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第三十一話 来訪
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寝室から一階に降りると、使用人が忙しそうに屋敷中を駆け回っていた。行き交う声は固く、緊張を含んでいる。すっかり見慣れてしまった光景に思わず苦笑した。
食堂に向かって歩いているとジョゼフが声をかけてきた。
「早馬で、午後にはポール様がいらっしゃるとのことです」
「知らせてくれてありがとう」
ジョゼフはまだ話したそうな顔をしていたが、レジスに呼ばれて仕事に戻っていった。
そうかー、いよいよか。
ポール様から「俺はお前を認めない」とだけ書かれた手紙を頂いたことは記憶に新しい。
ちょっと怖いけど、会ってみないことには何も始まらない。
自分を奮い立たせるため、とりあえず朝食をたくさん食べることにした。
朝食後、忙しそうな顔をして立っているだけのアルチュールに話しかける。
「今いい?」
「もちろんです。ノア様が最優先ですから」
「サボる口実ができたとか思ってない?」
「いや、だってもうやってられないですよ。お辞儀の角度だけで何十回注意されたか……」
肩を落としたアルチュールに「お疲れ様」と言うと、少しだけ彼の表情が和らいだ。
「ポール様がいらっしゃるのに従者のドミニクが来れなくて残念だったね」
ドミニクはレジスの息子で、アルチュールの従兄弟だ。
「あれはわざとレジスが呼ばなかったんですよ。あいつはポール様至上主義ですので。まずはポール様とノア様のご様子を見て、会わせるか判断したいのでしょう」
「そんなにすごいの?」
「二年前、俺がポール様に『婚約者とどこまでいったんですか』と聞いたら、ドミニクに鉾持って追い回されました」
「それはアルチュールも悪いよ」
「事前にポール様から婚約者のことを相談されていたので気になってしまって」
「あー、たしかに聞きたくなるかも」
「怒り心頭のドミニクに目ん玉のすれすれで切先を突きつけられた時は死を覚悟しましたね」
「それは、なんというか壮絶だね」
ポール様と仲良くなれなかったらジェラルド様を悲しませるだけでなく、ドミニクからも目をつけられるのか。
とんでもないプレッシャーだ。聞かなければよかった。午後になるのが怖い。
「お互い頑張ろうね」
「はぁ」
アルチュールは訳がわからないといった顔で気の抜けた返事をした。
僕は緊張を解きほぐすため、しばらくアルチュールと食べ物の話とかをしていた。
屋敷がにわかに騒がしくなった。執務室に向かっていた足を止める。
すれ違う使用人の会話で「ポール様」と聞こえた。覚悟を決めて、緊張で痛む胃を押さえる。
ちょうど執務室から出てきたジェラルド様と一緒に応接室へ行くことになった。
いつもより落ち着きがないジェラルド様の様子に、ポール様を可愛がっていることが伝わって微笑ましくなる。
「玄関で出迎えないのですか?」
「私が行くと使用人が挨拶できなくなるから」
「あ、ごめんなさい」
「気にするな。それよりも今年は君もいるから賑やかになりそうだ」
「はい!」
応接室のソファに座ると、廊下から声が聞こえてきた。
声の主はレジスで、彼は「疲れていないか」「喉は渇いていないか」「軽食を用意しておこうか」といったことを忙しなく問いかけている。その声音からは相手に対する愛情が感じられた。
「レジスってポール様に対してはいつもあんな感じなんですか?」
「今回はドミニクがいないからまだマシな方だ。あの親子はポールのことになると張り合ってばかりだから」
レジスの意外な一面に驚いて、気が抜けた声が出る。
ジェラルド様がそんな僕を見て忍び笑いをしていると、ノック音が響いた。
一瞬で平静になったジェラルド様が返事をすると、少し間を置いてドアが開いた。
「叔父上! お久しぶりでございます!」
「元気そうでよかった。また背が伸びたか?」
「はい。叔父上には追いつけそうにありませんが」
ポール様は僕のことなんか眼中にないように、真っ直ぐジェラルド様を見つめている。その瞳には敬意と信頼が宿っているように見えた。
なんと微笑ましい光景だろうか。この会話だけでポール様がジェラルド様を慕っていることが伝わった。
笑顔で眺めていたら、ジェラルド様が僕に視線を送った。
「ポール、紹介しよう。伴侶のノアだ」
「は、初めまして! ノアと申します」
「初めまして。あなたのことは叔父上やレジスからかねがね伺っております。話に聞くよりも優しそうな方で安心いたしました」
朗らかな笑みで握手を求められたので応じる。
「い、いえ、そんな」
握手をしながらも例の手紙を思い出してびくびくしてしまう。表情からは彼の真意が全くわからない。
ふと横を見ると、いつのまにかアルチュールが壁際に控えていた。今の状況だと彼の存在が心強い。
「できれば今後ともノアと仲良くしてほしい」
「もちろんです」
ジェラルド様にお願いされたポール様は笑顔で頷く。
やった、これで全部解決だ——と思えるわけもなく、ポール様の真意を探るため動向を観察する。
しばらく叔父と甥の歓談が続いたが、ジェラルド様が名残惜しそうに立ち上がった。
「これ以上はポールが耐えられないと思うから失礼する」
どうやらポール様は精神干渉系のスキルを持っていないようだ。そういえば、性格や周囲の評判を調べるのに必死で、ポール様のスキルを把握していなかった。
「お気遣いありがとうございます。あの、少し奥方と話がしたいのですが」
「ノアと? かまわない。ほどほどにな。ノア、すまないがよろしく頼む」
ジェラルド様はそう言って応接室を去った。残されたのは僕とポール様、そして途中から密かに入室していたアルチュールだ。
静まり返った空間で、改めてポール様を観察する。
明るい茶髪は日の光の下だと金髪にも見えそうだ。凛々しい顔立ちに短髪がよく似合っている。緑の目は静かな森を思わせる落ち着いた色だ。
身長が高くすらっとしているが、上半身がしっかりとしていて鍛えられていることがわかる。
その特徴だけだと、爽やかな武人という印象だろう。
しかし、顔にかけられた眼鏡が彼の真面目な言動を引き立てていて、全体的な印象は優等生といった感じだ。
「見た目からして凡庸そのものだな。スキルがなければ叔父上が目をつけることもなかっただろう」
開口一番に失礼なことを言われた。表情からして敵意丸出しだ。
「お言葉ですが、ジェラルド様はスキルだけで人を見る方ではありません。僕が平凡なのは認めますが……」
言い返されると思っていなかったのか、ポール様は言葉に詰まった。
「確かに、叔父上は素晴らしいお方だが」
「これはノア様に一本取られましたね、ポール様」
「うるさいぞアルチュール。執事が口を出すな」
慣れているのか、アルチュールは苛ついた様子のポール様を前に涼しい顔をしている。
「とにかく、俺はお前を認めない。どうせ過去の奥方と同じように離縁するつもりなんだろう。手続きが複雑になる前にさっさと話をまとめてもらいたいものだ」
「えっ。離縁とか、結婚してから今まで考えたこともないです。もしジェラルド様から離縁を言い渡されたら縋りついてしばらく居座る自信がありますよ、僕は」
「プライドがないのかお前は……」
話が通じないと思われたのか、ポール様はげんなりした顔をしている。
「辺境伯の伴侶という地位が欲しいのなら無駄な努力だ。五年後には俺に当主の座を譲る話が出ている」
「存じ上げております。なので五年後に向けて料理を修行中です」
「すまない。話が見えない」
「使用人を雇わずジェラルド様と二人で暮らす可能性があるので、僕が料理を担当しようと思って」
「ありえない未来のために厨房に立つな。仮にも貴族だろうが」
ポール様は頭をガシガシと掻きながら「調子がくるう!」と苛ついた様子で呟いた。
「ポール様、ノア様は今までの奥方様とは違います。ご自分の意思で旦那様と生涯を共にすると決めたのです。側から見ても相思相愛のお二人ですよ」
アルチュールが助け舟を出してくれた。言葉にされるとちょっと恥ずかしい。
「これが平民同士の婚姻なら俺も手放しで祝福した。しかしこれは貴族の、国境の守り手となる辺境伯との婚姻だ。王族命令での婚姻だとしても、中途半端は許されない」
ポール様がアルチュールを諌めるように厳しい声で畳み掛ける。
「お前の学院での成績を見せてもらった。あと周囲の評判も調べておいた」
「僕の?」
「ああ、お前の評判だ。成績は最低ラインギリギリで卒業。学業はそこそこだが実技が最悪。剣も持てず、スキルは実益に結びつかない。周囲とも馴染めず、社交も期待できないと」
物は言いようだ。事実と全く違うわけでもないので否定もできない。弁明が難しい。
「実技についてはスキルの関係でどうしても評価がされず」
「お前のスキルを否定する気はない。評価が難しいという点はたしかにそうだ。だが、俺はフロンドル家の利益になるかが何より重要だと思っている。お前はフロンドル領の発展に寄与できる存在か?」
「僕は……」
答えられずにいると、ポール様は紅茶を飲み干し話を続けた。
「スキルを言い訳にするのは無駄だ。俺だって役に立たないスキルだが、次期当主として人一倍努力している。ここまで俺を育ててくれた叔父上に恩返しをするためにも、フロンドル領の発展に人生を捧げる所存だ」
役に立たないスキル? ポール様はいったいどんなスキルを? 考え込んでいたらふと、僕が学院にいた頃の話を思い出した。
「あー! もしかして、的破壊のポールってポール様のことですか?」
「的破壊って何ですか?」
アルチュールが話に入ってきた。
「僕が学院にいた時に、新入生ですごい人が入ったって噂になってさ。なんでも百メートル先の的に槍を命中させて全部バラバラにしたっていう伝説が……」
「やめろ!」
ポール様の声に怒りが混じっている。彼はそのまま立ち上がり、僕を見下ろした。凄みのある目力に肩が跳ねる。
「叔父上に絶対話すなよ」
「申し訳ございません。でも、僕には素晴らしいスキルとしか」
「父上や叔父上と比べると、満足に人を導くこともできない出来損ないだ」
ポール様は強引に話を打ち切ると、乱暴に扉を開ける。
「俺の滞在中に少しでもフロンドル領の利益に繋がる行動を見せろ。それがお前を認める最低限の条件だ。過去の奥方は何も行動しないで去った。それが一番楽で、賢い選択肢かもしれないな」
吐き捨てるような言葉とともに、ポール様は応接室から出て行った。
再び静かになったところで、アルチュールが心配そうに話しかけてくれた。
「私はノア様の味方ですよ。今回のことは旦那様に報告してもよろしいかと」
「ありがとう。でも大丈夫だよ」
「しかし」
「これは僕とポール様の問題だから。どうしようもなくなったら仲介役だけ頼もうかな」
「かしこまりました」
珍しくアルチュールが二つ返事で引き受けてくれた。かなり気を遣わせてしまったようで申し訳ない。
「僕なりに頑張ってみるよ」
「ここまで言われてどうして頑張るのか、私には理解できません」
「僕はもうフロンドル家の人間だからね。家族として向き合いたいんだ」
「差し出がましいことを申しまして申し訳ございません」
「気にしてないよ。この話はもう終わり。それよりさ、料理長に夕食のメニュー聞きに行こう」
僕が笑ってみせると、アルチュールは何か言いたげな顔をすぐに押し殺して「かしこまりました」と一礼した。
ちなみに夕食はポール様の大好物が中心で、その中に一部僕の好きなものを用意してくれていて、さすが料理長だなと思った。
食堂に向かって歩いているとジョゼフが声をかけてきた。
「早馬で、午後にはポール様がいらっしゃるとのことです」
「知らせてくれてありがとう」
ジョゼフはまだ話したそうな顔をしていたが、レジスに呼ばれて仕事に戻っていった。
そうかー、いよいよか。
ポール様から「俺はお前を認めない」とだけ書かれた手紙を頂いたことは記憶に新しい。
ちょっと怖いけど、会ってみないことには何も始まらない。
自分を奮い立たせるため、とりあえず朝食をたくさん食べることにした。
朝食後、忙しそうな顔をして立っているだけのアルチュールに話しかける。
「今いい?」
「もちろんです。ノア様が最優先ですから」
「サボる口実ができたとか思ってない?」
「いや、だってもうやってられないですよ。お辞儀の角度だけで何十回注意されたか……」
肩を落としたアルチュールに「お疲れ様」と言うと、少しだけ彼の表情が和らいだ。
「ポール様がいらっしゃるのに従者のドミニクが来れなくて残念だったね」
ドミニクはレジスの息子で、アルチュールの従兄弟だ。
「あれはわざとレジスが呼ばなかったんですよ。あいつはポール様至上主義ですので。まずはポール様とノア様のご様子を見て、会わせるか判断したいのでしょう」
「そんなにすごいの?」
「二年前、俺がポール様に『婚約者とどこまでいったんですか』と聞いたら、ドミニクに鉾持って追い回されました」
「それはアルチュールも悪いよ」
「事前にポール様から婚約者のことを相談されていたので気になってしまって」
「あー、たしかに聞きたくなるかも」
「怒り心頭のドミニクに目ん玉のすれすれで切先を突きつけられた時は死を覚悟しましたね」
「それは、なんというか壮絶だね」
ポール様と仲良くなれなかったらジェラルド様を悲しませるだけでなく、ドミニクからも目をつけられるのか。
とんでもないプレッシャーだ。聞かなければよかった。午後になるのが怖い。
「お互い頑張ろうね」
「はぁ」
アルチュールは訳がわからないといった顔で気の抜けた返事をした。
僕は緊張を解きほぐすため、しばらくアルチュールと食べ物の話とかをしていた。
屋敷がにわかに騒がしくなった。執務室に向かっていた足を止める。
すれ違う使用人の会話で「ポール様」と聞こえた。覚悟を決めて、緊張で痛む胃を押さえる。
ちょうど執務室から出てきたジェラルド様と一緒に応接室へ行くことになった。
いつもより落ち着きがないジェラルド様の様子に、ポール様を可愛がっていることが伝わって微笑ましくなる。
「玄関で出迎えないのですか?」
「私が行くと使用人が挨拶できなくなるから」
「あ、ごめんなさい」
「気にするな。それよりも今年は君もいるから賑やかになりそうだ」
「はい!」
応接室のソファに座ると、廊下から声が聞こえてきた。
声の主はレジスで、彼は「疲れていないか」「喉は渇いていないか」「軽食を用意しておこうか」といったことを忙しなく問いかけている。その声音からは相手に対する愛情が感じられた。
「レジスってポール様に対してはいつもあんな感じなんですか?」
「今回はドミニクがいないからまだマシな方だ。あの親子はポールのことになると張り合ってばかりだから」
レジスの意外な一面に驚いて、気が抜けた声が出る。
ジェラルド様がそんな僕を見て忍び笑いをしていると、ノック音が響いた。
一瞬で平静になったジェラルド様が返事をすると、少し間を置いてドアが開いた。
「叔父上! お久しぶりでございます!」
「元気そうでよかった。また背が伸びたか?」
「はい。叔父上には追いつけそうにありませんが」
ポール様は僕のことなんか眼中にないように、真っ直ぐジェラルド様を見つめている。その瞳には敬意と信頼が宿っているように見えた。
なんと微笑ましい光景だろうか。この会話だけでポール様がジェラルド様を慕っていることが伝わった。
笑顔で眺めていたら、ジェラルド様が僕に視線を送った。
「ポール、紹介しよう。伴侶のノアだ」
「は、初めまして! ノアと申します」
「初めまして。あなたのことは叔父上やレジスからかねがね伺っております。話に聞くよりも優しそうな方で安心いたしました」
朗らかな笑みで握手を求められたので応じる。
「い、いえ、そんな」
握手をしながらも例の手紙を思い出してびくびくしてしまう。表情からは彼の真意が全くわからない。
ふと横を見ると、いつのまにかアルチュールが壁際に控えていた。今の状況だと彼の存在が心強い。
「できれば今後ともノアと仲良くしてほしい」
「もちろんです」
ジェラルド様にお願いされたポール様は笑顔で頷く。
やった、これで全部解決だ——と思えるわけもなく、ポール様の真意を探るため動向を観察する。
しばらく叔父と甥の歓談が続いたが、ジェラルド様が名残惜しそうに立ち上がった。
「これ以上はポールが耐えられないと思うから失礼する」
どうやらポール様は精神干渉系のスキルを持っていないようだ。そういえば、性格や周囲の評判を調べるのに必死で、ポール様のスキルを把握していなかった。
「お気遣いありがとうございます。あの、少し奥方と話がしたいのですが」
「ノアと? かまわない。ほどほどにな。ノア、すまないがよろしく頼む」
ジェラルド様はそう言って応接室を去った。残されたのは僕とポール様、そして途中から密かに入室していたアルチュールだ。
静まり返った空間で、改めてポール様を観察する。
明るい茶髪は日の光の下だと金髪にも見えそうだ。凛々しい顔立ちに短髪がよく似合っている。緑の目は静かな森を思わせる落ち着いた色だ。
身長が高くすらっとしているが、上半身がしっかりとしていて鍛えられていることがわかる。
その特徴だけだと、爽やかな武人という印象だろう。
しかし、顔にかけられた眼鏡が彼の真面目な言動を引き立てていて、全体的な印象は優等生といった感じだ。
「見た目からして凡庸そのものだな。スキルがなければ叔父上が目をつけることもなかっただろう」
開口一番に失礼なことを言われた。表情からして敵意丸出しだ。
「お言葉ですが、ジェラルド様はスキルだけで人を見る方ではありません。僕が平凡なのは認めますが……」
言い返されると思っていなかったのか、ポール様は言葉に詰まった。
「確かに、叔父上は素晴らしいお方だが」
「これはノア様に一本取られましたね、ポール様」
「うるさいぞアルチュール。執事が口を出すな」
慣れているのか、アルチュールは苛ついた様子のポール様を前に涼しい顔をしている。
「とにかく、俺はお前を認めない。どうせ過去の奥方と同じように離縁するつもりなんだろう。手続きが複雑になる前にさっさと話をまとめてもらいたいものだ」
「えっ。離縁とか、結婚してから今まで考えたこともないです。もしジェラルド様から離縁を言い渡されたら縋りついてしばらく居座る自信がありますよ、僕は」
「プライドがないのかお前は……」
話が通じないと思われたのか、ポール様はげんなりした顔をしている。
「辺境伯の伴侶という地位が欲しいのなら無駄な努力だ。五年後には俺に当主の座を譲る話が出ている」
「存じ上げております。なので五年後に向けて料理を修行中です」
「すまない。話が見えない」
「使用人を雇わずジェラルド様と二人で暮らす可能性があるので、僕が料理を担当しようと思って」
「ありえない未来のために厨房に立つな。仮にも貴族だろうが」
ポール様は頭をガシガシと掻きながら「調子がくるう!」と苛ついた様子で呟いた。
「ポール様、ノア様は今までの奥方様とは違います。ご自分の意思で旦那様と生涯を共にすると決めたのです。側から見ても相思相愛のお二人ですよ」
アルチュールが助け舟を出してくれた。言葉にされるとちょっと恥ずかしい。
「これが平民同士の婚姻なら俺も手放しで祝福した。しかしこれは貴族の、国境の守り手となる辺境伯との婚姻だ。王族命令での婚姻だとしても、中途半端は許されない」
ポール様がアルチュールを諌めるように厳しい声で畳み掛ける。
「お前の学院での成績を見せてもらった。あと周囲の評判も調べておいた」
「僕の?」
「ああ、お前の評判だ。成績は最低ラインギリギリで卒業。学業はそこそこだが実技が最悪。剣も持てず、スキルは実益に結びつかない。周囲とも馴染めず、社交も期待できないと」
物は言いようだ。事実と全く違うわけでもないので否定もできない。弁明が難しい。
「実技についてはスキルの関係でどうしても評価がされず」
「お前のスキルを否定する気はない。評価が難しいという点はたしかにそうだ。だが、俺はフロンドル家の利益になるかが何より重要だと思っている。お前はフロンドル領の発展に寄与できる存在か?」
「僕は……」
答えられずにいると、ポール様は紅茶を飲み干し話を続けた。
「スキルを言い訳にするのは無駄だ。俺だって役に立たないスキルだが、次期当主として人一倍努力している。ここまで俺を育ててくれた叔父上に恩返しをするためにも、フロンドル領の発展に人生を捧げる所存だ」
役に立たないスキル? ポール様はいったいどんなスキルを? 考え込んでいたらふと、僕が学院にいた頃の話を思い出した。
「あー! もしかして、的破壊のポールってポール様のことですか?」
「的破壊って何ですか?」
アルチュールが話に入ってきた。
「僕が学院にいた時に、新入生ですごい人が入ったって噂になってさ。なんでも百メートル先の的に槍を命中させて全部バラバラにしたっていう伝説が……」
「やめろ!」
ポール様の声に怒りが混じっている。彼はそのまま立ち上がり、僕を見下ろした。凄みのある目力に肩が跳ねる。
「叔父上に絶対話すなよ」
「申し訳ございません。でも、僕には素晴らしいスキルとしか」
「父上や叔父上と比べると、満足に人を導くこともできない出来損ないだ」
ポール様は強引に話を打ち切ると、乱暴に扉を開ける。
「俺の滞在中に少しでもフロンドル領の利益に繋がる行動を見せろ。それがお前を認める最低限の条件だ。過去の奥方は何も行動しないで去った。それが一番楽で、賢い選択肢かもしれないな」
吐き捨てるような言葉とともに、ポール様は応接室から出て行った。
再び静かになったところで、アルチュールが心配そうに話しかけてくれた。
「私はノア様の味方ですよ。今回のことは旦那様に報告してもよろしいかと」
「ありがとう。でも大丈夫だよ」
「しかし」
「これは僕とポール様の問題だから。どうしようもなくなったら仲介役だけ頼もうかな」
「かしこまりました」
珍しくアルチュールが二つ返事で引き受けてくれた。かなり気を遣わせてしまったようで申し訳ない。
「僕なりに頑張ってみるよ」
「ここまで言われてどうして頑張るのか、私には理解できません」
「僕はもうフロンドル家の人間だからね。家族として向き合いたいんだ」
「差し出がましいことを申しまして申し訳ございません」
「気にしてないよ。この話はもう終わり。それよりさ、料理長に夕食のメニュー聞きに行こう」
僕が笑ってみせると、アルチュールは何か言いたげな顔をすぐに押し殺して「かしこまりました」と一礼した。
ちなみに夕食はポール様の大好物が中心で、その中に一部僕の好きなものを用意してくれていて、さすが料理長だなと思った。
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