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第二十六話 フロンドル領の秘酒

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 アルコールの匂いが漂う食堂で、僕は勢いよく提案した。
「ぜひ王都で売りましょう。絶対成功します」
 僕にしては珍しく強気な発言にジェラルド様が驚いた顔を見せた。

 なぜこのような展開になったのか、それは一週間前に遡る。



 ジェラルド様の誕生日の翌日、僕はアルチュールの元を訪れていた。
「ちょっといい?」
「はい。いかがなされましたか?」
 アルチュールは例のお酒の管理を終えたばかりなのか、妙に機嫌がいい。
「フロンドル領の秘酒についてだけど」
「どうぞ、遠慮なくお尋ねください」
 本当にお酒が好きなんだなぁ。目が輝いている。

「そのお酒って、この屋敷以外でも飲まれてる?」
「はい。知る人ぞ知る幻の酒という扱いですね。残念ながらフロンドル領でしか流通しておりませんが」
 なるほど。領内でも一部にしか出回っていないものみたいだ。

「正直に言ってほしいんだけど、美味しいの?」
「個人差はありますが、私は好きです」
「万人受けはしない感じかなぁ」
「ワインと比べるとどうしても難しいですね。でも根強いファンが多い印象があります」
「刺さる人には刺さるってやつか」
「まさにおっしゃる通りでございます」

 これは、もしかしたらいけるかもしれない。僕は今朝うっすら思い浮かんだことを伝えることにした。
「そのお酒さ、領外に売れない?」
「領外にですか? 考えたことがありませんでした」
「ちょっと頼みたいことがあって——」
 僕はアルチュールに市場調査を依頼した。彼は二つ返事で引き受け、数名の協力者と共に領都を駆け回ってくれた。



 市場調査の結果を受け、ジェラルド様に報告するため、夕食の後に時間を作ってもらった。
 ジェラルド様の杯には例の秘酒が注がれていて、僕の席にも強い酒精の匂いが漂っている。
「実はここ一週間ほどアルチュールに協力してもらい、この秘酒について調べていました」
「最近アルチュールが妙にはしゃいでいたのはそれが原因か」
 ジェラルド様がすっきりした顔で頷いた。

「まさか秘酒の起源が密造だとは思いませんでした」
「私も領主として複雑な気持ちだが、今は正式に徴収もできているから何も言えない」
 杯の中の酒が揺れ、甘い燻製のような香りがした。

 フロンドル領の秘酒は、大麦を原料とした蒸留酒だ。
 その昔、酒精が高いお酒に高額の税金をかける法律が制定されたことで密造が始まったと言われている。
 最初は透明なお酒だったが、人目を避けるため樽で保存したところ、琥珀色の香り豊かなものになったらしい。

 歴史と背景があるという付加価値は、取引において有利に働くだろう。

「思ったよりも人々から親しまれていて驚きました」
「意外と愛飲家がいたんだな」
 ジェラルド様が感心した様子で調査結果に目を通す。その内容は、王都でも一定の需要が見込める可能性を示していた。
「ジェラルド様」
 特産品が少ないフロンドル領の助けになればと願い、深呼吸する。

 そして話は冒頭に戻る。


「王都で売るという案は悪くないと思う。一時期私も考えていたが、計画段階で頓挫した」
 ジェラルド様が僕の提案に難色を示す。
「なぜですか?」
「流通経路が確保できなかったからだ」

 たしかに流通経路は難しい問題だ。

 この計画を練った時、飛竜で運ぶという方法を考えたが、法律で禁止されていることがわかり脱力したのを覚えている。
 飛竜の脅威を考えたら当然かもしれないが、陛下の許可がないとフロンドル領を超えることすらできないとは思ってもみなかった。
 しかし、二つ隣の領まで運ぶことができれば、河川を使って王都まで直通で輸送することが可能だ。

「河川を使う方法ではいけないのでしょうか?」
「それが一番現実的ではあるが……君はこの領から河川に繋がる道を通ったことがあるか?」
「いえ、別のルートで来たので実際に見たことはないです。しかし、地図上では道幅も充分あると感じましたが」
「河川のある領に荷物を届けるには、隣の領を経由する必要がある。しかし、我が領から隣の領に繋がる主要な道は二十年ほど全く整備がされていない状況だ。馬車で樽を運ぶとなると、積荷が全滅する可能性も低くない。先にそちらの問題を解決しないといけない」
 思っていたよりも問題が山積みだった。

「領主の方と交渉できないのでしょうか。お隣は伯爵家の領地ですよね」
「家格でいうとこちらが上だが、ちょっといろいろあって……」
「何があったのでしょうか?」
「今の当主と王城でうっかり対面したことがあったのだが」
「はい」
「精神干渉系のスキルが効きやすい御仁だったようで、泡を吹いて倒れてしまい大騒ぎになった」

 どれほどの騒ぎになったのか想像に難くない。
 貴族は体面を重んじるので、そんな過去があったら直接交渉するのは不可能だ。家格の高い、侯爵家以上の当主を間に挟まないと交渉の余地はない。

「いろいろあったのですね」
「ああ。それに、我が領と直接繋がる道は有事の際の取り決めも細かく決めておかないといけない。放っておくと他国に攻められた時に軍隊の通り道になってしまう」
「何回も協議を重ねる必要がありますよね」
「できる限り書面でやり取りするとしても、限界はあるだろうな」
 これは、僕一人の力では状況を打破できそうにない。

「いけると思ったのですが……」
 肩を落として呟く。ジェラルド様は僕を気遣って優しく声をかけてくれた。
「素直な意見を聞ける機会は貴重だから助かった。ありがとう」
「そう言っていただけると気持ちが救われます」
 落ち込んでいると、ジェラルド様に手招きされた。
 膝の上に座るよう言われ素直に従う。力が抜けて何かにもたれかかりたい気分だったから、ちょうどよかった。

「ポールが領主になったら風向きも変わるはずだ。その時に改めて提案してもらえると嬉しい」
「実現したとして、何年後くらいになりますかね?」
「少なくとも十年はかかるだろうな」
「ですよねー」
 ジェラルド様が僕の頭を撫でて慰めてくれた。髪をすくように撫でられるからすごく気持ちいい。

「どうして王都に秘酒を売ろうと思ったんだ?」
「それは……ジェラルド様のお役に立ちたくて」
 前々から考えていたことだけど、言葉にするのは恥ずかしい。

「私の?」
「はい。ジェラルド様の伴侶としてフロンドル家の力になりたいと思ったんです。でも難しいですね。ジェラルド様は先のことを見据えて領地のことを考えていて、頼もしいなと改めて思いました」
「ありがとう」
 僕のお腹辺りに回された腕がぎゅっとしまる。そして、ジェラルド様が僕の首筋に吸い付いた。

「んっ……ジェラルド様?」
「すまない。危うく噛み付くところだった」
「えっと、なぜ?」
「愛おしすぎて抑えきれなくなった」
「もう、くすぐったいです」
 ジェラルド様の吐息が首筋にかかってむず痒い。
「君が領地のために行動して、私を思ってくれたことが何よりも嬉しい」
「今回は失敗しちゃいましたけど、また話を聞いてくれますか?」
「もちろんだ。私も協力するから何でも相談してほしい」
「ありがとうございます」
 ジェラルド様の腕の中は安心する。ここが僕の居場所なんだと思えて離れられなくなる。

 結局僕の計画は失敗に終わったが、まだ諦めたわけではない。
 ジェラルド様と両想いになってから、一緒にいるだけで毎日が幸せで、満たされた気持ちになる。
 でも結婚生活における幸せを考えた時、このままでいいのかと思うようになった。

 僕は辺境伯の伴侶としてジェラルド様を支えられる存在になりたい。五年後にジェラルド様が辺境伯の地位を退くことはわかっていても、フロンドル領の役に立ちたい。

 寄りかかるだけではない、支え合える関係になりたい。

 決意を新たにした僕は、ジェラルド様の腕から抜け出し、思いっきり抱きしめ返すことにした。
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