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森人の果実酒

11話

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 勝手に外に出てジーニーやフランを追いかけるわけにも行かなかったおれとケイジュは、しばらく暇を持て余すことになってしまった。
ケイジュと森人の集落で見たものについて雑談している間に結構時間が経ったように思うけど、時計もないので確認する手段もない。
色々なことを聞いて考えて話したせいで、頭が少しぼーっとしてしてきた。
ポケットの中には砂糖菓子なんかも入っているのだが、口の中が更に乾きそうだしなぁ。
迷っているうちに、外から聞き覚えのある笑い声が聞こえて扉が開いた。

「セオドア君、すごいじゃないか。いったいなにを言って、彼女を乗り気にさせたんだい?」

ジーニーは見たこともないくらい上機嫌だった。
おれに歩み寄って来り、おれの肩をどしどしと叩く。
その後ろには安心したように頬を緩めているデュラと、眉を下げて苦笑しているフラン、そしてフランの長身に隠れてユリエもいる。
おれは何がなんだかわからないまま、ジーニーを見返す。

「……何かした覚えはないのですが……むしろ、協力を断られてしまったはず……」

おれがフランに視線を向けて助けを求めると、フランはユリエの顔色を伺うように後ろを向いた。
何度か頷いた後、おれとケイジュに柔らかい笑顔を向けた。
純朴な、人間らしい表情に一瞬混乱した。
先程までフランと話していたはずなのに、まるで初対面の人間と相対しているように感じてしまう。

「……実は、あの後、私からもユリエを説得したんです。私は、インゲルの福音に復活してほしくないと思っています。竜の意思には反しますが、私のこの感情を、誰にも渡したくないのです。ようやく、そう思えるようになりました」

フランはケイジュの顔を見てから、少し照れくさそうに目を細めた。
その仕草も、何かが違って見える。

「そのことを伝えたら、ユリエも意見を変えてくれました。もう少し詳しい話を聞いてから判断する、と」

フランが後ろに隠れているユリエに励ますような視線を送る。
そうしてようやく姿を現してくれたユリエは、居心地悪そうに俯いていた。

「まだ協力すると決めたわけではないわ。具体的に何をすれば良いのか、その見返りに何をしてくれるのか、それをきちんと聞いた上で断っても遅くないと思っただけよ。だからこれは、取引よ」

ユリエの言葉は相変わらず強気だったが、声はくぐもった鼻声だった。
ちらりとだけ見えた目元や鼻の頭も赤くなっている。
どうやら、おれたちが雑談をして暇をつぶしている間に、フランとユリエはしっかり話ができたようだ。
今この場でその話を蒸し返したらユリエが流石にかわいそうだな。
おれは何も見なかったことにして、頭を下げる。

「……ありがとう。取引でもなんでも、話し合いを続けてくれるなら構わない。あのまま断られていたら、おれがジーニーに怒られるところだった」

おれは最後の方は声を潜めていたのだが、ジーニーにはしっかり聞かれてしまったらしい。
大げさに肩を竦めたジーニーは、怒ったりしないさ、ただ君に幻滅するだけだ、とさらりときついことを言う。

「さあ、気が変わらないうちに話し合いを再開しよう」

ジーニーはぱんぱんと二回手をたたき、おれたちを元の席に座らせる。

「さて、まずはユリエ嬢に何をしてほしいのか、その具体的な内容について説明しようか」

ジーニーはおどけた様子から一転して、真剣な重い声で話を続けた。
ジーニーがユリエに求めたのは、次の三つ。
一つ目は竜人フラクシネスを福音反対派の戦力として正式に加えること。
これはフラン自身が力強く肯定したので問題なく片付いた。
そして二つ目は灰月25日の大鐘破壊作戦に参加すること。
石人の工作員やヘレントスの傭兵隊の支援を受けつつハカイム城に潜入し、おれが万が一失敗して動けなくなった時に、かわりに大鐘を破壊してもらう。
流石にユリエは眉をしかめていたが、ハカイムの警備兵と直接交戦することは避け、もし戦闘になっても傭兵隊に任せてくれとジーニーが告げると、なんとかユリエも飲み込んでくれた。
そして三つ目は、ユリエの実家、スズカ家とも同盟を組みたいから橋渡しをしてくれ、つまりは実家に一度帰ってくれ、というものだった。
ユリエは驚きすぎて、口を中途半端に開けたまま少し固まっていた。
これにはおれも驚いた。
確かにジーニーはイルターノアも仲間に引き入れることが出来れば、とは言っていたが、まさかユリエ本人を実家に帰すつもりだとは。
しかも、家出した彼女に告げるにはあまりに無慈悲な話だ。
ジーニーは続けてどのように帰ってもらうかも説明を付け加えた。
なんでも、現在ユリエは公的には留学生として扱われているらしい。
家出しましたとバカ正直に公表するわけにもいかなかったので、勉学のために他所の殻都にいると、そういうことにしているらしい。
スズカ家は今も血眼になってユリエの行方を探しているらしいが、竜人フランが最も力を発揮できるヨナの大森林に身を隠し、魔法でスズカ家の追手の認識を歪めることで逃げ延びてきた。
そういう事情を踏まえ、ジーニーはある提案をした。
ユリエに、一代限りの爵位を与える、と。
ユリエは公爵家の長女で、正真正銘のお姫様だが、跡取り候補というだけで、爵位を持っているわけではない。
そこで、ジーニーはユリエに議長権限で爵位を与え、スズカ家の追手が来ても追い返せるだけの権力を与えようと申し出たのである。
それに、正式に爵位を与えることでジーニーも大々的にユリエの庇護者として振る舞うこともできる。
筋書きはこうだ。

 病のために床に臥せっていたミンシェン伯爵の妹を、ふらりと現れた放浪の薬師が救った。
彼女は森の魔女と名乗り、そのまま名を告げることなく立ち去ってしまった。
長年の病から救われたミンシェン伯爵の妹、そしてミンシェン伯爵は森の魔女にいたく感謝し、彼女を探し出して褒美をとらせることにした。
そうして見つけ出した森の魔女に、一代限りの爵位を授ける。
しかし彼女は、実は公爵家の長女ユリエだったのだ。
留学しているはずの公爵家の長女が森で隠遁生活をしていることに驚いたミンシェン伯爵は、彼女から事情を聞き、彼女をスズカ家の追手から救うために、彼女とともにイルターノアに向かう。

「……酷い捏造ね。私はあなたの妹と会ったこともないんだけど?」

話を聞いたユリエは複雑な表情でそれだけ言った。
まだジーニーの思惑を掴みきれていないのだろう。
おれも同じような顔になっている気がする。

「直接はない。だけど、私の妹は君に随分救われたよ。彼女は長年とある病に苦しんでいてね。そんな時に君の薬と出会ったのさ。ヘレントスでも少しだけ流通しているんだよ、魔女印の塗り薬が」

「塗り薬……?」

「あの塗り薬は狂おしいあの足の痒みをあっという間に鎮めてくれると評判なのさ。おかげで妹は最近上機嫌だよ」

ユリエはちょっと気まずそうだったが、納得はしたようで頷いていた。

「……そう、助けになれているのなら嬉しいけれど……それで、あなたは私に爵位をくれると?だけど、それだけで公爵家の圧力からは逃げられないわ」

「そこは竜人の威光とスズカ家の面子を利用して切り抜けよう。君は表向きは留学していることになっている。そんな君がヨナの大森林でコソコソ薬を作って生計を立てているなんて、辻褄が合わない。つまり私は君のお父さんを脅すわけだ。
君の娘は留学しているのではなかったのか?
なぜ彼女は家出なんてしているんだ?
これを貴族たちに暴露されたくなくば、彼女に爵位を与えることを認め、彼女をスズカ家の跡取りではなく、ヘレントスの一代貴族として認めよ、と」

「父がその脅しに屈してくれればいいけど」

「大丈夫さ。いざとなればフラクシネスの力を見せつけ、君に害をなせば竜人が一人敵にまわるぞと言えばいい。
それに、イサクは君を愛している。あいつは何かと問題を一人で抱え込みすぎるからわかりにくいが、君の安否を心配していることは私にも感じ取れる。
そもそも、君の家出の理由は、大局を見ればスズカ家の行く末を想ってのことだ。イサクもきちんと説得すればわかってくれるだろう」

ジーニーの言葉に、ユリエは目を見開いた。

「……あなたは、知っているの?」

ジーニーは黄金の瞳でひたとユリエを見つめる。

「褒められたことではないが、インゲルの福音の件で私は各地に密偵を送り込んでいる。イルターノアに潜り込むのは大変だったが、ある程度の事情はわかってきた……君は、弟に跡を継いでほしいのだろう?」

ユリエは息をのむ。
事情を知らないおれがユリエとジーニーを交互に見ていると、ユリエは細く長い溜息を吐き出した。

「……そう、その通り。私がスズカ家を継げば、近いうちにスズカ家は断絶することになる。もう、限界なのよ」

ユリエの眼差しには、はっきりと闘志のようなものが燃えていた。
彼女にとって、家出はただの逃避ではなかったのか。

「セオドア君やケイジュ君を置いてけぼりにしてしまっているね。私がかわりに説明しようか?」

ジーニーが出した助け舟を、ユリエは緩く首を横に振って拒否した。

「いい。私が言うわよ。どこの殻都でも、いずれはこの問題に直面することになる……セオドア、あなたはイルターノアの貴族に会ったことがある?」

おれは記憶をたぐり、なんとか返答した。

「何度か……イルターノアの人は皆似たような容姿だから、印象には残っている」

「それもそのはず。イルターノアの貴族はとても保守的で、他所の殻都の血が混じることを嫌うから。
イルターノアは神話時代の知識や技術を輸出することで栄えてきたわ。エレグノアで最も旧い都市、それがイルターノアよ。殻壁も他よりも原型をとどめているおかげで、知識や技術を多く残すことができた。でもその輸出品は、形を持たないもの。だから人が流入すること、逆に流出することも昔から忌避してきた。
そのせいで、イルターノアの貴族は身内で婚姻を繰り返し、今やほとんどが親戚同士。その最たる例が、スズカ家よ。私の父と母はいとこ同士。その以前にも血の繋がりはあったから、近親婚の影響はもう避けられない。私には兄や姉がいたそうよ。でも、皆幼くして死んでしまった。末子の私だけは奇跡的に何の異常もなく成長できたけど、立て続けに子を亡くした母は正気を失って死んでしまった。
その後、父は新しい妻を他所の殻都から迎えて、弟が生まれた。弟は健康そのもので、私も安心したわ。やっぱりこのまま一族だけで血を繋ぐなんて無理なのよ。だけど、それでもイルターノアの貴族は弟の存在を認めたがらなかった。健康な弟よりも、尊い血を最も濃く受け継いだ私が次代の公爵になるべきだと主張している。
私があのままイルターノアに残っていたら、多分また血縁のあるイルターノアの貴族と結婚させられて、もっとおぞましい呪いを受け継いだ子供を産み、そして母のように正気を失って死んだでしょうね。そんな連鎖は、もう終わりにするべきなのよ。少しでも血の薄まった弟が跡を継いでくれれば、まだスズカ家が生き残る可能性はある。あと10年ぐらい経って、頭の固い世代が居なくなれば、弟の伴侶も他所の殻都から迎えることができるでしょう。
だから、私は身を隠し、弟が正式に跡を継ぐまでは帰らないと決めた」

ユリエの真っ黒な瞳の中に、どろりとした絶望が感じ取れる。
近親婚を繰り返し断絶してしまった家を、おれはいくつか知っている。
財産や権力が他の家に渡らぬよう必死になるあまり、禁忌を犯してしまった家。
歴史の中では珍しいことではない。
だけど、スズカ家が未だにその風習に囚われているとは知らなかった。
公爵家ともなれば、身分が釣り合う相手というのも限られてくるし仕方なく、という場合もあるだろう。
しかし、生まれてくる子供に影響があっても未だにやめられないのは異常だ。

「そこまで追い詰められていることに、君の家族は気付いていないのか?」

おれが質問すると、ユリエは視線を泳がせた。

「……わからない……その話をする前に、私は家を出てしまったから……少なくとも父は、ちゃんと理解しているはず。だけど、結局父も、いとこである私の母との結婚を拒めなかった……なぜかしらね」

「ならば、改めてその話もするべきだろう。イサクは君がなぜ家出したのかも、はっきりとは知らない。きっと、イサクは君の想いを理解してくれるだろう。なんて言ったって君は娘だ。父親にとって娘というのは、特別愛おしい存在なんだよ。どんなに冷徹に振る舞っていても、親の愛情はなくならない」

ジーニーはやけに実感の籠もった声で告げる。
これは元老院議長としての言葉ではなく、親としての言葉なのだろう。
ユリエは少し意外そうにジーニーを見つめ、それから観念したように目を伏せた。

「……あなたの言葉はどこまで信じていいのかわからない……だけど、今回はその提案に乗るわ。もし私がイルターノア城に監禁されそうになったら、あなたは助けてくれるのよね?」

「もちろん。君が私の手を握ったその瞬間から、君は公爵家の長女ではなく、ヘレントスの一代貴族となる。私の庇護下だ。ただし、一代限りの貴族は男爵のみなんだ。そんなのじゃ足りないと言わないでおくれ」

「……男爵、ね。もらえるなら何でもいいわ。文句は言わないわよ」

ユリエはようやく不遜な笑みを浮かべた。
男爵どころか、女王様のように。
力強い決意が瞳に宿っているように見えた。
ジーニーは満足そうに頷く。

「では、改めて問おう。ユリエ嬢、大鐘を破壊するために、我々に協力してほしい。その見返りとして、君はヘレントスの貴族として私が庇護する」

ジーニーの問いに、ユリエはフランと視線を重ねた。
フランは少し申し訳無さそうに、ジーニーを見やった。

「……返事をする前に、一つだけ、言っておかなければならないことがあります」

「何かな?」

「実は、私はつい先程、竜との繋がりを失いました」

フランから話を聞いていたおれは驚いたけど、納得もした。
フランの雰囲気が変わったように感じられたのは、それが理由だったのか。
あの時席を外していたジーニーは、何かを思い出そうとするかのように指をくるくるまわす。

「えー、何だったかな。竜人は竜との精神的な繋がりがあって、そのおかげで魔力もほぼ無尽蔵に使えるとか、そういう話だったか」

「はい。今まで私は竜の一部でしたが、今はもう一人の人間として独立した存在になりました。これからは人間として年を取りますし、魔力も無尽蔵には使えません。今までの経験がありますし、普通の魔術師に遅れを取ることはないと思いますが……」

「ふむ、それは……この件に協力するために代償を支払わせてしまった、ということかな?」

「いいえ。これは私自身の選択です。私は彼女だけを愛し、彼女と共に生き、年老いて死にたいと願った。その結果です」

フランは迷いなく答える。
その言葉を聞いたユリエは、フランの服をぎゅっと握っていた。
何かをこらえるように唇も噛んでいる。
しかし頬は紅潮し、悲しそうな顔には見えない。

「そうか……君が竜人というだけでかなりの抑止力となるから、今まで通り、彼女を守ることに注力してくれればいいんだが……彼女を守ることにも支障が出るくらい弱体化してしまったのかい?」

「いえ、それは問題ありません。他の竜人には勝てないかも知れませんが、逃げるくらいなら出来ます」

「ならば問題ないよ」

ジーニーがあっさり応えると、フランはホッとしたように息を吐き出していた。

「もう他に言っておきたいことはないかな?質問は?」

ジーニーが促すと、今度はユリエが口を開いた。

「男爵としての家名はいただけるのかしら?私はもうスズカ公爵の娘ではないのでしょう?」

「ああ、それはまだ考えていないけど、何か希望はあるかな?」

「エクセルシアがいいわ」

ユリエがすぐさま答える。
ジーニーはフランを見て、ニヤリと唇と吊り上げる。

「ほう、それは。確かフラクシネスの名前では?」

「そうよ。フランに与えられた竜人としての称号の一部だけど、私も借りたいの。ユリエ・エクセルシア男爵。響きもなかなか良いと思わない?」

ユリエは少女のような無邪気な笑みをフランに向ける。
フランも嬉しそうにはにかんでいた。

「わかったわかった。正式に挙式をあげるつもりなら、私も駆けつけるから知らせてくれ。ただし、来年にしてくれないか?」

二人の空気に当てられたジーニーが苦笑いすると、ユリエは慌てて澄ました表情を取り繕った。
そして、ジーニーは改めて手を差し出す。

「では、ユリエ・エクセルシア男爵、そして森竜の子、フラクシネス・エクセルシア。我々に力を貸してくれるかい?」

ユリエは優美な仕草で白い手を伸ばし、ジーニーの手を軽く握る。

「ええ。いいわ」

おれはテーブルの下で、こっそりと拳を握った。
一時はどうなるかと心配したけど、奇跡的にここまで漕ぎ着けた。
大鐘破壊作戦も、きっと大丈夫だ。
成功する。
おれは目を閉じ、安堵に浸った。
本番はまだまだこれからだけど、今ぐらいは喜びを噛み締めてもバチは当たらないだろう。




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