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初・異世界メシ

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 部屋に戻ると、ソファに座ったイズナが銀色の金属板をポシェットにしまっている最中だった。

「おかえり、カイト。身体はゆっくり休められた?」

 上着を脱ぎ、上半身はシャツ一枚というラフな姿になっていたイズナ。
 ジャケット越しにも彼女のスタイルがいいのはわかってはいたが、今はさらにそれが強調されている。

「ああ、ここの風呂はなかなかに快適だったぞ」
「へぇ、ならあたしも、今から入ってこようかな」
「ああ、いいんじゃないか」
「そっか、それじゃあさっそく――」

 と、イズナが入浴の準備を始めようと腰を上げたときだ。
 
 ぐぎゅるるるるるるるるるるるる~~~~~。

 盛大に、海斗の腹の虫が鳴いた。

「ああ……カイト?」
「…………」

 海斗はイズナから顔を背け、押し黙ってしまった。
 どことなく、気恥ずかしい空気がその場に流れる。

「……風呂、行かないのか?」

 その場にとどまって動かないイズナに、海斗は平静を装って促がした。

「ふ、あはは……」
 
 彼女の笑い声が耳に届き、海斗の頬が熱くなる。
 
「ねぇ、カイト……」
「……なんだ?」
「え~と……先に、ご飯にしようか?」
「…………ああ」

 もう、変に意地を張るのも疲れた海斗は、イズナの提案に素直に頷いた。

「今日は、色々あったからね。お腹が空くのも仕方ないわ」

 イズナのフォローに、さらに羞恥心を刺激され、惨めな気分が顔を覗かせる。

「はぁ……もういい、これ以上は勘弁してくれ」

 湿り気を帯びたままの頭を掻きながら、降伏宣告をする海斗。

 緊張していた身体がほぐれためだろう。
 海斗の意思に反して、正直に今の欲求を表に出してきた胃袋。

 そんな自分の身体を恨みがましく思いつつも、思えば目覚めてからここまで、まともな食事を取っていない事実に気づく。

 であれば、いいかげんなにか食わせろというこの主張は、至極当然なのかもしれない。

「たしか、下のロビーで食事ができるはずだったわね」
「そのはずだ。この宿は飲食店も兼ねていると言ってたからな」

 部屋へ案内された時に説明された内容を思い出す。その際アルフは『食事処も兼任している』と話していた。

「下に行けば、なにか用意してもらえるだろう。それに、今日の夕飯代は、店主持ちだ」

 治療の一件で、海斗を気絶させてしまったお詫びに、とアルフは夕食の代金をサービスしてくれたのだ。

 で、あれば、

「今回はなんの気兼ねもなく、存分に腹を満たしてくれる!」
「あ、あはは……」

 腕を組み、得意げにふんぞり返る海斗に、イズナは苦笑を漏らした。
  海斗は金を一切持っていない。そのため、代金を払うのは結局のところイズナなのだ。

 であればこそ、払わせなくていいものなら、それに越したことはないだろうと海斗は思った。

「それじゃ、ここで話をしてても仕方がないし、早速、食べに行こう。あたしもお腹か空いちゃった~」

 どうやら、空腹を抱えていたのは、海斗だけではないようだ。


 ロビーに降りてきた海斗たちは、カウンターに備え付けられた呼び鈴を鳴らす。

 音が響いてすぐ、奥からアルフが駆け寄ってきた。

「はい、いらっしゃ――って、あんたたちかい。どうしたんだい二人して?」

 呼び出したのが海斗たちだと気づくと、アルフはすぐさま用件を聞いてきた。

「食事がしたい。今から二人分用意できるか?」
「それは問題ないよ。仕込みはしてあるからね。注文をもらえれば、すぐに準備させてもらうよ」
「そうか……それで、ここではどんなものが食えるんだ?」

 海斗にしてみれば、この世界での食事はこれが初めてである。
  もしかしたら、この世界の住人にとっては普通に食べることができるものでも、海斗にとっては毒になる可能性もある。

 しかし、イズナを背負っていたとき、彼女は寝ぼけながら『コーヒー』と口にしていた。

 もしかしたら、海斗のいた世界と共通した食材も存在しているかもしれない。

 だが、それでも用心に越したことはないだろう。

「ん~、そうさね……この辺りで今の時期だと『フェアリーバード』の香草焼きが一番かね? 脂のノリもいいし、素材に塩味がついてるから、変に調味料で味をいじらなくてもそのままで食べられるしね。でも、やっぱり香り付けをして食べるのが、私としてはオススメかね。生もいいけど、アレはちょっと癖もあるからねぇ」
「へ~、おいしそうね。ねぇ海斗、今夜はそれにしない?」

 アルフの説明を聞きながら、すぐにでも注文してしまいそうなイズナ。

 しかし、海斗はそこにストップをかける。

「いや、ちょっと待ってくれ。それはそれでいいんだが、その……『ふぇありーばーど』というのは、なんだ? 名前だけ聞くと、鳥のようなものを想像するが……」
「は? 鳥?」

 キョトンとしながら、海斗の疑問に反応するアルフ。

「なんだいあんた、フェアリーバードを知らないのかい? わりと一般的に市場で出てると思ったけどねぇ………………あ、さてはあんた、ド田舎の出身かなにかかい?」

 なんだかバカにされているようで癪に障るが、ここはぐっと堪える。

 ここは、アルフが口にした設定に、あえて乗ることにした。

「ああ、正直に言ってあまり町に出ることもなくてな。地元じゃ山に囲まれた生活で、基本的に野草を採って食べるのが日課だったんだ。獣のたぐいは、祭りみたいな機会でもなければ、食べることもほとんどなくてな……」

 イズナは、ここに来るまでに海斗を渡界人として誰にも紹介してこなかった。それにはなにか、特別な事情があるのかもしれない。

 しかし、

「うわ~…………」 

 隣でそれを聞いていたイズナが、呆気にとられたように海斗を見ていた。
 急場しのぎに海斗が説明したでまかせに感心しているのか、はたまた呆れているのか、よくわからない表情だ。

 というかこっちは、お前に気を遣ってこのようなことを口にしたんだから、そういう微妙な顔をするのはやめてもらいたい。

「そうかい。それじゃ仕方ないかもね」

 適当に話をあわせただけの嘘をあっさり信じてしまう辺り、この店主も存外アレである。

「え~と、ファアリーバードっていうのは、魚なんだよ」
「さ、魚!?」

 バードなどという名前がついているものだから、てっきり鳥類の一種だとばかり思っていたが、まさか魚類だとは。

「そ、妖精族の羽みたいな薄くて大きなヒレが特徴でね、水の中をまるで鳥みたい羽ばたいて泳ぐからっ、ていうのが名前の由来らしいね」
「……そのまんま、だな」

 安直というか、なんというか。
 ――まぁ、名前などというのはわりとそんなものかもしれないが。

 たとえ異世界だからといって、ネーミングが、特に奇抜というわけでもないようだ。

「それにしても、魚、か」

 キノコや山菜ほどではないが、それなりにリスクがある食材である。

「――さて、どうしたものか」

 海斗は腕を組み考え込んでしまう。

 無論、必要以上に警戒していたのでは、この先なにも食べることなどできない。それはわかってはいるのだが、どうしても踏ん切りがつかなかい。

「……ねぇ、カイト」

 ふと、イズナが思案顔になっていた海斗に向けて、笑顔を見せた。

「たぶん、カイトが思っているような心配はないし、食べても問題ないと思うわよ」

 まるで、海斗の心を覗き込んだかのように、彼の心中を察してくるイズナ。

「きっとおいしいと思うわよ? それに他の食材に料理だって、きっとカイトに気に入って貰えると思うの。それにカイトには、この世界の食べ物を、いっぱい好きになって欲しいって……あたしは、そう思うから、だから――」
「ああ、もういい」

 イズナがここまで言うのだ。海斗が渡界人である事実を知っている彼女の言葉なら、おそらく間違いはないはずだ。
 なら、もうこれ以上、変に警戒するのは時間の無駄だ。

 それにどの道、この異世界で飲み食いをしなければ、生きていくことなど出来ないのだ。

「店主、先ほど言っていた、魚の香草焼き、それを貰おう」
「? あいよ、しばらくそこの適当な席に座って待ってておくれ」

 イズナと海斗のやりとりを眺めながら、アルフは訝しげな表情を浮かべて、カウンターの奥に消えていった。

「……変に思われたかな、あたしたち」
「かもな」

 実際、今の二人を客観的に見れば、どことなく違和感を抱く者は少なくないだろう。

 いくら海斗が未開の田舎から出てきたといっても、
『この世界の食材』という言い回しは使わない。

 アルフが明確に、そのことに気づいたわけではないかもしれない。だが、それでもやはり今後は、もう少しイズナとの会話には気を遣うべきだろう。

 海斗たちは、アルフに言われとおり、ロビーのカウンター脇に並んだ座席のうち、窓に近い、四人掛けのテーブルに腰かけた。

 そうして、しばらくイズナとこれといって会話することもなく待っていると、

「お待たせ。はい、フェアリーバードの香草焼き、二人前ね」

 両手に大皿を抱えたアルフが、例の料理を運んできた。
 それは、鮮やかな桜色の切り身に、香草が散りばめられた、シンプルな料理だった。

「わぁ~、おいしそう! ねぇ、カイト、おいしそうよねっ?」
「ああ」

 正直以外だ。てっきり異世界なのだから、もっとこう、奇抜な料理が運ばれて来るものと思っていた。

 しかし、海斗のいた世界の料理とほとんど変わらない見た目だ。しいてあげるなら、切り身の色が、鮮やかなピンクであることくらいだろうか。

「それじゃ、いっただきま~す」

 そうしてイズナは、迷わず魚の切り身を口に運んだ。

「ああ、おいしい……」

 うっとりした表情で、もくもくと食べ進めていくイズナ。

「…………」

 食べ方も特別なところはなく、普通にナイフとフォークが用意されていて、それで一口サイズに切り分けて食べている。

 おそるおそる、海斗もイズナに倣い、ピンクのそれを、口に入れてみた。

「……うまい」

 これまた以外。普通にうまかった。変な生臭さとかもなく、香草の香りがよく素材になじんでいる。塩味が効いているという話であったが、別にそこまで塩辛くはない。さらには、ほんのりとした甘みも感じる。

 口に入れるまでは少々不安もあったが、これならば、問題なく食べられる。

「……ね、大丈夫だったでしょ?」
「うん?」
 
 食べることに夢中になっていた海斗は、イズナの言葉に咄嗟に反応できなかった。

 見れば、いつの間にか食事の手を止めていたイズナが、こちらに視線を向けている。

「これ、すっごくおいしいよね、カイト」
「……ああ、思ったより、悪くないな」

 それを最後に、お互い言葉を交すこともなく、海斗は、初めての異世界料理を堪能した。
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