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ハカイムの精進料理
2話
しおりを挟む再出発したおれたちは、概ね順調に北上を続けた。
雪が降り始めることもなく、視界も良好。
街道は緩やかな上り坂になり、それが山の間を縫うように延々と続く。
街道沿いには小さな村も点在していて、しばらくは人の気配も感じることができたけど、昼を過ぎる頃には街道が本格的に山の中に入っていったのでそれも見かけなくなった。
街道は馬車も通れるようにきちんと整備されていたので、自動二輪車で登る分には全く問題ない。
カーブこそ多いものの傾斜はそこまできつくはないし、雪もしっかり積もったままだったのでスキー板を外す必要もなさそうだ。
ただ、やっぱり普通に土の地面を進むのと、雪の上を進むのでは体力の使い方が違う。
いつもより頻繁に休憩を挟んでいるけど、それでも腕が怠いし足先が冷えて感覚がない。
時々ケイジュと運転を交代しながら、ひたすら山を登ること数時間。
かなり標高が高くなってきて、顔を叩く風もより一層冷たくなってきた。
晴天だった空も薄暗い雲に覆われ始め、日が傾き始めた頃にはついに雪が降り始めた。
ちらちらと細かい雪が風に舞う。
降り方は激しくないけど、そろそろ潮時だ。
まだ旅の初日だし、ここで無理をして体調を崩すわけにはいかない。
おれたちはまだ明るいうちに野営できそうな平地を見つけ、自動二輪車を停車させた。
街道のすぐ脇にあるその平地には、まんべんなく雪が積もって真っ白になっていたけど、かまどらしき石積みの何かも残されている。
旅人が残していったものみたいだけど、かなり古そうだ。
周りは木に囲まれているので風も防げそうだし、今夜はここでキャンプするか。
「今日はここまでにしよう。初日だからもっと手こずるかと思ったけど、案外距離を稼げたな」
自動二輪車を降りながら後ろのケイジュに話しかける。
ケイジュも寒さで鼻の頭が赤くなっていた。
「ああ。この調子なら予定通り21日にはハカイムにたどり着けそうだ。少し待っていろ、おれが雪で風よけを作る」
ケイジュも自動二輪車から降りて、早速呪文を唱え始めた。
あたりに積もっていた雪が波打ち、一箇所に渦を巻いて集まっていく。
ケイジュが指をくるくると回すと、山になった雪が丸い形にぎゅっと圧縮され、その中央に穴が開く。
まるで白くて巨大なスライムが口を開けているみたいだ。
おれが感心している間に、雪のかまくらがあっという間に完成してしまった。
「大きさはこれぐらいでいいな?」
「ああ、十分だよ。ありがとう。魔法は何度見ても飽きないな……こんな大きなかまくらが一瞬でできるなんてすごい……」
「水や氷の魔法に適性があるやつなら、まず最初に覚えるような初歩的な魔法だ。何もないところから氷や水を生み出すより魔力の消費が少ないから、良い練習にもなる。冬の間、スラヤ村には腐るほど雪が積もるからな。小さい頃はかまくらや雪玉ばっかり作って魔法の練習をしていた」
「へぇ……そういう地道な練習も必要なんだな……」
おれはかまくらを眺め、幼いケイジュが家の裏庭にかまくらを作って遊んでいる姿を思い浮かべてほっこりした。
おれの精霊術も練習すれば細かい操作ができるようになったりしないだろうか。
いや、でもあれはおれが一から起こしてる現象じゃないし、精霊に細かい命令ができない以上難しいか。
おれは一瞬精霊術でもかまくらが作れないか試してみたくなったけど、ケイジュが作ってくれたかまくらを巨大な雪玉で押しつぶしそうな気がしたのでやめておくことにした。
気を取り直して、ケイジュが作ってくれたかまくらに荷物を運び込むことにする。
雪の上に断熱膜を敷きテントも絨毯代わりに敷き詰めると、かなり居心地良さそうな空間になった。
ランタンに火を灯して真ん中に置くと、柔らかい橙の光が雪の壁を照らして更にいい感じだ。
中に入ってみると、ほわんと空気が緩んでいた。
温度自体はさほど変わらないはずだけど、風が遮断されるだけでこんなに暖かく感じるものなんだな。
まだ夕食を作るには早い時間だったので、しばらくかまくらの中でのんびりすることにした。
もう人に会うこともないだろうから、眼鏡もかつらも外してしまおう。
移動中もずっと変装してる必要はないと思うけど、まぁ、冬でも街道を行き来する人はたまにいるしな。
それに、かつらは案外防寒具としても役に立つ。
楽な格好になった所で、今朝もらった発熱円盤の上に鍋を置き水を温めておく。
しばらく置きっぱなしにしていると、ほのかに湯気がたってきた。
マグカップに移して飲むと、普通に温かい。
沸騰するまで温めるのは無理そうだけど、こうして飲むのに丁度いい温度だ。
そうして体を温めつつ、ケイジュとくっついてかまくらの中にいると、否応がなしに眠くなってくる。
きちんと寝ないままオクタロアルを出発したし、1日雪と格闘しながら進んできたから仕方ないか。
おれが大あくびをすると、横に居たケイジュがとんとんと床を叩いた。
「少し眠ると良い。おれが食事の準備を進めておく」
「でも、ケイジュも疲れてるだろ?」
「おれは平気だ。精気も十分にもらっているし、体力も魔力もまだ余裕がある」
おれは眠気に襲われながらしばらく考えて、結局誘惑に逆らえずにごろりと横になった。
「じゃあ悪いけど、少し眠るよ……1時間位眠ったら起きるから…………」
「ああ。ほら、しっかり温かくしておけよ」
ケイジュは床に敷いていたテントを布団のようにおれにかぶせて包み込むと、おれの額にキスをしてかまくらから這い出していった。
発熱円盤が地味にかまくらの中を温めてくれているので、寒くもなくて快適だ。
おれはケイジュの動く気配に安心して、とろとろと眠りに落ちていった。
髪を触られたような気がして、ゆっくりと目を開ける。
上を見ると、ケイジュがおれを見下ろしていた。
ランタンの光に顔の半分を照らされたケイジュは、うっとりするほど穏やかで優しい眼差しでおれを見ている。
しばらくぼんやりとその表情に見入ってから、周りが暗いことに気付いて飛び起きた。
「悪い、かなり長く寝てたみたいだな……」
「大丈夫だ。まだ夜中にはなってない。食事ができたが、食べるか?」
ケイジュはおれの頬に口付けながら甘い声で囁いた。
普通の会話なのに、まるで愛を告白するみたいな声色だ。
じぃんと胸の奥が温かくなって、甘えたい気持ちが湧いてくる。
おれは子供みたいに頷いて、ケイジュに促されるままかまくらの外に這い出した。
かまくらの入り口の周りは雪がどかされていて、黒い地面が見えている。
その真ん中に石を積んだかまどが作ってあった。
山の中から調達してきたらしい薪が燃えていて、その上に鍋が置かれて何かが焼けている。
「保存食を勝手に使わせてもらったぞ。ジョナスはかなり多めに食材を買ってきてくれたんだな」
「うん、足りないより良いと思って、多めに買ってくるように頼んだんだ。これは?」
鍋の中で焼けていたのは、見慣れない白っぽい生地だ。
手のひらくらいの大きさで、小さめのパンケーキみたいに見える。
こんな食材あったっけ?
「じゃがいものパンケーキだそうだ。ジョナスがじゃがいもの粉と一緒にレシピを入れてくれていたから、作ってみた」
ケイジュは箸を使ってパンケーキの焼目を確かめると、木の皮を剥いで作った即席の皿に手際よくひっくり返してのせた。
香ばしいいい匂いがする。
「美味しそう……」
「味はついてないから、腸詰め肉と一緒に食べたり、ジャムとかバターを塗って食べろとレシピには書いてあった」
ケイジュはじゃがいもパンケーキをおれに渡し、次はかまどのそばに突き刺していた木の棒を引き抜いて持ってくる。
先っぽに腸詰め肉が突き刺してあった。
旅を始めた頃はあんまり食事に興味がなかったケイジュが、レシピを見ながらこうやって料理を作り、しかも作業を同時進行するなんて芸当もできるようになるなんて……。
感慨深くなりながら、パンケーキの上に焼けた腸詰め肉ものせてもらう。
ジャムやバターはないけど、これでも十分美味しそうだ。
「風が冷たいから、かまくらの中で食べよう」
ケイジュは自分の分のパンケーキと腸詰め肉も準備し、いそいそとかまくらの中に戻る。
料理が冷えないうちに、早速パンケーキにフォークを突き刺す。
行儀は悪いけど、食事用のナイフは持ってきていないのでそのまま持ち上げて噛み付いた。
むちっとした食感で、いわゆるパンケーキとは全く別物だ。
ほのかにじゃがいもの風味がするだけの素朴な味は、塩っぱいものとも甘いものとも相性が良いだろう。
「モチモチしてて美味しい。じゃがいもの粉だけで作ってるのか?」
「いや、つなぎに小麦粉が少し入っている。本当は卵やら玉ねぎのみじん切りなんかも入れるらしいが……これでも十分美味しいな」
ケイジュは箸で器用にパンケーキを切り取り、少し頷きながら食べている。
これだけだと素朴すぎる味だけど、合間に塩っぱい腸詰め肉を食べると丁度いい。
チーズをかけたり、スープに浸して食べても良さそうだな。
東島は西島と比べてやや寒冷で、冬は雪がたくさん降る。
寒さに強いじゃがいもを食べる文化がオクタロアルには根付いているんだろう。
保存食一つとっても、地域性みたいなものが見えて面白い。
ジョナスに食材の調達をお願いして正解だったな。
わざわざレシピまでつけてくれるなんて、流石は元エリート文官だ。
ケイジュはそれから追加で何枚かじゃがいもパンケーキを焼いてくれたので、程なくしてお腹いっぱいになった。
芋は腹持ちもいいし、粉になっていればそれほど嵩張らないので旅のお供に採用してもいいかもしれない。
パンケーキも腸詰め肉もきれいに無くなった後は、お湯にチョコレートを溶かして飲んだ。
牛乳はないけど、一応ホットチョコレートだ。
オクタロアルのチョコレート専門店で買ってきた板チョコを使ったので、牛乳を使っていなくてもコクがあって甘くて美味しい。
寒さでいつもより体力を使っているせいで、チョコレートの甘みが体に染み入る。
いつもは甘いものを好んで食べないケイジュも、このホットチョコレートには満足そうにため息をついていた。
薪集めから料理、片付けまでケイジュに押し付けてしまったのに、ケイジュはどこか嬉しそうだ。
おれが横顔を見つめていると、ケイジュはほのかに笑ってチョコレート味のキスをしてくる。
ケイジュがここまでご機嫌な理由を、おれは何となく察した。
きっと、こうして二人きりで旅をするのが久しぶりだからだ。
おれが復帰してからというもの、森人の集落に行ったり東島に渡ったりとあちこち行ったけどずっと人と一緒に移動することが多かった。
宿泊もホテルや船の上だったし、オクタロアルに着いてからもケイジュが失踪したり、教会の屋根裏に忍び込んでコソコソしたり、気力を使うことも多かった。
今日はようやく本来の旅を取り戻せた感覚になったんだろう。
おれもケイジュも人嫌いというわけではないけれど、基本的には単独行動の方が好きで、人が多い場所はそれほど得意ではない。
その辺りの感覚も、おれとケイジュは似通っているんだな。
おれは無言でケイジュに笑いかけ、言葉の代わりに軽いキスで伝えることにした。
旅の目的を考えれば、呑気にいちゃついてる場合じゃないのはわかっている。
でも、まぁ、いいよな。
この時間は、明日も進むために必要な時間だ。
おれの内心はケイジュにも筒抜けなのか、ケイジュはおれの肩を抱き寄せて頬をすり寄せてくる。
おれもそれに応えてぴったりと体をくっつけて、ケイジュの体温に集中するために目を閉じた。
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