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第一話 婚姻命令

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「ノア・オラーヌ、君にジェラルド・フロンドル辺境伯との婚姻を命じる」
 頭上から降ってきた声は厳かなものだった。張り詰めた空気に耐えきれず目を伏せる。
「謹んで拝命いたします」

 たしか、こんな返しでよかったはず。王城の一角にあら広間には、僕と王弟殿下そして殿下の侍従の三人しかいないから確かめようがない。
 恐る恐る顔を上げると、軽薄そうに笑う王弟殿下の姿があった。澄んだ青い瞳と目が合う。

「いやぁ、怖がらせてごめんね? 王族として形式は守らないといけないからさ。慣れないことはするもんじゃないね。あ、もう立っていいよ。侍従もすぐに下げるから」
 王弟殿下が端正な顔立ちをへにゃりと崩す。僕は殿下の侍従が立ち去ったことを確認して抗議した。

「それなら、せめて、予告してくださいよ!」
「はい、はい。ごめんね。で、いいの?」
「いい、とは?」
「婚姻の話。あの辺境伯だよ? 君も噂は知っているはずだ」

 辺境伯の噂は聞いたことがある。なんでも、そばにいるだけで震え上がるほど恐ろしいオーラを放っているらしい。過去に五回も結婚しているが、どれも半年以内に離縁してるとか。何人かは怪我を負って故郷に戻らざるをえなかったとも。
 証拠は一切ないが、辺境伯を恐れる人たちは「呪い」だと言っていた。

「ただの噂ですからね。それより、僕は男ですけどいいんですか?」
「大物だねぇ。そこは問題ないよ。彼は男性と婚姻を結んだこともある。半年ももたなかったけどね」

 王弟殿下はけらけらと笑いながら説明を続ける。その笑顔からは辺境伯に対する親しみが込められている気がした。

「すでに跡取りは彼の甥に決まっているから世継ぎのことも気にしないでいい」
「ああ、それで」
 この国では同性同士も婚姻可能で、魔法を使えば男性でも妊娠できる。ただし、魔力の関係で子どもは二人が限界だから当主や嫡男が同性と結婚する例は少ない。

「辺境伯であるジェラルドとは長い付き合いでね。誤解されやすい男だけど、彼には幸せになってほしいんだ」
「むしろ僕でいいんですか? 秀でたところもないし、スキルも役立たずで……」
 先日、元婚約者から投げかけられた言葉を思い出して胸が痛む。

「君のスキルは素晴らしいものだよ。俺は、俺の『魅了』が効かない君に可能性を感じた。気負わなくていい。あるがままの君でジェラルドと向き合ってみてほしい」
 王弟殿下の顔は真剣そのもので、王族としての威厳も感じられた。

 それからしばらく王弟殿下と今後についての話をして、僕は王宮を後にした。
 突然のことで驚いたが、これ以上ないくらい僕にはもったいない話だ。噂は気になるけど直接会ったこともない相手だから悩みすぎるのもよくない気がする。

「あるがまま、か」
 屋敷へ向かう馬車で殿下の言葉を思い返す。それが一番難しいんじゃないかなぁ。受け入れてもらえたらすごく嬉しいけど。
 考え事をしすぎて疲れてしまった。僕らしくない。頭を空っぽにするため、街の喧騒に耳を傾けながら静かに目を閉じた。


 王都にある屋敷に戻ると、使用人とともに母が出迎えてくれた。
「ノア、帰りが遅いから心配しましたよ。王弟殿下とどのようなお話を?」
「お母様、聞いてください! フロンドル辺境伯との婚姻が決まりました!」
「え……婚姻、ですか? 北の辺境伯と?」
「はい! 先方とは王弟殿下が話をつけてくれたそうです。お父様もすでに許可しているみたいで、明日、正式な書状が届くらしいですよ!」
 お母様の顔が青ざめ、動揺を隠すようにドレスを握りしめている。噂話を鵜呑みにしない人だから大丈夫だと思ったけど、すぐに伝えたのは早計だったかもしれない。

 この場を切り抜ける方法を考えていたら、突然お母様が顔に手を当ててよろめいた。後ろに控えていた侍女が慌てて肩を支える。

「お母様!」
「イザベル様!」
 大変なことになってしまった。どうしていいかわからずおろおろしてたら、侍女から「邪魔です」という視線を向けられて、自分の部屋に退散した。

 その後すぐに医者が来て、お母様が倒れた原因が精神的ショックによる貧血だと判明した。
 息子の婚姻で倒れるほどの衝撃を受けるとは、どういうことだろうか。普通、婚約破棄された息子の婚姻が決まったら手放しで喜ぶのではないか。もしかして辺境伯は僕が思っている以上に危険人物なのかもしれない。

 一抹の不安が頭をよぎるなか、今後の身の振り方を考えていたら、お父様が戻ってきたと執事が教えてくれた。
 急いで執務室に入ると、お父様が憔悴した様子で革張りの椅子に座っていた。いつもの穏やかな顔が、どこかげっそりとして見える。
「お父様、あの、お伝えしたいことが」
「ごめん、ノアくん。少し待って」
 お父様が頭を下げて深く息を吐く。

「大体の話は了承済みだけど、まだ覚悟が足りなくて」
「フロンドル辺境伯との婚姻についてですが」
 長くなりそうなのでこちらから話を切り出したら、お父様がくぐもった声を漏らした。よく見ると肩がかすかに震えている。

「お父様?」
 号泣だ。あまりの声量に執事が部屋の扉を開けて様子を見にきたけどすぐに立ち去った。話しかけなくてもいいから、せめて同じ空間にいてほしかった。

「ごめ、ノ、アくん。もう、ちょっと」
 孫もいる年齢の男性が涙と鼻水を流している姿にいたたまれない気持ちになって目を逸らす。僕はお父様が泣き止むまで傍観を決め込んだ。

「よろしければお使いください」
「ありがとう。ノアくんは優しい子だね。自慢の息子だ」
 お父様が落ち着いた瞬間を見計らってハンカチを差し出すと、笑顔で受け取ってくれた。

「あの、婚姻の話は」
「本当は拒否したかったけど受けるしかなかった。王族が関わっているから伯爵家の力では揉み消すのは難しい。最悪、ノアくんが病気になったことにして」
「僕はそこまで悪い話だと思っていません。むしろ婚約破棄をされた直後なのに運がよかったと思っています」
 僕の言葉に、お父様の顔が悲しげに歪む。

「かわいそうに! アレのせいでノアくんがこんなにも追い詰められてっ……賠償金を、もっと、上乗せさせてやればよかった!」
「お父様、落ち着いてください。僕はもう吹っ切れましたから」
 このままではお父様がまた泣き出してしまうかもしれない。僕が必死になだめると、何とか落ち着きを取り戻してくれた。
 
「やっぱり心配だよ。何人かは怪我をして離縁したって話だし。ノアくんに何かあったら僕は……」
「さすがに暴力をふるわれたら即離縁します。僕だって男ですから、そこまで酷いことになりませんよ」
「でも……」
「それに以前話題に上がった時にお父様が言ってたじゃないですか。フロンドル辺境伯が伴侶を傷つけた直接的な証拠はないって。僕も噂だけで彼の人となりを判断したくありません」
「ノアくんの覚悟はわかった。イザベルには僕から言っておくよ」
 お母様の説得を任せることができて胸を撫で下ろす。感謝の気持ちを伝えると再びお父様が涙ぐみ、退室するのに結構時間がかかった。


 さらに翌日、執事から話を聞いた王都勤めのマルク兄様が屋敷に駆けつけてきた。
「ノア! お前何をやらかしたんだ!」
「やらかすって、どういうことですか?」
「あの辺境伯と婚姻だなんて。とうとう王弟殿下に不敬を働いたか?」
「その言い方、僕と辺境伯に失礼だと思いますけど……不敬は、おそらく問題ないかと」
 僕の主張に兄様が眉を上げ納得いかないような顔をした。

「ノアのことだからなぁ。二人でいる時は気安く接してほしいって言われたら、殿下を友達みたいに雑な扱いしそう」
「えっ! それ不敬なんですか? 殿下がいいって言うから二人でいる時は大丈夫だと思ってました」
 兄様は目を見開くと、頭を掻きながら視線を下に向けた。
「あー、殿下の寛大なお心に感謝申し上げないとな。さらに忠誠心上がったわ。うん、さすが」
「兄様も十分不敬では?」
 騎士なのに忠誠を軽く扱いすぎだと思う。

「その話はどうでもいいや。それよりノア、お前まだ十九なのに焦りすぎじゃないか? わざわざあの辺境伯じゃなくても候補はいるだろ。なんなら嫁の貰い手だって」
「贔屓目で見過ぎです。僕にこれ以上の縁談があるとは思えません。オラーヌ家にとっても悪い話ではないかと」

 僕の言葉を遮るように兄様が大きなため息をついた。
「なんだそれ。お前さぁ、まだアレのこと引きずってんの?」
「彼は関係ありません。僕は、僕の意思で話を受けました」
 気持ちを込めて兄様の目を真っ直ぐ見つめ返した。僕と同じ茶色の瞳が鋭い眼差しを向ける。

「ふーん。まぁ、ノアの気持ちはなんとなく伝わった。じゃあ今後のために、騎士であるお兄様が護身術を教えてやろう」
「えー。兄様厳しいからいやです」
「ほら、さっさと行くぞ」
 兄様は僕の襟首を掴むとズンズン歩き出す。
「横暴だぁ」
「人の親切はありがたく受け取っておけ」
 やけに楽しそうな兄様の声に、諦めてついて行くことにした。

 婚姻の話を受けてから少しして、次期当主として領地に住んでいるシモン兄様から『嫁ぎ先に持って行くドレスを何着送ったらいいか』という内容の手紙がきた。兄様にとって僕は弟なのに、頭から抜けてしまったのだろうか。静かに混乱しているシモン兄様の姿が目に浮かぶ。
 とりあえず『ドレスはやめてジャケットにしませんか?』と返信しておいた。
 後日その話をしたらお父様とマルク兄様はお腹を抱えて笑っていたし、お母様は呆れた顔をしていた。


 月日が流れるのは早いもので、辺境伯との婚姻が決まって三ヶ月が経った。現在、北の辺境フロンドル領へ向かう馬車に揺られながらたそがれている。窓を開けたら涼しげな風が入り込んできて秋を感じた。

 どうしてこんなことになったのか。変わり映えのしない景色を眺めながら、そもそものきっかけとなった婚約破棄のことを思い返していた。
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