【本編完結】異世界まったり逃避行

ひなた

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最終章トリフェの街編

救済

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 春の陽気を受けて海面がキラキラと輝いている。寄せ返す波はとても穏やかで、変わり映えのない情景に眠気を誘われる。
 隣に兄さんがいなかったら、本当に眠っていたかもしれない。

 僕は地面に座り、横に兄さんも座っている。暖かな春の太陽とのんびりとした波の音が心地良いのに、地面から伝わる冷たさが僕達以外誰もいない寂しさを引き立てているような気がした。

 僕をここに連れてきたのは兄さんなのに、さっきから険しい顔で海を眺めているだけで何も言ってこない。
 兄さんの横顔を見つめるだけで、声をかけることもなく時間だけが過ぎていく。穏やかな空間に置いていかれた僕は、息を潜めるように兄さんの動きを観察していた。

「ルカ」

 兄さんが、意を決したかのように僕の名前を呼んだ。でも目線は海に向いたままで、僕の返事を聞く前にそのまま話を続けた。

「何を悩んでいる」

 やっと兄さんが僕を見てくれた。兄さんは泣くのを堪えているような不安そうな顔をしていて、だから僕を見てくれなかったのかと納得した。

「俺が家族の話をしたからか?それなら謝るから、お願いだからいつもみたいに」
「違うよ。兄さんのせいじゃない。あの人達の話をしなかったのは、兄さんから母親を取り上げたくなかったからだよ」
「俺から、母を?」
「僕が兄さんを見捨てた父のことを許せないように、兄さんも母が許せなくなると思うから。兄さんにとってあの人は愛情深い母親だっただろうから、僕が余計な話をしてその認識を変えたくなかった」

 僕が膝を抱えて静かに笑っていると、兄さんが横から包み込むように抱きしめてきた。
 それだけで兄さんが何を言うのかわかって、このまま眠ったら最高に気持ちいいだろうなと、現実逃避のようなことを思ってしまった。

「話してくれ。俺にとって両親は育ててくれた感謝はあるが、二度と会うつもりのない人達だ」
「わかった。話すから、お願い。僕の手を握っててほしい」

 兄さんの手が僕の手を包み込むように握ってくれた。
 力がこもっているわけでも、優しく重ねるだけでもない、兄さんらしい握り方が僕に心強さを与える。

「十一歳の冬の日、目が覚めたら母が僕に馬乗りになってた。僕が声を上げる前に、母は僕の顔目がけてナイフを振り下ろした」
 兄さんが目を見開いて驚愕している。言葉も出ないほど衝撃を受けているのだろう。
「ナイフを避けて、なんとか母を振り切って家を飛び出して……冬の道を裸足で走った時の、寒くて痛くて惨めな気持ちは一生忘れない」

 父は気づいていたはずなのに、母を咎めることは一切なかった。あの日を境に、僕にとって両親はどうでもいい人達になった。
 寒いのが大嫌いになったことだけは恨めしいと思うけど、それだけだ。

「俺が、もっと実家に顔を出していたら、母を止め」
「それは難しいと思う。そもそも父が兄さんを家に入れないだろうし。父も母も過去にいろいろあって、僕達に恨みをぶつけてただけだよ。縁がなかった。それだけ」
「ルカ……」

「じゃあ、ルカが落ち込んでいるのは、家族のことを思い出したからではないのか。あの日何があったんだ」
 うまく笑っていたつもりだったのに、兄さんには隠し事ができないな。本当にすごい人だ。
「たしかに落ち込んでた。ずっと後悔してることがあって、僕達が昔宿泊してた宿屋を見てたら辛くなったから」
「あの宿屋が?嫌な思い出なんて……」
「僕が兄さんに呪いをかけた日を思い出した」
「呪い?」

 僕は兄さんの手を握りながら立ち上がった。兄さんも抵抗せずに少し遅れて立ち上がった。
 僕は兄さんの手を引いて波打ち際の手前で止まると、握っていた手を解いてボトムスの裾を上げた。靴と靴下を脱いで裸足になると、開放感に思わず笑みが溢れる。
 一歩踏み出すとさらさらとした砂が足の指の間を通る。帰りに砂を落とすのがめんどくさいなという後悔は、砂の感触が気持ちよくてすぐに忘れた。
「冷たくて気持ちよさそうだからさ、足だけ入れてみようよ」
「あ、いや今は」
「お願い。ちょっとだけだから」
「わかった」

 兄さんも僕も同じように裾を上げて裸足になると、波打ち際に足を踏み入れた。打ち寄せる波が時たま足に触れると、くすぐったいような、思いっきり海に飛び込みたくなるような不思議な気分になる。
 兄さんが波に目線を落とした瞬間を見計らって、水属性魔法で兄さんの顔に水をかける。兄さんが驚いている隙に、胸に飛び込んだ。

「どうした?」
「転んじゃった」
 兄さんは何も言わず、僕を抱きしめてくれた。自分でも回りくどいやり方だと思うけど、兄さんの顔を見ながら話す勇気がなかった。

「僕は兄さんと一緒にあの村を発つ前から、家庭を持つことを諦めてた。誰かと結婚して子どもを育てる未来が、どうしても想像できなかったから」
 兄さんが腕に込める力を少しだけ強めた。その力強さに引き寄せられるように、僕は身体を兄さんに預ける。
「誰かの特別になれないまま、一生を終えるのかと思ってたんだ。それがすごく寂しいことだとわかっていても、仕方ないことだって割り切ってた。でも兄さんと旅をすることになって」

 涙がこぼれそうになって、きつく目を閉じる。兄さんの背中に腕を回して、身体を密着させた。
「嬉しかったんだ。僕にも特別な存在ができたんだって、何かに許されたような気持ちになった。だから僕が成人したら一緒にお酒を飲もうって約束した日、現実に返って虚しくなった」
 兄さんの背中に当てた手が震えている。それを悟られないように、兄さんの服をぎゅっと握りしめた。

「兄さんは誰かと結婚する未来があるかもしれないんだって気付かされて、また一人に戻った気がして寂しかった。でもあの日ダリオの一言がきっかけで兄さんが」
「俺があの宿屋でルカにみっともなく縋りついた。俺を捨てないでくれって泣きながらルカに懇願したな」

「傷ついた兄さんの心を守りたかった。だから僕達は誰のものにもならない、一生の相棒になるって誓いを持ちかけたんだ。心のどこかでだめだってわかってたのに、兄さんの人生を縛る呪いになるってわかっていたのにそれでも止められなかった!兄さんが他の誰かと一緒になるかもしれない未来を、僕が閉ざしてしまった……」
 感情のまま声を張ると、堪えていた涙が溢れてきた。
 後悔したところで兄さんを離す気なんてないくせに。自分のエゴのために兄さんを縛りつけておいて、涙を止めることができなかった。

「そうか。ルカはあれを呪いだと思っていたんだな。俺が悪かった。もっとちゃんと気持ちを伝えるべきだった」
「兄さん?」
 顔を上げて兄さんの顔を見る。兄さんは泣いていた。悲痛な面持ちにそぐわない、静かに流れる涙から目が離せなかった。

「俺にとってあの日の誓いは祝福だ」

 言葉が見つからず、呆然と兄さんを見つめる。兄さんは涙を流しながら話しを続けた。
「ルカだけだった。俺はルカに出会うまで人から寄りかかられてばかりで、それが当たり前だと思っていた。でもルカは、俺を支えようとしてくれた。相棒だと言ってくれた。それがどれだけ嬉しかったか……」
 手を伸ばして兄さんの頬に触れる。指先で拭った兄さんの涙は、とても温かかった。

「ルカが一生の相棒になろうと言ってくれたから、俺は救われたんだ。たしかにその誓いで俺の人生は変わった。死んだように生きていた俺の世界が輝いて見えるようになった。ルカと共にいることが俺の生きる意味になった。だからあれを呪いだと、悲しいことを言うのはやめてくれ。頼むから、そんなに自分を責めないでほしい」
「ごめんなさい……兄さん……ごめんなさい」

 燃えるような夕焼けが空も海も等しく朱に染め上げる。絶対に交わるはずのない空と海が今この瞬間は一つに溶け合っているように見えて、羨ましいと思った。
 僕達も同じように染めてほしい。そうしたらあの日交わした誓いを呪いと称した僕と、祝福と称した兄さんが混じり合って一つになれる気がするから。

 視線を感じて兄さんに顔を向ける。その表情を見て自然と目を閉じていた。重なり合った唇が燃えるように熱くて、その温度が全身に広がっていく。

「愛してる。俺にはルカしかいない。ずっとそばにいてくれ」

 兄さんはすごい人だ。いつだって僕の心を救ってくれる。夕焼けの力なんていらなかった。兄さんと触れ合って、言葉を交わすだけで一つに溶け合えるのだから。

「僕も兄さんだけだよ。愛してる。ずっと一緒にいようね」

 押し寄せる波が足元の砂をさらい、引き返す波が砂を戻し足を埋めていく。いつまでもここから動けないのは足元の重みのせいだ。
 海がおおらかに僕達を受け入れてくれるから、辺りが闇に染まるまでふたりの唇が離れることはなかった。
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