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第七話 観察
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旦那様を追いかけ回すと宣言した次の日、ベッドから降りると部屋の隅に控えていたジョゼフが得意げな顔で話しかけてきた。
「おはようございます、ノア様。アルチュールさんが旦那様の予定を教えてくれました」
「ありがとう、ジョゼフ」
手渡されたメモを読むと、午前中は執務室で書類仕事をされるみたいだ。さすがにお仕事の邪魔はできないので、旦那様を観察するのは午後からになりそうだ。
「アルチュールさんが午後の鍛練で旦那様を観察したらどうかって言ってました」
「鍛練! いいね、楽しみ!」
「あの、大丈夫ですか? けっこう大きい声とか音がしますけど」
「兄で慣れてるから平気だよ」
マルク兄様に誘われて騎士団の鍛錬を見学させてもらったことがあるけど、とにかく迫力がすごかった。あの強さは同じ男として憧れるものがある。
「それならよかったです。では、アルチュールさんに伝えておきますね」
「うん、ありがとう」
ジョゼフと予定を話し合って食堂に移動する。予想通り旦那様はいなかったけど、気持ちが浮ついていてあまり気にならなかった。
訓練場は一時間後に鍛練が始まるとは思えないほど静まりかえっていた。隠れるのにちょうどいい柱があったので、そこに身を潜める。
「いや、さすがに早すぎませんか?」
息を殺していたら呆れた様子のアルチュールが声をかけてきた。
「しっ。声が大きいよ。静かに」
「ずっと姿を見せないおつもりで?」
「情報収集だからね。今日はやることもあんまりないから早めに来ちゃった」
「あー、それは……はい」
アルチュールの気まずそうな声が静かに響く。
「その、責めたつもりはなくて」
「承知しております。今のところ奥方としての仕事もございませんし、外出も禁止されていますからね。お気持ちお察しいたします」
「外出禁止はそこまで苦じゃないよ。せめてもうちょっと仕事があればなーとは思うけど」
「かしこまりました。旦那様に掛け合ってみます」
「ありがとう」
「お役に立てて光栄です。どんなことでも遠慮せずにお申し付けください」
二人の間に気まずげな沈黙が広がる。どうしていいかわからず自分の髪を弄っていると、アルチュールが気遣うような優しげな声で笑いかけた。
「俺だったらノア様に寂しい思いをさせないのに」
「ん? それってどういう」
彼の真意を探ろうとしたら辺りがにわかに騒がしくなった。
「兵士たちが来たみたいですね」
何事もなかったかのような凪いだ目は、感情が読み取れなくて「そうだね」と返すのが精一杯だった。
兵士たちは柱の陰に隠れる僕たちに気づくことなく鍛練を始めた。そこそこ距離が離れているはずなのに、目の前で剣をぶつけ合っているかのような怒号や叫声が耳に入ってくる。
「申し訳ございません。彼らは少々言葉遣いが……」
「王都の騎士もこんな感じだから気にしないで」
王都の方は女性騎士がいるから多少おとなしかったけど、どこもそんなに変わらないんだなと思った。
「ああ、たしかお兄様が騎士でいらっしゃいましたね」
さすが旦那様の侍従。アルチュールは僕の家族構成もしっかり覚えていたようだ。
「うん。何回か見学したから慣れちゃった」
「そのお言葉を伺って、安心いたしました」
しばらく鍛練を見守っていると不意に空気が変わった。張りつめるような静寂の中心に旦那様が立っている。
「続けろ」
旦那様は兵士たちに短く指示を告げ、彼らと離れた場所で鍛練を始めた。
「なぜ旦那様はお一人で鍛練を?」
「それは旦那様のお心遣いで……ノア様はなぜそのようなことをお尋ねになるのですか?」
アルチュールの固い表情は、なぜわかりきったことをわざわざ聞くのかと問いかけている気がした。
「ただ気になっただけだよ。しばらく観察するから静かにね」
「かしこまりました」
僕の言葉でアルチュールの緊張があからさまに緩んだ。聞きたいことはたくさんあるけど、本来の目的である旦那様の観察に集中することにした。
しばらく旦那様の鍛練を観察してわかったことがある。
「今の動き何? 旦那様絶対強いよ! すごい!」
「ノア様、少々お声が大きいかと」
そう、旦那様の槍を振るうお姿が力強く洗練されているのだ。
王都の騎士と動きが違うから魔物との戦闘に特化した型なのかもしれない。見慣れない動きも相まって、鮮やかでかっこいい佇まいが目に焼きつく。
「今の槍さばき見た? ブンッって音がこっちまで聞こえてきそう」
「さようでございますね」
「かっこいいなぁ。筋力ないから余計憧れる」
「私も戦闘が苦手なので共感いたします」
「だよね!」
などと会話を弾ませながら、鍛練が終わるまでずっと旦那様を見つめていた。そんな僕をアルチュールは微笑ましげに最後まで見守ってくれた。
「おはようございます、ノア様。アルチュールさんが旦那様の予定を教えてくれました」
「ありがとう、ジョゼフ」
手渡されたメモを読むと、午前中は執務室で書類仕事をされるみたいだ。さすがにお仕事の邪魔はできないので、旦那様を観察するのは午後からになりそうだ。
「アルチュールさんが午後の鍛練で旦那様を観察したらどうかって言ってました」
「鍛練! いいね、楽しみ!」
「あの、大丈夫ですか? けっこう大きい声とか音がしますけど」
「兄で慣れてるから平気だよ」
マルク兄様に誘われて騎士団の鍛錬を見学させてもらったことがあるけど、とにかく迫力がすごかった。あの強さは同じ男として憧れるものがある。
「それならよかったです。では、アルチュールさんに伝えておきますね」
「うん、ありがとう」
ジョゼフと予定を話し合って食堂に移動する。予想通り旦那様はいなかったけど、気持ちが浮ついていてあまり気にならなかった。
訓練場は一時間後に鍛練が始まるとは思えないほど静まりかえっていた。隠れるのにちょうどいい柱があったので、そこに身を潜める。
「いや、さすがに早すぎませんか?」
息を殺していたら呆れた様子のアルチュールが声をかけてきた。
「しっ。声が大きいよ。静かに」
「ずっと姿を見せないおつもりで?」
「情報収集だからね。今日はやることもあんまりないから早めに来ちゃった」
「あー、それは……はい」
アルチュールの気まずそうな声が静かに響く。
「その、責めたつもりはなくて」
「承知しております。今のところ奥方としての仕事もございませんし、外出も禁止されていますからね。お気持ちお察しいたします」
「外出禁止はそこまで苦じゃないよ。せめてもうちょっと仕事があればなーとは思うけど」
「かしこまりました。旦那様に掛け合ってみます」
「ありがとう」
「お役に立てて光栄です。どんなことでも遠慮せずにお申し付けください」
二人の間に気まずげな沈黙が広がる。どうしていいかわからず自分の髪を弄っていると、アルチュールが気遣うような優しげな声で笑いかけた。
「俺だったらノア様に寂しい思いをさせないのに」
「ん? それってどういう」
彼の真意を探ろうとしたら辺りがにわかに騒がしくなった。
「兵士たちが来たみたいですね」
何事もなかったかのような凪いだ目は、感情が読み取れなくて「そうだね」と返すのが精一杯だった。
兵士たちは柱の陰に隠れる僕たちに気づくことなく鍛練を始めた。そこそこ距離が離れているはずなのに、目の前で剣をぶつけ合っているかのような怒号や叫声が耳に入ってくる。
「申し訳ございません。彼らは少々言葉遣いが……」
「王都の騎士もこんな感じだから気にしないで」
王都の方は女性騎士がいるから多少おとなしかったけど、どこもそんなに変わらないんだなと思った。
「ああ、たしかお兄様が騎士でいらっしゃいましたね」
さすが旦那様の侍従。アルチュールは僕の家族構成もしっかり覚えていたようだ。
「うん。何回か見学したから慣れちゃった」
「そのお言葉を伺って、安心いたしました」
しばらく鍛練を見守っていると不意に空気が変わった。張りつめるような静寂の中心に旦那様が立っている。
「続けろ」
旦那様は兵士たちに短く指示を告げ、彼らと離れた場所で鍛練を始めた。
「なぜ旦那様はお一人で鍛練を?」
「それは旦那様のお心遣いで……ノア様はなぜそのようなことをお尋ねになるのですか?」
アルチュールの固い表情は、なぜわかりきったことをわざわざ聞くのかと問いかけている気がした。
「ただ気になっただけだよ。しばらく観察するから静かにね」
「かしこまりました」
僕の言葉でアルチュールの緊張があからさまに緩んだ。聞きたいことはたくさんあるけど、本来の目的である旦那様の観察に集中することにした。
しばらく旦那様の鍛練を観察してわかったことがある。
「今の動き何? 旦那様絶対強いよ! すごい!」
「ノア様、少々お声が大きいかと」
そう、旦那様の槍を振るうお姿が力強く洗練されているのだ。
王都の騎士と動きが違うから魔物との戦闘に特化した型なのかもしれない。見慣れない動きも相まって、鮮やかでかっこいい佇まいが目に焼きつく。
「今の槍さばき見た? ブンッって音がこっちまで聞こえてきそう」
「さようでございますね」
「かっこいいなぁ。筋力ないから余計憧れる」
「私も戦闘が苦手なので共感いたします」
「だよね!」
などと会話を弾ませながら、鍛練が終わるまでずっと旦那様を見つめていた。そんな僕をアルチュールは微笑ましげに最後まで見守ってくれた。
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