が連れ込んだであろう三種の魔獣の内、猫の魔獣に襲われた住人はゼロ。鼠の魔獣に襲われた住人は複数人いたものの、全員軽傷で、リオさんの活躍のお陰で死者は一人も出ませんでした。ただ……」
「……蛙の魔獣には、十四人が殺されてしまったんだよね?」
口ごもったアクルに代わり、左頬に湿布を貼り付けたローザが、重い声で続きを口にする。
それに対し、ライゼは沈痛な面持ちで「うん……」と頷いた。
「あとで調べたら、ローザ君の目の前で殺されたマルジューって妖精の方と同じ殺され方をしている人が、十三人見つかった。いずれも一人暮らしだった方で、恐らくは声を出す間もなく殺されてしまっていた所為で発見が遅れた。全員、共同墓地に埋葬させていただいたけど……やっぱり、つらいね。あぁいった場面に立ち寄るのは……」
「そう、ですね……」
調査の流れで埋葬に参加した際の所感を述べるライゼに同意し、ローザは膝の上で拳を握りしめる。
ローザにとって『サルジュの森』の住人は一人一人が家族に等しい存在だ。
小さな頃から可愛がられていたし、面倒も見てもらっていた。
皆、それぞれのやり方、それぞれの思いやりでローザに構い、ローザを独りにしないようにしてくれる心優しい人ばかりだった。
ローザの目の前で蛙の魔獣――ラ―ナネグロに頭部を破壊されて死んだマルジュ―という青年は、その中でも特に世話焼きな妖精で、何かとローザを気にかけ、元気な時も落ち込んでいる時も、大好物の蒸しパンを食べさせてくれる気のいい青年だった。
だからこそ、目の前で殺された時は、激しい悲しみと怒りで我を忘れてしまった。
あの時の愚かで直情的だった自分を、警戒を怠っていた自分を、恨まずには、呪わずにはいられない。
自分にもっと力があれば、もっと早く気付く事ができていれば、マルジュ―は――
「その可能性はあったかもしれないけど、だからといって、あまり自分を責めてはいけないよ」
「――っ‼」
胸中で渦巻く後悔、思考が自責に偏り始めた事を瞬時に見抜かれ、ローザは思わず飛び上がりそうになる。
ぱっと顔を上げたローザに、ライゼは「いいかい?」と、諭すような口調で語り始める。
「守れなかった事への後悔を抱くのはいい。当然の事だ。自責の念を覚えるのも自然な事。でもね、下を向いてばかりでは、君を想ってくれていた人達は報われないし、遠くない内に潰れてしまうよ」
「今すぐ無理に顔を上げる必要は無いが、今言った事と、これだけは覚えていてほしいんだ。誰だって、大事に思っている相手には、明るく前を向いていてほしいと思うものだ。僕も、ユナも、皆も、つらい時は君を支える。だから、何でも自分の所為にしないで、遠慮なく僕らに縋って来てくれ」
「私達も同じ事を思ってるよ。あなたは弟のようなもので、長い間私達の故郷を守ってくれたヒーローでもある。だから、本当につらい時は、今度は私達が助けるよ。恩返し、させて?」
「マスター……レアルさん……」
一人で抱え込まないでほしいと願うライゼとレアルの言葉に、ローザは胸と目頭を熱くする。
散々迷惑を、いや、迷惑というには軽い所業をした自分には贅沢すぎる程の思いやりに、嬉しいと感じると同時に申し訳なくなる。
どちらからも見捨てられてもおかしくない事をした。
疑心暗鬼からステラを、リオを、レアル、ジークフリート、グラニを殺そうとした。優しくされる資格なんて、自分にはもうないのに、それなのに、独りにしないと言ってくれる二人の優しさが、痛い程染みて、ぽろぽろと涙が零れ始めた時
「それに関しては昨日しっかり怒ったし、君が改めると約束して、殺されかけた当人達も許すと言った……だから、もういいよ。二度と同じ過ちを繰り返さないのであれば、僕からはもう言う事はないし、それが理由で一歩線を引かれる事の方が、僕も、皆もつらいよ」
またしてもローザの胸中を読み取ったライゼが、過ちを理由に自分達を頼る選択肢を放棄する必要は無いと告げ、ステラ達もそれに同意するように頷く。
その言葉を聞き、皆の反応を見たローザは、一瞬呆気に取られた後、「はは……」と肩の力が抜けたように笑った。
「全部、お見通しなんですね……」
「まぁね。大好きな仲間の事は何でも分かるよ。僕に隠し事はできないから、覚悟した方がいいよ。あまりにも長い間一人で苦しむようなら、無理矢理捕まえて強制的に手を差し伸べるからね」
「何その脅迫なのか思いやりなのかいまいち分かりにくい宣告……あんた、さっき『今すぐ無理に顔を上げる必要は無い』って言ったの忘れた? 無駄に頭が良いのも数少ない長所の一つだったのに、それがなくなったらどうするのよ……」
「言ったけど、僕、待たせるのはともかく、待つの苦手だから。それでも限界まで頑張るけど、無理そうだったら自分から聞きにいくよ。つらい思いをしてる仲間をずっと見ているのは心が痛いからね……あと、ユナ? 帰ってきた時も思ったけど、僕への当たり強くない? 僕にだって痛む心はあるんだよ?」
「日頃からあなたが私に与えてるストレスと心労の量を考えたら、妥当な態度よ。優しくしてほしいなら、普段の仕事をちゃんとして頂戴。まぁ、でも、言っている事自体はまるきり間違いって訳じゃないし、私も同意よ。ローザ、誰にも頼る事ができなかったら、私の所に来なさい。私になら、少しは話やすいでしょう?」
「ユナ……うん、分かった……ありがとう、マスターに、レアルさんに、皆も……」
ローザの痛みを自分事のように感じ、放っておかないと言ってくれる仲間達に、ローザは涙を拭いながら、笑顔で礼を言う。
本当は優しくて、でも、どこか控えめで遠慮しがちなのがローザだ。だからこそ、今回の件を機に心が潰れてしまわないかは『魔神の庭』と『白雪の森』、コナーらの共通の心配であったが、どうやら、そうなる事はなさそうだ。
そうして、一つの心配事が解消された所で、話は本題へ、被害状況の確認へと戻る。
「さて、被害状況の確認の続きですが、人的被害については先程述べた通りで、建造物への被害については『白雪の森』の本拠地と西の居住区にある民家が倒壊し、今集まっている『デール』も一部損壊しはしましたが、いずれもノームさんが建て直し、テオさんが修繕を行ってくださったために問題なし」
「木々の中には元通りにできなかったものもありますが、幸いにも『サルジュの森』の暮らしに致命的な打撃を与えるようなものではありませんでした。時間は掛かるでしょうが、少しずつ元の状態に戻っていくと思われます。荒れた最終決戦の地の土壌も、これまたノームさんが均してくださいましたし、土地への被害も概ね問題ない範囲に収まりました」
「そうだったのね……じゃあ、ここからは」
「『夜天の箱舟』への対策をどうするか、について話し合いたい所ですが、そうもいかないんです。絶対に奪われる訳にはいかなかったものが一つ、『夜天の箱舟』に奪われてしまったために、まずはそれの報告を行わなければなりません」
話題を移そうとしたステラに、エードラムが否と首を横に振る。
その反応にステラは「絶対に奪われる訳にいかなかったもの?」と首を傾げ、テオは苦々しい表情で小さく舌打ちし、組んでいた腕に爪を立てる。
『夜天の箱舟』の最終目標――自分達の好きなものだけの創造に必要なものは『幻夢楽曲』のみの筈。それ以外に連中が奪いたいと思うものが何なのかテオと大精霊達、『プリエール』組の面々が疑問符を浮かべた時、エードラムは全員が想像し得なかった最悪の答えを口にした。
「――『白夜の逆十字』が、最凶最悪の邪精霊、『邪欲の皇女』オスクリタを封印していた魔道具が、奪われました」
「え?」
「あ?」
「――――っっ‼」
その答えを聞いた途端に、ステラ、リリィ、リオ以外の面々は一様に息を呑み、その顔に憂色をたたえる。
『白夜の逆十字』、オスクリタという単語にピンとこない三人だが、全員の反応とその場を包み込んだ雰囲気、封印されていたという者の穏やかではない二つ名から、無視できない緊急事態である事は分かった。
ほとんどの者とは異なる反応を見せた、オスクリタの事を詳しく知らないであろう三人に向けて、エードラムは説明を開始する。
「邪精霊とは、殺意、憎悪、怨念等の負の感情が収束した事で生まれた邪悪な精霊の総称。オスクリタはその頂点に立つ存在で、言うなれば闇の大精霊。僕私に匹敵する実力者です」
「あなたに匹敵……」
「えぇ……僕私が万全の状態かつ命を捨てる覚悟で挑まなければ、勝つ事ができない相手です。幾度も殺し合いましたが、その度に死の淵まで追いつめられました。それ程までに彼女は強く、凶悪な存在です」
「そんな……」
オスクリタの概略、その強さについての説明を聞いたステラは愕然とする。
エードラムが『レーヴ』では数少ないライゼと互角に渡り合う事ができ、本気にさせる事ができる存在である事を、ステラはまだ傷が治り切っていない時にライゼにエードラムとの関係性を問いかけ、教えてもらっていた。
世界有数の実力者であるライゼと張り合える存在に匹敵する邪精霊。それを封印していた魔道具が『夜天の箱舟』に渡ってしまっていたという事実は、最悪以外の何者でもない。全員が深い憂慮と緊張感を抱くのも当然だ。
「オスクリタは強さもそうですが、その性質が何より厄介です。彼女はあらゆる悪意を抱いて生まれた存在であるが故に、他者を傷付け、尊厳を踏みにじり、大切なものを壊す事にのみ悦びを感じ、それを自らが生きる意味としています。彼女にとって、他者とは自らの愉悦を満たすための玩具でしかない。自らの邪な欲望を満たす為なら、躊躇いなく悪意を振り撒く。故に」
「『邪欲の皇女』なんて二つ名がつけられてる。俺の両親も、奴に皮を剥がれて、原型を留めない壊され方をして殺された」
「――っ、そんな……‼」
エードラムの言葉を引き継ぎ、テオが口にした数多あるオスクリタの罪の一つ、テオの壮絶な過去の断片を聞いたステラは、胸を強く締め付けられる思いを覚えながら、咄嗟に口元を押さえる。
動揺を隠し切れなかったステラに、テオは顔を向ける事なく続ける。
「あいつは、楽しいからってだけで、そうゆう事ができる奴だ。執念深さも半端じゃねぇ。一度標的にした相手は、地の果てまで追いかけて、殺すか、死んだ方がマシだったって思うような目に遭わせに来る。悪辣極まるクソ最悪なゲス外道だ。その上、『霊王』並みの力を持ってるときた。奴の全盛の時代に生きていた善の魔導士達は、奴を命懸けで討伐しようとしたし、召喚の儀式の方法が流布される事がないよう、存在そのものの情報統制を全力で行った」
「まぁ、前者はとある理由で無理だったし、後者も完全に成功したとは言い難かったがな。儀式の方法はともかく、存在自体を知ってるって奴は、見ての通り大勢いるからな」
「そう、だったのね……討伐が、無理だった理由は?」
「端的に言うと、殺し切る事が不可能なんだ。あの性悪ブスは」
「殺し切る事が不可能? それって……不死身、って事?」
テオが口にした新事実に、ステラはごくりと唾を飲む。
ライゼやエードラムに並ぶ力を持っていて、積極的に他者を破滅に追いやる存在が、不死身の肉体を持っている。
それはどんな悪夢も生温いと感じてしまう最悪の事実だ。だから、討伐ができなかったのかと納得をするステラに、テオは「いや」と答える。
「不死身じゃない。殺す事じゃなく、殺し切る事ができないんだ」
「えっと、とゆうと……?」
「あいつは精霊の中でも特異な存在で、殺してもすぐに復活するんだ。何度でも、どんな殺し方をしても、必ずな」
「復活……‼」
――殺し切る事ができないっていうのは、そうゆう事なのね……成る程、どおりで……
最凶最悪の邪精霊と呼ばれる訳だと、ステラはようやくオスクリタの凶悪さを本当の意味で理解する。
どれだけ殺してもキリがないなら、討伐を諦め、封印を選択するのは至極当然の事だ。
「あいつは誰かの悪意を糧にして復活する。この世界に悪意がある限り、あいつを消滅させる事は不可能だ」
「だから、瀕死に追い込んで封印するというのが最善の方法だったんです。とはいえ、生半可な魔道具では彼女の封印はできない。それ故、キティという魔女の友人に頼んで、彼女を封印できるだけの力を持った十字型の魔道具『白夜の逆十字』の制作を依頼し、オスクリタをその内に封印。その後、『白夜の逆十字』が誰かに奪われる事が無いよう、『プリエール』の奥底に隠し、幾重もの結界を張っていたのですが、戦いが終わった後に『プリエール』に戻った時には、『白夜の逆十字』が失くなってしまっていました……」
「じゃあ、『夜天の箱舟』の中には、『プリエール』の『鍵』を持つ誰かがいたって事?」
「いや、その可能性は薄いと思うよ」
問いかけを発したマリに、隣の列に座っていたニンフが答える。
「彼ら程の邪悪な存在に『鍵』を渡す事なんてあり得ない。ライゼは例外として、普通は強奪できるような代物ではないからね」
「それじゃあ……」
「おそらく、『白夜の逆十字』を奪った何者かは、『プリエール』が解放された後に事を起こしたんだ。解放された後なら、『鍵』が無くても入る事は可能だからね」
「そんな……」
「クソッ‼ あいつら……」
敵の手口を聞いたマリとステラは、それぞれ項垂れ、拳を膝に叩きつける。
自力では『プリエール』に入れない何者かは、マリ達が『プリエール』を解放するのを待ち、マリ達の努力を利用する形で『白夜の逆十字』を奪い去った。
その事に、二人はやるせなさと怒りを覚えずにはいられない。
温度差のある反応を見せる二人を見つめながら、ニンフは「ただ」と口にしながら顎に手を当てる。
「気になる事があるんだ」
「気になる事?」
「微精霊の記憶を見て、犯人の特定を行おうとしたんだが、私達がいなくなっていた間、『プリエール』にいた時の記憶を遡っても、その者の姿を見る事ができなかった上、結界も強引に破られていた訳ではなく、一つ一つ丁寧に術式を書き変えられていた」
「力づくで破るとエードラムの元に報せが届く仕組みなんだが、エードラムでも察知できない程の繊細さで結界に入り込める者の条件を書き変えられていた所為で、戻るまで気付けなかった。条件も十二歳以上の全ての種族の者なんて、おちょくってるとしか思えないものだったお陰で、そこから犯人を絞り込む事もできない」
「敵だけど、凄い魔導士なんだ……あれ? 待って、それって……」
ニンフの説明を聞き、敵の力量に慄いていたマリだったが、途中である事に気付き、僅かに目を見開く。
「気付いたかい? 精霊の目に映らないように行動する。何の対策も無しにそんな事はできない。犯人は」
「犯人は、高度な技術を持っていて、精霊について詳しい誰か……って事?」
マリの推測に、ニンフは「そうだ」と首肯する。
「おそらくは精霊術師の可能性が高いと考えているが、秘匿事項である『白夜の逆十字』の存在を知っているのは、エードラムと私達大精霊、そしてテオとキティのみなんだが、キティは既に故人で、秘密を言いふらすような人物ではなかった。当然、私達も他者にその存在を流布するような真似はしていない。だから、誰がどのようにしてその存在を知ったのかが分からないんだ」
「エードラムがオスクリタを封印する瞬間や、『プリエール』に『白夜の逆十字』を持ち込んだ時の事を、備精霊の記憶を通して見て知ったっていうのは?」
「それもないと思います。オスクリタとの最後の戦いでは、周囲一帯の備精霊を遠ざけ、光の結界で封印の場面を見えないようにしました。『白夜の逆十字』を封印した後も、『プリエール』に戻ってすぐに懐から出すような事はせず、微精霊の目が届かない地下深くに潜ってから出しましたね。同様の対策は、キティに製作を依頼した時、製作最中にも行いました。だから、『白夜の逆十字』の存在も、封印場所も露呈する筈はなかったんです……」
「ものすごく警戒してたんだね……」
エードラムの抜け目のなさに感心しつつ、マリはそれならばどうしてと考える。
今の所、ニンフやエードラムが言っていた通り、『白夜の逆十字』の存在と封印場所が把握されてしまう要素があるとはとても思えないが、奪われてしまったのは紛れもない事実だ。
暫定『精霊術師』に知る事ができない事柄はないのではないか。
明日にはオスクリタが『夜天の箱舟』の味方となって、再び猛威を振い始めるのではないか。そんな事を考え、不安になるマリだったが
「『白夜の逆十字』が奪われてしまった事自体は嘆くべき事ですが、あれは簡単に封印が解けるような代物ではありません。物理的な破壊は僕私でも不可能ですし、魔神の力を以てしても封印の術式を消す事はできません」
少なくとも後者は杞憂である事を、エードラムは力強い口調で断じた。
「魔神の力でも無理って事は……」
「えぇ。術式には『幻夢楽曲』……『雪月の輪舞曲』の力を組み込んでいたそうです。当時の『白雪姫』と彼女は良き友人だったそうで、依頼を出す遥か前に彼女の魔力を封じ込めた魔水晶を作っていたために、実用性のある装飾として使用する事にしたそうです」
「そうだったんだ……じゃあ、今すぐオスクリタが解き放たれる心配はしなくていいんだね?」
「だとは思いますが、敵の力量が未知数な以上、過度な油断はできません。なので、近日中には僕私と大精霊達で『白夜の逆十字』の捜索を開始します。オスクリタの復活を許す事など、許してはなりませんから。復活は、絶対に阻止します。絶対に……」
幾度となく繰り返した殺し合いの中で死の寸前まで追いやられた時の事。
オスクリタが起こした数々の悲劇。意義も理由もなく愛しいテオの大切なものを奪い、心に消えない傷を刻んだ事を思い返しながら、実感がこもった口調で決意を口にするエードラム。
それに応じて、ニンフ、シルフ、グローム、サラマンダー、ノームらも闘気を高め、同じ決意を抱いている事を示す。
全員の纏う空気の変化を感じ取った者達――特に、彼ら彼女らと実際に矛を交えたマリ、アルジェント、リリィ、ライゼの四人は強い頼もしさを覚える。
この五人が本気で捜索し、見つけ次第一致団結して戦う事ができれば、『白夜の逆十字』は必ず取り戻せる。そればかりか、『夜天の箱舟』の壊滅あるいは捕縛も不可能ではないのではないかとすら思える。
最悪の事態の中で、突破口が見えた気がして、少しだけ前向きになれた面々だったが
――あれ?
ただ一人、マリだけが、テオの表情が曇っている事に気付いた。
何が言いたげに下の方を向いているテオ。その姿が、我儘を言いたいのを必死に我慢しようとしている子どものように思えて、マリはテオに声をかけようとしたが
「これで、被害状況の確認は終わります。それでは次の話題に移ります」
その前に、アクルが話し合いを進行すると呼びかけた事で、声をかけるタイミングを失ってしまった。
アクルの言う通り、確認できた被害は今までに述べたもので全部……という事になっている。
ユナだけは、そうだと認識している。
本当は、もう一つ、ある事が理由で今のユナに告げる事ができなかった被害が残っていた。それはーー
「『巫蠱の骸』で呪い人形と化したフェイさんの遺体が、『夜天の箱舟』に奪われた……」
ヘルハウンドとの最終決戦から二日が経った日の夜中。建て直したばかりのレアルの家の地下にて。
ユナがへし折れるか焼けるかした木々の再生のために駆け回っている間、ユナとライゼを除いた『魔神の庭』のメンバーを集めたレアルは、重い口調でそう口にした。
それは、その時点でユナの過去、十七年前に『サルジュの森』で起きた悲劇を知らなかったリリィに向けて、要点をかいつまんだ説明をした後に告げられた事だった。
その知らせは、ヘルハウンドに勝利した事で少なからず浮かれていた全員の気持ちをどん底に落とすには十分なものだった。
『巫蠱の骸』。
それは、かつて『サルジュの森』に襲撃を仕掛けた『イヴォール国』の暗部に位置する暗殺組織『無色の牙』の長――アノニムが用いた呪術の名称だ。
『巫蠱の骸』は大量の虫を殺し合せ、最後に残った一匹を用いて対象に呪いをかける呪術――『蠱毒』の発展系の呪術。
『蠱毒』で生み出した虫を容れ物である死体と融合させ、死体を不死性と毒の力を持つ呪いの骸人形に変える人の道から外れた外法だ。
それにより骸人形に帰られたフェイという青年は、『プリエール』の解放の為に『イヴォール国』からやってきた心優しく明るい青年だった。
アノニムによって骸人形に変えられた彼を止めるべく、レアルが心を痛めながら氷漬けにしたという所までは、ステラもリオも知っていたが
「それから、ずっと消滅せずに残っていたの……?」
「色んな意味で利用されちゃなんねぇ奴だろ。何でユナに頼んで呪いを消し――……あぁ、そうだった……できねぇのか……」
早々に葬るべきだった青年を葬らず、敵に奪われる事を許したレアルに追及しようとしたリオだったが、途中である事を思い出し、強いもどかしさを覚える。
魔力と強い負の感情を源に発動する、他者を害する事に特化した力――呪術あるいは呪詛魔法。
その中には、一度発動すれば、術者の死後もその効果が継続するものがある。
そうしたタイプの呪術を無効化する事は容易ではない。完全な無効化を図るには、ライゼ並みの力を持つ魔神もしくは浄化の力を持つ者が最低でも二人以上必要となる。
それ程までに強大な力を持つ呪術をたった一人で完全に消し去る事が可能だった唯一の存在が、『残英の対舞曲』の力を持つ『親指姫』――ユナ=マリスタだった。
『残英の対舞曲』の特性は浄化。
数多ある魔法と特性の中で唯一あらゆる呪いと病を完璧に払いのける力を持っている。
ユナはその力で、『巫蠱の骸』よりも強大な呪いの力を持つ、『巫蠱の骸』と同じ蟲毒の発展形の呪術――『屍惨血牙の儀』で生み出された大百足を祓ってみせた。
能力だけの話をするならば、ユナならフェイの内に渦巻く『巫蠱の骸』の力を完全に無効化し、フェイを呪いから解放する事は可能だっただろう。だが、リオが口にした通り、そうできない理由があった。ユナは
「自分が死んだ時の事や、それ以外の忘れてる事についての話をしようとすると、苦しんで意識を失う……」
「そう……その度に全身がひび割れて、砕けそうになっていた。フェイさんの事も忘れてて、フェイさんと出会った時期と死んでしまった日は、とても近かったから……」
「フェイさんの姿を見たら、その瞬間に身体が砕け散ってしまうかもしれないって事ね……」
レアルが再度口にした、ユナに過去にまつわる話をしようとした時に起きる現象。
それを聞いたステラと他の面々は、レアルがフェイを封印したままにする選択肢を取らざるを得なかった理由について納得する。
呪術は魔法よりも遥かに扱いが難しい。
発動条件が厳しく手順が複雑な上に、完璧な行使には高い才能を求められるものが多いため、アノニムのように実戦に用いる事ができるレベルで扱える者は一割にも満たない。
だが、その分、完璧な状態での発動ができれば絶大な効力を発揮する故、完璧な対処ができる者の数は行使できる者よりも遥かに少ない。
「呪術に強い魔導士の情報を集めたり、ライゼさんを含めて頼れる伝手を頼って、『巫蠱の骸』を無効化できるレベルの魔導士を探したりもしたけど……結局、今に至るまで見つける事はできなかった……だから、目の届く安全な場所、私の家の地下の隠し部屋に隠していたんだけど……」
「残念ながら、カステリコスがその事を『夜天の箱舟』に明かしてしまった事でフェイさんの存在を把握され、混乱に乗じて奪われてしまいました。おそらく、ヘルハウンドや魔獣による襲撃は私達を皆殺しにするためというより、陽動に重きを置いた一手。本命は『紅血の協奏曲』の力を伸ばす事とフェイさんを奪う事だったんでしょう。不死性がある呪いの兵士は、強大な戦力になりますから」
レアルの言葉を引き継ぎ、『夜天の箱舟』がフェイの情報を知った経緯、その本当の目的を語るアクル。
それを聞いたステラ達は情報を漏らしたカステリコスと『夜天の箱舟』に対する怒りを募らせる。
――レアル達の故郷を救おうとした人を奪って利用しようとするだなんて、許せない……
誰であっても、その者がどんな想いを抱いていたかも関係なく、自分達の欲望の為に他者を利用しようとする『夜天の箱舟』の悪辣さに、ステラは赫怒を燃やし、拳を強く握りしめる。
そうして怒りで自然と力むステラの隣で、マリが恐る恐る「でも……」と小さく声を上げた。
「連れ帰って、氷を溶かしたとして、言う事を聞かせられるの、かな? 自由に命令できたのって、レアルさんが倒したアノニムって人だけなんですよね?」
「できる……と思うよ。ヘルハウンドを従わせられるんだもの。それなら、『レーヴ』にいるほとんどの生物は自由に操れると考えていい。それに、『夜天の箱舟』はフェイさんを操りたいんじゃなくて、別の目的があるのかもしれないし……」
「別の目的?」
「まさか……」
深刻な表情のレアルの発言にマリは首を傾げ、アルジェントはある可能性に思い至り、憂慮で表情を歪ませる。
二人が異なる反応を見せた後、レアルは『夜天の箱舟』がフェイを奪った理由について考えられる可能性の中で、一番最悪なパターンを口にした。
「『巫蠱の骸』は、支配下に置いている呪いの虫と死体を融合させる事で、自由に操れる骸人形を生み出す呪術。『夜天の箱舟』はフェイさんの中にある虫を量産。戦力の確保の為に目をつけた実力者を殺すか、『レーヴ』各地に残っている歴史に名を残す実力者の墓を掘り返す事で死体を手に入れて、意のままに操れる死者の軍団を作り出すつもりなのかもしれない」
「――っ‼」
レアルが述べた推測にステラ達は一様に気を呑み、閉口する。
いくら何でも考え過ぎでは? とは誰も言い返せない。
『夜天の箱舟』の凶悪さ、用意周到さを考えれば十分あり得る話だ。
「ヘルハウンドを服従させた黒魔術――『魂禍の心臓』も『巫蠱の骸』と同等かそれ以上の難易度の外法。可能不可能の話をするなら、可能と考えていいと思う。ただ、可能ではあっても、一日に数十体量産するって事はできない筈だよ」
「それに、虫だけじゃなくて死体も用意しないといけないから、爆発的な勢いで勢力が増えるなんて事はないだろうけど……それでも、油断はできない。『夜天の箱舟』がより強大な力を得る事は、確実と考えた方がいい。今後、『夜天の箱舟』の殲滅に動き出す時がやってきたら」
覚悟をしないといけない。
そう言って、レアルは話を締め括った。
この事をレアルはユナを除いた全員に既に共有している。
故に、ユナとそれ以外では被害状況に対して抱いている憂慮の深さに若干のずれがあったが、それが顔に出る事は無かった。
『夜天の箱舟』は、これまで様々なものを奪い去ってきた。
リーベの故郷――『深海都市エクラン』からは『海鳴騎士団』に属する騎士二百人の命と魔法でできた莫大な数の宝石を。
『サルジュの森』からは十四人の住人の命と骸人形と化し、氷の中に閉じ込められていたフェイを。『プリエール』からはオスクリタが封印された『白夜の逆十字』を。
いずれも絶対に奪われてはならなかったものだ。
命は回帰せず、宝石、フェイ、オスクリタは今後の『夜天の箱舟』の計画に間違いなく利用される。
『夜天の箱舟』が力を得れば得るだけ、奪われるものが、傷付く誰かの数が増えていく事になる。だから
「それでは次の話題に移ります。私達『白雪の森』も、『魔神の庭』の『夜天の箱舟』に多大な被害をもたらされました。レアルの『雪月の輪舞曲』は奴らに奪われ、『魔神の庭』の皆さんの中には『幻夢楽曲』の所有者が二人もいて、オルダルシアはステラさんに対して執着のようなものを覚えている。『プリエール』からは『白夜の逆十字』を奪われ、何の罪もない十四人の命も奪われました……」
「ここにいる方達は、全員、『夜天の箱舟』と全くの無関係という訳ではありません。ですから、皆で話し合って決めたいんです。今後、『夜天の箱舟』に対してどのように対処していくのかを」
『夜天の箱舟』を野放しにしておく訳にはいかない。
直接戦うのか、それとも他の手段を取るのか、どちらにせよ何らかの形で対処を行う必要がある。そのための話し合いを始めるべく、議題を切り出したアクルだったが
「ごめんね、その前に一応、カゲツ君から報告があったここ三日間の『夜天の箱舟』の動きと、フスティーシア君の方から、『夜天の箱舟』について分かった事を話させてもらってもいいかな? そっちの方が話し合いよりも短く済むだろうし、情報が多い方が話し合いもしやすいだろうからさ」
軽く手を挙げたライゼが、先に自分とフスティーシアに話させてほしいと頼む。
ライゼの言う事はもっともだ。分かっている情報が多い方が、より多くの事態を想定し、より密度の濃い話し合いをする事ができる。
全員、無言で首を縦に振り、アクルも「そうですね。では、ライゼさんからお願いします」と提案を受け入れる。それに対し、ライゼは「ありがとう」と返し、軽く咳をしてから話を始めた。
「皆がヘルハウンドと、僕とエードラム、大精霊の皆がオルダルシアと戦っている間……タイミングとしては空が氷塊で埋め尽くされた時かな? 『カルディア城』の王室と議事堂に、『夜天の箱舟』のメンバーと協力者と思わしき二人の人物が現れたらしいんだ」
「なっ……⁉」
「嘘⁉」
『グリム王国』の王都『トラオム』に位置する美しくも荘厳で巨大な王城――『カルディア城』。
国王と王女が住まうその城は『グリム王国』の象徴にして、国政が執り行われている名の由来の通り心臓とも呼べる場所だ。
警備は国内のどこよりも堅牢であり、羽虫一匹の侵入すら許さないといわれている要塞のような場所の中でも、特に厳重な警備が敷かれている王室の中に賊が入り込んだ。
その信じられない内容の報告に、ステラとマリは思わず声を上げ、他の者達も目を見開くか絶句する形で驚きを露わにする。
「王室には丁度国王様とアイリスちゃん……あぁ、王女様の事ね、が、議事堂には『幻聖会』の皆々様が勢揃いしているタイミングで現れたらしいんだよね。国王様とアイリスちゃんは当然として、『幻聖会』の人らも不本意ながら死なせる訳にはいかなかったからさ、カゲツ君達は相当焦ったって言ってたよ」
「王室に現れたのはセルドア、ギガ、ルクルハイドの三人で、彼らと戦ったのはツルギ君。協力者は仮面とローブで体型と素顔を隠していたから、正体は分からなかったそうだけど、相当な手練れだったそうだよ。彼らと戦ったのはカゲツ君、コウガ君、カナタちゃん――『かぐや姫』の三人だったそうだ。幸い、死者は一人も出ずに済んだけど、カゲツ君達の方は痛み分けで終わってしまって、協力者二人を捕まえる事はできなかったらしい」
「ツルギの方は?」
「彼も悔しながら一人も捕まえる事ができなかったそうだよ。全員にそこそこの深傷を負わせる事ができたそうだけど、ぎりぎりの所で瞬間転移で逃げられたらしい。ちなみに、彼自身の負傷は軽い切り傷と掠り傷、打撲のみ。国王様とアイリスちゃんには傷一つ付かなかったって、カゲツ君が言ってた」
「『グリム王国』最強って話、嘘じゃなかったのね……」
ツルギの戦果と負傷度合いを聞いたステラは感嘆したようにそう呟き、その隣に座っていたアルジェントは軽く舌打ちし、面白くなさそうな顔をする。
ツルギが相手取った三人は、かつて『海鳴騎士団』の精鋭である五大聖騎士と多くの騎士を打ち倒した実力者達だ。それもただ打ち倒したのではなく、アルジェントやリリィが苦戦した相手に対して、実力の大半を出さず、無傷の状態で倒すという信じ難い戦果を打ち立てている。
それ程までの実力を持つ者達を、ツルギは戦う力を持たない国王と王女アイリスを守りながら戦い、ほぼ無傷で打ち倒し、二人の事も守り切ってみせた。
――上には上がいるって言うけど、次元が違いすぎてもう訳が分からないわね……
強さの格があまりに違いすぎて、ステラの感想は投げやりなものになる。
ステラが半ば考える事を放棄し、ツルギの強さに関して手放しで感心していると、ライゼは「その時の彼らの目的は」と続きを述べ始める。
「『月帝の五剣』の足止めを行う事だったと考えられてる。あれだけ大きな氷が空を覆えば、『月帝の五剣』は当然動く。そうなれば氷塊はすぐさま壊されてしまっていただろうし、異変の原因であるヘルハウンドの存在を察知される可能性があった」
「氷塊を作り出したのはヘルハウンドの独断だったんだろうけど、オルダルシアにとっては都合の良いものだった筈だからね。あれだけの大きさの氷塊なら、壊すのにはかなりの戦力がいる。戦力のほとんどが氷塊の破壊に動けば、ステラちゃんの手助けをできる人が減って」
「私に降りかかる困難がより大きなものになって、私の中の『紅血の協奏曲』の力をより強くしやすくなる……と。ずいぶんと傍迷惑でスパルタな育成方法ね……」
『夜天の箱舟』の、オルダルシアの意図に対し、ステラは顔を顰め、皮肉混じりの感想を漏らす。
自分勝手な理由で『紅血の協奏曲』の力を伸ばしてほしいと願われた事、その為にまたしても関係のない誰かを傷付けようとした事は許せる事ではない。
苛立ちばかりが募って、ステラは分かりやすく不機嫌になり、他の者も『夜天の箱舟』の所業に気を悪くする。
「で、『夜天の箱舟』が『カルディア城』から去ったタイミングと、氷塊が消えたタイミングなんだけど、どうやら同じだったみたいなんだよね」
「その日は幸いにも取り返しのつかない被害が生じる事はなかったけど、『夜天の箱舟』の関係者が『カルディア城』に入り込んだのは、これで二度目だからね。『月帝の五剣』はその後本気で『夜天の箱舟』のメンバーと本拠地の捜索を行ったらしいんだ」
「そうだったんですね……『月帝の五剣』は、あいつらを見つける事ができたんですか?」
「一人だけ見つける事ができたみたいだよ。それが発端となって、昨日、一大事件が起きたみたいで、今は色々と大変だってカゲツ君が嘆いていたよ……」
「一大事件? 何が起きたんですか?」
「それはね……」
昨日の昼下がり。
『カルディア城』前広場にて。
汚れ一つない純白の大理石で形作られた、透き通る清らかな水流が絶えず流れる立派な噴水ーー『ユスティーツの泉』の縁に、一人の男が腰掛けていた。
短い黒髪に吊り目の黒瞳が特徴的な、白いコートを羽織り、首に真紅のペンダントをぶら下げた端正な顔立ちの優男だ。
穏やかな午後の日差しを、ただ黙って浴びているだけで絵になるその男に、ゆっくりと近付く男がいた。
「よぉ、探したぞ」
男は、優男に低い声で話しかけた。
こちらもまた整った顔立ちをしているが、優男とは全く異なる雰囲気を放っていた。
研ぎ澄まされた剣のような、不用意に触れれば命脈を断ち切られると確信する程に鋭い覇気を放つ男だった。
それまで多くの人が行き来していた広場だったが、その男が現れた途端に、本能で危機を察知したのか、全員、怯えながら足早にその場を後にした事で、辺りは一気に閑静な雰囲気に包まれる。
威圧感だけで他者に死を感じさせたその男は、癖のある黒い髪と同じ色の垂れ目の瞳が特徴的な男だった。
出立ちは忍び装束の上から緑の羽織を羽織り、腰に刀を差しているという、忍びなのか侍なのかはっきりしない曖昧なもの。
少なくとも武人である事ははっきりしているその男に、優男は顔を向け、臆する事なく「よぉ」と片手を挙げる。
「久しぶりだな、ツルギ。何年振りだ? 見た目、あんま変わってねぇな。全然老けてねぇ。若々しくて羨ましい事で」
「そりゃお互い様だろ。お前も全然変わってねぇ……いや、見た目はともかく、中身は変わっちまったようだけどな。残念だよ、オルダルシア」
互いに軽口を叩き合うオルダルシアとツルギ。
両者の間には、濃密な死の気配が、どこまでも冷たい底無しの殺意が満ちている。
数秒の間、光と温度のない瞳で睨み合った後、ツルギが呆れたように溜息を吐き、口を開いた。
「……普通、もっとこそこそするもんだろ? 昨日仲間にやらせた事、忘れたのか?」
「うっかりが多くて大雑把な俺だが、流石にそこまでボケちゃいねぇよ。お前が動いたら、全部終わっちまうからな。どうにかして足止めしたかったんだ。国王と王女を襲えば、お前は最優先で二人を守るだろ? 『かぐや姫』でもそうしただろうが、あっちは普通に強いから、足手纏いにならそうでな」
「んな事のために、二人を殺そうとしたのか……?」
「別に殺すつもりはなかったが、最悪死んでもいいかとは思ってはいたな。あの爺さんの事は嫌いじゃねぇけど、絶対にいなくなってほしいって程好きな訳じゃねぇし、王女の事はよく知らねぇからどうでもいい」
あっけらかんと笑いながらオルダルシアが口にした答え。それを聞いた途端に激発しそうになったツルギだったが、ぎりぎりの所で耐え、刀の柄を握り締め、肩を震わせる。
「どうでもいいだと? お前、そうゆう奴だったか?」
「お前の中で俺がどんなイメージなのかは分かんねぇけど、俺は俺だ。今日は試したい事があったから、こんな見つかりやすい場所で待ってたんだ。『五剣』の誰かが来ればなと思ってたが、よかったよ。来てくれたのが最強で。試し甲斐がある」
「俺もよかったよ。一番最初に見つけられて」
待っていたと言ってきたオルダルシアに対し、ツルギは抑揚のない声で返事を返し、勢いよく刀を抜いた。
そして、剥き出しになった刃の切先を、オルダルシアに突きつけ
「お前は、今日、ここで斬り捨てる。絶対に、生かしてはおかねぇ……」
確実に斬殺すると、死の宣告を叩きつけた。
その次の瞬間、最強と最凶の殺し合いの幕が上がった。
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