薬師の俺は、呪われた弟子の執着愛を今日もやり過ごす

ひなた

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学院編

第十九話 師匠失格

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 講師として勤めて半年、前期の講義が終了し、試験の採点も終わった。あとは成績をつけるだけだが、これがけっこう難しい。真面目に取り組んでいる学生の加点要素を探すのに時間がかかっている。
 さらに一ヶ月後の遠征実習に向け、特級魔力回復薬を改良しなければならない。昼は講師、夜は薬師という二重生活がしばらく続きそうだ。

 現在、俺はスヴェインに呼び出され、研究室棟に向かっている。
 研究室棟は校舎の隣にある建物で、学生も教師を訪ねるため行き来している。やっぱり個室はいいな。そろそろ講師の契約が終わるから今さら必要ないけど。

 スヴェインの研究室は階段のすぐそばにあった。奥の方じゃなくてよかった。同じような部屋が並んでいるから、迷っていたかもしれない。
 扉を叩くと、すぐに開いた。魔法を使って開けたようで、部屋の主は悠々と紅茶を淹れていた。

「そこ座って。ミルクはいる?」
「いらない。わざわざすまないな」
 スヴェインは慣れた手つきでカップに紅茶を注いだ。
「前期もあっというまに終わったね。まさかクラウスが講師になるなんて思わなかったよ」
「勢いで引き受けたけど、なんとかなってよかった」

 紅茶を口に含むと、花の蜜のような芳香とかすかな燻製の香りがした。いつも俺が飲んでいる安物の茶葉と違い、甘みと深いコクを感じる。
「美味い」
「気に入ってもらえてよかった。故郷の茶葉なんだ。少し分けようか?」
「気持ちだけ受け取っておく。俺の腕だと台無しになりそうだ」
「クラウスこういうの雑だもんね」
 スヴェインが可笑しそうに笑う。否定できないのが悔しい。

「テオドールくんに任せたらいいのに」
「あいつは休暇中、学院の寮で勉強すると言ってた」
「クラウスはどうするの?」
「俺は特に変わらないかな」
「遠征実習まで学院に通うから?」

 険しい顔をしたスヴェインが俺を見据える。どこから話が漏れたかわからないが、謝るしかなさそうだ。
「黙っていたことは謝る。悪かった」
「今からでも遅くない。遠征実習を辞退しろ」
 スヴェインはいつもの穏やかな話し方を忘れ、厳しい声で言い放った。

「引率の枠を空けるわけにはいかない」
「命がかかっているのに?」
「そんな大げさな。魔力回復薬だって用意するし、そこまで危険な状況になることはないはずだ」
「遠征実習は何が起きても不思議じゃない。事情を話して辞退したほうがいい」
「だめだ。もし事情を話して、テオドールに話が漏れたら……あいつにだけは絶対に知られたくない」

 乾いた口を湿らせるため、紅茶を一気に飲み干す。美味しい紅茶なのにもったいないことをした。
「魔力枯渇症を甘く見過ぎだ! 魔力切れになったら十分足らずで死に至るのに、辞退しないってありえないだろう!」
 スヴェインがいつになく大声で責め立てた。非難するような視線が俺を貫く。
「何が起きるかわからないなら、なおさら引けない」

 スヴェインを説得するため、必死で言葉を探す。俺を思って真摯に向き合ってくれているのが伝わるから、半端な返答では納得しないだろう。
 どうしたものかと悩んでいると、研究室の扉を叩く音が聞こえた。
 あの気配はテオドールだ。話に夢中で気づかなかった。鍵をかけ忘れたせいで、窓から逃げる隙もなかった。

 勢いよく入室したテオドールが、一直線に駆け寄ってくる。
「魔力枯渇症って、どういうことですか」
 ものすごい力で肩を掴まれた。身を捩ることもできない。テオドールの表情からは、怒気と焦りが滲み出ていた。
「手を離せ。どうしてお前がここにいるんだ」
「階段を上っていたら、偶然師匠の声が聞こえて。そんなことより、魔力枯渇症だというのは本当ですか?」
 スヴェインが防音の魔法をかけていたから油断していた。まさかテオドールが通りかかるなんて、間が悪いにもほどがある。

 テオドールの鋭い視線に思わず目を逸らす。再び目を合わせる勇気が湧かず、そのまま口を開いた。
「本当だ」
「いつからですか? 俺と出会う前ですか? それとも、出会った時ですか?」
 その聞き方でわかってしまった。テオドールは、俺が魔力枯渇症になった原因に気づいている。気づいた上で、一縷の望みをかけて、俺に問いかけている。

「禁術を使って、お前の呪いを解いた。完全には解けなかったが」
「なんで言ってくれなかったんですか!」
 肩を掴んでいた手が離れた。テオドールは俯いたまま、身体を震わせていた。
「すまない」
「師匠にとって、俺は重荷ですか?」
「違う。俺は、ただ」
「すみません。頭冷やしてきます」
 テオドールが俺に背を向け、部屋から飛び出した。呼び止めても振り返ることはなく、伸ばした手が空を切った。

「クラウス、ごめん。オレのせいで」
「お前のせいじゃない。いずれこうなっていた」
 落ち込んでいる様子のスヴェインに声をかける。とにかく今はテオドールを追いかけなければならない。
「テオドールくんの居場所はわかる?」
「ああ。続きはまた今度話そう」
 俺の意思は変わらないけど、次は冷静に話せるはずだ。スヴェインが心配そうに眉尻を下げている。「気にするな」と笑いながらスヴェインに告げ、研究室を出た。

 厳しい寒さがじわじわと体温を奪っていく。いつもより手先が冷たく感じられて、手を握りしめる。気休めにしかならず、諦めて外気に手先を晒した。
 テオドールは校舎裏のベンチに座っていた。そこは遮るものがないため容赦なく風が吹きつけていて、周囲に人の気配はなかった。

「テオドール」
 ベンチに腰掛け、テオドールの横顔を見つめる。テオドールは前を向いたまま話し始めた。
「俺、馬鹿みたいじゃないですか」
「どういう意味だ」
「この魔力鞄も、師匠が定期的に渡してくれる魔石も、何も考えずに受け取っていました。師匠の犠牲を知らずに、はしゃいで」
「犠牲なんて大げさな。俺のできる範囲でやっているだけだ」
「それ、本気で言ってます?」
 テオドールがこちらに顔を向けた。無表情ながら怒りに似た気迫を感じて、身体が硬直した。

「ずっと不思議に思っていたんです。強力な呪いにかかっていたはずなのに、なぜ俺は助かったのか。禁術について調べた時、いやな予感がしたけど、怖くて師匠に聞けないままでした」
 何か言わないといけないのに、声が出なかった。テオドールはそれを察したのか話を続ける。
「真実を知った今も、俺の気持ちは変わりません。師匠は誰よりも大切な人です。でも、同時に怒りが込み上げてきて」
 テオドールが立ち上がって、俺の目の前に立った。表情から怒りが伝わるのに、悲しげな目が印象的だった。

「俺のために遠征実習を辞退しないと言われても迷惑です。即刻、講師を辞めてください」
「これは俺が引き受けた仕事だ。私情だけで辞退しないと言っているわけではない」
「そうですか。師匠の気持ちはわかりました。これ以上話していると、ひどいことを言ってしまいそうなので、これで終わらせます」
 テオドールの声は震えていた。気持ちを落ち着かせるためなのか、テオドールが息を深く吸い込んで吐いた。

「どうして、何も言ってくれなかったんですか? 俺はそこまで頼りないですか? 師匠の中で、俺はずっと子どものままですか?」
「違う。テオドール、俺は」
「俺は?」
「俺は……」
「失礼します。また落ち着いてから話し合いましょう」
 テオドールが俺に背を向けて歩き出す。呼び止めようとしても、肺の中の空気が口から出ていくだけだった。

 呆然とテオドールの背中を見送る。テオドールが校舎に入るのを確認して息をついた。冷たい空気を吸いすぎて、思いっきり咳き込む。同時に涙も流れ出たが、ちょうどよかった。
 あんなに正面から問いかけてくれたのに、何も答えられなかった。弟子に失望されたかもしれない。

 魔力枯渇症のことを話せなかったのは、怖かったからだ。
 過去の出来事が濁流のように心の中を駆け巡る。止まらない震えを抑えるため、ベンチに背を預けた。体温よりも背もたれの方が温かい気がして、乾いた笑いが出た。
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