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第二十八話 ノア様
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領都の視察から帰ってきた夜、僕は自室で一人悩んでいた。
「喜んでくれるかなぁ」
包み紙の中に光るものを見つめて独り言を言う。
張り切って誰にも相談せずプレゼントを選んだが、今さら自分に贈り物のセンスがないことに気づいた。
昔マルク兄様の誕生日にサキュバスの羽が生えたオークの貯金箱を渡したら『ごめん。純粋な疑問なんだけど、何のつもりでこれを選んだの?』と聞かれた。もちろん理由は可愛いと思ったからだ。
その一件以来、僕はプレゼントを渡す前に誰かに相談するようにしていた。
でも、ジェラルド様のことになるとつい暴走してしまう。前に贈った置き物も一人で選んでしまったし、全然学習できてない。
うだうだしていたら部屋にノック音が響いた。寝る時間になっても寝室に来ない僕を心配したジェラルド様が、迎えにきてくれたようだ。
「ノア? 何かあったのか?」
「大丈夫です! すぐ行きます」
二人で寝室に入り、ベッドではなくソファーに腰掛ける。ジェラルド様は僕の手の中にある包みが気になったようで、何回か視線を送っていた。
少しでも喜んでもらうため、僕は精一杯の笑顔をジェラルド様に向けた。
「プレゼントです! お誕生日には少し遅れてしまいましたが、受け取ってください!」
「……私に?」
ジェラルド様は驚いた様子で包みを受け取った。
「ありがとう」
嬉しそうに笑うジェラルド様に、こちらも笑顔が深くなる。
「開けても?」
「どうぞ」
再利用できそうなくらい綺麗に剥がされた包み紙を見て、こういう何気ない仕草に性格がでるよなぁと思った。
「これは?」
ジェラルド様が手に取ったのは、親指の先ほどの大きさのペンダントトップだ。
「魔石です。実家のオラーヌ領で取れたもので、衝撃吸収の効果があります」
「衝撃吸収?」
不思議そうな顔で琥珀色の魔石を見つめるジェラルド様に説明を続ける。
「一定以上の衝撃が加えられそうになった時、身代わりになってくれます。吸収するのは一回きりですし、任意で発動できないのが難点です」
「面白い性能だ」
「選んだ後に戦闘の邪魔になるのではと気づいてしまって……」
「そんなことはない。ありがとう、素晴らしい贈り物だ」
ジェラルド様はそう言って、僕の手の指先に口付けを落とした。
突然のことに照れてしまい何も言えなくなる。
「君がそういう反応をするのは珍しいな」
「だって、ジェラルド様がかっこいいことするから」
「え、あ……そ、そうか」
「はい」
お互い無言になり、そしてどちらからともなく吹き出した。
笑いが収まるとジェラルド様が口を開いた。
「どうしてこの魔石を選んでくれたんだ?」
「実家ではお守りのようになっていて、それで選びました」
「お守り?」
「はい。昔木登りで遊んでたら、マルク兄様が僕の目の前で落ちたことがありまして。でも魔石のおかげで捻挫で済みました」
「すごい効果だな」
「兄様が死んじゃうと思って号泣したのを覚えてます」
「幼子には衝撃的すぎただろう」
「幼子? 僕が九歳の時の話ですよ」
「ん?」
ジェラルド様が首を傾げた。
「君と兄の年齢差は確か」
「マルク兄様とは八歳差です」
「ということは十七で木登り遊びを……いや、なんでもない。鎖につけてもいいか?」
「はい!」
ジェラルド様は首元からネックレスの鎖を取り出すと、魔石を取り付けた。
「どうだ?」
「思ったより馴染んでいて安心しました」
琥珀色の魔石の隣には、銀色に輝く竜笛が揺らいでいる。
「この魔石」
ジェラルド様が僕をじっと見つめる。
「どうかなさいましたか?」
「君の瞳の色に少し似てる」
気がついたら顔が近くにあって、そのまま口付けされた。
「んっ……」
唇が離れ、ジェラルド様と目が合った。瞳を覗かれているようでドキドキする。
「大切にする。この魔石も、君も」
不意打ちの告白にまたしても何も言えなくなって、その間ジェラルド様は僕の髪を優しく撫でながら何度も甘い言葉を囁いていた。
領都へ視察に行ってから一ヶ月前が経った。月日が経つのは早いものだ。
早いと感じる原因は、視察した日の夜ジェラルド様にプレゼントをあげたからだと思うけど。
領都でスカウトした人物と別棟の休憩室で話しながら、しみじみとそう思う。
「マエルが文官になってもう一週間かぁ。何回か話してるのにまだ不思議な気分だよ」
「私もあの時のルイさんが奥様でいらっしゃるとは思わなかったので、まだ驚いています」
「そんなにわからなかった? 今後もお忍びは問題なくできそうだね」
マエルは返答に困ったのか曖昧に頷いている。
「それよりもさ、どう? もう慣れた?」
「おかげさまで皆さんからよくして頂いております」
「よかった。何かあったら言ってね。僕に言いづらかったらジョゼフとかアルチュールに相談したらいいよ」
「ありがとうございます。でも本当によくして頂いていて……王都と違い実力だけで評価してもらえるのでやりがいがあります」
膝の上に置かれたマエルの拳が固く握られている。
「実力だけ?」
「中央はスキル至上主義で、同じ仕事をしていても実用的なスキルを持っている人物だけが評価されるシステムでしたから」
「文官もそうなんだ」
「はい。僕は指先がほんのり温かくなるだけのハズレスキルだったので、煙たがれていました。どんなに努力しても、必死で仕事に取り組んでも、スキルがだめという理由だけで馬鹿にされて……」
スキル至上主義は貴族社会だけの話ではなかったんだ。
マエルの姿が自分の過去に重なる。だめだ。今の僕は役立たずの伯爵家三男じゃない、きちんと表情を取り繕わないと。
「辛かったね」
「はい。もう王都には戻りたくないです」
よかった。どうにか、ごまかせたみたいだ。
「僕は素敵なスキルだと思うよ。冬の間の水仕事が楽になりそう」
「そうなんです! すごく便利なスキルで……王都に行く前は自分のスキルが好きだったのに」
「ここでは馬鹿にする人がいないから、きっと時間が解決してくれるよ」
「はい。ありがとうございます」
マエルの表情が一気に和らいだ。その顔を見てほっと胸をなでおろす。
「あ。スキルといえば、旦那様に何回かお会いしました」
「どうだった?」
旦那様の威圧スキルが原因で退職する者が多いので、どうしても気にかけてしまう。でもそれは、旦那様が悪いというわけではない。もちろん退職者も悪くないから難しい問題だ。
「皆さんが仰るほどではないな、と感じました」
「マエルは精神干渉系のスキルに耐性があるの?」
「いえ、王都にいた頃は普通に効いてました」
「そうなんだ」
「不思議なことに、挨拶だけで精一杯の日と十五分程度ならお話できそうな日がありまして」
「ばらつきがあるってことかな?」
「おっしゃる通りです。とりあえず対面しても問題ないということで、旦那様に書類を届ける仕事も任されるようになりました」
「それはよかった。今までレジスの負担が大きかったから」
「レジスさん……」
マエルの表情が再び暗くなった。
「レジスが、どうかしたの?」
「あ、いえ。これは完全に私の実力不足なのですが、ミスをしても何も言われないのです。レジスさんは『後はこっちでやっておく』と言ってくださるのですが、やはり申し訳なくて」
「そう……」
「でもこれからレジスさんに認めてもらえるように頑張ります」
「気を張りすぎないようにね」
「はい!」
マエルの笑顔に、大丈夫そうだと安堵する。それからしばらく雑談をして、僕は別棟から屋敷に戻った。
「というわけなんですが、旦那様はどう思いますか?」
「どう思う、とは?」
どうしても疑問が残る僕は、別棟から戻ったその足で執務室にいるジェラルド様を訪ねた。
「レジスのことですよ。彼が新人を気にかけないのは普段の様子から考えにくいなって」
僕とマエルでは立場が違うと言われたらそれまでだ。だが、レジスは唐突な恋愛相談にも嫌な顔一つしないで対応してくれる懐が深い人物だと思っていたから、マエルの話が引っかかってしまった。
「私が原因だろうな」
「ジェラルド様がですか?」
「ああ。今まで私のスキルを恐れて退職する者が後を絶たなかったから、新人はすぐにいなくなるという認識が変えられないのだろう。現にレジスがジョゼフを注意するようになったのも、ジョゼフが君の侍従になってからだ」
長い付き合いであるジェラルド様には、レジスの人となりが分かっているようだった。
「レジスにそれとなく、新人を邪険にするなと伝えておく。休みの件もあって彼と話し合いをしたいと思っていたからちょうどよかった」
「ありがとうございます! あ、でもレジスには僕が気にしていたことを内密にしていただけると助かります」
「別に伝えても問題ないと思うが」
ジェラルド様は不思議そうな顔をしたが、内密にすることを了承してくれた。
ジェラルド様とレジスの話をした翌日、自室で一人本を読んでいた僕は、ノックの音に顔を上げた。
返事をすると扉が開き、そこにはレジスがいた。
「お時間よろしいでしょうか」
「うん、大丈夫だよ」
昨日の今日だからつい身構えてしまう。
「ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」
レジスが深々と頭を下げる。僕は慌てて立ち上がり声をかけた。
「そんな、頭を上げて。いったい何の話かさっぱり」
「マエルの件、あれは奥様が旦那様にご相談なさったのでしょう?」
こんなすぐにバレることがあるんだ。そういえば、ジェラルド様は嘘が得意ではなかったな。
「ごめんね。あんまり僕が踏み込みすぎるのもよくないかなぁと思ったから」
「滅相もないことでございます」
僕はフロンドル家でも新参者だから遠慮したけど、あまり意味はなかったみたいだ。
「あの、もう伝わっていると思うけど、もう少しマエルに指導してもらえると助かるなって」
「はい。私も教育の重要性を痛感いたしました」
「わかってくれたならいいよ。そんな思い詰めた顔をしないで」
「私は……」
レジスが沈痛な面持ちで話を続ける。
「旦那様がご当主になられてから領地の運営に忙殺されて、大事なことを見落としていました」
「大事なこと?」
「フロンドル家に未来があるという当たり前のことを忘れ、目の前の仕事だけに注力していました。いつしか新人が来ても、臨時の働き手としか思えなくなって……昨日旦那様と話し合い、ようやく気づくことができました」
「それはよかった」
「奥様のおかげです」
レジスは晴れやかな顔で、僕を真っ直ぐに見て言った。
「僕なんてそんな大したことはしてないよ」
「奥様の明るさで、この屋敷は閉塞感から解放されました。感謝に堪えません」
「そっか、ありがとう。言葉にされると照れるね」
二人の間に和やかな空気が流れ、レジスは再び頭を下げた。
「これからもどうかよろしくお願いいたします、ノア様」
え、今——
「レジスが僕のことノア様って言った!」
今までは奥様だったのに。前に名前で呼んでとお願いして断られたことを思い出す。
「私だけが意地を張っても仕方がないと思いまして……」
「僕の方こそよろしくね! レジス!」
「はい、ノア様」
レジスが僕を認めてくれたことが伝わって、満たされた気持ちになる。
「僕、ジェラルド様に報告してくる!」
自室を飛び出し、執務室に向かって走り出す。
僕の背後では「ノア様! 廊下を走ってはなりません!」というレジスの声が響いている。
僕はその叱責を背中で受け入れながら、笑顔で足を進めた。
「喜んでくれるかなぁ」
包み紙の中に光るものを見つめて独り言を言う。
張り切って誰にも相談せずプレゼントを選んだが、今さら自分に贈り物のセンスがないことに気づいた。
昔マルク兄様の誕生日にサキュバスの羽が生えたオークの貯金箱を渡したら『ごめん。純粋な疑問なんだけど、何のつもりでこれを選んだの?』と聞かれた。もちろん理由は可愛いと思ったからだ。
その一件以来、僕はプレゼントを渡す前に誰かに相談するようにしていた。
でも、ジェラルド様のことになるとつい暴走してしまう。前に贈った置き物も一人で選んでしまったし、全然学習できてない。
うだうだしていたら部屋にノック音が響いた。寝る時間になっても寝室に来ない僕を心配したジェラルド様が、迎えにきてくれたようだ。
「ノア? 何かあったのか?」
「大丈夫です! すぐ行きます」
二人で寝室に入り、ベッドではなくソファーに腰掛ける。ジェラルド様は僕の手の中にある包みが気になったようで、何回か視線を送っていた。
少しでも喜んでもらうため、僕は精一杯の笑顔をジェラルド様に向けた。
「プレゼントです! お誕生日には少し遅れてしまいましたが、受け取ってください!」
「……私に?」
ジェラルド様は驚いた様子で包みを受け取った。
「ありがとう」
嬉しそうに笑うジェラルド様に、こちらも笑顔が深くなる。
「開けても?」
「どうぞ」
再利用できそうなくらい綺麗に剥がされた包み紙を見て、こういう何気ない仕草に性格がでるよなぁと思った。
「これは?」
ジェラルド様が手に取ったのは、親指の先ほどの大きさのペンダントトップだ。
「魔石です。実家のオラーヌ領で取れたもので、衝撃吸収の効果があります」
「衝撃吸収?」
不思議そうな顔で琥珀色の魔石を見つめるジェラルド様に説明を続ける。
「一定以上の衝撃が加えられそうになった時、身代わりになってくれます。吸収するのは一回きりですし、任意で発動できないのが難点です」
「面白い性能だ」
「選んだ後に戦闘の邪魔になるのではと気づいてしまって……」
「そんなことはない。ありがとう、素晴らしい贈り物だ」
ジェラルド様はそう言って、僕の手の指先に口付けを落とした。
突然のことに照れてしまい何も言えなくなる。
「君がそういう反応をするのは珍しいな」
「だって、ジェラルド様がかっこいいことするから」
「え、あ……そ、そうか」
「はい」
お互い無言になり、そしてどちらからともなく吹き出した。
笑いが収まるとジェラルド様が口を開いた。
「どうしてこの魔石を選んでくれたんだ?」
「実家ではお守りのようになっていて、それで選びました」
「お守り?」
「はい。昔木登りで遊んでたら、マルク兄様が僕の目の前で落ちたことがありまして。でも魔石のおかげで捻挫で済みました」
「すごい効果だな」
「兄様が死んじゃうと思って号泣したのを覚えてます」
「幼子には衝撃的すぎただろう」
「幼子? 僕が九歳の時の話ですよ」
「ん?」
ジェラルド様が首を傾げた。
「君と兄の年齢差は確か」
「マルク兄様とは八歳差です」
「ということは十七で木登り遊びを……いや、なんでもない。鎖につけてもいいか?」
「はい!」
ジェラルド様は首元からネックレスの鎖を取り出すと、魔石を取り付けた。
「どうだ?」
「思ったより馴染んでいて安心しました」
琥珀色の魔石の隣には、銀色に輝く竜笛が揺らいでいる。
「この魔石」
ジェラルド様が僕をじっと見つめる。
「どうかなさいましたか?」
「君の瞳の色に少し似てる」
気がついたら顔が近くにあって、そのまま口付けされた。
「んっ……」
唇が離れ、ジェラルド様と目が合った。瞳を覗かれているようでドキドキする。
「大切にする。この魔石も、君も」
不意打ちの告白にまたしても何も言えなくなって、その間ジェラルド様は僕の髪を優しく撫でながら何度も甘い言葉を囁いていた。
領都へ視察に行ってから一ヶ月前が経った。月日が経つのは早いものだ。
早いと感じる原因は、視察した日の夜ジェラルド様にプレゼントをあげたからだと思うけど。
領都でスカウトした人物と別棟の休憩室で話しながら、しみじみとそう思う。
「マエルが文官になってもう一週間かぁ。何回か話してるのにまだ不思議な気分だよ」
「私もあの時のルイさんが奥様でいらっしゃるとは思わなかったので、まだ驚いています」
「そんなにわからなかった? 今後もお忍びは問題なくできそうだね」
マエルは返答に困ったのか曖昧に頷いている。
「それよりもさ、どう? もう慣れた?」
「おかげさまで皆さんからよくして頂いております」
「よかった。何かあったら言ってね。僕に言いづらかったらジョゼフとかアルチュールに相談したらいいよ」
「ありがとうございます。でも本当によくして頂いていて……王都と違い実力だけで評価してもらえるのでやりがいがあります」
膝の上に置かれたマエルの拳が固く握られている。
「実力だけ?」
「中央はスキル至上主義で、同じ仕事をしていても実用的なスキルを持っている人物だけが評価されるシステムでしたから」
「文官もそうなんだ」
「はい。僕は指先がほんのり温かくなるだけのハズレスキルだったので、煙たがれていました。どんなに努力しても、必死で仕事に取り組んでも、スキルがだめという理由だけで馬鹿にされて……」
スキル至上主義は貴族社会だけの話ではなかったんだ。
マエルの姿が自分の過去に重なる。だめだ。今の僕は役立たずの伯爵家三男じゃない、きちんと表情を取り繕わないと。
「辛かったね」
「はい。もう王都には戻りたくないです」
よかった。どうにか、ごまかせたみたいだ。
「僕は素敵なスキルだと思うよ。冬の間の水仕事が楽になりそう」
「そうなんです! すごく便利なスキルで……王都に行く前は自分のスキルが好きだったのに」
「ここでは馬鹿にする人がいないから、きっと時間が解決してくれるよ」
「はい。ありがとうございます」
マエルの表情が一気に和らいだ。その顔を見てほっと胸をなでおろす。
「あ。スキルといえば、旦那様に何回かお会いしました」
「どうだった?」
旦那様の威圧スキルが原因で退職する者が多いので、どうしても気にかけてしまう。でもそれは、旦那様が悪いというわけではない。もちろん退職者も悪くないから難しい問題だ。
「皆さんが仰るほどではないな、と感じました」
「マエルは精神干渉系のスキルに耐性があるの?」
「いえ、王都にいた頃は普通に効いてました」
「そうなんだ」
「不思議なことに、挨拶だけで精一杯の日と十五分程度ならお話できそうな日がありまして」
「ばらつきがあるってことかな?」
「おっしゃる通りです。とりあえず対面しても問題ないということで、旦那様に書類を届ける仕事も任されるようになりました」
「それはよかった。今までレジスの負担が大きかったから」
「レジスさん……」
マエルの表情が再び暗くなった。
「レジスが、どうかしたの?」
「あ、いえ。これは完全に私の実力不足なのですが、ミスをしても何も言われないのです。レジスさんは『後はこっちでやっておく』と言ってくださるのですが、やはり申し訳なくて」
「そう……」
「でもこれからレジスさんに認めてもらえるように頑張ります」
「気を張りすぎないようにね」
「はい!」
マエルの笑顔に、大丈夫そうだと安堵する。それからしばらく雑談をして、僕は別棟から屋敷に戻った。
「というわけなんですが、旦那様はどう思いますか?」
「どう思う、とは?」
どうしても疑問が残る僕は、別棟から戻ったその足で執務室にいるジェラルド様を訪ねた。
「レジスのことですよ。彼が新人を気にかけないのは普段の様子から考えにくいなって」
僕とマエルでは立場が違うと言われたらそれまでだ。だが、レジスは唐突な恋愛相談にも嫌な顔一つしないで対応してくれる懐が深い人物だと思っていたから、マエルの話が引っかかってしまった。
「私が原因だろうな」
「ジェラルド様がですか?」
「ああ。今まで私のスキルを恐れて退職する者が後を絶たなかったから、新人はすぐにいなくなるという認識が変えられないのだろう。現にレジスがジョゼフを注意するようになったのも、ジョゼフが君の侍従になってからだ」
長い付き合いであるジェラルド様には、レジスの人となりが分かっているようだった。
「レジスにそれとなく、新人を邪険にするなと伝えておく。休みの件もあって彼と話し合いをしたいと思っていたからちょうどよかった」
「ありがとうございます! あ、でもレジスには僕が気にしていたことを内密にしていただけると助かります」
「別に伝えても問題ないと思うが」
ジェラルド様は不思議そうな顔をしたが、内密にすることを了承してくれた。
ジェラルド様とレジスの話をした翌日、自室で一人本を読んでいた僕は、ノックの音に顔を上げた。
返事をすると扉が開き、そこにはレジスがいた。
「お時間よろしいでしょうか」
「うん、大丈夫だよ」
昨日の今日だからつい身構えてしまう。
「ご心配をおかけして申し訳ございませんでした」
レジスが深々と頭を下げる。僕は慌てて立ち上がり声をかけた。
「そんな、頭を上げて。いったい何の話かさっぱり」
「マエルの件、あれは奥様が旦那様にご相談なさったのでしょう?」
こんなすぐにバレることがあるんだ。そういえば、ジェラルド様は嘘が得意ではなかったな。
「ごめんね。あんまり僕が踏み込みすぎるのもよくないかなぁと思ったから」
「滅相もないことでございます」
僕はフロンドル家でも新参者だから遠慮したけど、あまり意味はなかったみたいだ。
「あの、もう伝わっていると思うけど、もう少しマエルに指導してもらえると助かるなって」
「はい。私も教育の重要性を痛感いたしました」
「わかってくれたならいいよ。そんな思い詰めた顔をしないで」
「私は……」
レジスが沈痛な面持ちで話を続ける。
「旦那様がご当主になられてから領地の運営に忙殺されて、大事なことを見落としていました」
「大事なこと?」
「フロンドル家に未来があるという当たり前のことを忘れ、目の前の仕事だけに注力していました。いつしか新人が来ても、臨時の働き手としか思えなくなって……昨日旦那様と話し合い、ようやく気づくことができました」
「それはよかった」
「奥様のおかげです」
レジスは晴れやかな顔で、僕を真っ直ぐに見て言った。
「僕なんてそんな大したことはしてないよ」
「奥様の明るさで、この屋敷は閉塞感から解放されました。感謝に堪えません」
「そっか、ありがとう。言葉にされると照れるね」
二人の間に和やかな空気が流れ、レジスは再び頭を下げた。
「これからもどうかよろしくお願いいたします、ノア様」
え、今——
「レジスが僕のことノア様って言った!」
今までは奥様だったのに。前に名前で呼んでとお願いして断られたことを思い出す。
「私だけが意地を張っても仕方がないと思いまして……」
「僕の方こそよろしくね! レジス!」
「はい、ノア様」
レジスが僕を認めてくれたことが伝わって、満たされた気持ちになる。
「僕、ジェラルド様に報告してくる!」
自室を飛び出し、執務室に向かって走り出す。
僕の背後では「ノア様! 廊下を走ってはなりません!」というレジスの声が響いている。
僕はその叱責を背中で受け入れながら、笑顔で足を進めた。
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