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第十九話 しない理由

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 先日の嵐が温もりを連れてやって来た。未だ雲はどんよりと重いが、日増しに春の訪れを感じる。
 少し前の僕なら春が待ち遠しくて仕方なかっただろう。しかし、気持ちは晴れないままだ。

 春になったら大規模な魔物討伐が行われる。当然、フロンドル家当主であるジェラルド様は前線に立つことになる。そのことを思うと気が重かった。
 そしてもう一つ、僕の頭を悩ませることがある。

「それで、アルチュールなら解決策がわかると思って相談してみたんだ」
「存じません。ご自身でなんとかなさってください」
「アルチュールさん。ノア様のご相談から逃げたら、またレジスさんに怒られますよ」

 新しくなった自室で僕はアルチュールに相談を持ちかけていた。彼の横ではジョゼフがお茶の用意をしている。
 頭を抱えていたアルチュールが、ジョゼフに言われて僕の方に顔を向けた。

「大体ですね、乳兄弟に相談する内容じゃないでしょう。ノア様だってお兄様の奥方から恋愛相談をされたらどう思いますか?」
「え、頼りにされたらすごく嬉しいけど。昔、義理の姉にお願いされてデートに付き添ったことあるよ。長兄も嬉しそうだったし」
 僕の話を聞いた途端、アルチュールが真顔になった。

「なるほど。オラーヌ家の次期当主様は相当なブラコ……失礼、愛情深い方なのですね」
「普通だと思うけどなぁ。ジョゼフはたしか五人兄弟の長男だったよね? どう思う?」
 ジョゼフに視線を向けると、彼は落ち着かない様子で答えてくれた。

「あー、えーっと。僕は平民なので、兄弟の接し方はお貴族様と少し違うかもしれません」
「ずるいぞジョゼフ。返答から逃げるな」
 ジョゼフはアルチュールを無視して、全員分のお茶のおかわりを淹れている。

「それより今は僕の相談に答えて」
「申し訳ございません。もう一度内容をおっしゃっていただけますでしょうか」
 アルチュールが覚悟を決めたような顔で姿勢を正す。

「ジェラルド様が告白以来、キスしてくれないんだよ。僕のことそういう対象として見れないのかな」
「ないない、それはない。絶対にありえません」
「なんで即答できるの?」
「それは、旦那様から散々惚気を聞かされるので」
「えっ! 本当? 嬉しいな……ジェラルド様は何て言ってた?」
「私の口からは申し上げられません。直接ご本人に聞いてみてください」

 気になるけど、アルチュールは話してくれそうにない。
「それならなんでキスしてくれないのかな」
「私からは何も申し上げられませんが、一思いに押し倒してみてはいかがでしょうか」
「なんか投げやりになってない?」
「いえ、そんなことは。誠に申し訳ございません」
「なんで謝るの?」
「そういった相談事には向いていないと痛感いたしまして」

 アルチュールがあからさまに目を逸らした。ますます理由がわからなくなった僕は、とりあえずジョゼフが淹れてくれた紅茶を楽しむことにした。

 しばらくして、アルチュールは仕事があるからと退室していった。
 少しでも情報が欲しい僕は、ジョゼフを連れて家政婦長に話を聞きに行くことにした。
 結果、レジスは意外にも惜しみなく愛情表現をするタイプだったので全く参考にならなかった。



 お風呂上がりのふやけた手でドアノブに触れる。三日前に取り付けられたばかりの扉は主寝室と僕の部屋を繋ぐものだ。

 主人がいない部屋は最低限の灯りが点っていた。
 深みのある茶色で揃えた質のいい調度品が並んでいて心が安らぐ。
 この前僕がジェラルド様に贈った、革靴を履いたコカトリスの置物が目に留まり、つい口元が緩んだ。尻尾の蛇がつぶらな瞳でかわいい。

 主人の性格を表したような飾り気のないベッドに腰掛ける。シーツは寝転んで頬擦りしたくなるほど手触りがいい。
 ぼんやりと天井を眺めていたら、ふとジェラルド様の匂いを感じて顔が熱くなった。
 こんな何気ない瞬間に彼が好きなのだと実感する。

 早く会いたいなと思っていたら廊下に繋がる扉が開いた。
「驚いた、君か」
 どうやら僕の願いが届いたようだ。
「ごめんなさい。勝手にベッドに座ってしまって」
「それは構わないが……」
「そろそろ見納めだと思うとつい気になってしまって。二日後に新しいものが届くと家政婦長から聞いたので」
 僕の言葉にジェラルド様はくすりと笑って横に座った。

「当主になる前から使っていたからな」
 懐かしそうな顔をしたジェラルド様がシーツをなぞる。二人で座るとスペースにほとんどゆとりがない。
「思い入れがあるんですね。そういえば、ご当主になる前は何をされていたのですか?」
「私兵団に所属していた。まさか率いる立場になるとは思ってもいなかった」
「なんだか不思議ですね。それなら当時からのお知り合いがいらっしゃるのでは?」

 ジェラルド様が窓の外をみながら遠くを見て目を細める。
「今の団長が当時の上官だから、たまにすごく気まずい」
「そうなんですか?」
「ああ。指揮は問題ないが、雑談が難しい。あの人は昔から私のことを気にかけてくれたから余計に」
「それは複雑ですね」
 ジェラルド様は一度頷いてから無言になった。

 何回か話したことあるけど、団長は俺についてこいってタイプだからそこまで気にしていない可能性がある。今度さりげなく聞いてみよう。
 ジェラルド様には悪いけど、僕に弱音を吐いてくれるのはちょっと嬉しい。

「ところで、君はこういうことをしたことがあるのか?」
「こういう、というのは」
「誰かのベッドに、その、上がるような」
「するわけないじゃないですか! ジェラルド様だけですよ!」
 びっくりしてつい食い気味に否定してしまった。

「そうか。私だけか」
 ジェラルド様は安心したように笑ってから、照れた感じで髪を弄った。その様子に背中を押されて、悩みを打ち明けようと決めた。姿勢を正して深呼吸する。

「僕も聞きたいことがあります」
「どうした?」
 ジェラルド様も膝の上に手を置いて身を固くしている。僕の緊張が伝わってしまったのかもしれない。
 なるべく責めた口調にならないように、ゆっくりと話す。
「どうして、あの日以来キスしてくれないんですか?」

 ジェラルド様が唾を飲み、かすかに喉仏が動いた。
「それは……」
 何かを言いかけて再び黙り込む。
「僕に魅力を感じないとか、そういうことなのかなと思って」
「それは違う」
 僕の言葉をジェラルド様が遮る。
「なら、どうしてですか? 僕に悪いところがあれば直しますから、教えてください」
 頭の中が疑問でいっぱいになって、思わずジェラルド様の服の裾をつかんでしまった。

 ジェラルド様は短く唸った後、こわばった表情で口を開いた。
「君を傷つけてしまいそうで」
「傷つく、ですか?」
 どういうことかわからず、ジェラルド様をじっと見つめる。
「私はほら、人より力が強いだろう?」
「はい」
 怪力スキルの影響で、普段から力が強いことは知っている。

「君の前だと緊張して頭が真っ白になるから調整が難しいというか」
「調整?」
「抱きしめたり、引き寄せる時に、うっかり骨を砕きそうで怖いんだ」
 ジェラルド様は叱られた犬みたいにうなだれて、しょんぼりした声で言った。

 まさかの理由に呆気にとられ、言葉が止まってしまった。
 もしかして僕、ものすごく大切にされているのではないだろうか。
 目の前にいる彼が愛おしくて、こみ上げてくる笑いをどうしても抑えられなくなった。

「なーんだ。そういう理由だったんですね」
「笑いすぎだ」
 ジェラルド様がムッとした顔で僕を見る。僕は軽く謝りながら立ち上がった。
「ノア?」
 突然の行動に驚いたジェラルド様が僕の名前を呼ぶ。

「ジェラルド様が怖くて動けないなら、こうしたら解決ですね」
 ジェラルド様の肩に手を置いて、彼の唇に自分の唇を合わせる。
「僕も協力しますから、二人でゆっくり慣れていきましょう」
 恥ずかしくて顔が熱くなる。偉そうなことを言ったけど、僕だって経験がないからこれ以上はどうしたらいいかわからない。

 不測の事態だったのか、ジェラルド様は珍しくぽかんと口を開けて固まっている。
 その様子を静かに見守っていたら、ジェラルド様も立ち上がって不意に抱きしめられた。

「ジェラ……んっ」
 優しくベッドに押し倒されて、唇を奪われる。さっき僕がしたものよりも深くて激しいキスだ。
 ジェラルド様の舌が口内に入ってきて、思わず引っ込める。でも、すぐに捕まって絡められた。

「んっ……は、ぁ」
 舌と舌が合わさる初めての感触に変な声が漏れる。だけど不快感はなくて、徐々にこれが気持ちいいことだと自覚していく。
「ふ……あっ」
 上顎を擦られるとぞくぞくする。頭の中ではもっと欲しいと求めているのに、息苦しくなってきてジェラルド様の背中を叩いた。

 口が離れてからゆっくりと息を整える。
「ごめんなさい。息が続かなくて」
「気にしないでいい。次からは鼻で息をするんだ」
 夫婦だから当然だけど、次もあるんだと思うと鼓動が速くなる。
 ジェラルド様は僕に覆い被さったままだ。慈しむような目を見つめていたら、ふとあることに気づいた。

「痛くなかった」
「ん?」
「抱きしめられても全然痛くなかったです! 一歩前進ですね!」
「あ、ああ。そうだな」
 嬉しくて笑いかけたのに、ジェラルド様はなぜか視線を逸らす。
 こっちを見てほしくて、僕はジェラルド様に向かって腕を伸ばした。

「むしろ物足りなかったので、もっとぎゅーってしてください」
 僕の言葉にジェラルド様はみるみる顔が赤くなって、やがて手で顔を覆ってしまった。
「もう勘弁してくれ……」
「へ?」

 その後、耳まで真っ赤になったジェラルド様はしばらく身悶えていた。僕はそんなジェラルド様を見守りながら、寝る時間になるまで彼の腕をさすり続けた。
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