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最果ての鐘

14話

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「父上を呼んでこよう。少し話して、安心させてあげてくれ」

そう言い残してヴァージル兄が病室を出ていったので、母さんとぽつぽつと話を続けた。
ヴァージル兄と母さんは、おれのお見舞いと親父の補佐のためにイルターノアに滞在していたが、これからフォリオに転移装置で帰るそうだ。
おれも早く自宅に帰りたくなったけど、明後日までは我慢だな。
そして数分経った頃、再び病室の扉が開く。
珍しく髪を振り乱した親父が、おれを見てかつかつと足早に近付いてくる。
そしてベッドの側で急停止して、今更ふうと深く息を吐きだして冷静な表情を取り繕った。
そして何度か口を開き、結局閉じるのを繰り返す。

「……セオドア…………ご苦労だった」

迷った挙げ句に何を言うかと思えば、そんな短い言葉だ。
おれは拍子抜けして笑ってしまった。
母さんは親父の腰のあたりを指で摘んで、エドガー!と名前を呼んで睨みつけている。
それでも何も言えない親父に、おれはベッドの上でうやうやしく頭を下げてみせた。

「父上のご期待に応えられて、嬉しく思います」

「…………ああ…………治療に専念し、早く体調を戻せ。いいな?」

親父はおれを冷徹に見下ろしているつもりだったのかも知れないが、何かをこらえるように眉間にしわが寄っていて台無しだ。
おれから視線を外した親父は、そのままケイジュに顔を向けほんの少し、顎を引いて頭を下げた。

「……息子を頼む」

短い言葉に、ケイジュは無言で深く深く頭を下げた。
親父はケイジュが頭を上げるのも待たず、すぐに踵を返して病室を出ていってしまう。

「エドガー!…………まったく、あの人は」

母さんの呼びかけも虚しく、扉が閉まる音が響く。
こんな時でも親父は親父だな。

「……わたくしが後でお灸をすえておきますから、安心なさい。では、また明日来ます。何かあったらすぐにお医者様を呼ぶのよ?」

母さんはゆったりと立ち上がり、ケイジュに淑女の礼をした。
そのまま親父の後を追って出ていってしまう。
それでようやくケイジュと二人きりかと思えば、今度は入れ違いで騒がしい男が駆け込んできた。

「セオドア!セオドア目を覚ましたのか?!」

大股でベッドに歩み寄り、おれと目が合うなり満面の笑みになったのはネレウスだ。
ネレウスの横には相変わらずヤトの姿もある。
そして後ろには、ちょっとおどおどした様子のアトラスも居た。
でもトゴルゴで見たときより健康そうに見えるのは、服のせいだけではないだろう。

「良かった!意外と元気そうだな!医者はなんと?すぐに退院できるのか?」

せっかちに質問責めにしてくるネレウスを、ケイジュがじろりと睨む。

「ネレウス、セオドアは目が覚めたばかりだ。馬鹿でかい声で喚くな。体に障る」

「おっとこれは失礼。飯はもう食ったか?イルターノアは妙な食べ物ばかりで面白いぞ!」

全く気にする様子のないネレウスの肩を、ヤトがどついている。

「ネレウス、ヤトも、無事でよかった。アトラスも、無事に脱出できたのですね」

おれが笑いかけるとようやくアトラスが前に出てきて、深々と頭を下げた。

「セオドア、本当にありがとう…………おかげで、妻も子供も無事にイルターノアで保護されています。あなたは命の恩人です」

「……いえ、おれは大鐘を壊しただけで……」

「しかし、お前が居なければ作戦は失敗し、今こうして叔父と再会することも叶わなかった。おれの未来をも、お前は救ったのだ!胸を張れ!」

ネレウスは豪快に笑い、ヤトの肩を抱き寄せてアトラスの背中をバシバシと叩く。
アトラスは元気のいい甥っ子に苦笑し、兄さんにそっくりに育ったなぁ、と少し寂しげに、しかし嬉しそうに呟いていた。

 その後も、多くの人がおれに会いに来てくれた。
共に戦ったジャレド、グンター、コンラッドとジェラルド。
彼らはすでに治療を終えていたが、大鐘破壊作戦の報告のためにイルターノアに居残っていたらしい。
イルターノアには親父とネレウスだけでなく、ミンシェン伯爵やハッダード侯爵も集結して、事後処理とこれからの動きについて話し合いをしているそうだ。
その主に従い、部下である彼らも忙しく動き回っているようだが、みんなおれを気遣ってくれた。
ヴィンセントとアルビエフ伯爵も病室を訪れ、相変わらず仲睦まじい様子を見せつけた後に、滋養強壮に効くという薬を置いて行った。
ヴィンセントは相変わらず皮肉っぽく笑ってふんと鼻を鳴らし、丈夫なお前のことだから心配はしてなかった、と言っていたが、お土産を持ってくるあたり親父よりは素直だな。
忙しいらしく少しやつれていたが、ミンシェン伯爵ことジーニーと、ハッダード侯爵も顔を見に来てくれた。
彼らにとっては、これからの方が大変だろう。
福音の力に一切頼らず、それぞれの殻都を繁栄に導かないといけない。
本物の人望と、統治者としての器が試される時代がやってくるのだ。
しかし、良くやってくれたとおれを称えるその表情には安堵と希望が見えた。
そして最後に病室を訪れたのは、ユリエだった。
彼女も、やはり少しやつれているように見えた。
フランは重症を負い、その状態でイルターノアに帰還してそのままユリエが看病を続けているのだ。
しかし、それでもユリエは柔らかい微笑みを浮かべてくれた。

「目が覚めて良かったわ。体調はどう?」

おれは笑い返す。

「目が覚めてから嬉しいことばかりだ。わざわざ会いに来てくれてありがとう」

「いいの。あの時、あなたが居なければ大鐘は破壊できなかった……ありがとう」

ユリエは目を細めて、心底安らいだ表情で告げる。

「……いや、こちらこそ……あの時ユリエとフランが居なければ、塔までたどり着けなかったと思う。フランは、大丈夫なのか?」

「ええ、大丈夫よ。フランは竜人だもの。もう傷はほとんど癒えているし、もう少し魔力が回復すれば普段通りの生活もできるようになるわ。ただ、もう少しだけ安静にしておいて欲しいから、今は病室に閉じ込めているの」

ユリエは無邪気に笑ってみせる。
良かった……フランの状態は悪くないようだ。

「じゃあ、君たちもようやく元の生活に戻れるんだな……森の魔女として、ヨナの森に……」

おれの呟きに、ユリエは頬に手を当ててうーんと声を漏らした。

「……そのつもりだったけれど……今は、迷ってる。ミンシェン伯爵のおかげで、私は公爵の娘という立場から解放された。父とも久々に会話ができて、フランとのことも胸を張れるようになって、全てが変わった……森に帰ってひっそり生きる以外の道も、考えたくなった。公爵家の人間に戻るつもりはないけど、スズカ家の人間が私の家族であることに変わりはないから……」

ユリエはそこまで呟き、首を小さく振った。

「……いえ、今はまだ決めないでおくわ。悩む時間はたくさんあるもの。それも、あなたと出会えたおかげね。あなたが荒野の真ん中で風邪を引いて寝込んでくれたおかげだわ。あの時は呑気に色惚けてるお気楽貴族につかまって面倒としか思わなかったけど……助けてよかったわ」

ユリエは砕けた口調で散々言って、年相応の楽しげな笑顔を見せてくれた。
色惚けって……まぁ確かに、あの時はケイジュのことで頭がいっぱいだったか。
その後ユリエは頭痛に効く薬湯をベッド脇のテーブルに置いて、あっさりと背を向けて手を振った。

「もし歩けるようなら、明日フランのお見舞いにも来てちょうだい。フランも会いたがっていたから」

「ああ、わかった。また明日」

おれも手を振り返し、ユリエを見送る。
明日、か。
ここ最近、明日という言葉を重苦しく思うことのほうが多かったけど、今はただ楽しみだ。
おれはすっかりお見舞い品だらけになったテーブルを見て笑う。
花から、薬から、お菓子まで色々ある。
ネレウスが置いていったこれは、なんだろう。
雪だるまみたいな形の白い塊だ。
その上に小さい果物がちょこんと乗っかっている。
イルターノアの置物だろうか、それとも食べ物?

「それは、新白祭で使われる縁起のいい置き物だそうだ。カガミモチ、だったか」

「そうか、まだ白月の3日だから、ギリギリ新白祭の最中なんだな……」

「ああ、そういえば……」

ケイジュがおもむろに立ち上がり、病室の窓のカーテンを開け放った。
その直後、窓の外で爆発音が響く。
イルターノアの上空に、白い火花の花が咲いた。

「わっ!花火か?」

「ちょうど始まったな。新白祭は今日で最後だから、締めくくりに花火を打ち上げると聞いたんだ」

おれはベッドからおりて、ゆっくりと窓際に歩み寄った。
ケイジュは病室の灯りを消し、おれの肩を支えて窓を見上げる。
冬の澄んだ夜空を花火が彩る。
最初は白い花火が数発打ち上がり、途中から桃色、赤、橙と色が変わってきた。
これから始まる13ヶ月を、色で表現しているのだろう。
今年は、どんな年になるだろう。
去年は、色んなことがあった。
特に後半、蒼月からは特に色々あったな。
蒼月にケイジュと出会い、旅が始まった。
フォリオからドルンゾーシェへ、それからヘレントスへ、
ヘレントスからリル・クーロへ。
ドルンゾーシェで食べた徹宵麺に、ドルトス鉄道の駅弁、ヘレントスのワイルドステーキ、それから苦い苦い薬湯の味を今でも思い出せる。
本名を打ち明けたり、ケイジュに惚れたり、ケイジュの仲間たちと酒を飲んだり、風邪ひいて死にかけたりもしたな。
リル・クーロでは、ケイジュから告白されて、想いが通じ合っていたことがわかって、大切な思い出ができた。
リル・クーロのホワイトシチューは、今日みたいに寒い冬の日に食べたらもっと美味しいだろうな。
リル・クーロからの帰り道、ケイジュの故郷にも立ち寄って、エンジュの手料理をご馳走してもらったこともあった。
エルムさんとエンジュ、元気にしているかな……。
また会いに行きたい。
スラヤ村からフォリオに帰ってきたあとも、色々あった。
ケイジュと自宅で過ごしたあの日々のことは、いつ思い出しても幸せな気分になれる。
それから親父に頼まれてユパ・ココに向かうことになって、ネレウスと出会い、ナイエア島に渡って、色々話を聞いて、色々な料理を食べて……。
おれ、気が付いたら食べ物のことばかり考えてるな。
でも、美味しい物は忘れられないから仕方ない。
ユパ・ココからフォリオに戻って、その後は……。
ああ、そうだ、紫月だったな。
おれが心神喪失状態になってしまったのは。
姉さんのことを思い出して、それでも辛い記憶を幼い自分に押し付けて、自分だけで温かい思い出を独り占めして引き篭もってしまったあの時。
ケイジュには、辛い思いをさせてしまった。
でも、ケイジュがずっと待ち続けてくれたから、おれは立ち直れた。
辛い記憶も、おれの一部だと受け入れられた。
それで、ようやく落ち着いて、仕事に復帰する頃にはもう灰月になっていたんだっけ。
それからはもう目まぐるしい旅の毎日だった。
西島の殻都の議長たちと話し合い、ユリエを説得するため森人の集落へ向かい、説得をなんとか成功させて、その次は客船に乗ってオクタロアルへ、その次はハカイム、セロニカ……そしてトゴルゴ。
灰月は、本当に大変だった。
けれど、ケイジュがずっと側にいてくれたから、おれは逃げずに最後までやり遂げられたんだ。
ケイジュを失いたくないからここまで足掻いて足掻いて、そうしてやっと今、こうして二人で花火を見上げている。
目頭がまたじーんと熱くなる。
さっきもわんわん泣いたのに、まだ涙が出るんだな。
でも、良かった。
この花火を、ケイジュと一緒に見上げることができて、本当に良かった……。

「セオドア?大丈夫か?花火の音はまだ刺激が強かったか?」

おれが泣いていることに慌てたケイジュが、おれの顔をのぞき込んで親指で涙を拭ってくれる。
おれは泣きながら笑った。

「ふは、なんだそれ、赤ん坊じゃないんだから、花火の音ぐらい平気だ」

「そうか……?あまり無理はするなよ」

「ふふ、ただ、思い出していたんだ。ケイジュと出会って、色々あって……今こうして一緒に居ることが、とても、幸せだって、思ったんだ」

「セオドア……」

ケイジュの表情が柔らかく緩んで、温かい両手がおれの頬を包む。
ケイジュの夜空色の瞳にも、花火の光が映り込んでいる。
何度となく見つめてきたその色だけど、今が一番綺麗に思えた。
おれも手を伸ばし、ケイジュの頬に手のひらを当てる。
目を細めて頬を擦り寄せるケイジュが、愛おしくてたまらない。
おれの心が伝播したみたいに、ケイジュはおれを引き寄せて口付けてくれた。
花火の音も遠ざかり、お互いの心音だけが唇を伝って聞こえる。
ケイジュは、ここに居る。
これから何が起きるかわからない。
今年が去年以上に波乱万丈な年になる可能性もある。
それでも、ケイジュとなら。
一緒に、旅を続けてくれるのなら。
おれは、エレグノアで一番幸せだと、胸を張って言える。
ケイジュがゆっくりと顔を離し、おれの目尻に溜まった涙を親指で拭って微笑む。
おれも笑い返し、ふと思い出して告げる。

「ケイジュ、今年もよろしくな」

「ああ、よろしく」

新暦427年、白月3日。
おれとケイジュの新たな一年は、こうして始まった。







(了)
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