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宿場町のコンフィ

4話

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 ネレウスが入っていった店は、定食屋兼居酒屋という雰囲気で、気の早い客はすでに酒盃を傾けていた。
まだ席に余裕はあるが、ほどほどに客がいるのでおとなしく飯を食えば目立つことはないだろう。
店員は急に店に入ってきた全身をローブで隠した男と美しい淫魔の青年に目をぱちくりしていたが、すぐに気を取り直して奥のテーブル席に案内してくれた。
人の目から隠れるようにネレウスを奥の席に座らせ、ケイジュとおれは壁になるように横並びに座る。
他の客の視線から遮られていることを確認すると、ネレウスは顔に巻いていた布を剥ぎ取り、せいせいしたと言わんばかりに髪を後ろにかきあげた。

「ふぅ~、あ~!やっぱりこういうのはおれには向いてないな!たった半日なのに鬱陶しくて癇癪を起こしそうだった」

ネレウスはその後もローブの首元を緩めたり、ローブの袖をまくりあげたりして、好きなように着崩してしまう。
相変わらず肌も小麦色でつやつやしていて元気そうだ。
ユパ・ココから寒い所に出てきて多少縮こまっているのかと思いきや、そんなことはなかったな。

「そっちも変わらず元気そうでよかった。けど、ちゃんと説明してくれないか?なんでこんな所に?」

おれが早速話を切り出すと、ネレウスはまあまあと手でおれを落ち着けるような仕草をして、メニュー表を手にとった。

「その前に何か頼もう。腹が減って今にも倒れそうだ」

そう言いつつも、ネレウスは楽しそうに字を目で追っている。

「ふむ、魚料理はあまり無いな。川で海に繋がっているとは言え、ここは内陸だからな……おい、何が食いたい?」

おれも一旦話を諦めて、ネレウスの持っているメニュー表を覗き込む。
冬なのに品数が多いな。
流石はエレグノアの食糧庫だ。

「ここしばらく川魚ばかり食べてきたから、肉が良いな。あとは野菜。水分たっぷりの。ケイジュは?」

「おれも同感だ。煮込み料理が食べたい」

「ふむ、じゃあスープはこっちの根菜のやつと、豆のスープも頼もう。肉はこの辺だと鴨が有名みたいだな」

「鴨か……珍しいな、それにしよう」

ネレウスは何度か頷いてあっさりと手を挙げた。

「おーい、注文したいんだが」

おれは慌てた。
せっかく人目から隠したのに、ネレウス本人が注文したら意味ないだろ!
急いでネレウスからメニュー表を奪い、ネレウスが指差す料理を片っ端から読み上げて店員に注文を済ませた。
おれがため息をついてメニューを片付けると、ネレウスはカラカラ笑う。

「悪い悪い、コソコソするのに慣れてなくてな!」

「……声をもう少し落としてくれ……で、そんな慣れてないことをする羽目になったのはなんでだ?今頃はセロニカに居るはずだろ?」

「ああ、そうだ。今朝、ユパ・ココから転移してきて、そのまま明日の会議まで城の客室に缶詰になるはずだったが、ちょっと気が変わってな。抜け出してきた」

「抜け出してきたって、大丈夫なのか?護衛も連れてきてないみたいだし、今頃大騒ぎになってるんじゃ……」

「大丈夫大丈夫。手紙も残してきたし、抜け出すことはお前の親父さんに事前に知らせてある。護衛もちゃんと説得してきたから大丈夫だ。ま、かなり渋い顔はしてたがな。こんな状況で少しでも力になれないかと、ちょっとした遅延作戦を決行中なんだ」

「遅延作戦?」

おれが聞き返したところで、店員が飲み物を持って来たので一旦話を中断する。
ネレウスに任せていたので、うっかりワインをデキャンタで注文されてしまった。
酒を飲む気はなかったんだけどな。
一人だけ下戸のネレウスはちゃっかりアルコールの入っていない葡萄ジュースを確保して、にこにこと杯を掲げている。

「先に乾杯しよう」

おれは仕方なくグラスに少量ワインを注ぎ、ケイジュにも配った。
ケイジュが飲まないほうが良いと判断したら勝手に残してくれるだろう。
短いがちゃんと脚付きのグラスが3つ、軽やかな音を立ててぶつかり合った。
控えめにワインを口に含む。
お、美味い。
あまり熟成させていない軽い飲み口で、酸味も爽やか。
葡萄の香りが豊かで、あまり酒精を感じない。
食前酒にぴったりだ。
これならこのデキャンタ全部飲み干してしまっても問題ないだろう。
ケイジュは無表情のまま少し口をつけて味見をした後、そのまま続けて二口三口と飲んでいた。
ケイジュもお酒に弱いわけではないので、このぐらいなら許容できる範囲だったのだろう。
ネレウスは葡萄ジュースを一気に半分ほど飲み干した後、おれとケイジュの顔を見比べている。

「どうだ、美味いか?」

好奇心で目をキラキラさせたネレウスに尋ねられて、思わず頷く。

「ああ、美味しいよ。葡萄の味を生かしたワインって感じだ。素材がいいから、変に小細工する必要がないんだろうな。度数も高くなさそうだし、気になるならちょっと飲んでみるか?」

おれがデキャンタを持ち上げると、ネレウスは渋い顔で首を横に振った。

「いい。やめとく。人に酒を飲ませて、感想を聞くのが好きなだけだ。味は勝手に想像しておく」

独特な酒の楽しみ方だな……。
これが下戸ならではの感性か。
いや、そうじゃなくて、話を聞かないと。
おれが気を取り直して口を開こうとすると、次は料理が運ばれてきた。
赤い豆のスープと、根菜がごろごろ入っているスープが、取皿とともに運ばれてくる。
こうなるとおれ自身も話よりも食い気が勝るので、諦めてしばらく料理に集中することにした。
豆のスープは潰したトマトや腸詰め肉と共に煮込んであって、食べごたえがありそうだ。
根菜のスープの方には人参やじゃがいも、蕪がごろごろと入っていて、ほこほこと湯気をあげている。
しばらく野菜不足だったからこの光景だけでジーンと来るほど嬉しい。
おれたちは我先にとその具沢山のスープをとりわけ、はふはふ言いながら口へ押し込んだ。
豆はいんげん豆で、ホクホクしていて美味しい。
煮込んだことで酸味が丸くなった煮汁も、腸詰め肉の風味が移っていて美味だ。
このスープにそのままじゃぶじゃぶとパンを浸して食べたい。
そう思っていると見計らったようにパンも運ばれてきたので、早速スープにパンを沈めた。
見た目的にあまり綺麗な食べ方ではないけど、汁を吸ったパンの美味しさには勝てないよな。
根菜の方はあっさりとした塩味で、肉も魚も入っていないのに旨味が豊かだった。
薄い茶色の煮汁には山程の野菜の風味が溶け込んでいるのだろう。
具として確認できるのはじゃがいもと人参、蕪ぐらいだけど、スープには玉ねぎの甘みや香草の清涼感も感じられる。
冬でも色々な野菜を贅沢に使える、セロニカ一帯ならではの味だな。
制限がある中でなんとか美味しく仕上げよう、というハカイムのショウジン料理とは趣が違い、素朴なのに豊かさを感じられるスープだ。
もちろん柔らかく煮込まれた野菜も文句なしに美味しい。
舌と体が喜ぶ味だった。
おれたちがスープとパンに夢中になっている間に、肉料理も運ばれてきた。
セロニカでは鴨の飼育が盛んで、鶏と同じくらい頻繁に料理に使われるらしい。
店の中を見回してみても鴨料理を勧める文言がよく目についた。
骨付きのもも肉が三本も、付け合せの皮付きじゃがいもに囲まれて皿の上に鎮座ましましている。
鴨のコンフィ、という料理だそうだ。
見るからにカリカリに焼けた皮の小麦色が眩しい。
もも肉の半分くらいをソースが覆っていて、茶色の粒が見えた。
香りからしてマスタードのソースだろう。
がぜん食欲が増してきた。
自分の皿にもも肉を確保し、ナイフを入れる。
ぱりっとした皮の下の肉は、驚くほど柔らかく、力を入れなくても肉がほろほろと崩れていく。
ただ焼いただけではこんなに柔らかくならないだろうし、先に煮込んだものを焼いているんだろうか。
だとするとせっかくの肉の旨味が外に逃げているんじゃないかとも思ったが、口に運んで咀嚼した瞬間、色々考えるのが馬鹿らしくなってしまった。
これ、おいしい。
じゅわじゅわで、ほろほろで、ソースがぴりっときて、すごい。

「ん~~これはうまいなあ」

感動しているおれの前で、ネレウスも唸る。
豪快にも骨を直接手で持ち上げて、肉にかぶりついたようだ。
鴨は鶏よりも少し肉が硬くてぎゅっと詰まっている印象だったけど、これは歯でも簡単に噛みちぎれるほど柔らかい。
かといって旨味が抜けている感じもないので、ゆっくりと火を通して焼いたものか、もしくは油でじっくり揚げたかだろう。
ケイジュは目を閉じてゆっくり咀嚼しながら幸せそうに味わっている。
魚も美味しいけど、久々の肉の脂っけはたまらないよな。
その後ゆっくりと肉を飲み込んだケイジュは付け合せのじゃがいもを口に放り込み、もぐ、と一回噛んだ後固まってしまった。

「どうした?」

喉に詰まったのかと思っておれがグラスにワインを追加しようとすると、ケイジュは片手を挙げておれを制止した。
そのあとたっぷり時間をかけて咀嚼し飲み込んで、満足げなため息をつく。

「この芋、おれが食べたジャガイモ料理の中で一番美味しいかも知れない」

ケイジュの声はすごく幸せそうだ。
顔も色っぽさすら感じるような恍惚の表情になっている。
ケイジュをそこまで言わせるなんて、どういう芋なんだ。
おれは確かめるべく皮付きの小ぶりな芋にフォークを突き刺す。
油で表面がピカピカしているけど、特に変わったところのない芋だ。
それを口に放り込み、一噛みしたところでケイジュの言わんとしていることがわかった。
皮はパリッとしていて、中はねっとりとしていて滑らかな食感。
そこに鴨の旨味がしっかりと染み込んでいた。
鴨を調理したときの油で一緒に焼いてあるんだろう。
決して凝った料理ではなく、あくまで付け合せなのだが、確かにこれは美味しい。
まずじゃがいも自体が美味い。
大地の香りがして、皮は香ばしく、中身はじんわり甘く、驚くほど滑らか。
そんな芋にしっかりと鴨の脂と旨味が染み込んでいるのだ。
これはいくらでも食べられる。

「確かに美味い。流石は一大産地だ」

おれは答えながら、自分の分を少しケイジュの方に押しやった。

「ケイジュが気に入ったならおれの分も食べてくれ。おれはワインを楽しむから」

ケイジュは子供のようにぱぁっと表情を明るくして、少し申し訳無さそうに自分の皿に芋を山積みにしていく。

「相変わらず新婚夫婦みたいに仲良しだな、お前らは……」

向かいの席からちょっと呆れたような声が聞こえてくる。
顔を上げると、ネレウスが半眼になっておれたちを見ていた。
おれは慌ててケイジュの方に傾いていた体を戻し、表情を取り繕って自分のコンフィを切り分ける作業に戻る。

「別にこれぐらい友人同士でもやるだろ……ましてやケイジュがこんなに食べ物に感動するのは初めて見たから、つい、」

「うーむ、行為自体は普通なんだが……なんだろうなあ、自分じゃわかんないのか、その甘ったるい雰囲気」

「自覚がなくて悪かったな……気を付けるからそれ以上もう何も言わないでくれ!」

人にケイジュとの雰囲気を指摘されるのは初めてだったので、つい恥ずかしさでぶっきらぼうな言い方になってしまった。
ネレウスはどこか遠くを見つめ、テーブルに肘をついてため息をつく。

「別に悪いって言ってるわけじゃない。良いことだろ、仲がいいのは。ただ、はあ……お前らを見てると自分がめちゃくちゃ寂しいやつに思えてくる……良いなあおまえらは。ずっと二人きりで旅ができるなんて……良いなあ」

酒も飲んでいないのにちょっと面倒くさいことを言い始めたな……。
ケイジュはネレウスのぼやきを聞いているのかいないのか、ただ無心にじゃがいもを食べることに熱中している。
おれはワインを飲んで気持ちを落ち着けたあと、いよいよ本題に入るべく口を開いた。



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