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最終章トリフェの街編

最終話 逃避行

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「ふたりとも、もっと詰めてほしいっす」
「さすがにこれ以上詰めたら、ちょっと……」
「まあまあ、とりあえずお願いするっす」
 僕と兄さんはぎこちない笑みを浮かべながら距離を詰める。
 ミゲルに「予知が強化されたから確認してほしい」と言われ、借家に招いたらなぜかこうなった。現在、ミゲルが楽しそうに魔紙写真の撮影を続けている。

 ミゲルの指示で僕と兄さんは立ったまま横に並んで密着している。さすがに恥ずかしくて兄さんの顔を見る。すると兄さんは恥ずかしそうに笑っていた。思わず僕も笑い返す。

「本当、幸せそうっすね」
 ミゲルが見せてくれた写真は、お互いの好意が隠せていないような甘い表情をした僕達が写っていた。
 今いる場所が自分達の家だからって気を抜きすぎた。言い訳をしようと口を開きかけたら、ミゲルが声を上げた。

「ずっと前から知ってたっす。おふたりの関係」
「え?」
「ずっと謝らないと、と思ってて……俺、ルカとアイザックさんが五年前にこの街を去った時、心配になって予知を使ったっす」
 俯いているせいでミゲルの表情はわからない。だけどミゲルの拳は震えていて、彼の葛藤が見て取れた。

「そしたら、どこからどう見ても恋人同士のふたりが頭に浮かんで……この五年間時折思い出しては、再会した時どんな顔をしたらいいのかって悩んだりしてたっす。特にルカが心配で……」
「ミゲル……」
「でも再会したらアイザックさんは以前にも増してルカを溺愛してるし、ルカもアイザックさんを慕っていることがわかって。だから、その」
 ミゲルは頭を勢いよく下げて声を張り上げた。

「勝手におふたりの未来を覗き見てごめんなさい!それにアイザックさんがルカをちゃんと大事に思っているか、密かに観察してたっす。すみませんでした!」
 その言葉でミゲルの過去の行動が腑に落ちた。僕が兄さんのことをペラペラ語っていた時の生温かい眼差しとか、兄さんが描いた僕の絵を見て自分の顔も描かせたこととか、お茶会の時の発言とか。そういうことだったのかと納得した。

「別に、言いふらしたりしないなら気にしない。お前なりにルカを心配しての行動だったんだろう?ならいい」
「アイザックさん……ありがとうございます」
「僕も気にしてないよ。話してくれてありがとう」
「俺のほうこそ、ありがとうっす」

 やっといつものミゲルになった。今日はずっと様子がおかしかったから、これで元通りだ。
 ミゲルが予知で僕達の関係を知ってしまったことは本当に気にしてない。気にしてないが、ミゲルが何を見たのかは非常に気になる。でも聞いたらお互い気まずい思いをするのは目に見えているから、触れないほうがいいだろう。
 それとは別に気になることがあったのでミゲルに聞いてみることにした。

「どうして今言う気になったの?」
「実は——」
 ミゲルは強化された予知でトリフェ支部の未来を視たらしい。すると、今からそう遠くない日に獅子の獣人が大勢の獣人族を率いてトリフェ支部を訪ねて来ることがわかった。そして、それを目撃した僕達が走って逃げるところまで視えたみたいだ。

「これが予知で視たものっす」
 ミゲルは予知の内容を魔紙に転写していて、それを見せてくれた。
 兄さんと顔を合わせて頷きあう。これは、ほぼ確実にライオネルくんだろう。なぜトリフェ支部にいるのか、なぜ四十人近い獣人を率いているのか全くわからない。
 でも壁に貼られている依頼書の日付から考えても、もうすぐここにライオネルくんがやって来ることは間違いなさそうだ。

「ルカ達がこの街から去るかもしれないから、その前にどうしても伝えておきたくて。俺、おふたりのこと応援してるっす」
「ミゲル……ありがとう」
 ミゲルと笑い合って握手を交わす。ミゲルの手は初めて会った時と変わらず、皮が硬くがっしりとしていて温かかった。
「おい、握手が長い。早く手を離せ」
「アイザックさん、さすがっすね」
 ミゲルが声を上げて笑った。僕達は別れが近いかもしれないことを忘れたかのように、いろんな話題で話に花を咲かせた。


 ミゲルの予知を聞いた数日後、僕達は昔お花見をした花畑にやって来た。
「五年前より花が少ないね。もう夏が近いからかな?」
「そうだな」
 五年前に見た色とりどりの花が咲き乱れる絶景とは違ったけど、あの日と同じように綺麗だった。
「カツサンドも作ったよ」
「そうだった。懐かしいな」
 僕の料理の腕はあの頃よりも上がったのだろうか。兄さんの食べっぷりが全く変わらないからよくわからない。

「昔この風景を見て少しだけ前世を思い出したな。ここの花は桜と違って色鮮やかだから違和感があって」
「桜ってミヅホで見たやつか?」
「そうそう。前世では春の花といえば桜だったから、淡い色の花弁が舞う映像が頭に浮かんだ」
「ルカは鮮やかな色も淡い色も似合うからな。甲乙付けがたい」
「兄さんって本当に花に興味がないんだね」
 僕が大声で笑うと、兄さんは照れくさそうにそっぽを向いた。

「ほら、近くで見ようよ!綺麗だよ」
 兄さんの手を引いて花畑に近づく。残念ながら緑色はなかったけど、原色やオレンジ、紫の花が目を楽しませてくれる。
「花だけ見てもよくわからん」
 兄さんはブレないなぁ。そう思っていると突然強い風が吹いた。多彩な花びらが舞い上がり僕の視界を塞ぐ。
 風が止むと兄さんが優しく僕の頭に触れた。
「ああ、確かに綺麗だ」
 兄さんの手には花びらがあった。その柔らかく温かい眼差しに目を奪われて、一瞬息をするのも忘れた。

 花びらが見たくなって、兄さんの手を掴み引き寄せる。兄さんの手が先ほどの眼差しを思い起こさせるくらい温かかったから、思わず手首の内側に唇を落とした。
「ルカ」
 兄さんが空いている方の手で僕の耳をなぞる。顔を上げて目を閉じると兄さんに唇を奪われた。軽く触れ合うだけの口付けが何度か繰り返される。
 兄さんが持っている花びらが何色なのか気になって口を離すと、もう花びらはどこにもなかった。
 残念な気持ちを埋め合わせるように、僕は兄さんとのキスに夢中になった。

「少し早いけど受け取ってくれないか。誕生日の贈り物だ」
 兄さんが小さな箱を取り出して中身を見せる。そこに入っていたのは白銀に輝く指輪だった。
「嬉しい!ありがとう。でもどうして指輪?」
「ルカに似合うと思って、一目見て気に入ってな」
 びっくりした。そういえばこの世界は指輪に深い意味はないんだよな。兄さんも純粋に誕生日プレゼントとして買ってくれただけだから、意識しすぎるのはよくないな。
 それでも、ちょっとだけはしゃぐのは許されるはずだ。

「兄さんがはめてよ。ここがいいな」
「わかった」
 兄さんが僕の左手を取って薬指に指輪をはめてくれた。日にかざした指輪をうっとりと眺める。少し緩いから、兄さんは中指につける想定だったのかもしれない。サイズのことは後で考えよう。

 さて、これのネタばらしはいつしようかとほくそ笑んでいると、兄さんがムッとした顔でこちらを見ていた。
「この位置に指輪をつけるのは何か意味があるんだな?」
「なんでわかったの?」
「かんざしの時と同じ顔をしてた」
 兄さんは本当に鋭いな。意地を張って隠すことでもないので、僕は思ったよりも早くなったネタばらしをした。

「前世ではね、永遠の愛の象徴なんだ。婚約や結婚をしたふたりがそこに指輪をつけるんだよ」
 言ってて恥ずかしくなってきた。綺麗な花畑で指輪をプレゼントされるという状況に、自分でも信じられないくらい浮かれていたようだ。兄さんの反応が怖くて目を合わせられない。

「いいな!それ!」
 大声に驚いて兄さんの顔を見ると、その表情は明るく輝いていた。
「ルカの前世は宝飾品に意味を込めるのが面白いな。今度詳しく話を聞かせてくれ。永遠の愛か……すごい発想だ」
「別に、いいけど」
「今から俺の指輪を買いに行くぞ」

 兄さんは僕の手を引いて走り出そうとしたが、それをやめて僕をお姫様抱っこした。抵抗する間もなかった。それからまた走り出そうと兄さんが動いた瞬間、一陣の風が吹いた。
 色とりどりの花びらが舞う幻想的な光景に目を奪われる。それがまるで僕達を祝福しているかのようで……。
 そんな気持ちにひたる暇もなく、兄さんが猛スピードで丘を駆け下りた。
「こわっ!おろして!!」
「舌を噛むぞ。大丈夫だから俺につかまっていろ」
 それでも怖いものは怖くて思わず兄さんの顔を見ると、蕩けた表情ですごく幸せそうに笑っていた。恐怖心なんてどこかにいって、兄さんと同じように幸せにひたることにした。


 本格的に夏の気配を感じるようになった春の日、僕達はいつも通り冒険者ギルドに向かっていた。

「だから!ここにアランがいるんだって!シアンがウォーロックから聞いたって言ってたから!」
「いやー、ちょっとわからないな。アランってやつはいるけど、お前が話す特徴と違うし」
「あっ!アランじゃなかった!何だったかなー。シアンなら覚えてるはずなのに……あいつギリギリまで魔法の鍛練するために遅れて来るとか何考えてるんだ」
「名前も知らないやつ探してるの?こわっ……お前は冒険者じゃないのか?」
「おう!シュッツァリア国立学院から交換留学でここに来た!」
「あー、近くに学院があったな。しかし学生さんか。獣人族は見た目じゃ歳がわからんな」
「オレも人族の顔がわからないから、説明が難しくてよー」

 冒険者ギルド入り口の扉を開けた瞬間、聞き覚えのある大声が耳に飛び込んできて、思わず扉を閉めてしまった。
 魔法を使い扉越しに会話を聞き、兄さんと情報を共有する。ライオネルくんは冒険者から僕達の情報を収集しているようだ。
 ウォーロックに手紙で魔紙の使い方を思いついたことと一緒に近況を伝えたのがよくなかった。彼とはいつか個人情報の取り扱いについて話し合わなけばならない。

 その後も彼らの話が続き、ライオネルくんが最低でも半年はここにいること、もし兄さんがいるなら毎日トリフェ支部に通うこと、一緒にいる獣人族の学生達も兄さんと手合わせがしたいことがわかった。
 今ここにいるだけでも四十人近い。僕の知っている交換留学とは規模が違う。

「半年間、毎日、あの人数が?」
 兄さんが呆然と立ち尽くしている。闘技大会優勝後のしつこい手合わせの申し込みにかなり参っていたからな。トラウマになっているのかもしれない。
「ルカ。俺の都合で申し訳ないが、ここから逃げないか」
 なぜか兄さんのこの言葉で昔を思い出した。故郷の村を発つと決めて「僕と一緒に逃げようか」と兄さんに手を差し出した時のこと。あの時兄さんは何と返したんだっけ。

「喜んで。兄さんと一緒ならどこへだってついていくよ」
 兄さんの左手の薬指には、僕とお揃いの指輪が輝いている。僕がその手を取ると兄さんは嬉しそうに笑って走り出した。
「どこかで似たような話をした覚えがあるな」
「ココレ村から逃げた時のこと覚えてない?」
「思い出した。『ルカと一緒ならどこへでもついていく』と答えたな」

 人の目も気にせず、一直線に目的地を目指す。まずは借家に戻って引っ越し準備をしないと。今日中に乗合馬車に乗ってこの街を出たいから大忙しだ。
「『銀色の風』に挨拶したかったな」
「あいつらは長期任務に行ったから仕方ない。あとでエイダン宛に手紙でも送ればいいだろう。それよりも、どこに行こうか?」
「そうだなぁ——」

 答えに詰まって、ふと空を見上げる。抜けるような青空が眩しい。
 この世界は飛行機がないから移動も不便だ。それでもどこか遠くの国に行くのもいいかもしれない。

「食べ物が美味しい国に行きたい!」
「ああ!賛成だ!」
 走りながらふたりで声を出して笑う。兄さんが一緒ならどこに行っても楽しい。僕達は何十年先もこうやって笑い合っているに違いない。
 そんな予感に包まれながら、兄さんの手を離すことなく街並みを駆け抜ける。
 僕達の旅路を応援するように、夏を知らせる爽やかな風が吹き抜けていった。
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