上 下
21 / 53
♯2

宿の部屋

しおりを挟む
 アルフの背中を追って、廊下の奥に見える階段を上っていく。
 すると、上り切った先から廊下が左右に伸びていた。
 海斗たちに案内されたのは、そこから右奥に位置する部屋だった。

「――ここだよ」
 
 そう言ってアルフは、先ほどのカードを、扉の取手下の隙間に差し込んだ。 
 海斗の予想通り、これが部屋の鍵で間違いなかったようである。

 そうして通された部屋は、八畳ほどの広さにベッドが一つ。その向かいにソファとテーブルのセットが一組あるだけという、非常に簡素な内装だった。
  
 しかし、フローリングの床にはホコリ一つなく、きちんと手入れが行き届いているのがわかる。 
 このアルフという女性は、一見大らかに見えるその印象とは裏腹に、その辺はきちんとしているようだ。
  
 まぁ、宿を経営しておいて部屋が汚れていたら色々と問題だが。
 しかし、この部屋を見る限り、彼女がこの宿を随分と大切にしているのが伝わってくる。
 ロビーでアルフの発言に感じた懸念は、どうやら杞憂だったようだ。

 それを思うと、海斗は安堵のため息をついた。
 
 入り口から正面には大きな窓があり、先ほどまで海斗たちが歩いていた大通りが見下ろせる。
 そして、周囲の家屋の何倍もの高さを誇る外壁も、そこから望むことができた。

 それに視線を向けながら、海斗はイズナの言葉を思い出していた。
 クリーチャーから、自分たちの命を守るための重要な防壁であり、外界との境界線。

 海斗のいた世界でも、国境という境界は存在したが、ここまで明確なものはそこまで多くない。中国の万里の長城でさえ、長さはあってもあそこまで高くはないだろう。

 おそらくだが、軽く見積もっただけでも、数百メートルはある。
 そんなもので自衛しなければならいほどに、あのクリーチャーとかいう存在は脅威なのだ。

 海斗は、今更ながらに身体が震えるのを自覚した。

 よく、あの状況で助かったものである。
 一歩間違えば、二人とも助かってはいなかっただろう。
 そう考えれば、あの時重なった偶然は、奇跡と言っていいだろう。

「――それで、この宿の使い方なんだけどね」

 海斗がそんなことを考えていたときだ。後ろから、アルフが宿についての説明を始めていた。

「もしなにか入用のものがあったら、私は下のロビーにいるから、声をかけてくれれば用意するよ。ただし、一部は別料金をいただくけどね。
 ちなみに、風呂場は公共でもちろん“男女別”だよ。階段を下りて、さっきのロビーを左奥に進むと突き当りに暖簾のれんがかかってるからね。右が男湯で左が女湯だから、間違えないように。風呂の入浴時間は基本自由だから、好きに入っとくれ」

 風呂の説明をした際に、アルフは海斗へ向かって釘を刺すような視線を向けてきた。

『男女別』のところを、妙に強調したのは意図的だろう。

 入浴が男と女で別なのは当たり前だろうに……それとも、俺に覗きの趣味があるとでも思っているのだろうか? ――いや、実際思われているんだろうな。

 海斗は、はなはだ不愉快な気持ちにさせられる。

 だが、男性である海斗と女性のイズナが同じ屋根の下、もとい同室な件もある。
 海斗がなにか問題を起こすのではないかと危惧する感情も、まったく理解できないわけではない。

 そのため、少々理不尽だとも思いはしたが、この場で変に言い返すのは抑えることにした。

「くれぐれも、暖簾は間違えないように、わかったかい?」
「……わかった、気を付ける。それよりもこの宿、メシは出るのか?」

 アルフの念を押すような発言に、少しばかり苛立ちを覚えながら、海斗は話題を変えた。

「そっちは別料金だよ。なにか頼むならさっきのロビーが食事処も兼任してるから声をかけとくれ。注文はその場で受け付けるからね」

 なるほど、宿と飲食店を同時に経営しているのか。
 それで最初に、食事か宿泊なのかを聞いてきたわけだ。

「わかった。そのときはよろしく頼む」
「はいよ。それじゃ、私は下に戻るよ。ああ、でもその前に一ついいかい少年?」
「ん? なんだ?」
「いやね……その痛々しい足を、ちょいと私に見せてもらっても構わないかねぇ?」
「は?」

 アルフが口にした言葉の真意を理解できず、思わず訝しげな視線を向けてしまった。

「は? じゃなくて。足だよ、足! さっきからず~っと気になってたんだよ。一体どうしたんだい? 靴も履かないでそんな分厚い包帯巻いて……おまけに、床に赤い足跡まで付けてくれちゃってさぁ」

 そう口にしたアルフは、海斗の前で屈んだ。

 そうして改めて言われてしまうと、途端に足の裏の痛みを明確に意識してしまう。ズキズキと痺れるような感覚に併せて、異様な熱を持っているのを改めて自覚した。

「……ああ、こいつはまた酷いもんだねぇ。なんだい、裸足で野山にピクニックでも行ってきたのかい……?」

 血に濡れる包帯を見られながら、皮肉めいたことを言われた。
 だが、まさしくその通りである。ピクニックではないが。

 ……というか、あんな命懸けのピクニックなど二度とごめんだ。

「っ! カイトっ、やっぱり痛むの? ごめんねっ、あたし、全然気が回らなくて……」

 海斗の状態に気づけなかったことを悔やむように、顔を俯けるイズナ。それと一緒に、彼女の耳と尻尾もしゅんと垂れ下がった。

「別に、気にしなくていい。今から風呂で傷口を洗ってくる。そのあとで、新しい包帯をもらえれば、それで――」
「そういうわけにいくかい。こんなんで廊下を歩かれたら、他の客が仰天しちまうよ」

 海斗の言葉を遮り、口を挿むアルフ。
 いや、まぁ、言わんとしていることはわかるのだが、他に客などいるのだろうか。
 ロビーからここに案内されるまでに、海斗たち以外の客を一人も見かけなかったのだが。

「……あんた、なにか失礼なこと考えてるんじゃないだろうね?」

 ジト目でこちらを見上げてくるアルフ。なかなかに鋭い。

「気のせいだ」

 そんな彼女に、海斗はそ知らぬ顔で即答する。

 というか、自分で最初に部屋は有り余っている、とか抜かしていたくせに。

「まぁいいかい。あんた、ちょいとこっちにきな――」

 立ち上がったアルフに手を無理やり引かれ、ソファまで連れてこられる。

 すると彼女は、有無を言わさずに海斗をソファに座らせたのだ。

「おい、なんの真似だっ!」

「大の男がこれくらいのことで声を荒立てるんじゃないの」

 アルフは海斗の正面に膝立ちになると、足に巻かれた包帯を外していく。

「ああ……こいつはまた、ほんとに酷いことになっちまってるねぇ」
「っ~~!」

 思わず呻いてしまう海斗。
 
 外気に晒されたことで、足の痛みが更に強くなったのだ。
 海斗は自分の足を確認すると、アルフの言うとおり、本当に酷いことになっている。

 皮は盛大にめくれ、裂傷がいくつも走っている。所々に大小さまざまな豆ができており、一部は破裂して中の水が外に出てしまっていた。そして、外した包帯の内側は、見事に真っ赤に染まっている。おまけに膿が出てしまったのか、ところどころに黄色いシミまで見て取れた。

「カ、カイト……」

 アルフの後ろから、イズナが心配そうにこちらを見つめてきた。

「い――――っ~~」

 風呂で洗えば、などと口にしたが、触っただけで激痛に苛まれるのは必死である。お湯などかけた時点で、盛大に悶絶する羽目になるのは、火を見るよりもあきらかだ。

「ほんと……よくここまで我慢したもんだよ。でも、こりゃ化膿する一歩手前ってところだねぇ。これじゃ、明日になったら更にひっどいことになっちまうよ?」
「あっ! なら、あたし、傷薬持ってるから、それを使って――」

 イズナは、慌てた様子で腰に巻かれたポシェットをまさぐり始めた。
 だが、

「う~ん、まぁ、別にそれでもいいんだけど。……ここまでだと歩くのもしんどいんじゃないのかい? 冗談抜きに、今までよく歩けたもんだと感心するよ」

 感心する、と言っておきながら、アルフは呆れたようにため息をついた。

「……まぁ、仕方ない、今回はこっちもサービスしとくよ」

 そう口にしたアルフは、ポシェットをまさぐるイズナを止めた。
 そして、何を思ったのか、海斗の右足を左手で持ち上げたかと思うと、おもむろに右手を足裏にそっと当ててきたのだ。

 ――ズキン!
「いっ――――――――――!」

 瞬間、まるで無数の針に串刺しにされたかのような痛みが、足の裏から脳天まで直撃した。

「~~~~~っ、おい! いきなりなにをする!?」

 今までは包帯を分厚く巻いていたため、辛うじて堪えてきたが、直に触られてしまうとダメだった。

 ほんの一瞬呼吸が止まり、情けなくもうっすらと目尻に涙が滲んでしまった。

「……あ、あのアルフさんっ」

 その様子を後ろから見ていたイズナが、躊躇いがちに声をかけた。

「――ちょいと、静かにしててくれるかい? これ、結構集中力が要るんでね……」
「は、はい……」

 アルフに言われ、イズナは心配そうに海斗へ顔を向けるも、素直に彼女の言葉に従った。

「すぅぅぅぅぅぅぅ……」

 アルフは瞼を閉じると、深く息を吸い込む。
「なぁおい、一体なにをするつもりなんだっ?」

 狼狽しながら、ことの成り行きを見ているしかできない海斗。

 すると突然――

 アルフの身体が、青白く発光し始めたのだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

精霊のジレンマ

さんが
ファンタジー
普通の社会人だったはずだが、気が付けば異世界にいた。アシスという精霊と魔法が存在する世界。しかし異世界転移した、瞬間に消滅しそうになる。存在を否定されるかのように。 そこに精霊が自らを犠牲にして、主人公の命を助ける。居ても居なくても変わらない、誰も覚えてもいない存在。でも、何故か精霊達が助けてくれる。 自分の存在とは何なんだ? 主人公と精霊達や仲間達との旅で、この世界の隠された秘密が解き明かされていく。 小説家になろうでも投稿しています。また閑話も投稿していますので興味ある方は、そちらも宜しくお願いします。

インフィニティ•ゼノ•リバース

タカユキ
ファンタジー
女神様に異世界転移された俺とクラスメイトは、魔王討伐の使命を背負った。 しかし、それを素直に応じるクラスメイト達ではなかった。 それぞれ独自に日常謳歌したりしていた。 最初は真面目に修行していたが、敵の恐ろしい能力を知り、魔王討伐は保留にした。 そして日常を楽しんでいたが…魔族に襲われ、日常に変化が起きた。 そしてある日、2つの自分だけのオリジナルスキルがある事を知る。 その一つは無限の力、もう一つが人形を作り、それを魔族に変える力だった。

ペーパードライバーが車ごと異世界転移する話

ぐだな
ファンタジー
車を買ったその日に事故にあった島屋健斗(シマヤ)は、どういう訳か車ごと異世界へ転移してしまう。 異世界には剣と魔法があるけれど、信号機もガソリンも無い!危険な魔境のど真ん中に放り出された島屋は、とりあえずカーナビに頼るしかないのだった。 「目的地を設定しました。ルート案内に従って走行してください」 異世界仕様となった車(中古車)とペーパードライバーの運命はいかに…

最強魔王の学園無双 ~世界を平定したチート魔王は学園で無双し花嫁を探す。側近・貴族・勇者? まとめて余のハーレムに加えてやろう~

猪木洋平@【コミカライズ連載中】
ファンタジー
 主人公ディノス・レアルノートは魔王だ。  その絶大なる力で人族を撃破し、世界を平定した。  そして、1年後……。 「クハハ! 愚民どもは、幸せを満喫しているようだな。大変結構!」 「ディノス陛下。陛下も、そろそろ跡継ぎをつくられてはいかがでしょうか? 平和を勝ち取った今こそ、その好機かと愚行致しますが」 「クハハ! それも悪くはないな。しかし、余はそういうことに疎くてな……。強さに重きを置いていたせいだろうが……」 「ああ、確かに……。ディノス陛下は、そういう話が一切ありませんもんね。俗に言う、陰キャぼっちというやつでしょうか……」 「な、なにぃ!? 陰キャぼっちだと! 余は断じて陰キャぼっちなどではない! リア充だ!」  そんなこんなで、身分を隠して学園に通うことになった魔王様。  抜群の戦闘能力を持つ最強魔王様だが、年齢は16歳。  学園に通うことがおかしいというほどではない。  はたして、彼は真実の愛を見つけて花嫁を得ることができるのか?  無自覚セクハラ三昧が、今始まる!!!

土魔法で富国強兵?

克全
ファンタジー
題名を変えました。  トレッキングをしていた佐藤一朗は、哀しい鳴き声を聞いて藪の中に入っていったが、そこには大きな傷を負った母狐と、二匹の子狐が横たわっていた。 「すみません。この子達を助けて頂けませんか」 「ふっふぇ」  狐に話しかけられた一朗は、腰が抜けるほど驚いたが、死にかけている母親の願いを無碍に出来るほど薄情ではなかった。  子狐だけでなく、大怪我をした母狐も助けようとしたが、追っ手を撒く為に、母狐は怪我を押して囮になった。  預かった二匹の子狐は、土魔法が使えたので、地中から金銀はもちろん、巨大な宝石も創り出してくれた。  一朗はそれを使って、世の中の矛盾を解消していくのだった。  そして遂には、日本の国境問題さえ解決するのであった。

辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します

潮ノ海月@書籍発売中
ファンタジー
旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる! トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。 領主バルトハイドが戦争で死亡した事で、唯一の後継者であったアクスが跡目を継ぐことになってしまう。 アクスの前世は日本人であり、争いごとが極端に苦手であったが、領民を守るために立ち上がることを決意する。 だが、兵士の証言からしてラッセル砦を陥落させた帝国軍の数は10倍以上であることが明らかになってしまう 完全に手詰まりの中で、アクスは日本人として暮らしてきた知識を活用し、さらには領都から避難してきた獣人や亜人を仲間に引き入れ秘策を練る。 果たしてアクスは帝国軍に勝利できるのか!? これは転生貴族アクスが領地経営に奮闘し、大貴族へ成りあがる物語。

42歳メジャーリーガー、異世界に転生。チートは無いけど、魔法と元日本最高級の豪速球で無双したいと思います。

町島航太
ファンタジー
 かつて日本最強投手と持て囃され、MLBでも大活躍した佐久間隼人。  しかし、老化による衰えと3度の靭帯損傷により、引退を余儀なくされてしまう。  失意の中、歩いていると球団の熱狂的ファンからポストシーズンに行けなかった理由と決めつけられ、刺し殺されてしまう。  だが、目を再び開くと、魔法が存在する世界『異世界』に転生していた。

闇ガチャ、異世界を席巻する

白井木蓮
ファンタジー
異世界に転移してしまった……どうせなら今までとは違う人生を送ってみようと思う。 寿司が好きだから寿司職人にでもなってみようか。 いや、せっかく剣と魔法の世界に来たんだ。 リアルガチャ屋でもやってみるか。 ガチャの商品は武器、防具、そして…………。  ※小説家になろうでも投稿しております。

処理中です...