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第九話 突破口

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『いいか、ノア。護身術の基本は逃げることだ』
『はい』
『だが世の中そう思い通りにはいかないことが多い。だから王都でも指折りの実力者であるマルク様が、かわいい弟のために護身術を教えてやろう』
『お兄様楽しそうですね』

 ああ、これはフロンドル家に嫁ぐ前の記憶だ。たしかあの時——

『ノアはスキルのおかげで相手の油断を誘いやすい。だからそこで一発かませ』
『何をしたらいいんですか?』
『まずは相手の様子を見極めろ』

 アルチュールに気づかれないよう深く息を吐く。抵抗を止めたらアルチュールが力を緩めた。
 助かった。これなら上半身は動かせるし、下半身もある程度自由が利きそうだ。

『威力は考えるな。当てることだけ考えろ。相手を怯ませたら勝ちだ。ここまですればあの辺境伯も手を上げないだろ』
『決めつけるのは辺境伯に失礼ですよ』

 ここに来てから護身術を使う機会はないだろうと思っていたのに、まさか役に立つ日がくるとは。

 アルチュールの顔が近づく。もう少し、あと少しだ。
 不意に視線が絡み合い、アルチュールの唇が弧を描いた。

『いいか? 狙うのは鼻か人中だ。口はやめとけ。歯が刺さるかもしれん』

 今だ。

 僕はアルチュールの鼻に思い切り頭突きをかました。
 アルチュールの顔が大きく後ろに逸れる。すかさず拘束から逃れ、いつでも逃げられるよう壁に背中をつける。

 ひとまず危険な状況から抜け出せた。気持ちが落ち着いたことで違和感に気づく。
「痛くない」
 たしかに当てたはずなのに、頭や額に痛みがない。

「あっぶねー! 王都育ちの箱入りっていうから油断してた」
 アルチュールの鼻を見ても頭突きのダメージがあったように思えなかった。
「どうして」
「ああ、これ? 俺のスキル。目を閉じている間は衝撃が無効になるの」
「すごいスキルだね」
「無効なのは衝撃だけで、刃物で刺されたら普通に痛いけどね」

 開き直った態度のアルチュールがソファに座り込む。
「怖がらせてごめん。もうしないから」
「えっと、普段と口調がだいぶ違うような」
「こっちが素。ジェラルドと二人の時はいつもこうだよ」
 一瞬、ジェラルドって誰だっけと返しそうになった。旦那様の名前か。

「なんで僕にもこの口調なの?」
「いや、もうやけくそってやつ。貴族の妻に無理矢理関係を迫ったとか最低でも鉱山送りだろうし」
「旦那様には報告するけど、大ごとにする気はないよ」
「優しいね、ノア様は。本当、こっちの良心が痛くなる」

 アルチュールが力無く笑う。僕は本性を知っても、まだ彼のことを嫌いになれなかった。
「どうしてこんなことしたの?」
「聞いてどうするの? 屋敷から去る人間のことなんか気にするだけ無駄でしょ」
「無駄かどうかは僕が判断する。短い付き合いだけど、アルチュールが考えなしにそんな馬鹿なことをする人間とはどうしても思えない」

「そういうとこだよ」
「ん?」
 茶化されたのかと思ったが、アルチュールの顔は真剣そのものだった。
「明るくて、使用人にも気を配るくらい優しくて。でも突拍子もないことをするから目が離せなくて面白い」
 いきなり褒められたから反応ができなかった。アルチュールは平然と話を続ける。

「ジョゼフなんかすぐに心開いてたし、レジスもああ見えてノア様のこと気に入ってる」
「そうなの?」
「わかりにくいけど、ジェラルドも心を開きかけてる」
「えっ! あれで?」
 思わず声を上げたらアルチュールが吹き出して笑った。
「たまに毒舌なのも俺は好きかな」
「旦那様には言わないでね。それで、僕の性格が原因でこんなことしたの?」

「三ヶ月だ」
 アルチュールの声が急に低くなる。
「三ヶ月、って?」
「今までの奥方の話。初めのうちはみんな我慢して旦那様と仲良くしようと努力する。でもすぐに限界がきて旦那様を罵倒しだす」
「罵倒?」
「ノア様はさ、疑問に思わなかった?」
「どういうこと?」
「寝室が一階ってこととか、カトラリーにナイフがないこととか、あと外出禁止もか」

 気になっていたことを言い当てられて、ぎくりと身体が強張る。
「たしかに、ずっと疑問だった」
「一人目は二階から飛び降り。俺が受け止めて命に別状はなかったけど、奥方が腕に怪我を負って。大騒ぎになって結局離縁したよ。旦那様の子どもを産むのがどうしても耐えられなかったって。彼女、妊娠してなかったのにね。想像だけでだめになったみたい」

「二人目は食事中にナイフでジェラルドに襲いかかってきた。口外しないことを条件に慰謝料たっぷりもらって離縁したらしい」
「三人目は?」
 声が震えているのが自分でもわかった。

「家出。従者と一緒に馬車で移動中、魔物に襲われて大怪我」
「そんな過去があったなんて」
 疑問は解消したはずなのに、気持ちは晴れなかった。

「ジェラルドが全部自分のせいだって言うんだよ。そんなわけないのに、離縁するたびに傷ついて。だから四人目と五人目は俺がさっさと追い出した」
「どうやって?」
「普通に口説くだけ。令嬢も令息もいけたから自信あったけど、ノア様には通用しなかったね。焦りすぎちゃった」
「そんなにすぐ離縁できたんだ」
「二人ともあっさり離縁して王都に帰ったよ。俺と結婚するってうるさかったけど、そこは穏便に済ませた」
 アルチュールの暗い表情から、紆余曲折があったことを悟った。旦那様が呪われているという噂が王都を中心に出回っているのは、この二人が原因なのかもしれない。

「急いで僕を追い出そうとした理由は?」
「いい人だから」
「いい人?」
「親しくなってもどうせだめになるのに、ジェラルドがノア様に興味を持ちはじめてる。傷が浅いうちになんとかしたかった」
 アルチュールが辛そうに目を伏せる。

「なぜ旦那様はそこまで拒絶されてきたの?」
「そんなの、少しでもジェラルドのそばにいたらわかるでしょ。俺の口から言わせるなんてノア様けっこう厳しいね」
 咎めるようなアルチュールの言葉が理解できず、目配せで話の続きを促す。

「俺は、スキルのおかげで乳兄弟として友人としてジェラルドのそばにいることができた。だから、実の父に蔑ろにされる姿も、生涯を誓った伴侶に拒絶される姿も全部見てきた」
 アルチュールが固く手を握りしめる。
「あんなスキルさえなければ、ジェラルドは愛されていたはずなのに」
「スキル?」

 そのスキルって、もしかして。
 頭に浮かんだ考えを口にしようとした時、勢いよくドアが開いた。

「何をしている?」
 そこに現れたのは、話題の中心である旦那様だった。
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