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ニャミニャミ堂へようこそ
しおりを挟むエレグノアと呼ばれる国の、ヘレントスと呼ばれる都市に、「ニャミニャミ堂」というちょっと怪しい店があった。
ヘレントスはヨナの大森林という魔境のすぐそばに築かれた冒険者の街である。
一般市民や貴族から依頼を受け、冒険者達に仕事を斡旋し、報酬の受け渡しなども一手に引き受ける冒険者ギルド、その中でもほどほどの実力と実績をもつ冒険者を担当する中級冒険者ギルドのすぐ向かいに、ニャミニャミ堂は存在した。
冒険者御用達の安宿の一階から狭い階段を一番下まで降りた地下で、ひっそりと商売をしている。
中に入れば薄暗い店内の壁が一面棚になっていて、謎の骨格標本や奇妙な生物の瓶詰めが展示されている。
その中に紛れ込むようにして商品が並んでおり、主に取り扱うのは冒険者の必需品、魔法薬や保存食、それに魔法避けのお守り、ちょっとした護身用の刃物など。
冒険者ギルドの近くという好立地に店を構えてはいるものの、看板もなく入り口もわかりにくいので、この街に詳しい人でなければこの店を知らないだろう。
しかし、ニャミニャミ堂は50年以上続く老舗の雑貨店で、今も客はそれなりに多い。
他の雑貨店と比べて品揃えが良いわけでも、安いわけでもないこの店が繁盛しているのには、理由がある。
ニャミニャミ堂では、他の雑貨店には置いていない唯一無二の薬を販売しているのだ。
その薬の名は、蛇毒湯。
おどろおどろしい名前だが、効き目は抜群。
滋養強壮、疲労回復、精力増強、日々お疲れの冒険者の皆様はここぞというときにこの蛇毒湯を飲み、夜の街に繰り出していくのである。
この薬の原材料はそのままずばり蛇の毒である。
しかし、その辺の野生の蛇から絞ったわけではない。
店主本人の毒が原材料なのだ。
ニャミニャミ堂3代目店主のシグは、ごく最近父親からこの店を受け継いだ、まだ20代半ばの若い蛇人である。
この国の住人は多くは亜人だ。
様々な生物の特色を身体のどこかに宿した人間のことを亜人と呼び、その中でも蛇やトカゲなどの爬虫類の特色を持つ人間は蛇人と呼ばれている。
シグも蛇人らしく、肩から腕、腰から足にかけて帯状に鱗が生えている。
濡れているかのような光沢を放つ鱗は緑がかった褐色で、真っ白い肌との対比がなんとも妖しい。
艶のある黒い髪で顔の殆どを隠しているが、その奥の瞳は冷たさを感じるような硬質な緑色で、瞳孔も縦に割れている。
目は切れ長でつり上がっており、鼻梁は細いが高さはある。
唇は薄く、肌が白いせいで赤さが目立った。
温度をあまり感じないが、造形は決して悪くない。
神秘的な、いかにも怪しい薬を売りそうな男、それがシグだ。
店番をしているときは首や腕にも銀細工の装飾品をいくつも下げ、黒いフードを被っているので、年齢や性別さえもよくわからない有様になる。
そんな男から淫靡な微笑とともに、これは効くよ、と薬を差し出されれば、なんとなく凄いもののように感じてしまう。
そう、これこそニャミニャミ堂の戦略だった。
まだ客の少ない午前中。
シグは店の商品棚を掃除しながら大あくびをした。
その拍子にホコリを吸い込んでしまい、思い切りくしゃみもする。
う~と情けない声で唸りながら、ちり紙を求めて店内をウロウロするシグには、神秘性もクソもない。
鼻をかむときに前髪とフードが邪魔だったので、シグはフードをはねのけ、髪を全部後ろにかきあげてまとめて紐で縛った。
そうしてしまうと、シグもちょっと色白な普通の兄ちゃんである。
店の戦略的には良くないが、客もいないので、シグはそのまま店の掃除を続行した。
シグは汚れを取り除く魔法、浄化魔法が使えるのでそれを使えば一瞬で終わるのだが、どうせ時間もあるし、商品の配置や在庫の確認も兼ねて毎日手作業で綺麗にしている。
蛇毒湯の効能は夜向けなので、午前中や昼間は暇なことが多い。
なので夕方になるまでは、掃除したり検品したりして過ごすのが常だった。
独自の商品のおかげでそこまで躍起になって商品を売り込まなくても、毎日程々に売れていくし、シグは悠々自適な自営業生活を楽しんでいた。
三代目を継いだとはいえ、父親もまだまだ現役なので、休みたいときは店番も代わってもらえる。
ただ、シグの父親は極度の人見知りで接客には全く向いてなかったので、ニャミニャミ堂創始者の祖父から、早めに代替わりするように言いつけられた。
シグ自身は接客も苦にならないし、むしろ人と話すのは好きだ。父親は接客ではなく製薬の方が好きらしく、毎日コツコツと自分の毒を採取しては蛇毒湯を作ってくれるので、いい具合に役割分担ができている。
シグも蛇毒湯を作れはするのだが、どうやら父親よりも毒性が弱いらしく、蛇毒湯にしたときもやや効果が優し目になってしまう。
その為シグの毒を使った薬は、蛇蜜丸という別商品で売り出すことにした。服用しやすいように飴で固めた錠剤で、女性を中心に人気が出ている。
午前中や昼に訪れる客は蛇蜜丸を買っていくことが多いので、シグは在庫を補充することにした。
先日作ったばかりの蛇蜜丸を乾燥棚からおろし、小さい瓶に詰めて封をする。
この小さい飴でも十分滋養強壮の効果はある。
これからの主力商品になるかもしれないと祖父には太鼓判を押された。
しかし、シグはちょっと溜息をついた。
シグは今の生活に満足していたが、ふとした時に子供の頃の夢を思い出して、この小さな飴にがっかりしてしまうのだ。
幼い頃、シグは冒険者に憧れていた。
このニャミニャミ堂に小さい頃から出入りして、祖父の手伝いをしていたから、冒険者と顔を合わせることも多かったのだ。
外の世界に住む化物、在来生物と戦い、世界を旅して、自由に生きる冒険者たち。
いつか自分も街の外に出て冒険するんだ、とシグは夢見ていた。
しかし、成長するにつれてシグは現実を思い知った。
蛇人が冒険者になる時に、最も強力な武器になる毒。
しかし、シグの毒は在来生物を殺すには足りない弱い弱い毒だったのだ。
実は祖父も、父親も、他の蛇人に比べると弱い毒しか持っていない。
だからこそ、毒を薬として利用できているのだが、幼いシグ少年は大層ショックを受けた。
夢を諦めきれなかったので冒険者ギルドに依頼し、冒険者の師匠をつけてもらったこともある。
師匠はシグに身体の鍛え方や、剣術や弓術、魔法も教えてくれたが、結局冒険者になることを許してはくれなかった。
毒が弱いからではなく、シグの気性は優しすぎて冒険者に向いていない、と言われてしまったのだ。
青年期に入って薄々そのことにも気付いていたシグは、ようやくそこで冒険者になることを諦め、ニャミニャミ堂を継ぐことに決めた。
冒険者にはなれなかったが、この店を通じて冒険者たちの応援をしようと決心した。
しかし、蛇毒湯の主な使い道が夜の一戦のためと気付いてしまったシグ青年はそれはそれでちょっと荒れるのだが、ここでは省略しよう。
冒険者にはなれなかったシグだが、鍛えられた肉体や叩き込まれた体術は面倒な客が来てしまったときに役立つので、今も適度に修練を続けている。
ニャミニャミ堂の制服である真っ黒でいかにも怪しげなボロボロのローブが隠してしまっているが、シグは脱ぐと結構すごいのだ。
とはいえ、瓶詰め作業にその肉体が活かされることはあまりない。
ジグは詰め終わった蛇蜜丸にラベルを貼るため、店のカウンターに運び込んだ。そして何気なしに顔を上げると、店内に人がいたのでシグは思わず声を出して驚いた。
「おわっ、い、いらっしゃい」
反射的に言ってしまったが、店の雰囲気は台無しだ。
シグは掃除中の格好のままだったので、顔もあらわになっているしフードもかぶっていない、ただの色白隠れマッチョ蛇兄ちゃんである。
慌てて取り繕おうとしたが、店内にいた人というのがあまりにも陰気に俯いていたのでシグはぽかんと眺めてしまった。
客は男で年は30代だろうか。
ぼんやりと蛇毒湯の棚を見つめ、シグの方を見ようともしない。
服はヨレヨレの綿のシャツに黒いズボン、擦り切れたブーツというありふれた組み合わせだ。
しかし肉体はかなり逞しく、シャツの袖からのぞく腕には古傷らしき傷跡がある。
尻からは黒と焦げ茶色の毛でふさふさした尻尾が生えていて、今は力なくだらりと下を向いていた。
頭の上に生えた三角の耳にも同色の毛が生えているので、おそらく人狼か犬人のどちらかだろう。
左耳の先端が何かに吹き飛ばされたように欠損しているのが痛々しい。
腕の古傷と合わせて考えると、おそらく冒険者だ。
毛の色と同じ焦げ茶色の髪はさっぱりと短髪にしていて、彫りの深い顔立ち、意志の強そうな赤錆色の瞳、すっと通った男らしい鼻筋。
顔の造形は整っている。
これでキリッとした表情をしていれば、男でもどきりとしてしまうくらいかっこいいに違いない。
しかし、今この男はどんよりと曇った目をして、目の下には濃いくまを作り、無精髭を生やして口は半開きだ。
そのせいで老けて見えているのかもしれない。
シグはためらいながらも男に歩み寄った。
「にーちゃん、蛇毒湯を買いに来たのか?」
正直このヨレヨレのお疲れお兄さんには夜のハッスルよりグッスリの方が必要な気がしたが、本人がハッスルしたいのなら止めるわけにもいかない。
話しかけられてようやくシグの存在に気付いたらしい男は、光のない目でシグを見た。
「いや、特に、目的があるわけじゃないんだが……疲れに効く薬がないかと思って……」
シグは少し俯いて考えたあと、昨日の売れ残りの蛇蜜丸を持ってきた。
「じゃあ、これにしときな。そっちの蛇毒湯は確かに効き目は強いし、強心作用があるから一時的に疲れは吹っ飛ぶ。けど、効果が切れたときの反動もでかいからオススメできないね。こっちなら効き目は程々だけどその分身体にも優しい」
シグが男の手に瓶を押し付けると、男はそれをぼんやりと見下ろしてラベルを読んだ。
滋養強壮、疲労回復、という文字をなんとか読み取った男は、ズボンのポケットに手をやる。
「なら、これを貰おう。いくらだ?」
「いや、金はいらない。それ、ラベル貼るの失敗したから試供品にしようと思ってたんだ。もし気に入ったら次は買ってくれよな。あと、1日に何個も食いすぎんなよ。鼻血が出るからな」
シグは一気にそこまで言うとそのまま男から離れて店のカウンターの中に入った。
置いて行かれた男は何か言おうとしていたようだが、シグに金を受け取りそうな気配がないので、諦めて頭を下げる。
「ありがとう」
シグは無言のまま片手を上げた。
男は背中を丸めたままのろのろと店を出ていく。
逞しいのに弱々しい背中を見送ったシグは、大変だねぇ男前は、と一人呟いた。
あまりにも疲れ果ててかわいそうだったのでついサービスしてしまったが、女関係のいざこざで疲れ果てているなら余計なサービスだったかもしれない。
けど、次に来てくれて客になってくれたら問題ないか、とシグは軽く結論付けて作業に戻った。
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