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第2話 「月が綺麗だね」と彼に言ってみた

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「遅れてごめん、ゆーちゃん!」

 あえて、彼が気づくように、大きな声で言ってみた。

 無理を言って早めに仕事を抜けて来たけど、既に彼はそこに居た。
 空を見上げて、何かを考える仕草をしながら。

 彼が考え事をする時は、いつもこうだった。
 この世でない何かを見ているような、そんな目。
 そして、こうなっちゃうと、耳に何も入らないらしい。
 目も見えているけど、「情報がすり抜ける」とか。
 
 ゆーちゃんが常人離れしているのは、そういうところだ。
 でも、私も大好きな小説を書いているときは、そうなっちゃう。
 だから、全然人のことを言えないのだけど。

「あ、ごめん。ひょっとして、さっきから居た?」

 ゆっくり横を見たゆーちゃんはいつもの通りのぼーっとした顔。
 私もゆーちゃんも、もう二十三歳になる。
 なのに、彼の顔はやけに幼く見えることが多い。

「居たよ。ちょっと、眺めてた」
「ごめんごめん。さっさと言ってくれればいいのに」

 そんな不満げな表情もいつものこと。

「考え事の邪魔するのも悪いかなって、そう思ったから」

 半分くらいは、ただ、眺めていたかった。ただ、それだけ。

「考え事といっても、くーちゃんとの事考えてただけだよ」
「詳しく」
「いや、出会った頃のこととか、お母さんが病気になってからのこととか」
「そっか。もうちょっと、別のこと考えていて欲しかったのに」

 ただ、私がそれを言う資格はないか。
 だって、「一生の親友でいて」とお願いしたのは、他ならぬ私。
 ゆーちゃんは自分からそのラインを超えてくることはきっとないだろう。

「ああ、でも。今、やっぱり、くーちゃんは可愛いなって思ったよ」
「あ、うん。ありがとう」

 昔から、ゆーちゃんは褒め言葉をためらわないところがあった。
 くーちゃんは私のことを天然とかよく言ってたけど、人のことは言えないよ。
 だって、私はそんな言葉を送られて、嬉しくて、ドキドキしている。

(私も、普通に恋愛経験値積んでたら、違ったのかな)

 みっちゃん……お母さんを看病する日々は、大変だった。
 もちろん、自分で決めて、周囲の反対を押し切って、決めた道だ。
 今でも後悔はしていないけど、容態が悪くなってからは、ロクに寝られなかった。
 だって、家での看病で、お父さんは仕事で遅い。
 もし、私がうたた寝してる間に容態が悪化したらと思うと、気になってしまう。

 でも、看病の日々をこうして、振り返ることが出来ているのも、彼のおかげ。
 看病中だって、いつも話を黙って聞いてくれた。
 みっちゃんが亡くなってからは、遠くから戻ってきて、よく遊びに誘ってくれた。
 そんな彼やお父さんたちのおかげもあって、今は、ようやく普通の状態だ。

「そういえば、そろそろかな」

 ゆーちゃんにつられて、空を見上げると、確かに、少し月が欠けている。

皆既月食かいきげっしょくって、見るの初めて」
「僕は以前に見たことあるけど。国内でも見えるし」
「私は全然気にしてなかった」

 一体、いつの頃だろう。
 ベランダから、月をじっと見上げていたんだろうか。
 そんな情景は、ぼーっとした彼にお似合いな気がした。

「なんだか、月がなにかに食べられているみたい」

 不思議な光景だった。
 真ん丸な月が、どんどん何かに食べられたようになっていく。

「まあ、月食っていうくらいだしね」
「もう。ゆーちゃん、そんなロマンがないこと言わない!」

 ちょっと怒ったような声で言ってみる。
 でも、全然怒っていなくて、こんな光景を一緒に過ごせるのが嬉しい。

「……ゆーちゃん、本当に、ありがとう」

 この機会だし、今まで言えなかった言葉を届けたかった。

「うん?どうしたの?急に」

 相変わらずぼーっとした声が返ってくる。

「色々。お母さんの事もだし、それまでの事も。一緒にいてくれて」

 これは、親友としての感謝の言葉。
 人にはあまり言ったことがないけど、私は寂しがり屋だった。
 だから、彼と一緒に居た日々はいつも楽しかった。
 そして、看病の日々だって、どれだけ苦しさが和らいだことか。

「それくらい当然だよ。一生の親友だからね」

 その言葉に、少し胸が痛くなる。
 わかっていた。彼は本気で約束を守ってくれているのだと。
 でも、今は、嬉しくて、少し悲しい。
 横顔を見ると、恐ろしく真剣な顔で、彼の本気がよくわかる。

「ううん。全然、当然なんかじゃない。他の誰でも無理だったよ」
「そうか。くーちゃんにそう思われてたのなら良かったかな」

 良かった。それはどういう意味なんだろう。

「そういえば、最初に幼稚園で、私に声をかけてくれたのも、ゆーちゃんだった」

 ふと、思い出した光景。

「そんなことあったかな?あの頃の記憶とか色々おぼろげだし」
「それは無理もないよ」

 私が特別嬉しかったから、覚えてるだけ。
 それから、私達は一時間以上も、とりとめもなくしゃべった。
 中学や高校の頃のこと。看病の日々。
 気がついたら、空が真っ暗になっていた。

「これが、皆既月食……」

 月が完全に覆い隠されて、暗闇になる。
 都会の光が邪魔に思えてくるくらい。

「懐かしいな。かなり久しぶりだ」

 そうぼんやり言う彼を見ていて、ちょっとしたユーモアを思いついた。

「月が綺麗だね」

 かつて、明治の文豪、夏目漱石が、I love youの和訳として
 提案したとかしてないとか。
 月が見えない皆既月食に、あえてそう言ってみる。

 もし、この言葉の意図に気づいてくれたら……。
 そして、私は彼が気づくことをどこか確信していた。
 昔から一緒だったから、なんとなく、としか言えない。

「うん。月が綺麗だ。ほんとに」

 やっぱり、伝わっていた。
 こんな言い方を考えた明治の文豪は凄い。
 
「私、ずっとお母さんが亡くなってから、ずっと迷ってたの」

 懺悔をするように私は告げる。

「迷って?ひょっとして、「一生の親友」、のこと?」

 すぐさま、ゆーちゃんには意図を汲まれてしまった。
 こんな風に、すぐに通じてしまうのは昔からだった。

「うん。私からお願いしておいて、今更、自分勝手なんじゃないかって」

 さっきの言葉だって、彼がずっと想ってくれた証拠。
 そこまで想ってくれる相手に、親友で居て欲しいなんて言ってしまった。
 そして、お母さんが亡くなったのだから、もういいだろうなんて思ってしまう。
 本当に自己嫌悪だ。

「でも、僕も同じだよ。本当は、くーちゃんと同じことを言うつもりだった」
「ええ?」
「だって。今は断る理由はないでしょ?僕だって男だから期待するよ」

 ええ?それは予想外過ぎた。
 嬉しいけど、凄く恥ずかしくて。顔が熱い。
 つまり、お母さんが亡くなった後のあれこれは。
 彼にしてみればデートだったわけで。

「なら、良かったかも。私も、結構期待してたから」

 本当に、恋愛経験値の無さが恨めしい。
 正面から告白の言葉が出てこないなんて。
 それ以前に恥ずかしすぎて、頭がまともに働かない。

「じゃあ、改めて、正式に告白させてもらうよ」

 こちらに向き直って、まっすぐ見据えられる。
 うう。そう見つめられると照れるんだけど。

「ずっと、ずっと、ずっと好きだった。でも、一生の親友ってお願いされたから」

 だから、あのあとは決して言えなかった、と告白。

「今、すっごく嬉しくて、心臓が、その、ドキドキしてるんだけど」
「ゆっくり言って?待つから」

 そう穏やかな表情で言うなんてずるいよ。
 でも、穏やかに、私を受け止めてくれる所も好きなところだ。

「私も、私も。ゆーちゃんの事、ずっと好きだった。一生の親友なんて言っちゃったけど、本当は、それよりももっと大きくて、親友なんて言葉じゃ括れないくらい」

 恥ずかしくてたまらないけど、私自身がきちんと言いたかった。
 何より、ずっと向き合ってくれた彼への本気を示したかったから。

「うん。僕も、そんな言葉だと括りたくない。一生、側に居たい」

 ゆーちゃんが発した言葉は衝撃的だった。

「え、ええ?そ、それって、プロポーズ?」

 驚きと羞恥で、頭がクラクラしてくる。
 今が屋上じゃなかったら、倒れてしまいそう。

「だって、もう告白は前にしちゃったし。今言うのは、そっちかなって」
「……」

 いきなり、とんでもないプロポーズだよ。
 でも、あれからの私達は、一生の親友で、普通の恋人以上だった。
 それなら……。

「わかりました。私を、ゆーちゃんのお嫁さんにしてください!」

 いつか、お話で読んだような、恥ずかしい台詞。
 こんな事恥ずかしくて言えるわけがない、なんて昔は思っていた。

「いいの?ほんとに?」

 そっちから言ってきた癖に。

「だって、本気、なんでしょ?」

 でも、そんな言葉の意図もわかっちゃうから嬉しい。

「それは本気だけど……」

 ゆーちゃんが、珍しく狼狽している。
 なんだか、少し勝った気がしていた。

「じゃあ、決まり!私達はこれから、一生の夫婦!」

 私は一体、何を言っているのかな。
 夫婦とは元々、一生一緒にいるものでしょ、と冷静な私が告げる。
 でも、彼に応える言葉はお嫁さん、だけだと十分じゃない。
 そう感じてしまった。

「一生の夫婦って。さすがに日本語おかしいよ」

 ゲラゲラと笑われてしまった。
 恥ずかしいの我慢してるのに、もう。

「私なりに想いを精いっぱい表現したのに」

 嬉しくて、恥ずかしくて、とても幸せな気持ち。

「ごめんごめん。でも、可愛かった」
「だから。もう、ぽんぽん褒め言葉言わないで!」

 ああ、私の頭の中がピンク色だ。

「で、プロポーズに成功したら、やってみたいことあったんだけど」

 気まずそうに切り出した言葉から予想されるのは。

「キスだよね。誓いの」
「駄目かな?」
「ううん。駄目じゃない。でも、ちょっと、深呼吸させて」

 すー、はー。すー、はー。
 緊張し過ぎたのをなんとかするために深呼吸を繰り返す。
 少しだけ緊張がほぐれた。たぶん。

「それじゃ……」

 ゆーちゃんの顔を両手で挟んで、ゆっくりと口づけをしたのだった。
 本当に、いっぱいいっぱいもいいところ。

「キスって、こんなに照れるんだね。初めて知った」
「うん。僕も……」

 お互いに、凄くぎこちない。
 
「そういえば、実は君のお母さんから、遺言があるんだ」
「遺言?それは聞いてるけど」

 自分が死んだら散骨して欲しいという旨。
 私に対して、元気に育ってくれてありがとうの言葉。
 お父さんには、仕事で手一杯なのを罪悪感持ってそうだけど、
 そう思わなくていいと。
 あとは、もうちょっと生きたかったけど、それなりに満足した、と。

「実は僕だけに、特別にメールで送られて来てたんだ」
「ゆーちゃん、だけ?」

 それは、言われてみれば納得だった。
 みっちゃんは、私がゆーちゃんと付き合わなかった事を気にしてたし。

「うん。僕としてはちょっと恥ずかしいんだけど」
「詳しく」

 一体、みっちゃんは、どんな遺言を残したんだろう。

「「私が死んだら、君をもらってあげてほしい」って」
「みっちゃん……なんてことを」

 よりによって、なんて遺言を残してくれたのか。

「まあその。僕も未練があったし。まあ、そういうこと」
「そっか。みっちゃん、最期まで、そんな事気にしてたんだ」

 気がついたら、涙がぽろぽろと溢れていた。
 悲しいのとは少し違う、でも、嬉しいだけとも違う、そんな涙。

「それと。もう一つ言いたいことがあったんだ」
「うん。聞くよ」
「たぶん、くーちゃんは、一生の親友ってことをずっと気にしてたと思う」
「それは気にするよ。だって、ゆーちゃんをずっと縛っちゃったから」
「でも、僕は、少し苦しかったけど。嬉しかったんだ」
「どうして?ずっと、恋人になれないのに」
「だって、自分だけが、くーちゃんの事、独占出来た気がしたから」

 ああ、そうか。言い方を変えるとそうなのかもしれない。

 あれは私達を縛る約束だった。
 でも、そうまでして、繋ぎ止めておきたいとも思っていたからの約束。
 普通の親友ではありえない約束。

「あ、もう月が出てきてるね」

 言いながら、空を見上げたゆーちゃん。

「そういえば。皆既月食って短いんだね」

 同じく空を見上げる。
 確かに、夜空にまんまるお月様が出ていた。

 あ、そうだ。今度こそ月が出ているんだから。

「月が綺麗だね」

 改めての告白。私は何をやってるんだろう。

「うん。月が綺麗。すっごく」

 でも、ゆーちゃんも、嬉しそうにそう返してくれた。

(お母さん。今まで、ずっと、ありがとう。最期まで心配かけちゃった)
(でも、お母さんのお願い通り、ゆーちゃんにもらわれることにしたよ)
(だから、安心して見守っていてね)

 今は亡き母に、心の中で祈った私だった。 
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