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森人の果実酒

12話

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 無事に協力を取り付けられたとはいえ、まだまだ決めなければいけないことは多くあったので、話し合いは続いた。
その中で、ユリエとフランがイルターノアへ向かう日取りも決まった。
なんと明日の夕方だ。
ここからヘレントスまでは馬車でも丸一日かかるのだが、フランが竜に変身して飛んで向かえば数時間で到着するのだとか。
竜人が変身までできるなんて知らなかった。
その能力は竜との繋がりを失っても使うことができるらしい。
ただし変身には魔力を要するので無限に飛ぶことはできない。
だが、それでも十分だ。
竜に変身したフランをおれも見てみたかったが、おれたちはユリエとフランより先に馬車でヘレントスに向かわなければならない。
色々と落ち着いた頃に変身したところを見せてと頼んでみようかな。

 そして、おれたちは夜に出発することになった。
夜の移動は危険なのだが、今回同行してくれたフットマンたちと御者の技量があれば暗い中移動するのも問題ないとのことだ。
今は冬なので在来生物の襲撃も起こりにくいし、更に明日の朝まで待っていたら再び雪が降り出すかもしれないので、今夜中に出立すると決まった。
一晩かけてヘレントスに向かい、到着するのは明日の昼前。
そこからジーニーとデュラは休憩を挟み、夕方頃にユリエとフランがヘレントスに到着したらそのまま転送装置でイルターノアに向かうとのこと。
馬車の中ではしっかりと眠れないので体力的にきつそうだが、ジーニーもデュラも平然としている。
このぐらいの強行軍には慣れっこなのだろうか。
その予定が決まった所でフランが気を利かせてくれて、森人たちに掛け合って食事を出してもらえることになった。
ずっと集会所の中にこもっていたからわからなかったけど、もう時刻は夕方に差し掛かっているらしい。
腹も減るはずだ。
夜を徹して移動することになるので、フットマンと御者も集落に呼び寄せ、共に食事ができるようにフランは取り計らってくれた。
森人も竜人であるフランが言うのなら、と打って変わって協力的だ。

 集会所には台所が無いので、ジーニーとデュラが案内されたという集会所の隣の家にお邪魔することになった。
聞いてみれば、その家はおれたちがラシーネから救った少女の家らしい。
大木の枝の上に建てられたその家は、集会所と同じく生きた木々が絡み合って壁や屋根が形成されていて、中は案外広かった。
ユリエとフラン、集落に呼び寄せたフットマン二人と御者、ジーニーとデュラ、おれとケイジュの合計9人が集まると流石に狭く感じるが、木の上とは思えないほど暖かく、快適な住居になっている。
森人の集落に初めて立ち入ることになったフットマン二人と猫人の御者は、おっかなびっくり用意された椅子に腰掛けていた。
原始的な見た目に反して中は魔力灯のおかげで明るいし、料理に使うであろう魔導具が設置されているし、排水設備なんかもしっかりしていて、殻都の中の暮らしとほとんど変わらないかもしれない。
少女の両親はおれたちを娘の恩人として丁寧に扱い、もてなしてくれた。
テーブルが狭すぎたので、近所の家からわざわざもう一つテーブルや椅子を持ってきてくれたし、料理を作っている間も飲み物を用意してくれたりお茶菓子を出したりと甲斐甲斐しい。
とはいえ森人なので、客人のおれたちに愛想笑いをするようなことはない。
会話を円滑にするために笑顔を作るという習慣自体がないのだろう。
少女は相変わらず強気な態度を崩さなかったが、ユリエとは顔見知りなのか親しげに話をしていた。
その後はおれに近付いてきて、ようやく名前も教えてくれた。
ジェンティアナ、と言うらしい。
本当は余所者に教えてはいけないと言われているんだけど、あなたはフラクシネス様にも認められているみたいだし、助けてくれたから、とすごく不本意そうな顔で教えてくれた。
長いからジェンで良いとも言われたけど、流石に両親の前で愛称を呼ぶと怒られそうだったので曖昧に頷いておくことにした。
ジェンティアナはおれの前に薬草茶の入った木のカップを置き、手作りだという果物のジャムを使った焼き菓子を横に添えた。
薬草茶は口に含むと少し辛味があって、喉を通った後もお腹でほかほかと熱を発しているような感覚になった。
冬にはピッタリの飲み物だ。
サクサクした生地の中に赤いジャムが入っている菓子は、結構甘みが強くてお茶と相性もいい。
美味しい、菓子職人と遜色ない腕だ、とジェンティアナを褒めると、つんと顔を背けて返事をしてくれなかった。
森人と仲良くなるのは本当に難しい。
ジェンティアナはおれに返事をしないまま、早足に台所の方に行ってしまった。
そんなやり取りを横で見ていたケイジュが、ちょっと怖い顔になっておれに詰め寄ってくる。

「……セオドア……気付いていないようだから大目に見ていたが、それぐらいにしておけ。嫉妬させたいなら、もう十分だ」

おれはぽかんとしてしまったが、ケイジュはおれから目を離さない。
嫉妬って、ケイジュが?
おれが、あの子に話しかけたからか?

「……え、あ……?いや、まさか。あの子の態度はそういうのじゃ……」

おれが反論すると、向かいの席から押し殺した笑い声が聞こえてきた。
そちらに顔を向けると、やはりジーニーが笑っている。

「セオドア君は人たらしなのに、恋心には鈍感なんだねぇ。自分の顔が良いってことをもう少し自覚したらどうだい?」

おれは咄嗟に自分の顔に手を当てて、ケイジュを見た。
ケイジュは怖い顔をしていても文句のつけようがないくらい格好いい。
自分の顔が醜いとは思わないけど、見惚れるならやっぱりおれよりケイジュだろう。
ケイジュはぐっと眉間にシワを寄せたあと、ため息をついた。

「……そういえば、セオドアの家族も容姿は森人並みに整っていたな……それで麻痺しているのか」

おれは居心地悪くなりながらも、親父や兄貴の顔を思い浮かべる。
まぁ、確かに。

「いいか、セオドア。お前は男前だ。整っている上に優しそうだから、異性からは特に受けが良い顔だ。にこにこと愛想良く微笑まれたら、大抵の人間は警戒心が緩むだろう。その上、セオドアの髪と目は、森人にとって親近感を抱きやすい色合いをしている。特に、あの少女は助けてもらったという恩義も感じているんだろう。今は物珍しさと淡い憧れだけで済んでいるかもしれないが、あまり親身になり過ぎると、あの子も傷つけることになるぞ」

ケイジュは低い声で一息に言い切った。
おれは圧倒されて、少し仰け反ったままカクカク頷く。
ケイジュはふんと鼻息を吐くと、ようやく顔を離してくれた。
ジーニーは片肘を付いたまま、愉快そうに笑い続けている。
デュラは我関せずと言わんばかりに薬草茶の入ったカップを傾けていた。

 おれが反省して大人しく黙って薬草茶を啜っている間に、いい匂いが漂ってきた。
おれたちの隣のテーブルでおそるおそるお茶と菓子を食べていたフットマンたちも、嬉しそうにふんふんと匂いを嗅いでいる。
ずっと野外で携帯食料ばかり食べていたから、余計食欲が刺激されているのだろう。
間もなく、ジェンティアナとその母親が、大きなお盆に料理を満載して運んできた。
木のテーブルがまたたく間に食器と料理に埋め尽くされる。
食料の乏しい冬なのに、かなり奮発して色々準備してくれたようだ。
テーブルの真中に丸くて薄いパンのようなものが何枚も重ねて置かれた。
その周りに様々な食材が使われた焼き料理や煮込み料理が並ぶ。
意外なことに、肉料理も結構多い。
森人は果物とか野菜とかを食べてるイメージだったけど、案外そうでもないんだな。
ジェンティアナは真ん中の白くて薄いパンを指差し、これに自分の好きなものを包んだり浸したりして食べてと言った。
なるほど。
料理が揃った後は、ジェンティアナの父親がガラスの杯に濃い紅の飲み物を注ぎ、配ってくれた。
よく見るとガラスの杯は大きさや形が違うものも混じっている。
これも近所から借りてきてくれたのだろう。
飲み物は、葡萄酒だろうか?

「ありがとう。こんなご馳走を用意してもらえるなんて、感謝に堪えないよ。飲み物も、これは葡萄酒かな?」

杯を受け取ったジーニーが尋ねると、ジェンティアナの父親はその若々しい美貌にほんの少し笑みを浮かべてみせた。

「これは私が去年漬けた紅奏酒です。森人が作る果実酒の一種で、この村の特産品でもあります」

森人達の間でも、細々と交易は行われているようだ。
紅奏酒か。
名前だけは聞いたことがある。
確か親父の酒コレクションの中にあった気がする。
当然飲んだことはないけど、親父が集めるくらいだから貴重なものだろう。

「ほう!これがあの……!滅多にヘレントスの市場に出回らないから、私もまだ口にしたことがないんだ。とても楽しみだ」

ジーニーは紅の酒を見つめて、心底幸せそうにうっとりしている。
野営しているときにも酒を飲んでいたし、酒好きなんだな。
飲み物も行き渡り、ジェンティアナや両親らもフランの隣に座り、全員が揃った。
おれたちを代表してフランが謝辞を述べ、静かに晩餐が始まった。
おれは早速、ガラスの杯を手に取る。
香りは甘く、酒精のきつい匂いはしない。
それほど強い酒ではなさそうだ。
果実というより、花の香りに近い優美な香りだ。
薬草茶にも通じるちょっと草っぽい匂いもする。
おれは慎重に杯を傾け、少しだけ口に含んだ。
濃い色に反して、さらりと爽やかな舌触り。
渋みも感じるが、果実の甘味が強い。
飲みやすくて美味しいな。
おれがそれを飲み干すと、奇妙な現象が起こる。
どこからともなく、美しい竪琴の音が聞こえてきたのだ。
おれは周りを見回した。
ケイジュはおれを不思議そうに見返した。

「どうした?」

「いや、いま……音がしただろ?」

「音?」

「ほら、竪琴の、綺麗な音が……ほら、まだ聞こえる」

ケイジュは困った顔で首を傾げている。

「ふふふ。紅奏酒がどんな物か知らなかったのかしら」

おれの向かいから楽しげな声が聞こえてくる。
声の主はジェンティアナだ。

「この音は、どこから聞こえているんだ?というか、おれにしか聞こえてないのか?」

おれがまだ混乱しつつ問いかけると、ジェンティアナは自慢げにちょっと胸を張り、自分のグラスに注がれた酒を少しだけ口に含む。
それを飲み下し、目を閉じて少し余韻に浸った後、おれを見る。

「ええ。今私には音色が聞こえているけど、あなたには聞こえないでしょう?これが紅奏酒の効果なのよ。飲み干して数秒間、美しい竪琴の音色が聞こえるよう、魔法をかけながら作っているの。音は魔法で奏でているものだから、飲んでいる本人にしか聞こえない。竪琴の音色は飲んだ本人の気分や、体調にも影響されて変化するから、一口飲むごとに音楽も楽しめるのよ。素敵でしょう?」

おれは紅の液体を見つめ、心底感心した。
何の変哲もない酒に見えるのに、そんな魔法技術が仕込まれていたなんて。
つまり、舌と耳で味わう酒なのか。

「すごい。こんな不思議な感覚は初めてだ……」

おれの反応で我慢しきれなくなったのか、ケイジュも杯を傾け少し飲む。
その後、目を見開いたまましばらく硬直し、感心したように深く息を吐き出している。
ケイジュが聞いている音は、おれが聞いた音とは違っているんだろうな。
すごく面白い。

「奏酒には紅以外にも色々あるのよ。西の集落で作っている白奏酒は笛の音色が聞こえるらしいわ。南の集落の奏酒は、青奏酒だったかしら。風琴の音がするとか」

おれはうんうんと頷きながら、もう一口紅奏酒を飲む。
おれの高揚した気持ちを反映しているのか、先程よりも情熱的に竪琴が旋律を紡ぐ。
やっぱりすごい。
こんな摩訶不思議な体験ができるなんて、頑張って集落に押しかけたかいがあった。

「お酒に夢中になるのはわかるけど、料理も食べてよね。せっかく作ったんだから」

ジェンティアナが少し拗ねたようにつぶやいたので、おれは慌てて杯を置いた。
おれたち以外の面々も、紅奏酒の美しい音色に聞き惚れながら、言葉少なにぼちぼちと料理に手を伸ばしている。
はたから見れば会話が少なくて陰気な晩餐に見えるだろうが、実際は違うところが面白い。
おれも音の余韻に浸りながら、薄い生地を手に取る。
しっとりして柔らかく、温かい料理に飢えているおれたちにはこれだけでもご馳走だ。
端っこを少しちぎって食べると、小麦の豊かな風味が広がった。
しかし味はほとんどない。
これならどんな料理にも合いそうだ。
おれは一番手近にあった焼いた肉を何切れかのせ、生地でくるんで食べる。
鶏肉に似ているが若干食感が違うので、在来生物の肉なのかもしれない。
あっさりした塩味だが、香辛料が効いていて結構辛い。
何かと一緒に食べると丁度いい味付けだ。
他にも茹で野菜にソースをまぶしたものや、小魚をまるごと揚げたものなど、基本的には素材の味を生かしたおかずが多かった。
だけど、ちゃんと生地に合うように味がついていて、何を食べても新鮮な驚きがある。
林檎を甘く煮たものもあって、それをしょっぱい物を食べた後に食べると更に美味しかった。
下手な宮廷料理よりも飽きがこないし、自分の好きなように食べられるし、これはいい食文化だな。
酒と音色で気分がほぐれてきたのか、ジェンティアナの母親とユリエがぽつぽつと会話し始めた。
それを皮切りに、萎縮していたフットマンたちもモリモリ食べてこれがうまいあれが合うとにぎやかに料理の取り合いを始める。
ジーニーは父親の方と真剣に顔を突き合わせてガラスの杯を傾けている。
途中音の深みがどうこうと聞こえてきたので、やはり酒について話しているようだ。
ジェンティアナは空いた皿を取り替えたり、おすすめのおかずの組み合わせを教えてくれたりと、何かと世話を焼いてくれる。
ケイジュの厳しい眼差しを感じながら、ジェンティアナと会話するのは難しかった。
年頃の女の子には、どのぐらいの距離感で接するのが正しいんだ?
ここ五年くらいずっと仕事に打ち込んでたから、すっかりわからなくなっている。
そういうこともあって大変だったけど、楽しい夕食だった。
様々な人種と立場の人間が、同じ料理を食べて幸せそうにしている。
いや、全く同じではないか。
一つの料理を気に入って食べ続ける人もいるし、色々な料理を生地に巻いて食べる人もいる。
甘い林檎のコンポートを気に入る人も居れば、塩っぱくてカリカリの小魚の丸揚げを気に入る人もいる。
だけど、そこで喧嘩になったりはしない。
この料理は、そういう違いを前提としているからだ。
これを食えと強要することのない、自由な食卓。
少し大げさだけど、エレグノアもこんな風になればいいと、おれは思った。
インゲルの福音は、たった一つの料理を好きになれ、それだけを食えと強要しているようなものだ。
おれたちには、いろんな料理を味わって楽しむための舌があるのに。
おれは俯いてこっそり笑う。
紅奏酒を飲んだからか、妙に壮大な言葉が湧いてくるな。
今なら即興の詩が作れそうだ。
おれは杯を傾ける。
再び聞こえてきた音色は、先程よりも希望を孕んだ旋律に聞こえた。



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