お伽の夢想曲

月島鏡

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第三章 深海の星空

第三十話 私が取り戻す

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 『魔神の庭』と『海鳴騎士団』の戦いが終わった数日後、ライゼとユナ、そしてステラが海岸で佇んでいた。
 海は夜の闇で黒く染まり、青白く輝く月を鏡の様に映し出している。ストレッチと屈伸をしてからライゼが、さて、と

「行こうか。ステラちゃん、ユナ、覚悟はいいかい?」

「はい、大丈夫です」

「そんなの大丈夫に決まってるじゃない。それに、大抵の事はあんたがどうにかするでしょ?」

「まぁね。じゃあ、行こうか」

 そう言って、三人は『リトス海域』の底の底にある『エクラン』へと向かった。








 異変を聞きつけたのは戦いが終わって二日後、屋敷に帰ってからの事だった。 その日の新聞の大見出しにこんな事が書かれていたのだ。

『宝石の海、『リトス海域』から輝きが消える。災害の前兆か!?』

 新聞によると、『魔神の庭』と『海鳴騎士団』との戦いが決着した次の日に、『リトス海域』から光が失われたらしい。
 何も知らない一般人達は災害の前兆だの、折角来たのにガッカリだなどと言っているが、『海鳴騎士団』に、『エクラン』で何か起こったのは明らかだった。
 だからライゼがユナを連れて『エクラン』を調査する事にし、それにステラも半ば無理矢理同行したのだ。

「本当は、何があるか分からないから僕とユナの二人だけで来たかったんだけどな」

「すいません、リーベとベリルが心配で・・・」

「友達を心配するのは当然の事だ。責めてはいないよ。それに、君なら来ると思ってた。何があっても僕が守るから安心してくれたまえ」

「ありがとうございます」

「ていうか、このペースで泳いで、あんたが作った魔法薬の効果は持つの? 私達が目指してるのは深海よ。あんたはともかく、私とステラのペースじゃすぐにたどり着けないわよ」

 ユナが腕を組みながらした発言に、ステラは、あっ、と呟く。
 この前はピッピがいたから早く辿り着く事が出来たが、今回ステラ達が向かうのは深海だ。
 一万メートルにも及ぶ距離を人の身で泳ぎ切る事は流石に不可能だ。
 一体どうするのかと言いたげな視線を向けるユナにライゼは

「問題無いよ。またすぐに着けるから」

 そう言って、次の瞬間思い切り指笛を鳴らす。
 すると、大きな影がステラ達に近付いてきた。
 それは大きな背びれと、鋭い牙が特徴的な、ステラ達を『エクラン』へと運んだ鮫の魔獣、ピッピだった。

「ピッピ‼」

「あの時の魔獣、一体どうして」

「僕が指笛を鳴らしたら来るように調教した。それだけさ」

「一体いつそんな暇が・・・」

「いいから、ピッピちゃんに乗って早く行くよ」

「あ、はい」

 色々と気になる事はあるが、これで機動力は確保できた。
 あとは『エクラン』に向かうだけだと、ステラ達はピッピに乗ってエクランへと急いだ。









 数日ぶりにやって来た『エクラン』は色が変わっていた。
 鮮やかな虹色から、寂しい闇色へと。     辺りを照らすのは七色の宝石ではなく、ほんのりと明るい照明用の魔水晶だった。
 視界を確保できる程には明るいが、以前の『エクラン』の風景を知ってるステラ達には、今の『エクラン』はかなり暗く、寂しい場所に思えた。

「宝石が、一つも無い」

「それだけじゃないわ、ほら」

 ユナが指さした方向を見て、ステラは絶句した。
 海底が赤黒く染まっている。
見慣れた色、嗅ぎ慣れた匂い、それは

「血、なんで・・・」

「誰だ‼」

 後ろから誰かの声がした。
 怒声、敵意に満ちた声、その声の主は胴に包帯を巻いた緑髪の人魚、ベリル=ミルグリーンだった。

「ベリル・・・」

「えっ、ステラさん? どうしてここに・・・・」

「上から宝石の光が消えたって聞いて、何かあったんじゃないかって、心配で」

「そう、ですか。ありがとうございます・・・」

 笑顔でそう言うベリルにステラは胸が苦しくなる。
 その笑顔が、普段のベリルの笑顔の明るさからは程遠い、作り笑いだと分かったから。
 ベリルの表情と赤く染まった海底、何かがあったのはもう確実だ。聞けば、ベリルを傷付ける事になるかもしれない、だが

「ねぇ、ベリル、何があったか教えてもらっていい?」

 それでもステラは敢えてベリルに問う。
 そうしなければ、自分達に何か出来る事はあるのか、何が出来るのかすら分からないから。
 そして、何か出来る事があるなら全力で力になりたいと、そう思っているから。
 ベリルは少しの間、目を伏せてから、分かりました、と

「説明するより、来ていただいた方が早い、そうゆう感じなので、来ていただけますか?」

「えぇ、分かったわ」




 ベリルについて『エクラン』へと向かうと、暗くなっているのは照明だけでは無かった。
 住人の表情と、雰囲気、そっちの方が重症だった。
 泣きじゃくる人魚、俯く人魚、明るい表情の人魚は誰もいなかった。

「皆さんに、先に言っておきたい事があります。どうか、団長を刺激しないであげてください」

「――っ、リーベに何か」

「ステラちゃん」

 ライゼに名を呼ばれ、ステラは口を噤む。
 それからしばらく歩いていると、リーベの神殿よりも大きな石造りの建物の前に辿り着いた。

「ここは『海鳴騎士団』の騎士と騎士見習いの宿舎です。ほとんどの騎士と騎士見習いはここで暮らしていて、怪我をした時は診療所としても使えます」

 ベリルが建物の説明をしてから扉を開けるのに続いて、ステラ達も中に入る。
 扉の向こう側は、鬱蒼とした雰囲気で満ちていた。
 いくつものベッドが並び、その上に傷だらけの人魚達が横たわっている。
 目を失っていたり、腕を失くしていたり、眠ったままだったり、皆、深い傷を負っている。
 意識がある人魚に共通する事は、その瞳から色を失ってしまっている事、一切の希望を失い絶望してしまっている事だ。

「どうして、こんな・・・」

「今ここにいる人達と、二階にいる聖騎士の方々、シェル様、この建物にいるのは、それで全員です」

 今、ステラ達がいる部屋にいる騎士と騎士見習いの数は、およそ二十一人だ。
 二階にいる者達とリーベ、そしてベリルを含めても二十八人にしかならない。
宴の時は二百人以上いた筈なのに、何故――?

「まさ、か」

 その答えにステラは、ライゼとユナも気が付いた。
 もう隠す必要も無いと、ベリルは小さく息をしてから、肩を震わせて、言わずとも察しがつく答えを口にする。

「殺されてしまったんです。全員、本当ならここにいる筈だった、友達は、先輩は皆、殺されて、しまったんです」

 ステラ達の予想は、当たっていた。
 どうか外れていて欲しかった。ここにいないのは、無事だったからと、そう思いたかった。でも、正解は非情で、無情な現実だった。

「詳しい話は、聖騎士の方々としましょう。話さなければいけない事が、いくつかある、そうゆう感じなので」

「えぇ」





「よく来てくれたな。本当なら茶の一つでも出して迎えるべきなんだろうが、茶を淹れるどころか、立ち上がる事すらままならない状態だ。もてなしが雑なのは多目に見てくれ」

「もてなされに来たのではないので、大丈夫です。ていうか、怪我をしてるんですから、安静にしていてください」

 ステラが応じたのは、ベッドの上で横たわる虹色の髪が特徴的な巨漢の人魚、シェル=メールだ。
 全身に包帯が巻かれていて、その中でも欠損した左腕と、右目に着けた眼帯が特に痛々しい。
 シェルだけでなく、他の聖騎士達も一様に包帯姿で、意識が無い。特に重症なのがルベライトとアンデシンだった。
 アンデシンはリオと互角の戦いを繰り広げたその豪腕を、肩から失っていた。
一番綺麗な時期の女性が、身体の一部を欠損する事は、肉体的苦痛よりも心的苦痛の方が大きい。目を覚ました時の状態が心配だが、それ以上に心配なのはルベライトだ。
 機械的なカプセルの様な魔道具の中で眠り、口にはチューブが付けられ、傷だらけの腕には点滴が施されている。

「その魔道具は生命維持装置の役割を果たす魔道具です。ルベライト様は、胃を破壊され、その他にも多くの深刻な傷が見られました。なんとか命を繋いでる状態です」

「胃を、壊し――っ」

 言葉にしようとして、ステラは思わず口元を押さえる。
 一体どうしてそんな酷い事が出来るのか、ここまでする必要が一体どこにあるというのか、ルベライトを、『海鳴騎士団』を傷付けた者達にステラは怒りを燃やし

「一体、誰がこんな事を? 君達にここまでの深手を負わせる事ができる連中はそうはいない筈だ」

 それは一体誰なのか、ライゼはベリルに問う。
 ベリルは唇を噛みながら、拳を強く握る。
 蘇る恐怖と死の記憶と懸命に戦って、自分達を傷付けた者の顔と名を思い出し、その者達の名を告げる。

「あいつらは、自分達の事を『夜天の箱舟』と、そう言っていました。宝石を奪ったのもあいつらです」

「やっぱり、そうだったのね」

「はい。奴等のマスターの名は、オルダルシア=カルバレアスというらしいです」

 その名を聞いて、全員が驚愕した。
 その中でも純粋な驚きが強いのはステラだ。
 オルダルシア=カルバレアス。
 それは、悪夢に苛まれ、『赤ずきん』をやめたいと願い、何故お伽話が嫌いなのか分からなくなり、自身の在り方さえ分からなくなりそうになっていたステラに道を示した、人柄の良い青年だった。
 予想外の人物の名が飛び出してきた事にステラは開いた口が塞がらず、ライゼとユナも同様に思う所がある様だが、それに構わずベリルは続ける。

「ほとんどの騎士と騎士見習いは、あの男に殺されました。あの男には、攻撃が効きません。当たりはしましたが、ダメージがそっくりそのまま跳ね返ってこっちがダメージを受けてしまいました」

「ダメージ無効と反射、性質が悪いわね。他にはどんな奴らがいたの?」

「セルドアっていう金髪の教師みたいな男、ギガっていう海賊みたいな格好をした大男、ルクルハイドっていう白黒の仮面を付けた大男・・・この三人は能力までは分かりませんでした」

「白黒の仮面の大男?」

 確か、『眠らぬ月』の魔導士にそんな特徴の奴がいたと、ステラは顎を押さえて思い出す。
 モルガナで戦った時に本体はステラ自身が破壊し、トラオムが襲撃された際に現れた時はリオが灰にしたと聞いた。
 しかし、今回も現れた。
 ベリルの言うルクルハイドとステラが戦った仮面が同一人物かは分からないが、もしも同一人物だった場合、仮面の下にある箱は量産されているか、あるいは別に本体がいるという事になる。
 箱がいくつも量産されているのも厄介だが、本体がいる場合も厄介だ。
 本体の顔や素性が名前以外分からないのでは、仮に出会った場合警戒のしようがないし、何より見つけようがない。


「そして、あと一人、厄介な奴がいたんです」

「厄介な奴?」

「かつて『魔王』と呼ばれた最悪の厄災、ヘルハウンドです」

 『魔王』ヘルハウンド。
 過去に起きた内戦で魔王軍を率いて人類に多大な被害をもたらした厄災。
 その牙で命を喰らい、その爪で数多の心を引き裂いた許されざる者。
 ステラがその名を聞くのはこれで二度目だ。
 一度目は『アルバストゥル』の夏祭りで。ツルギから聞いた話では、内戦を起こした元凶であり、ツルギ程では無いにしろ相当な実力者だったらしい。
 その時にルージュが内戦を終わらせたという事も聞いたから、てっきりヘルハウンドはもう死んでいたと思っていたのだが

「まさか、生きていたなんてね」

 忌々しげにライゼが呟く。
 その横顔には珍しく悲痛とも怒りとも見える複雑な感情が浮かんでいる。
 おそらく何かしらの因縁があるのだろうが、それより問題なのは

「生きていたなんてって事は、過去に確実に死んでるんですか? 実は生き延びていたって事は無いんですか?」

「確実に死んだよ。それでもまたこの世に現れたという事は、『夜天の箱舟』の中に死者を蘇らせて、操る事が出来る奴がいる、そうゆう事になるね」

「そんな・・・・」

 ただでさえ行った所業の残酷さが突き抜けているというのに、その上死者を蘇らせる事が出来るのかと、ステラの中で『夜天の箱舟』に対する嫌悪が強まる。
 多くを傷付け、奪い、『魔王』という悪しき存在とはいえ死者を辱める、これは到底許せる様な事ではなかった。

「儂の腕は、そいつに喰われた」

 ステラが憎悪を燃やしていると、その横でシェルが自身の失った左腕の傷に触れて、そう呟いた。
 一瞬だったとシェルは続ける。

「儂はすぐにあいつにやられてしまった。強さは昔のまま、いや、あるいはそれ以上になっていた。一太刀も浴びせられないまま倒されて、為す術無く左腕を喰い千切られた。それでこの様、『七煌の騎士』が聞いて呆れる」

 自嘲気味に己の不甲斐ない、情けない戦いの終始を思い出し、シェルは自嘲する。
 そんなシェルにライゼは、いや、と首を振って

「あれは天が生み出した怪物だ。勝てなくても無理はない。そう自分を責める必要は無いよシェル君」

「お前が俺に優しいと君が悪いな」

「酷いな、僕はいつだって誰にだって優しいよ?」

「はいはい、優しくても優しくなくてもどっちでもいいからどきなさい」

 首を傾けながら軽口を叩くライゼを押しのけて、ユナはルベライトへと近付き、その掌から緑の光を放って治療を開始する。
 少しずつルベライトの表情が安らいでいき、少しずつ生気を取り戻していく。
その様子をステラ達が固唾を飲んで見守っているとユナが

「ここにいる騎士達は私が全員必ず治すから、あなた達はリーベの所に行きなさい。きっともの凄く傷付いてる筈よ。そうでしょう? ベリル」

「はい・・・」

「やっぱり。身体の傷の方は私が後から行ってどうにかする、そうじゃない方はあなたがどうにかしなさい。私やライゼじゃ、どうにもならないから」

 ルベライトの治療を行いながらユナが言った言葉は、ステラに向けられた言葉だった。
 リーベを止める事ができたステラだからこそ、その心が傷付いていた時に何かできるのではないか、ユナはそう思っている。それはステラにもなんとなく分かっていた。
 そして、ステラ自身もリーベが心配で、傷付いていたら何かしてあげたいと思っていたから、何も言わずに頷いて、リーベの元に向かう事にした。






 ベリルについて歩いて十数分後、ステラとライゼはリーベの神殿へと辿り着いた。
 神殿の外観は、最初に来た時と何も変わっていない。
 神秘的で荘厳な雰囲気は健在だ。しかし、重要なのは神殿の外観ではなく、その中にいるリーベの状態だ。
 最初にベリルが『どうか団長を刺激しないであげてください』と言っていた事から、その精神状態が非常に不安定になっている事は推測できるが、それ以上の事は何も分からない。
 リーベに何が起きたのか、リーベは今大丈夫なのか、色々と考えながらステラはライゼとベリルと共に神殿の中に入り、二階のリーベがいる部屋の扉の前まで移動する。
 扉の取っ手に手をかけた姿勢でベリルは固まり、いいですか? とステラ達に問いかける。

「団長を絶対に刺激しない。それだけは、絶対に守ってください」

 低い、微かに怒りが顔を覗かせる声音での問いかけに、ステラ達は静かに頷いて、ベリルが扉をノックして部屋に入るのに続いて部屋に入る。

「団長、入ります」

「・・・ベリル」

 小さな、ギリギリ聞き取れるかどうかの大きさの声で、部屋に入ってきた少女の名を呟いて、リーベはベッドの上からこちらを振り向く。
 その傍らに座る白衣の人魚は恐らく医師だろう。リーベの身体には首と両手首に巻かれた包帯以外に目立った外傷は見受けられない。
 しかし、纏う雰囲気はまるで別人だった。
 瑠璃色の瞳からは一切の輝きが失われ、表情は無機質で暗い。その姿からは生きる気力をまるで感じられない。
 全てに疲れ果て、諦めてしまっているような雰囲気をリーベは纏っていた。
 変わり果てたリーベに、ベリルはゆっくりと近付いて、そっと手を取る。

「団長、ステラさんとライゼさんが団長に会いに来てくれましたよ」

「ステラ、ライゼ・・・あぁ、そう・・・」

 素っ気ない、というより活力の無い返事にベリルは困った様に笑い、ステラ達の方を振り向き、目でこっちに来てくださいと訴えかける。
 それを受け、ステラとライゼはリーベに近付き、まず最初にライゼが声をかける。

「やぁ、リーベちゃん。身体の方はもう大丈夫かな?」

「うん・・・」

「あまり無理しすぎないでね。たまには僕みたいに仕事を全部放ってダラダラするのも、必要な事だと思うからさ」

 そう言ってライゼが肩に手を置くと、リーベはライゼを見上げもせず、うん、と頷いた。

「ねぇ、リーベ」

 次いで、ステラが声をかける。

「えっと」

 声を、かけようとして

「あ・・・」

 かけようと、して

「やっぱり、なんでもないわ」

 結局、かける言葉が見つからず、何も言えなかった。
 だが、それを責める者は、責められる者などどこにもいない。
 本気で絶望した者に適した言葉をかけるのは、簡単な様で難しい。
 下手な事を言って余計に心に負担をかける訳にはいかない、そう思って何も言えなかったステラに非は無い。そして

「じゃあ、私は少し用事があるので、席を離れますね。ステラさん達も、行きましょう」

 これ以上は効果が無いと判断し、ベリルはステラ達を連れて部屋を出て、一階へと移動する。
 それから気まずい静寂が三人を包み込んだ。
 数分間、誰も何も言わずにいると、黙っていても仕方が無いと思ったのか、ベリルが小さく息を吸って、リーベに何があったのかを語り始める。

「団長がああなってしまったのは、先輩達や友達の死を、その目に直接見せられてしまった事が原因なんです」

 先輩達や友達、おそらく騎士と騎士見習いの事だろう。
 騎士と騎士見習いを殺したのはオルダルシアだ。つまり、リーベを絶望の淵に叩き落したのは

「オルダルシア、あの男が皆を殺して、団長に、それはお前の所為だって、お前なんか死ねばいいって、そう言ったんです。その所為で、団長は心を壊してしまいました」

 それは、一体リーベにとってどれだけの苦痛だったのだろうか。
 リーベは純粋だ。
 ルドルフとの約束を、ルドルフの『必ず帰ってくる』という言葉を、百年間信じて疑わない程に。
 純粋であるが故に、誰であろうと分け隔てなく接し、誰とでも親しくなる事ができる。
 そんなリーベが目の前で仲間を殺され、それを自分の所為だなんて言われれば、心を壊してしまうのも当然だと言える。そして、それは

「オルダルシアだけの所為じゃないよ。さっき会った時、リーベちゃんは何らかの魔法にかけられていた。恐らく、精神操作か精神干渉の類の魔力で、心を弱らせられていたんだと思う」

「どうして分かるんですか?」

「僅かだけど魔力に乱れが見られた。僕でも気付くかどうかのレベルの乱れだったけどね。魔力の乱れは精神系統の魔力を受けた魔導士の特徴だからね」

「精神系統の魔力・・・」

 そういえばと、ベリルは『夜天の箱舟』が現れた時のリーベの様子を思い出す。
 あの時、リーベは普段からは考えられない程怯えていた。リーベが敵と相対しただけで恐怖に陥るなどあり得ない。もしもそれが精神系統の魔力の所為だとすればいくらか納得はいく。

「じゃあ、魔力を解除すれば団長は」

「残念ながらそうはいかない。さっき触れた時に魔力を無効化したけど、駄目だった。魔力を無効化できても、心の傷を消す事は出来ない。力になれなくて、ごめん」

「そんな・・・」

 ライゼの言葉を聞いて、ベリルは肩を落とす。
 そのベリルの顔を見て、ステラはゆっくりと息を吐いてから、再び神殿へと向かう。その背中にベリルは手を伸ばす。

「ステラさん、ちょっとーーーー」

 神殿に向かうステラを止めようとして、しかし、ベリルはその手を引っ込める。
 ちらりと見えたステラの横顔に、強い覚悟が宿っていたから。

「大丈夫だよ、ベリルちゃん。ステラちゃんは人を不用意に傷付けるような事は言わない」

「ライゼさん・・・えぇ、そうですね」








 再び神殿の中へと入り、ステラはリーベの部屋の扉を開く。
 部屋に入ってきたステラにリーベは振り向くが、すぐに視線を逸らす。
 ステラはリーベへとゆっくり近付くと、目を閉じて深呼吸をする。
 言葉選びは最大限に慎重に、なるべく心を傷付けぬよう、リーベの心に僅かでも明るさを取り戻せれば、とステラは伝えたい事を、リーベに伝える。

「リーベ、あなたは、今とても辛いと思う。周りが真っ暗で、何も見えなくなっていると思う。今すぐ立ち上がれ、なんて言えないし言わない。けど、これだけは言わせて」

 虚空を見つめるリーベに、ステラは胸に手を当てて、言いたい事を告げる。

「あなたにはまだ支えてくれる人がいる。それだけは忘れないで。私もそうよ。私もあなたを支える。だから、苦しいなら、つらいなら、私を頼って欲しい。私じゃなくてもいい、ベリルでも、シェルさんでも、聖騎士の誰かでもいい、誰でもいいから頼って欲しいの。一人で抱え込まないで、一人で抱え込み続けたら、いつか潰れる」

 悩んだ時、苦しんだ時、その原因が自分一人でどうにも出来ないものだった時、誰かの手を取らなければ、心は押し潰されてしまう。
 他ならぬステラがそうだったから。

「だから」

「だから、誰かに、苦しいって、助けてって言えって、そう言うの?」

 それまで虚空を見つめ、虚ろな目をしていたリーベが、初めてステラの言葉にちゃんとした反応を示した。
 その事に驚くステラの顔を見ず、リーベは自身の手首を折れる程強く握り締める。

「私の所為で皆が死んだ。私の所為で皆が殺された。私が奪った。たくさんの魔導師を殺した所為で、その罰で皆が殺された。私の罪の所為で、皆が死んだ」

 それなのに、誰かを頼れって?

「できる訳ない、できる訳ないじゃない。ふざけないで。私が生きてるから、皆があんな目に遭ったんだ。私なんか死ねばいいんだ。私が死ねば、もう誰も傷付かないで済むんだ・・・」

 そう言ってリーベが握り締める手首の包帯が、じわりと赤に染まる。
 おそらく両手首の傷は、リーベが自殺を試みた際に付いたものなのだろう。手首だけでなく、首の包帯も、きっと同じ事が原因で生じた傷を保護しているのだ。
 それらの包帯は、リーベの心の傷、リーベの心を蝕む呪いの象徴だ。

「もういいの。私は誰にも頼らずに、一人で死ぬ。私にはもう何も無い。ルドルフも、皆も、今生きてる皆を守れる力、『海鳴の交響曲アクアシンフォニー』の力も、何も無い」

「『海鳴の交響曲アクアシンフォニー』の力が、無い?」

「うん。オルダルシアに奪われた。皆を助けてやる代わりに、『海鳴の交響曲アクアシンフォニー』を寄越せって、そう言われて、皆に死んで欲しく無かったから、私は」

 そう言われて、ステラは初めて気付く。
 ステラが恐怖し、アルジェントが警戒する程のリーベの魔力、そのほとんどが失われている事に。
 最初は精神に負荷を負っているから覇気を感じられないのかと思っていたが、そうではなかった。
 魔力が失われてしまったから、覇気を感じられなかったのだ。

「じゃあ、あいつらは、『幻夢楽曲』を手に入れる為だけに、あれだけの事を?」

 『幻夢楽曲』とは、『レーヴ』に散らばる九つの魔法の事だ。
 『レーヴ』を創造した魔法使いが最初に作った、全て揃えば願いを叶える事が出来る魔法。
 多くのギルドがそれらを手に入れる為に、他のギルドを傷付けたり、関係の無い者を巻き込む事態が今も続いている。
 最近起きた『眠らぬ月』による『トラオム』襲撃事件も、目的の一つは幻夢楽曲を手に入れる事だった。
 今回の『海鳴騎士団』の団員の殺害の動機も同じもの。つまり、オルダルシアは、『夜天の箱舟』は、自分達の願いを叶える、ただそれだけの為にあれだけ大勢の人魚を殺したという事になる。

「ふざけてる・・・」

 人を傷付けてまで願いを叶えようとする事は、決して許される事じゃない。
 怒りに思わず憎悪の呟きが漏れ、それを聞いたリーベはステラに振り向いて

「今日はもう帰ってもらっていい? 来てくれたのには感謝するけど、しばらくは一人でいたいの」

 冷たい声音で、婉曲的に早く帰れと告げられる。
 それを受け、ステラは無言で扉の前まで移動して立ち止まり、振り返らずにリーベの名を呼ぶ。

「シェルさんの携帯水晶は、ライゼさんの携帯水晶と繋がってる。しばらく私がライゼさんの携帯水晶を借りるから、何かあったら連絡して。どんな些細な事でも構わないわ。私は」

 もう、あなたの友達なんだから。








「今日は本当にありがとうございました。生き残った団員の治療をしていただき、感謝」

「堅苦しいのはいいわよ、別に。あなたには似合わないし、私は当然の事をしただけ。だから、気にしないで」

 深々と頭を下げようとしたベリルに、その必要は無いとユナは首を横に振る。

「それに、心の傷まではどうにもできなかったから」

「ユナさん・・・」

 自分の力不足を悔やみ、スカートの裾を強く握るユナに、ベリルは心を痛める。
 ありとあらゆる傷を治す魔力を持ちながら、心の傷は治せない、なんと役立たずなのだろう、ユナがそう思っていると、ライゼはユナの方を向いて頭の上に手を乗せる。

「ユナはよくやったよ。瀕死の人魚達を二十人以上治したんだ。並みの回復魔法の使い手じゃ」

「あまり気安く触らないでくれる? 手をどけなさない二秒以内に。はい、二、一」

「すいません」

 自分にだけは変わらず辛辣なユナにライゼは臆し、カウントダウンがゼロになる前に手をどける。
 それからステラがベリルに手を伸ばして

「何かあったら呼んで、私達で出来る事があればなんでもするから」

「えぇ、ありがとうございます」

 握手しながらそう言い合って、ステラ達はピッピに乗って『エクラン』を後にした。








 それからニ週間後の夜、ステラは手の内に携帯水晶を握って、庭園から月を眺めながら、『エクラン』に行った時、リーベに言われた言葉を思い出していた。

『誰かに、苦しいって、助けてって言えって、そう言うの?』

『私の罪の所為で、皆が死んだ』 

『私が死ねば、もう誰も傷付かないで済む』 

『私は誰にも頼らずに、一人で死ぬ』

 誰の手も掴まず、何にも助けを求めずに死んでいく、そう言っていたが、きっと助けを求めてる筈、生きようとそう思っている筈だとステラは疑わない。
 何故ならリーベはルドルフとの別れの場面で言っていた。

『私、頑張るから‼ ちゃんと前に進むから‼ だから、だから見てて‼悲しみも苦しみも乗り越えて、前に・・・・前に・・・・生きるから‼︎』

 百年間想い続けた恋人にそう誓ったなら、その決心は絶望の一つや二つで壊せるものではない。
 今は苦しんでいても、きっといつか乗り越えて、誓いの続きを果たす筈だと、ステラは信じている。
 その時、携帯水晶が淡い光を放った。
 シェルの携帯水晶から連絡が来た合図だ。携帯水晶を起動させて、もしもし、と相手に聞こえるようにステラは呟く。すると

「ステラちゃん・・・?」

 水晶の向こうから聞こえた声は、絶望に打ちひしがれていた少女の、リーベの声だった。
 声はまだ暗いが、昨日よりは少しだけマシになっている。
 それだけでもよかったとステラが思っていると

「ステラちゃんに、お願いがあるの」

 小さな声でリーベがそう言ってくる。 それは、悲しみの淵から、リーベが必死に絞り出した声だった。苦しみながら、悲しみながら、それでも届けようとした声を決して聞き逃さない様、ステラは耳を立てる。それからリーベは

「皆を、『海鳴騎士団』を守って欲しいの」

 ステラへの頼みを口にした。
 予想していた展開とはやや違う、けれどリーベらしい頼みに、ステラの胸の内が熱くする。

「私には、もう『海鳴の交響曲アクアシンフォニー』の力が無いから、皆を守ってあげられない。何かあっても皆を助ける事ができない。また今度みたいな事があったら、次こそ皆殺されちゃう」

 でも

「そんなの、嫌だ。皆大好きだから、ベリルも、パパも、ルベラも、エンジェも、アンジェも、ターフェも、シトリンも、皆大好き、だから、誰にも死んで欲しくない。これ以上誰か死ぬなんて、そんなの、嫌だよ・・・」

 だから

「私の事はいいから、皆を守ってあげて欲しいの。私の代わりに、次に皆に何かあったら、皆を助けてあげて。私は皆が、『海鳴騎士団』が大好きなの」

 涙声で、リーベは自身の願いをステラに伝えた。リーベの願いを聞いて、ステラは微笑む。
 絶望に苛まれて、自分の事で手一杯の筈なのに、ステラにするお願いが、『自分を助けて』ではなく『皆を助けて』とは

「あなたは本当に強くて、優しいのね。分かったって言いたいけど、条件があるわ」

「条件?」

「まず一つは依頼を行う期限を設ける事、深海にいる人魚達をずっと守り続ける事は難しいしね」

「そっか、分かった。一体いつまで?」

「私が『夜天の箱舟』から『海鳴の交響曲アクアシンフォニー』を取り戻すまで」

 次の瞬間、ステラが言った言葉に、リーベは呆然とする。
 携帯水晶越しに相手の顔を見る事は出来ないが、きっとリーベは驚いているに違いないとステラは確信する。小さく咳払いをしてからステラは、いい? と

「あなたは私よりずっと強い。あの時はニ対一、まぐれで勝っちゃったけど、普通に戦えば私はきっとあなたに勝てなかった」

 ステラは二度もリーベに瀕死に追い込まれている。
 ステラは本来なら負ける筈だった。それでもステラがリーベに勝てたのは、ルドルフが、アルジェントが、そして、ステラの中にいるルージュが力を貸してくれたからだ。
 リーベと戦っている時、ルナと戦った時と同じ、力が何倍にも膨れ上がる感覚がした。
 あれは、夢の屋敷の庭園でルージュと話した後と同じ感覚だった。
 ステラは何人もの力を借りて、やっとリーベに勝てた。
 それ程までにリーベは強いのだ。ならば、力を取り戻したリーベが皆を守る方がずっと確実に守りきる事ができる。
 その力を、守る為の力をステラが取り戻す。そして

「もしも私があなたの力を取り戻せたら、あなたが力を取り戻した後、私達にも守らせて欲しい。あなたを、あなたの大切なものを」

「えっ?」

「何驚いてるのよ。当たり前でしょ、私達はもう友達なんだから、助け合うのは当然じゃない」

「いや、でも、それじゃ条件に合ってな、ていうか、無茶だよ。あいつらを倒すなんて、『魔王』だっているのに、そんな」

「こっちには魔神がいる。今更『魔王』なんかを恐がったりなんかしないわ」

 リーベの心配を、ステラは軽い口調で笑い飛ばす。
 敵が強大で、凶悪で、だからどうしたというのか。
 それはいつもの事ではないか。
 いつだって難敵との綱渡りを、なんとか、ギリギリ乗り切って勝ちを掴み取ってきた。少なくともステラはそうだ。
 今回は敵が少々、いや、かなり悪辣だが、それでも負けられない。
 友達が傷付けられた。その仕返しは数千倍返しで返してやらなければ、ステラの気が済まない。
 たとえその相手が自分に道を示してくれた人物であろうと関係無い。自分達がした事がどれだけの事なのか分からせてやる。
 分からせて、それから取り戻す。
 リーベが大切なものを守る為の力と、過ちと愛の結晶である極彩色の結晶を。
 リーベを、友達を傷付けた連中に、それらを好きに利用させてなるものか。

「私が必ず取り戻すから、少しだけ待ってて頂戴」

 そう言って、ステラは携帯水晶を切ってから空に浮かぶ月を見上げる。
 今日は満月だった。
 丸く大きな月が、雲に隠れる事なくステラを見下ろしている。
 やるべき事は決まった。倒すべき敵を、『夜天の箱舟』と『魔王』を倒す。
 この力で、ルージュから受け継いだ『紅血の協奏曲スカーレットコンチェルト』の力で、必ず奴らを倒す。必ず、必ずだ。








 その次の日、ライゼは一人で『カルディア城』に赴いていた。
 書類の提出でも、事情聴取の為でもなく、もっと重要な事態、国政を担う最高権力の持ち主『幻聖会』からの呼び出しがあったからだ。
 『幻聖会』の議員が集う円卓がある議事堂の前に辿り着き、ライゼはゆっくりと扉を開く。

「これはこれは『幻聖会』の皆様、お待たせしましたライゼ=クロスハートです。珍しいですね、皆様が高々一介の魔導師に過ぎない私を呼び出すなんて、一体どのようなご用件で」

「その取り繕った態度をやめよ」

 一字一句丁寧なライゼに、禿頭の老人、ザバスが腹立だしげに言う。
 敵意剥き出しの視線を浴びて、なおも不敵な笑みを崩さないライゼにザバスは大きく舌打ちする。

「貴様、一体どこでその様な演技を覚えた? 本来の貴様を知る儂からしたら、今の貴様は腹立だしくてしょうがない」

「それはつまり、普段通りにしろって事でいいのかな? それはそれで腹立つと思うけど」

 腕を組んで首をかしげるライゼに、ザバスは再度大きく舌打ちし、ライゼは肩をすくめる。

 ーー今日は一段と機嫌が悪いな。正直面倒だな、帰ろうかな。

 踵を返そうかどうか一瞬迷って、ライゼはその場に残る事にする。
 ここで帰れば、今日以上にザバスの機嫌が悪くなり、面倒な事になる。それは御免だとライゼが考えていると、『幻聖会』の議長、ボノレフが口を開く。

「今日あなたを呼んだのはあなたに、あなた方『魔神の庭』に依頼したい事があるからです」

「依頼、か」

 あー、嫌だ、やっぱりか、とライゼは心の中で呟く。
 民間からの依頼はともかく、王国からの依頼は、厄介事や、無茶振りの類が、難易度の高いものが多い。
 それをいくつも解決してきたからこそ『魔神の庭』は知名度、信頼共に高いのだが、時期が時期だ。
 察しが良すぎるライゼには、大方の依頼内容は既に予想がついていた。

「ここ最近、いくつものギルドが襲撃される事件が八件連続で続いています。被害者はギルドのメンバー全員、そのいずれもが喰い殺されています」

「へー、犯人は言わなくても分かるから言わなくていいよ。勝手に倒すから」

「いえ、一応聞いてください。目撃者の証言によれば、犯人の特徴は二足歩行の黒い大型の犬の様な怪物だったとの事、これは恐らく魔獣と思われます。この特徴に当てはまる魔獣は、歴史上一体しか確認されていません」

 黒い大型の犬の様な怪物、ここまでくればもう確定だ。怪物の正体は一つしかない。

「『魔王』ヘルハウンド、奴が蘇ったのです」

「やっぱりか。そんな事だろうと思ったよ」

 『海鳴騎士団』が『夜天の箱舟』と『魔王』に襲われた後の呼び出し。『夜天の箱舟』か『魔王』のどちらかに関する内容の呼び出しと、ライゼは予想していた。そして、その予想は見事に的中していた。

「ヘルハウンドは厄災の化身、放っておけばまたもや国が戦火に包まれる事になるやもしれません。早急に討伐を願いたいのです」

「分かった。任されたよ。他にもまだ二、三個話す事があるでしょ?」

「あなたの前で隠し事は出来そうにありませんね。先日、『夜天の箱舟』のマスター、オルダルシアがこの場所に現れました」

 告げられた内容は、衝撃的なものだった。
 『海鳴の交響曲アクアシンフォニー』を奪ってすぐに『幻聖会』の元に現れた。
 あまりにも大胆不敵過ぎる行動にライゼが驚いていると、ボノレフは続ける。

「幸いにも被害はありませんでしたが、あの男は一言、自分達の目的と、我々への戦線布告を残して『カルディア城』を去っていきました」

「その目的と、戦線布告の内容は?」

「あの男はこう言っていました。『俺達はいずれこの国を滅ぼす。そして、『幻夢楽曲』の力で世界を作り変える』と」

「国を滅ぼし、世界を作り変える。それが『夜天の箱舟』の目的か」

「おそらくは九つ全ての『幻夢楽曲』を奪い、なんらかの方法で世界を作り変えるつもりなんでしょう。あなた達の元にも『赤ずきん』と『親指姫』がいる。くれぐれも彼らに『幻夢楽曲』を奪われぬよう、注意してください」

 ボノレフの、他意のない素直な忠告にライゼは拍子抜けしてから、あれ? と間抜けな声を出してボノレフと視線を合わせる。

「それだけ? てっきり『夜天の箱舟』の討伐までしろって言うのかと思ったけど」

「『夜天の箱舟』の実力は本物。『白雪の森』の『白雪姫』の『幻夢楽曲』は既に彼らの手によって奪われている。『魔神の庭』が強いからといって、二人も『幻夢楽曲』所有者がいるのに、『幻夢楽曲』を狙うギルドの討伐を軽々しく頼む様な事は出来ません。彼らの討伐は『月帝の五剣』に依頼しました」

 『月帝の五剣』、かぐや姫が率いる『グリム王国』最強にして唯一の軍隊。
 『鬼殺し』ツルギ=ケンジョウを筆頭に、強力な魔導師のみで結成された彼らが討伐に乗り出したなら問題は無いだろうが

「さて、ここからが本題です。先程話題に出た『白雪の森』から『魔神の庭』宛に依頼が届きました」

「『白雪の森』から? 奪われた『幻夢楽曲』を取り戻せとか、そんな所かな?」

「いいえ、もっと重要な依頼です」

「依頼内容は?」

「『精霊世界プリエール』に繋がる扉を開けて欲しいとの事です」

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