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オクタロアルのチョコレート

1話

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 灰月13日、朝……いやもう昼近くか。
おれたちはついに東島に到着した。
とは言っても上陸はまだだ。
12日の夕方頃、オケアノス号は東島の港町に着港した。
そのままオケアノス号に乗ったまま一夜を明かし、今朝小型の船に乗り換え、今はオクタロアルを目指して川を遡っている。
第八殻都オクタロアルはヴィタ湖のほとりにあり、そのヴィタ湖は川を通じて海と繋がっている。
水の都とも呼ばれるオクタロアルは水路が発達していて、船に乗ったまま殻都の中に入ることができるらしい。
今乗っている船はオケアノス号よりは小型とはいえ、それでも川で使うにはかなり大きい。
この船がそのまま殻都に入れるというのだからすごい。
オクタロアルはフォリオと同じく交易で栄えた都市で、美食の街として有名だ。
東島の中で唯一港を持つオクタロアルには、セロニカから様々な食材が、ハカイムからは木材や石材が、イルターノアからは神話時代の貴重な知識や最先端の道具が集まる。
フォリオとも昔から物や人のやり取りがあった為、西島の食材や食文化なども流入し、オクタロアルには様々な土地の料理を出す飲食店が乱立した。
その恵まれた環境のおかげで豊かな食文化が育まれ、今やオクタロアルで料理をしたことのない料理人は二流、などと言われるほどだ。
ヘレントスやリル・クーロのように在来生物を食べる文化はあまり浸透していないようなので、珍しい食材とは出会えないかもしれないけど、それでもやっぱり胸が踊る。
けど、あまり脳天気にはしゃぎ過ぎないように気を付けないとな。
今のおれは、あくまで学問を探求するためにハカイムの図書館を目指す一人の学者、という設定だ。
それを忘れないようにしよう。
それに、オクタロアルに着いたらやらなきゃいけないことがたくさんある。
観光気分に浸るのはそれらが全部片付いた後だ。

 やらないといけないこと一つ目は、冬仕様自動二輪車の受取と試運転だ。
オケアノス号でコルドとエシルガとすれ違ったときに、コルドから唐突に自動二輪車を買わないかと営業をかけられ、その際に手書きのメモを受け取っていた。
コルドには今回おれが他人のふりをして東島に潜入することを知らせていたので、それを踏まえて一芝居打ってくれたのだ。
その時受け取ったメモには、喫茶店の店名と住所が書きつけてあった。
もし自動二輪車に興味があるなら13日の昼過ぎ頃にそこで待っているとコルドは言い、キョトンとした顔のエシルガを引き連れて立ち去った。
あの頑固なコルドもちゃんと商売人らしい営業用の笑顔を持ってたんだな、とおれは感心したものだ。
まぁそういうわけで、オクタロアルに着いたらまずそのメモに従ってコルドたちと合流しようと思う。
 そして二つ目は、羽トカゲの受取と調教だ。
おれたちが泊まるホテルは親父がすでに手配していて、部屋も取ってある。
今日の夕方頃に、そのホテルに羽トカゲが届けられるそうだ。
それからどうすればいいのかは、羽トカゲ自身に取扱説明書を括り付けてあるから、それをよく読むようにとヴィンセントに言われている。
羽トカゲがちゃんとおれとケイジュに懐いてくれるといいんだけど……ちょっと緊張するな。
 更に三つ目。
夜になったら指定された酒場に向かい、先に潜入していた工作員と顔合わせをする。
それまでにわかったことや、今現在のハカイムの様子について情報を交換し、オクタロアルからハカイムにどのタイミングで移動し、どのように大鐘の元まで辿り着くか、その具体的な方法を話し合う作戦会議が行われる。
今後の予定が決まる、大事な会議だ。
気を引き締めて参加したいと思う。
 そんな感じで今日は用事が盛りだくさんで、気を張らないといけない場面も多くなりそうだ。
船旅が予想以上に快適で、ほとんど船酔いもすることなく楽しく過ごせたから、まだちょっと旅行気分が抜けていない。
オクタロアルに着いたら、気持ちを切り替えないと。
よし、こんなもんか。
また進展があったら録音しよう。

 おれが水晶板を鞄にしまうと、ケイジュとおれを覆っていた影が溶けるように消えていった。
川を進む船の甲板にはおれたち以外の乗客は見当たらないけど、魚人の船員たちは周りにいる。
でかい声で録音してるわけじゃないから、かなり近くに居ないと聞かれたりはしないだろうけど、一応ケイジュが姿隠しの魔法を使ってくれていたのだ。

「外の空気を吸ったら気分が良くなってきたよ、ありがとう。一度客室に戻ろうか、雪も降ってきたし」

おれはケイジュに微笑みかける。
ケイジュの頭に薄っすらと雪が積もっていたので払ってあげたかったけど、雇ったばかりの護衛にやるにはちょっと親密すぎる行為だろう。
ケイジュは自分で雪をふるい落とし、おれたちは船室に戻った。

 それからしばらくして、船室の窓からオクタロアルの殻壁が見えてきた。
雪が静かに舞い落ちる湖面上に、無機質な白銀の巨大な殻壁がそびえ立っている。
殻壁は滑らかな曲線を描いていて、ヘレントスのように崩れている所もなく、どこからも入れなさそうに見える。
しかし、おれたちが向かう方向には洞窟のようにも見える穴があり、そこには巨大な水門があった。
船員たちは手慣れた様子で帆をたたみ、パドルだけを動かしてゆっくりと水門に近付いていく。
見物したくなったので、外に出て甲板の端の方からこっそり眺めることにした。
いよいよ殻壁の麓に近付き、水門が目の前に来ると、殻壁からひらりと飛び降りてくる人影があった。
黒い翼を持った鳥人で、憲兵の制服に身を包み手には筆記用具を持っている。
船員たちは驚いた様子もなくその鳥人に何かを話しかけ、書類を見せている。
鳥人は軽く頷きつつ書類に何か書き付けていた。
彼はオクタロアルの検問係か。
船に乗っている人と直接やり取りをするために、鳥人を雇用しているのだろう。
無事に手続きが終わったらしく、黒い翼の鳥人はひらりと再び空に舞い上がり、水門を先に潜って中に入っていった。
船もそれに追随して門をくぐる。
殻壁を抜けて中に入り船が水門を通り過ぎると、景色が一気に開けた。
 
 ここが、美食と水路の都、オクタロアル……。
まず目に入るのは、巨大な噴水だ。
白い石で出来ていて、水の噴き出し口や受け皿は優美な曲線を描いているが装飾的な彫刻はなく、少々無骨な印象を受ける。
その噴水をぐるりと円形の水路が取り囲み、多くの船が行き交っていた。
おそらくここを中心に水路が分岐して、殻都のあちこちに行けるようになっているのだろう。
船の後ろで水門が閉まると、その巨大な噴水から水が噴き出し始めた。
なるほど、ここで水を出したり止めたりして水面の高さを調節し、船でもヴィタ湖と殻壁内の高低差を乗り越えられるようにしているらしい。
街のランドマークではなく、実用的な装置としてここに噴水を設置しているのか。
噴水からの水が水路に流れ込み、水面が十分な高さになると、おれたちが乗った船もゆっくりと船のロータリーの中に侵入していった。
日常的な移動に使っているらしい小さな手漕ぎ船から、木箱を満載した筏のような船まで、大きさも形も様々な船が水路にはひしめき合っている。
おれたちの乗る船は、ごくゆっくりとした速度で水路を進み、桟橋に近付いていった。
手漕ぎ船を操る船頭たちはみんな器用にオールを操って、上手く衝突を避けてすれ違っていく。
その中には商魂たくましい船頭もいて、船の上にいるおれたちに早速土産物を売りつけようとしたり、観光案内を買って出ようとしたり、盛んに声をかけてくる。
その強かかつ活気に満ちた様相に、おれはフォリオの市場を思い出した。
オクタロアルでは船が店で、水路は商店街のようなものなのだろう。
船員たちが近付いてきた桟橋に身軽に飛び移って、縄を投げて船を停泊させる準備に入る。
水路を挟んで立ち並ぶ建物は、西島とは少し雰囲気が違った。
石造りの建物が多く、そのどれもに青みを帯びた灰色の石が使われているので、重厚な雰囲気になっている。
この灰色の石はハカイムの特産の石材なのだろう。
今は雪が積もっているので屋根の色はわかりにくいが、青色の瓦が使われているようだ。
3階、4階建ての高い建物が多く、そのどれもがどっしりとした造りになっていた。
土地の狭さは高い建物を立てることで補っているようだ。
灰色と青、そして雪の白で構成された町並みに、色とりどりの船が彩りを加えている。
今は冬なので若干寒々しい印象を受けるが、きっと真夏に訪れれば涼しげで洗練されている都市に見えるだろう。
乗客たちが桟橋に降り始めたので、おれとケイジュもその列に加わる。
ほどなくして、おれたちも東島の地面を踏みしめることになった。
やっと自分の足でオクタロアルの地面を踏めた感慨に浸る間もなく、おれはポケットから紙を引っ張りだした。

「……えーと、まず先にホテルに向かおう。こっちだ」

親父の手配したホテルは、ここから歩いていける場所にある。
おれは荷物を肩に担ぎ直し、石畳の道を歩き始めた。

 オクタロアルの中心、城のある区域の少し南側に、そのホテルはあった。
この辺は上流階級向けの高級ホテルが立ち並ぶ区域で、馬車もよく通るためか道が広い。
そんな通りで一際存在感を放つ古い建物の前で立ち止まり、手元のメモとホテルの名前を見比べた。
ここだ。
高級ホテルらしくドアマンが待機していたので名前を告げると、すぐに案内してもらえた。
フォスター教授は男爵家の出身でそんなに金銭に余裕はないらしいけど、今回親父はその設定よりも安全性の方を優先したようだ。
ホテルの中も、外観を裏切らない老舗らしい落ち着いた内装になっていた。
青みを帯びた灰色の石材の床に、黒い革張りの長椅子と艶のある栗皮色の木材が使われたテーブル、受付のカウンターは鏡のように磨き上げられ、その奥では蟲人のホテルマンが背筋を伸ばして立っている。
おれが親父から預かってきた手紙を渡すと、ホテルマンは素早くそれを読み通して部屋の鍵を用意した。
おれを見返した蟲人のホテルマンは黒い複眼を愛想よく細め、恭しく頭を下げる。

「……セドリック・フォスター様、お待ちしておりました。お部屋にご案内致しますので、荷物はこちらに……」

カウンターの脇から台車を出されたので、それにおれとケイジュの荷物を乗せて客室に移動する。
驚いたことに、このホテルには昇降機が設置されていた。
しかも、魔法を使わず水力と人力で動かしているのだという。
廊下を歩きつつ、ホテルマンにオクタロアルではこういう昇降機も珍しくないのかと尋ねると、格式のある建物ならば大体設置されていると答えられた。
オクタロアルはハカイムの隣の殻都だけあって、殻都内では魔法を使ってはならないという聖殻教の教えが浸透している。
その為、こういう魔法を使わない機械や装置の開発が進み、魔法使って動かしているのは外に繋がる一番大きな水門ぐらいだそうだ。
ここに来るまでに街灯が立ち並んでいるのも目にしたけど、あれは魔力灯ではなく燃える空気、可燃ガスを利用したガス灯とのこと。
オクタロアルの北西、アズモル山の麓に広がる平野では度々燃える空気が湧き出す場所が見つかる。
そこからガスを採取し、魔法で圧縮しつつ冷やして液体に変え、都市部に運んでいるそうだ。
殻都の中では魔法を使ってはならないが、外で使うならば構わないらしい。
液化ガスはガス灯に用いられる他、大きな家ならばガス管も通っているので、魔法や薪を使わずお湯を沸かしたり料理をすることもできるという。
その他にも、水路に水車を設置することでその動力を水門の開閉や時計塔を動かすのに利用していて、水路は道であると同時にエネルギー源になっているのだとホテルマンは語る。
オクタロアルの水路は北から南へ水が流れるように設計されており、殻都の中も若干傾斜があるので常に水は流れて循環している。
上水道と下水道もしっかり整備されていて、下水は地下の空間に一旦溜めて、スライムや濾過器を使って浄化した後再び水路に流れ込むことになる。
聖殻教により魔法を制限されながらも、快適な生活を追求した結果、オクタロアルはイルターノアの次に先進的な都市となった。
イルターノアは神話時代から残っている遺物をそのまま利用しているそうなので、一から作ったオクタロアルの方が実践面では優れているとも言える。
おれは素直に感心しつつ、なるほどなるほどと早口に呟いた。
学者という設定なら、こうやって好奇心のままに質問しても不自然じゃないから助かるな。
ホテルマンが立ち止まり、客室の扉に鍵を差し込む。

「ご用意させていただいたお部屋はこちらになります。どうぞごゆっくりお過ごしください」

扉を開けると、赤を基調にした広い部屋が目に飛び込んできた。
ロビーと同じ栗皮色の木材が使われた家具と、海老茶色のカーペットに真紅のカーテン、二つのベッドには真っ白でシワ一つ無いシーツ、毛皮の毛布、ビロードの生地に包まれたクッションと、冬にはありがたい暖かそうな部屋になっている。
部屋の照明にもガス灯が用いられているらしく、ホテルマンは手早くつまみを回して部屋を明るくしていった。
親父なりにおれを励まそうとしているのか、それとも詫びのつもりなのか、かなり値段の張りそうな部屋だ。
当然のようにこの部屋専用のトイレと風呂までついている。
ホテルマンはそれらの使い方をテキパキと説明し、夕食の会場や時間も案内してくれたが、一旦夕食は断ることにした。
せっかく美食の街に来たし、今日は外で食べたい。
ケイジュは説明されている間おれの後ろで気配を消して立ち尽くしていたけど、風呂があってお湯も出るとわかったときは一瞬顔を上げて嬉しそうな顔をしていた。
雪と風で冷たくなってしまった身体を今すぐ温めたいだろうけど、まずは用事を終わらせないと。
おれがその気持ちを込めて視線を向けると、ケイジュはわかってると言いたげに澄ました顔を取り繕っていた。
ホテルマンが鍵を渡して退室し、荷物を簡単に片付けたらすぐに外出の準備を整える。
今度はコルドから渡されたメモを手に、おれたちは慌ただしくホテルを後にした。



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