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アファルータ共和国編
線香花火
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前世の自分を少しだけ思い出した翌日、目を覚ますと兄さんが僕の髪を梳くように撫でていた。広大な森を思わせるような穏やかな緑の目に心を奪われる。
「おはよう」
「おはよう。いつから起きてたの?」
「少し前に」
「わがまま言ってごめんね。ありがとう」
「これくらい、わがままのうちには入らない。ルカはもっと甘えてもいい」
「そうかな?じゃあ、もう少しだけ頭撫でて」
「ああ」
兄さんが優しい笑顔で髪を撫でてくれる。本当にわがままを言ってもいいのだろうか、呆れられないかなと弱気になっていた気持ちが、撫でられるたびに軽くなった。
討伐も終わり、辺りは暗い闇に包まれている。日が落ちるのも少しずつ早くなってきた。完全に夜になったことを確認してから、兄さんを庭に誘った。
「どうした?」
「ミヅホでもらった線香花火をしようと思って。すっかり忘れてた」
「そんなこともあったな。どうやって遊ぶんだ?」
「持ち手はここで、こうやって地面と垂直になるように持って。火薬に火が付いたら、火玉ができて火花が飛び散って最後に燃え尽きる」
「火花が飛び散るのは危険ではないか」
「そんなに激しくないから大丈夫。燃え方に段階があってね、それが人生に例えられたりしてるんだ。最後まで風情があるからなるべく火玉を落とさないようにね」
「わかった」
この線香花火はミヅホでアファルータ共和国行きの船を待っている時に貰ったものだ。
ミヅホに滞在中、宿泊していた宿屋の女将さんが「せっかくだからこれでミヅホの夏を楽しんで」と線香花火をくれたことを完全に忘れていた。
気乗りしないが放置するのも申し訳ないので、冬になる前に線香花火をしておこうと思い立ち兄さんを誘った。
生活魔法《種火》で兄さんが持っている線香花火に火をつける。兄さんは真剣な顔で火玉を見つめていた。真面目な人だから僕の言葉を受けて、途中で火玉を落としてはいけないと思っているのだろう。
その気がなくても誰かがしているのを見ると、思わず自分もやりたくなるのが線香花火の魅力だと思う。
僕も急いで線香花火に火をつけた。ああ、懐かしい。前世の自分を思い出してから、少しのきっかけで忘れていた記憶が表れるようになった。
昔の僕も兄さんみたいに真剣に花火を見つめていたな。そんな僕を微笑ましく見つめている男女は誰だろうか。穏やかな時間だった。全ての音が火玉に吸い込まれたかのように静かで、世界には僕しかいないような気持ちになって。それからどうしたんだっけ。
思考の海に沈んでいるといきなり手首を掴まれた。火玉が落ちて暗闇が広がる。
「どうしたの?」
「何を考えてた」
「昔のこと」
「本当に?」
「本当だよ。どうしたの兄さん」
「昨夜から様子がおかしいから。ルカがどこかに行ってしまう気がして」
答えられなかった。どこにも行かないよって言えばいいだけなのに、喉が引きつって言葉が出ない。
「頼む。嘘でもいいから、いつもみたいにずっと一緒にいると言ってくれ!」
「……ずっ、と」
なんとか言葉を絞り出していたら、兄さんの顔が息がかかるくらいに近づいていた。そのまま唇を奪われるかと思った。
「すまない」
兄さんが慌てて立ち上がり僕と距離を取る。そしてどこかに移動しようと僕に背を向けた。
なぜ兄さんが離れたのか意味がわからない。僕は嫌じゃなかったのに。必死に立ち上がり兄さんを呼び止める。
「ねぇ、期待してたって言ったらどうする?」
「は?」
兄さんが足を止めて僕の方に振り返った。急いで兄さんに駆け寄り、逃がさないよう服の裾をしっかりと掴む。
「さっきの続きをしてほしいって言ったら兄さんはしてくれる?」
兄さんの目を正面から見据えて問いかける。いつも真っ直ぐ僕を見つめる瞳が今は激しく揺らいでいた。
程なくして兄さんの目が真っ直ぐ僕を捉えた。そして僕の両肩を掴み徐々に顔を近づける。
もうこれは兄弟の距離ではない。でも嫌悪感はなかった。僕も、おそらく兄さんも。
しばらく目を瞑っていたが何も起きない。どうしたのだろうと不思議に思っていたら、両肩から兄さんの手が離れた。
すぐにバチーンと大きい音が響く。びっくりして目を開けると兄さんが右頬を抑えて踞っていた。自分で自分の頬を力の限り目一杯打ったのだろう。
「顔を冷やしてくる」
兄さんは感情のこもっていない声でそれだけ言い残し、早歩きで拠点に戻っていった。
残された僕は花火の後始末をしながら、その場にいない兄さんの悪口を心の中で呟いていた。兄さんのヘタレ、朴念仁、意気地なし。本当はわかってる。兄さんは悪くない。悪いのは中途半端に兄さんを煽った僕だ。
前世のことを伝える勇気がないまま旅を続けていた。それなのにいざ思い出しそうになると前世のことを伝えて僕のことを忘れないでほしいと懇願したくなる。
日々膨らんでいく気持ちを隠しきれない。この思いを抱えたまま、全てを思い出す日を迎えることができそうにない。
そんなことをしても兄さんを悲しませるだけなのに、僕は卑怯者だ。
翌日、兄さんの頬は見事に腫れてあざになっていた。回復してから眠ればよかった。それどころじゃなくて、兄さんの怪我を放置してしまった。
昨夜を思い出す。兄さんの力強い手、吐息、表情。そのあざを消したら昨夜の出来事がなかったことになりそうで、初めて回復することを躊躇してしまった。
「おはよう」
「おはよう。いつから起きてたの?」
「少し前に」
「わがまま言ってごめんね。ありがとう」
「これくらい、わがままのうちには入らない。ルカはもっと甘えてもいい」
「そうかな?じゃあ、もう少しだけ頭撫でて」
「ああ」
兄さんが優しい笑顔で髪を撫でてくれる。本当にわがままを言ってもいいのだろうか、呆れられないかなと弱気になっていた気持ちが、撫でられるたびに軽くなった。
討伐も終わり、辺りは暗い闇に包まれている。日が落ちるのも少しずつ早くなってきた。完全に夜になったことを確認してから、兄さんを庭に誘った。
「どうした?」
「ミヅホでもらった線香花火をしようと思って。すっかり忘れてた」
「そんなこともあったな。どうやって遊ぶんだ?」
「持ち手はここで、こうやって地面と垂直になるように持って。火薬に火が付いたら、火玉ができて火花が飛び散って最後に燃え尽きる」
「火花が飛び散るのは危険ではないか」
「そんなに激しくないから大丈夫。燃え方に段階があってね、それが人生に例えられたりしてるんだ。最後まで風情があるからなるべく火玉を落とさないようにね」
「わかった」
この線香花火はミヅホでアファルータ共和国行きの船を待っている時に貰ったものだ。
ミヅホに滞在中、宿泊していた宿屋の女将さんが「せっかくだからこれでミヅホの夏を楽しんで」と線香花火をくれたことを完全に忘れていた。
気乗りしないが放置するのも申し訳ないので、冬になる前に線香花火をしておこうと思い立ち兄さんを誘った。
生活魔法《種火》で兄さんが持っている線香花火に火をつける。兄さんは真剣な顔で火玉を見つめていた。真面目な人だから僕の言葉を受けて、途中で火玉を落としてはいけないと思っているのだろう。
その気がなくても誰かがしているのを見ると、思わず自分もやりたくなるのが線香花火の魅力だと思う。
僕も急いで線香花火に火をつけた。ああ、懐かしい。前世の自分を思い出してから、少しのきっかけで忘れていた記憶が表れるようになった。
昔の僕も兄さんみたいに真剣に花火を見つめていたな。そんな僕を微笑ましく見つめている男女は誰だろうか。穏やかな時間だった。全ての音が火玉に吸い込まれたかのように静かで、世界には僕しかいないような気持ちになって。それからどうしたんだっけ。
思考の海に沈んでいるといきなり手首を掴まれた。火玉が落ちて暗闇が広がる。
「どうしたの?」
「何を考えてた」
「昔のこと」
「本当に?」
「本当だよ。どうしたの兄さん」
「昨夜から様子がおかしいから。ルカがどこかに行ってしまう気がして」
答えられなかった。どこにも行かないよって言えばいいだけなのに、喉が引きつって言葉が出ない。
「頼む。嘘でもいいから、いつもみたいにずっと一緒にいると言ってくれ!」
「……ずっ、と」
なんとか言葉を絞り出していたら、兄さんの顔が息がかかるくらいに近づいていた。そのまま唇を奪われるかと思った。
「すまない」
兄さんが慌てて立ち上がり僕と距離を取る。そしてどこかに移動しようと僕に背を向けた。
なぜ兄さんが離れたのか意味がわからない。僕は嫌じゃなかったのに。必死に立ち上がり兄さんを呼び止める。
「ねぇ、期待してたって言ったらどうする?」
「は?」
兄さんが足を止めて僕の方に振り返った。急いで兄さんに駆け寄り、逃がさないよう服の裾をしっかりと掴む。
「さっきの続きをしてほしいって言ったら兄さんはしてくれる?」
兄さんの目を正面から見据えて問いかける。いつも真っ直ぐ僕を見つめる瞳が今は激しく揺らいでいた。
程なくして兄さんの目が真っ直ぐ僕を捉えた。そして僕の両肩を掴み徐々に顔を近づける。
もうこれは兄弟の距離ではない。でも嫌悪感はなかった。僕も、おそらく兄さんも。
しばらく目を瞑っていたが何も起きない。どうしたのだろうと不思議に思っていたら、両肩から兄さんの手が離れた。
すぐにバチーンと大きい音が響く。びっくりして目を開けると兄さんが右頬を抑えて踞っていた。自分で自分の頬を力の限り目一杯打ったのだろう。
「顔を冷やしてくる」
兄さんは感情のこもっていない声でそれだけ言い残し、早歩きで拠点に戻っていった。
残された僕は花火の後始末をしながら、その場にいない兄さんの悪口を心の中で呟いていた。兄さんのヘタレ、朴念仁、意気地なし。本当はわかってる。兄さんは悪くない。悪いのは中途半端に兄さんを煽った僕だ。
前世のことを伝える勇気がないまま旅を続けていた。それなのにいざ思い出しそうになると前世のことを伝えて僕のことを忘れないでほしいと懇願したくなる。
日々膨らんでいく気持ちを隠しきれない。この思いを抱えたまま、全てを思い出す日を迎えることができそうにない。
そんなことをしても兄さんを悲しませるだけなのに、僕は卑怯者だ。
翌日、兄さんの頬は見事に腫れてあざになっていた。回復してから眠ればよかった。それどころじゃなくて、兄さんの怪我を放置してしまった。
昨夜を思い出す。兄さんの力強い手、吐息、表情。そのあざを消したら昨夜の出来事がなかったことになりそうで、初めて回復することを躊躇してしまった。
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