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♯1

未知の技術

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 右も左もわからず、イズナに示してもらった方角へと、ひたすら森の中を歩き続ける。
 海斗が背中に感じていたイズナの体温は次第に落ち着き、今ではほとんど平熱と変わらない程度に下がっていた。
 しばらくすると、背中から「むにゃ」とか間抜けな声が聴こえた。

「……起きたか?」
「……ん~、コーヒーは……嫌い……」

 まだ完全に意識が覚醒していなのか、意味のわからないことを口にしている。

 ちなみに、海斗はコーヒーが好きだ。
 とくにインスタントコーヒー。あの安っぽい香りと極端な苦味は結構気に入っている。

「早く起きろ。いい加減、疲れてきたぞ」
「……ごめん……あと五分」

 テンプレートなお約束で返してきたイズナに向かって、海斗は盛大なため息をついた。
 この森は気温や湿度が妙に高い。
 そのため、海斗の身体は全身が汗だく状態である。正直にいって疲労もピークに近かった。

 おまけに海斗の足元を見れば、ところどころ傷だらけで、血が滲んでいる。裸足の状態で、整備などされていない森の中を歩けば、こうなるのは必然だ。おまけに背の高い広葉樹が密接しているせいで、まともに空が見えないばかりか、日光すら届いてこない。
 そのため、足元があまり見えないのもよくなかった。
 さらに、水分補給もできない現状では著しく体力を消耗する。
 挙句、似たような景色が永遠と続くせいで、時折、方向を見失いそうになる。

「本当に……最悪な気分だ」

 思わず、愚痴をこぼしてしまう。
 
「……ごめんなさい」

 と、海斗の背中から申し訳なさそうな謝罪が耳に入ってきた。

「ようやくお目覚めか?」
「うん、ありがとう。それと、ごめんなさい」
「いちいち謝るな。ここまで運んだのは別に善意じゃない。貴様がいなければ、俺はこの先どこに行けばいいのか分からないから、こうして、仕方なく、連れてきた、だけだ」

 所々で区切りながら、言い訳じみた皮肉を海斗は口に出す。
 
「はは、素直じゃないのね。あなた」
「無駄口が叩けるくらいには回復したか? だったら、そろそろ自分の足で歩いてもらえるか?」
「うん……」
 
 イズナが了承したのを確認し、海斗は一度足を止めた。

「ふぅぅぅぅぅ――。ようやく身体が軽くなったな」

 背中から重みが消える。
 海斗は肺にたまった空気を搾り出すように吐き出しながら、グルグルと肩を回した。

「ホントに、ごめんなさい。まさか、いきなりあんなことになるとは思ってなったから、力の加減もできなくて……」
「……そうか」

 たしかにあの状況を打開するためには、力の出し惜しみなどしてはいられなかっただろう。

「あの、大丈夫?」
「大丈夫ではない。このクソ暑い中、ずっと貴様を背負ってきたんだぞ。のども渇くし、服は汗で張り付いて気持ち悪いしで……最悪だ」
「じゃあ、この辺で休憩しましょうか?」

 と、イズナが提案してきた。

「いや、それはいい……」

 しかし、首を横に振る海斗。

 たしかにイズナの提案はありがたい。

 だが、また先ほどのような化け物に遭遇するとも限らない。
 今は少しでも早く森を抜けたほうがいいと、海斗は判断した。
 
「俺のことなら気にしなくていいから、このまま進もう。とりあえずは、来た道の方角がこっちで正しいのかどうかということ。それから、俺たちの目的地についてだ。実際、どうなんだ?」
 「え?」

 海斗の言葉の意味が理解できなかったのか、イズナは小首をかしげて疑問符を浮かべている。
 だが、それも一瞬。

「あっ、ちょ、ちょっと待っててね……」

 すぐさま海斗の質問の意図を理解したイズナは、頭の中でこれからの予定を思案する。
 
「え~と、たぶん今いるのは若干、帝都よりだった気がするから――」

 そう口にしながら、イズナは腰にいくつか巻かれたポシェットのうちひとつに片手を突っ込み、中をまさぐる。

「よっ、と」

 ポシェットから出てきたイズナの手に握られていたのは、ハガキくらいのサイズに多少の厚みを持たせたような、黒い長方形の物体だった。

「? なんだ、それは?」
「まぁ、見てて」

 イズナはそれの端をつまみ、顔の前まで持ってくると――

「本機使用者ネーム……イズナ。音声認証開始。エリアナンバー七九四。現在地の座標を照合。半径十キロ圏内のマップを表示。現在地からの最短距離によるステーションまでのルート検索を実行……オープン!」

 一切のよどみなく、黒い物体に音声を認証させていく。
 すると、ちょうど物体の中心から四辺の真ん中に向かって亀裂が走り、ピシッ、と音を立てて空中に分裂したのだ。

「っ――!?」

 イズナが手に持っている以外の三つの断片が、それぞれ十五センチほど離れた位置で静止する。
 そして四つの欠片は、隣り合った、または上下の断片同士を、光のラインで互いを結び、一つの大きな正方形を形作る。
 それが、まるで空中に薄い膜が張られるように、ラインの枠内に映像が映し出される。それは、この周辺一帯の地形図のようだ。
 正方形の枠の右上に小さく、

『 map manager ver.1.0.1  type : out zone 』

 と記載されている。
 つまり、彼女が使っているこの道具は、ある特定の場所を限定的に表示することができる、いわゆるGPSのようなものか。
「マップマネージャー、タイプアウトゾーン? しかも、英語?」

 いきなり展開した地図に驚きはしたが、先ほどからずっと驚愕しっぱなしで、感覚が麻痺してきていた。
 すでに海斗は、そういう道具があるんだな、程度にしか思えなくなっていた。

 しかし、英語で表記されているシステム名称についてはいささか疑問を憶えた。
 先ほどの会話でイズナは、この国――といっていいのかはわからんが――の言語を「セレファイズ語」と言ったのだ。

「どういうことだ? この文体は間違いなく英語だが……」

 わからないことを一人で抱えていても仕方ない。

「おい、これが貴様の言う、『セレファイズ語』とやらなのか?」

「え? 違うわよ。これは異国の言語で、たしか、『いんぐりっしゅ』って言葉ね」

『English』

 間違いない。海斗のいた世界の言語である。
 ということは、やはりここは別に異界などではなく、どこか別の国という可能性が出てきた。

 だが、それにしたって腑に落ちない。
 海斗が寝ている間に、しかもこんな格好のまま、森で目覚めたことがまず説明できない。
 なにより、今も目の前にいるケモノ耳の少女や、先ほどのオオトカゲなど、海斗のいた世界では決して考えられない存在だ。

 どこぞの映画のジュラシックなテーマパークみたいな場所が実在するならまだしも、そんな遊興施設があるなど聞いたこともない。

 まぁ、人の命がリアルな危険に晒されるようなテーマパークなど、死んでも行きたくなどないが。

「…………」

 海斗は、依然として地図と睨めっこを続けるイズナを盗み見た。
 結局のところ、どれだけ思考を巡らせようが、海斗はこのよくわからない少女に付いて行くしかないのだ。
 であれば、もう考えるのはよそう。これ以上は、いたずらに頭が疲れるだけだ。

「……やっぱりここからじゃ、王都側に抜けるのは厳しそうね……」

 地図の中心からやや左下に、赤い光点が点滅している。これが図面上での自分たちの現在地なのだろう。
 光点の位置から察するに、森林エリアのちょうど南側である。
 そのまま南下すれば、帝都領内から、王都までの直通列車が通る小さな村の駅まで抜けることができる。
 イズナも、これを利用してここまで来たようだ。
 ルート検索でも、この駅までの道筋が青いラインでナビゲートされている。

 しかし、図面上ではこの森と村のある平原までの間に、深い亀裂が見て取れる。
 おそらく、深い渓谷かなにかがあるのだろう。

「となると、やっぱりちょっと遠いけど、このノルンって町に行ったほうが早いかな」

 図面の左上。方角からすると北西に一つの名前が載っている。それがノルンだろう。
 このマップの機能では、町の詳細な情報まで閲覧することはできないようだ。
 南下した最寄り駅からはほぼ反対側、しかも距離が二倍近く離れている。
 しかしこの際、仕方がないと諦めるほかにない。まともな装備をなに一つ持っていない海斗が、この渓谷を超えるのはまず不可能だ。

 結論として、『安全第一がなにより』と二人は納得し、進路を『ノルン』に決定した。

「そうと決まれば、ちゃっちゃと行きましょう。日が暮れちゃったらそれこそ大変なことになるしね……」
「そうなのか?」
「ええ、夜になると危険区域内のクリーチャーが一斉に活動を始めちゃうの。そうなると、さっきのトカゲの比じゃないわ。まず間違いなく、命はないと思わなくちゃね」
「なら急ごう。悠長に構えていては本当に日が暮れる」
「そうね――マップマネージャー、タスク終了。クローズ」
 そう唱えると、正方形のマップが画面から消え、四つの断片が元の形に繋ぎ合わさる。
「――でも、やっぱりあなたの様子を見ると、少しは休憩したほうがよさそうね。途中で倒れられると、それこそ時間のロスだし」
「……しかたないな。だが十分だけだ。それ以上は必要ない」
「ふふっ、意地っ張り」
「ふん、なんとでも言え」

 多少の強がりではあったが、ここに長居するよりも一秒でも早く森を抜けたかった。
 色々と考えたいこともあったが、この場所ではそれも難しい。
 海斗の今後に、イズナが口にしていたスキルやら魔術やらといった異能の数々。
 疑問は尽きることなく湧いてくるが、思考を巡らせるには、どうしても落ち着いた場所が必要だった。
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