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ハカイムの精進料理

1話

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 灰月18日、早朝。
今日、オクタロアルを発つことになった。
しばらく移動に専念することになるので、出発の前に記録を残しておく。
色々なことがあったから、一応話をまとめておこう。
まず、おれたちの目的地はハカイムではなく、トゴルゴに変更になった。
本物の大鐘はトゴルゴにある。
大鐘が鳴らされるのは年明けの瞬間だ。
おれたちはそれまでになんとしてもトゴルゴにたどり着き、福音復活を阻止せねばならない。
まずはハカイムに向かい、そこから川下りの船に乗って更に北上、セロニカを目指す。
セロニカの北にある漁師町までたどり着けたら、そこから船に乗り換えてトゴルゴのある半島へ渡るのだ。
ざっくりとした計算にはなるが、トゴルゴに到着するまで約10日かかる。
悪天候で思うように進めなかったり、トラブルが起きて足止めされても、諦めずに進めば年内に間に合うはずだ。
いや、間に合わせてみせる。
とはいえ、おれがトゴルゴにたどり着けても、大鐘が破壊できなければ意味がない。
支援を受けるために、既にトリアに手紙を持たせて飛んでもらっている。
宛先はネレウスだ。
大鐘がハカイムではなくトゴルゴにあること、アデルという王家の生き残りの少女が居ること、年内にトゴルゴに向かうため船を借りたいことなどを、かなり端折って説明した手紙になったけど、決断も行動も早いネレウスならなんとかしてくれるだろう。
親父にも大鐘の件を報告すべく、コンラッドは昨日の夜中のうちに仲間の船に乗ったらしい。
何事もなくノルン海峡を渡れていたら、今日の夕方頃にはもう親父にも情報が伝わるはず。
一度親父に伝われば、そこから転送装置を使って西島の各地に情報を伝達することが可能だ。
ミンシェン伯爵やハッダード侯爵、今はヘレントスに滞在しているユリエとフランにも明日までには情報が共有されるはず。
ユリエなら転送装置を使ってイルターノアにすぐ移動できるので、トゴルゴにはおれより先に到着できるかもしれない。
彼女にはフランがついているから、イルターノアからトゴルゴまでの移動も心配ないだろう。
おれもコンラッドと共にフォリオに戻り、転送装置でヘレントスへ、そのままイルターノアに転送してもらえるなら話は早かったんだけど、そういうわけにはいかなかった。
転送装置を使用すると、その使用履歴が他の殻都にも共有されてしまう。
フォリオからヘレントスなど、西島の中だけで移動するなら、その情報の公開範囲は西島の殻都だけに限定される。
しかし、ヘレントスからイルターノアなど、西島と東島をまたいで移動すると、東島の殻都にもどんな人間が転送装置で移動してきたのか筒抜けになってしまう。
神話時代の遺物だけあって、転送装置には小手先の偽装など役に立たない。
おれがセオドア・リオ・イングラムだと、一発で見抜かれてしまうのだ。
ユリエなら転送装置を使っても、実家のあるイルターノアに帰ってきただけだ、と誤魔化しも効くけど、死んだと発表されているおれが生きていて、しかもイルターノアに急に現れたら怪しいことこの上ない。
イルターノアのスズカ家と協力体制を築き、いざというときに転送装置で援軍を送り込む計画を立てているミンシェン伯爵もこの仕組を知っているはずだ。
この時期にヘレントスからイルターノアに何人も転送されてきたら、当然東島の連中は怪しむと思うけど、ジーニーは何か上手い言い訳を思いついたんだろうか。
それとも、年末が近付いた土壇場で、怪しくても対処する余裕のないタイミングを狙って一気に傭兵隊を転送する計画なのか。
とにかく場所がハカイムからトゴルゴに変わったとしても、彼なら何とかして援軍を送ってくれると思う。
ちなみに、ハカイムでの作戦が中止になってやることがなくなってしまったグンターら工兵は、フォリオを経由して一度ドルンゾーシェに戻ることになった。
ハッダード侯爵に指示を仰いで、何とかして自分たちもトゴルゴに向かうから安心しろ、とグンターは頼もしく胸を張っていた。
大鐘がトゴルゴにあることが判明するのがもっと遅ければ、おれも転送装置を使ってゴリ押しでトゴルゴに攻め込むことになっていたかもしれないな。
おれの正体がリューエル公爵やアデルにバレて、福音を守ろうとする者たちに追われて命を狙われながらイルターノアからトゴルゴに向かっていたかも……。
しかし幸か不幸か、地道に街道を北上してもまだ間に合う時期に、おれたちは知ってしまった。
いや、幸運だったと断言しておこう。
おれたちと別の道を使ってトゴルゴを目指すユリエが拘束されても、おれが居れば望みは繋げるし、その逆もしかりだ。
とにかく、おれに今できることは、一刻も早く北へ向かうこと。
今は雪もやんでいて、出発するにはいい日和だと言えそうだ。
自動二輪車にはもう荷物をくくりつけ、スキー板も取り付けて準備万端だし、ちょっと寝不足ではあるけど体調も良い。
旅に必要な消耗品は、ジョナスが深夜にもかかわらず駆けずり回って集めてくれたおかげでなんとか間に合った。
コンラッドからも教会に忍び込んだ際に使った音消しのお守りや魔法薬を譲ってもらえたので、何かあった時に役立つだろう。
羽トカゲ用の餌や道具も積み込み済だ。
ネレウスからの返信はトリアが頑張ってくれれば明後日ぐらいには届くと思うので、その時はしっかりトリアを労ってやらないと。
ユリエやミンシェン伯爵がおれ宛に手紙を送るかもしれないし、上空にも気を配っておこうと思う。
……急な旅立ちになって慌てていたけど、少しは頭の中も整理できたな。
よし、記録はここまでだ。

 盗聴でも大活躍した録音水晶板をテーブルから持ち上げ、録音を終了する。
周りを警戒してくれていたケイジュに目配せすると、ケイジュは片手を振って姿隠しの魔法を解除した。
この録音水晶板、今や機密情報の塊みたいになってるな。
絶対なくさないように気を付けないといけない。
おれは水晶板を外套の内ポケットにしっかりしまい込んで、立ち上がった。
そして早朝で人気のないホテルのロビーを見回す。
チェックアウトも済ませたし、自動二輪車も貨物室から出してもらって外に置いてあるので、後は外に出るだけなんだけど、ホテルマンに何故か少し待てと言われて待っているところだ。
宿泊以外にも食事やらトリアの世話やら色々してもらったので、追加の支払いがあるのかもしれない。
おれが財布の中身を思い出しながら受付の方を見ていると、従業員用の通路から出てきたホテルマンが早足に近付いてきた。

「大変お待たせいたしました。こちらをお持ちください。朝食でございます」

ホテルマンは紙の袋をおれに手渡してきた。
受け取ると結構ずっしり重たい。
中を覗き込もうとすると、温かい空気が漂ってきて眼鏡が曇ってしまった。
わざわざ持ち帰り用の温かい朝食まで準備してくれるなんて、さすがは老舗の高級ホテル……。
おれが感心していると、蟲人のホテルマンはふと真剣な顔になっておれに告げた。

「冬の山越えは過酷です。どうか油断なさらず。朝食を温め直すための魔道具も紙袋の中にございます。魔力を込めれば、一定時間熱を発する道具です。どうぞご利用ください」

そうして無表情で小さく会釈する姿に、おれは既視感を覚えた。
この黒い影のような眼差し、覚えがある。
教会に侵入する時に手助けしてくれた、あの諜報員なのか?
おれは口を開きかけて、やっぱりやめた。
確かめた所で意味はないし、それよりも忠告をきちんと受け取るべきだ。

「わかった、油断しない。この朝食は、後でいただくよ」

おれは深く頷いて、紙袋をしっかり抱きかかえる。

「旅のご無事をお祈りしています」

蟲人のホテルマンは深く頭を下げ、静かに告げた。

「ありがとう」

おれは不自然ではない程度に会釈を返し、背を向けた。
先に立つケイジュが扉を開け、痛いほどの冷気が顔を撫でていく。
こんな日に自動二輪車に乗ったら、あっという間に顔も手先もカチコチに冷えてしまいそうだ。
だけど、不思議と億劫だとは思わない。
ここ数日で、沢山の人がこの作戦に関わっていることを知れたし、一人で大鐘の破壊に挑んでいるわけじゃないとわかった。
それに、福音の恐ろしさも、改めて思い知らされた。
だから、今は前へ。
おれは大きく足を踏み出して、最果てへの最初の一歩を雪の上に刻んだ。

 数日前、試運転のために殻の外に出た時と同じように筏に自動二輪車を乗せ、オクタロアルの東門から殻の外に出る。
相変わらずの雪景色の中に、おれたちが今から進む街道が伸びている。
雪に覆われていてわかりにくいけど、木の柵がまばらに立っているのでしばらくはそれを目印に進むことになる。
桟橋に筏を着けて自動二輪車を下ろし、スキー板の点検をもう一度して、いよいよエンジンを起動した。
静かで冷たい冬の朝をぶち壊すような爆音に、おれは思わずにやりと笑っていた。
寒いし雪道だし急ぐ旅だけど、それでも自動二輪車を久々に運転できるのは嬉しい。
おれは眼鏡を外して胸ポケットにしまい、襟巻きをしっかり首に巻き直した。

「ケイジュ、準備は?」

「大丈夫だ」

ケイジュもどことなく嬉しそうに頷いている。
おれは自動二輪車にまたがって、ケイジュもしっかりとおれに掴まったのを確認してゆっくりと発進した。
後輪が雪を蹴散らし、前輪側のスキー板がするすると雪の上を滑り始める。
よし、いい感じだ。
ハカイムはここから北北東の方角、ムーロ山脈を形成する険しい山々の麓にある。
だけど、この辺はずっと平地が続いていて、道もほぼ真っすぐ続いているだけだ。
今の間に、運転の感覚を取り戻しておかないとな。
積もった雪の深さや固さで、手に感じる抵抗も少しずつ違う。
一番楽に進める場所を探して進む間に時間は過ぎ、朝日が雪原に差し込んできた。
弱い冬の太陽光でも、雪に反射するので眩しく感じる。
白銀に輝く大地は清らかで、はるか遠くに聳える山脈の青い影も神々しい。
ここ数日狭くて埃っぽい場所にうずくまっていることが多かったので、余計綺麗な光景に思える。
背中にくっついているケイジュからも、満足そうな吐息が漏れていた。
そのまま順調に道を進み、平らだった道が緩やかな坂に変わった所で一度休憩することにした。
雪の上にしばらく使っていなかった断熱膜を広げ、その上に腰を下ろして足を伸ばす。
手袋のおかげで指先はまだ動くけど、何時間も続けて運転するのは難しそうだ。
ここからはずっと上り坂になる。
比較的傾斜がなだらかな道を選んだので今の自動二輪車なら問題なく進めると思うけど、カーブも多くなるので運転に集中しないといけない。
その前に栄養補給をしておこうと、ホテルマンに渡された紙袋を開けた。
冷たい外気に晒されて、中に入っていた三日月型のパンはすっかり冷たくなっている。
おれは紙袋の底を探り、熱を発する魔道具とやらを引っ張り出した。
手のひらくらいの大きさの、赤茶色の円盤だ。
それが二枚入っていた。
それなりに厚みがあるので、結構重い。
材質は石っぽいけど、素焼きの陶器のようにも見える。
その表面にはおれには理解できない言語のようなものがびっしり書き込まれていた。

「これが熱を発する魔道具か……少し貸してくれ」

ケイジュが手を伸ばしてきたので一つ手渡すと、ケイジュはしばらく表面の文字を眺めた後、手のひらを押し当てて目を閉じた。
その数秒後、驚いたように目を開いて小さく声を漏らす。

「おお、すごい……もう温かいぞ」

「え、ほんとに?」

おれは手袋をしたまま円盤を受け取って、それでもじんわり指先に伝わってくる熱に驚く。

「ほんとだ。これ、素手で触ったらかなり熱そうだな」

「ああ。これはこのまま持って使うものではなく、袋に入れたり布で包んで使うものだろう。熱を発する魔道具は色々あるが、この小ささでこの性能はすごい。良いものをもらったな」

ケイジュは嬉しそうに呟いて、円盤を2つとも紙袋の中に戻した。
紙袋の口を閉じてしばらく待っていると、バターの甘く香ばしい香りが漂ってきた。
中身が温まってきたらしい。
匂いで空腹を思い出したおれとケイジュは、競い合うように三日月型のさっくりしたパンを食べた。
薄い層が何十にも重なり合ったような生地になっていて、食感は軽いけど味は豪勢。
オクタロアルらしくチョコレートを練り込んだ甘いものや、中にチーズやハムを挟んだものもあって、いくらでも食べられそうだ。
食べている間にふと思いついたことがあったので、荷物からマグカップを引っ張り出す。
ケイジュに水を生成してもらってマグカップに注ぎ、それを発熱円盤の上にのせる。
この円盤は結構高温になるみたいだから、こうしておけば火をおこさなくてもお湯にできるんじゃないか?と期待したんだけど……。
数分後、水はほんのり生温くなっていた。
流石にこの短時間で熱々にはできないか。
もっと時間をかければ、それなりに温かくなりそうだし、これは使えるな。
確かにこれは良いものだ。
発熱円盤はまだ熱を持っていたので、布に包んで外套のポケットに入れておくことにした。
運転中は手先が冷えるからたまに握って手を温めることにしよう。
 


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