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第三話 出会い

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 馬車の窓を開けると広大な畑が広がっていた。収穫を終えたばかりなのか何も植えられていない。つい先日まで辺り一面が黄金色に染まっていただろう。大麦はフロンドル領の基幹作物だ。
 やっとここまで来たという達成感に胸がいっぱいになる。王都から馬車で二十日の長旅は、想像以上に過酷だった。

「あと数刻でフロンドル辺境伯のお屋敷に到着します」
 同乗している従者が何か言いたげな顔でこちらを窺っている。
「そっか。楽しみだけど、寂しくなるね」
 僕がそう返すと、従者は手を握りしめて意を決したように口を開いた。

「本当に、従者を一人も連れていかないおつもりですか?」
「うん。みんなにも家庭があるしね」
「ノア様。私は……」
「君も、春に子どもが生まれるって聞いたよ。むしろ大変な時にここまで付いてきてくれて感謝してる」

 婚約破棄で随行の予定がなくなったと思ったら半年後に辺境行きだ。従者たちのことを考えると、一緒に辺境へ来てくれとは言い出せなかった。

「身の回りのことも一人でやれるから大丈夫だよ。ほら、この服も自分で着たものだけど、ちゃんと着こなしてるでしょ?」
 腕を広げてシモン兄様から頂いたジャケットをアピールすると、従者の表情が一気に和らいだ。

 その後、随行の話題が出ることはなく、思い出話に花を咲かせた。話が盛り上がっている間に馬車はフロンドル辺境伯の屋敷に到着していた。


 目の前の建物は、屋敷というより城塞のようだった。石壁は分厚く、頑丈そうに見える。
「すごいすごい! 王都と建物の造りが全然違う! かっこいい!」
「ノア様、お静かに。まずはご挨拶を」
「ようこそいらっしゃいました」
 従者の小言を聞き流していると、屋敷の入口に立っていた執事が出迎えてくれた。
 はしゃいでいたことが急に恥ずかしくなって、咳払いをしてから真面目な顔を作る。

「これからよろしくね。フロンドル辺境伯はどちらに?」
「主も首を長くしてお待ちしておりますので、ご案内いたします」
 執事の案内で玄関ホールから応接室に通される。ホール正面の階段に敷かれた絨毯は色合いが実家のものにそっくりで、少しだけ肩の力がぬけた。


 長い廊下を歩き応接室の前に着いた。執事が扉をノックすると、落ち着いた低い声が返ってくる。
 扉を開くと応接室には男性が二人いたが、どちらが辺境伯なのか一目でわかった。辺境伯に促されソファに腰掛ける。
「君がノア・オラーヌか」
「は、はいっ」

 大きな机を挟んでいるのに圧がすごい。歴戦の勇士といっても過言でないくらい威厳と凄みを感じさせる男性だ。
 緩いウェーブがかかった濃い黒髪は、長さが鎖骨くらいまでありそうで、それを後ろで一つにまとめている。
 瞳は明るい灰色で、切長の目が印象的だ。青が混じった灰色がクールな印象を与えている。
 白いシャツ以外黒で揃えた服装はシンプルだが、厚みのあるたくましい体格によく似合う。今のところ座っている姿しか見ていないけど背も高そうだ。

 姿絵よりも精悍な顔にドキドキしていると、辺境伯が見覚えのある絵を取り出した。
「確かに。相違ないな」
 つい絵に目線がいってしまう。そこにいるのは、目と髪の色以外真実が一つも描かれていない僕の姿だ。

 見れば見るほど似ていない。全体的な雰囲気は合っているけどパーツの一つ一つが究極に美化されている。
 整えられた顔に特徴のない茶髪茶目が浮いている。目と髪の色は嘘を描けないところなので仕方ないが、もう少しやり方があったのではと思ってしまう。

 それにしても、この絵と見比べて顔色一つ変えず相違ないと言い切れる辺境伯はすごいな。細かいところを気にしない性格なのかもしれない。僕と気が合いそうだ。

 何を言えばいいかわからず、あいまいに笑っていると辺境伯が書類を差し出した。
「ここに署名を」
「はい」
 受け取った万年筆で名前を書く。緊張で手が震えたけどなんとか綺麗に書けた。

「これで私たちは名実ともに配偶者だ」
 辺境伯が横に控えていた従者に書類を手渡す。従者は丁寧な手つきでそれを受け取ると応接室から出て行った。

 二人きりになった空間は気まずい雰囲気に支配されていた。
「あのっ!」
「君は」
 空気を変えるため話しかけようとしたら、タイミングが被ってしまった。

「すまない。先に話してくれ」
「こちらこそすみません。どうぞ」
「いいのか?」
「はい。大したことではないですから」
 会話のきっかけに身長を聞きたかっただけだし、辺境伯の真剣な顔つきを見たら言わなくて正解だったと思う。

「君はずいぶんあっさりと署名したな」
「それは、ええっと、事前に決まっていたことですし?」
 辺境伯の言葉の意図がわからずあいまいに返すと、疑わしいと言いたげな顔をされた。
「一つ忠告しておく」
「はい」
 真っ直ぐ辺境伯の目を見つめると、彼は重々しく口を開いた。

「離縁したくなったらすぐ伝えるように。できれば雪が積もる前にお願いしたい。春もしばらくは領地から出られないからそのつもりで」

「え?」
「忠告はした。家令に屋敷を案内させるからここで待っていなさい」
 辺境伯はそれだけ言うと応接室から出て行った。立ち上がった辺境伯は思った以上に背が高くて、驚きのあまり声が出そうになった。

 取り残された部屋で僕は一人困惑していた。
 結婚初日に離縁の話をされるってどういうことだ?
 たしかに辺境伯は過去五回も離縁しているけれど、それにしてもあんまりな言い方だ。

 王都にいるお父様、お母様、それから王弟殿下。僕、さっそく何かやらかしたのかもしれません。

 打ちひしがれて視線を落とすと、机に置いた万年筆がいきなり転がって床に落ちた。まるで今後の結婚生活を予感させるかのようだ。
 嫌な予感を払拭するため慌てて拾おうとしたら、机の角に足をぶつけて無言で悶えた。これはもうどうしようもない。万年筆には悪いが静観することにしよう。

 こうして、ノア・フロンドルとしての新しい生活が始まった。
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