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第十五話 料理教室

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 風の音に誘われて窓の外を見ると鉛色の空が広がっていた。石造りの屋敷は暖炉で暖めても底冷えがして、冬の厳しさを感じさせる。
 そんな外の様子とは裏腹に、今日の僕は気合が入っていた。

「料理長! 本日はよろしくお願いします!」
 勢いよく頭を下げると、料理長が焦った声で「頭を上げてください」と言ってきた。
「ノア様、使用人に頭を下げられては困ります」
「ごめんね。今日は無理を言って厨房を貸してもらったから申し訳なくて」
「ノア様のそのお気持ちだけで十分です」
 料理長にやんわりと注意された。これ以上謝っても恐縮されそうで何も言えず頬をかく。

「ノア様! 料理長! 食材を持ってきました」
 タイミングよくジョゼフが食材を持って厨房に入ってきた。
「重たかったでしょ? ありがとう」
 ジョゼフはじゃがいもが目一杯入った木箱を抱えたまま笑顔を返してくれた。

 三人で食材を並べながら料理長が僕に話しかける。
「私に料理を教わりたいとの事でしたが、どういった目的で料理をされるのですか? 言われた通り食材は用意しましたが」
 料理長の疑問はもっともだ。普通、貴族は厨房に立たない。

「これには深い事情があって」
「はい」
「先日、旦那様が五年後にはポール様に爵位を継承させると仰ってね。もしかしたら使用人を雇わないで、二人だけで生活するかもしれないから練習を」
「いやいや、ありえないです!」
 ジョゼフが僕の話を遮って否定した。料理長もジョゼフに同意するように頷いている。

「少なくともアルチュールさんが付いてきますよ。ノア様が家事をすることはないと思います」
「僕もその可能性は考えたんだけどね」
「ええ」
「アルチュールが料理できると思う?」
「それ、は……」
 ジョゼフはこれ以上何も言わなかったが、それが一番の肯定だ。
 料理長は無言で調理道具の準備を始めていて、話が早くて助かるなぁと思った。


「ノア様、右手の親指でじゃがいもの皮と刃をおさえてください」
「こう?」
「そうです。この調子で皮を厚めに剥いてください」
 ナイフを動かす前から指がつりそうなんだけど、前途多難すぎる。
 僕の隣ではジョゼフがするすると皮を剥いていて、六個目のじゃがいもを掴んでいた。

「手慣れてるね」
「実家でもやってますから。それに僕はスキルもありますし」
 そうだった。ジョゼフはスキルで指先が器用だから細かい作業が得意なんだ。
 ジョゼフの動きを見ていた料理長が感心したように声を上げる。

「器用なもんだな。今度仕込みを手伝ってくれないか?」
「時間がある時でしたらいいですよー」
「その時は頼む。料理人は常時人手不足だから助かるわ」
 使用人同士のフランクな会話が少し羨ましい。

 慣れない動きと格闘すること十分。僕は手の中にあるじゃがいもを掲げた。
「できた!」
「素晴らしい出来栄えです」
 料理長がすかさず褒めてくれた。嬉しくなってジョゼフが剥いたじゃがいもと並べる。

「あれ? 僕のやつ小さすぎない?」
「気のせいですよ。あ、変色しないように水にさらしますね」
 料理長は目にも止まらぬ速さでじゃがいもを移動させた。
「いや、料理長ごまかすの下手すぎませんか?」
「悲しいけど僕も同意する」
 ジョゼフと僕の視線に耐えられなくなった料理長が「申し訳ございませんでした」と謝ってきてさらに悲しくなった。


 何回か失敗を繰り返してなんとかそれなりの形にできるようになった。最後の方は料理長もジョゼフも手放しで褒めてくれた。
「じゃあ次は野菜を小さく切っていきましょうか」
 料理長に教えられたやり方で野菜を切っていく。最初は黙々と切っていたけど、慣れてくると話す余裕が出てきた。

「料理長ってどこで修行してたの?」
「それは僕も気になります」
「実家が王都で料理屋をやっていまして。初めはそこで雑用をしてましたが、そこからいろいろあって世界を旅しながら料理を学ぶことになりました」
「旅! いいなー。いつかしてみたい」
 今の僕は気軽に領地を離れていい立場ではない。だから旅って言葉にすごく憧れてしまう。

 料理長の修行話で盛り上がっていたら、ふとある国が頭に浮かんだ。
「東の国に行ったことある?」
「ありますよ。指導と口調は厳しいですが、根は優しい方ばかりでしたね」
「なぜ東の国が気になったんですか?」
 ジョゼフの疑問に答える。
「旦那様のひいおばあ様が東の国の方と聞いたから気になっちゃって」
 僕の言葉にジョゼフと料理長が納得したように頷いた。

「あの国は可愛らしい発想が多くて面白かったです。包丁を使う際に添える手を猫の手と言ったりしました」
「へぇー、たしかに可愛いかも。ね、ジョゼフ」
「猫……」
 思わず自分の手が猫になった想像をしてしまう。隣にいるジョゼフも同じことを考えたようで、左手をまじまじと見つめていた。

 こうして、順調に作業を進めた僕たちは無事に料理を作り上げた。


「——というわけで、本日の夕食のスープは僕たちが作りました!」
「それは楽しみだ」
 執務室で休憩中の旦那様に報告すると、嬉しそうに微笑んでくれた。
 旦那様が聞き上手だから僕も説明に力が入ってしまう。

「料理長は修行のために世界各地を巡ったらしいですよ。旦那様はご存知でしたか?」
「知らなかった。彼は兄上が連れてきた料理人だからな」
「そうだったのですね!」
 次の料理教室の話題が決まった。今後しばらくは料理長の過去を深掘りするのが定番になりそうだ。

「料理をするのは初めてだと聞いたが、怪我はなかったか?」
「お気遣いありがとうございます。料理長が丁寧に教えてくれたので怪我はなく……あ、野菜を切る時に東の国の話になりまして」
「東の国の?」
「ええ。旦那様は猫の手って聞いたことがございますでしょうか?」
「いや、ないな」

 僕が野菜を切った時の動きを再現すると、旦那様は不思議そうな表情で首を傾げた。
「猫の手?」
 たしかに丸めた手を見せただけだとわかりにくいかもしれない。
 僕は手首を旦那様の正面に向けて猫のように手を動かしながら説明する。

「こうして指を曲げて食材を押さえるのですが、その手が猫の手のように見えるということみたいです」
 旦那様は僕の手の動きを黙ったまま凝視している。まだ上手く伝わっていないのかもしれない。でもこれ以上は説明のしようがないし……

「にゃ、にゃー」
 とりあえず猫の鳴き真似をしてみた。すると、何かが割れる音が聞こえてきた。

「旦那様! インクが!」
 旦那様の手元を見ると、インク壺が割れて机に黒いシミを広げていた。急いで書類を避難させる。なんとか被害は最小限に抑えられた。

「一体何の騒ぎですか?」
「僕も何が何だか」
 アルチュールが慌てた様子で執務室に駆け込んできた。
 まだ硬直している旦那様に代わり、僕が事の経緯を説明する。

「あー……納得しました。うん、旦那様には刺激が強かったようですね。ノア様もほどほどになさってください」
「えっ? 僕が原因なの?」
「正直に申し上げますと、まあ、その通りです」
 浮かんだ疑問が解消されないまま、アルチュールは呆れ顔で「これはしばらく使い物にならないなぁ」と呟いている。

「あの、何かあったのでしょうか?」
 不穏な空気を感じ取ったのか、レジスが心配そうな顔で入ってきた。今度はアルチュールが経緯を説明する。
「うーん……とりあえず机と床の片付けを」
「レジスも僕が原因だと思う?」
「お二人の会話を直接伺っておりませんので、わかりかねます。申し訳ございません」
 レジスが気まずそうに目を逸らす。これは確実に僕が原因のようだ。でも本当に理由がわからない。僕はただ猫の鳴き真似をしただけだ。

「旦那様は猫が苦手だったのかなぁ?」
「逆ですよ、逆。むしろ好きなものがかけ合わさって最高潮になってるというか……わかってないのが厄介だよなぁ」
「アルチュール、言葉に気をつけろ。手を動かせ」
「はい、はい。すみませんでした」
 レジスの叱責に、アルチュールは首をすくめて作業に戻る。この空気では追求するのは難しそうだ。
 僕はしばらく原因を考えてみたけど、よくわからなかったので書類整理を手伝うことにした。


 その後、完全に復活した旦那様はなぜ硬直したのか教えてくれず、夕食の時間になった。
「旦那様、お味はいかがでしたか?」
「美味しい」
「よかったぁ!」
 二人で笑い合うと嬉しさが胸に広がる。鍋いっぱいに作ったはずのスープを旦那様が一人でほとんど完食してくれて、料理の楽しさがわかった気がした。
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