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セオドアの勝負飯

5話

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 彼女の言葉に、おれだけではなくネレウスやハッダ―ド侯爵まで目を丸くしていた。
親父は眉間にシワを深く刻み、ヴァージル兄は苦笑している。

「よく来てくれた、アルビエフ伯爵。ヴィンセントも、もう体調は良いのか?」

ヴァージルは硬直した空気を和らげるためか、穏やかに声をかける。
しばらく見ないうちに、ヴィンセントもちょっとは逞しくなったようだ。
おれが家出した頃はかなり痩せていて、遠目だと女性にしか見えないほど華奢だったんだけど、今はそれなりに肩幅も体の厚みもある。
親父に仕事を任されるくらいだから、健康状態がかなり良くなったんだな。
ヴィンセントはヴァージル兄の言葉に優雅に微笑んでみせた。
ヴィンセントはおれたち三兄弟の中で一番親父に似ている。
月のように淡い色をした金髪と、氷を思わせる水色の瞳、そして貴族の中でも最も優れた容姿と評される美しい顔立ち。
貴族らしい上品な笑みを浮かべるだけで腹立たしいほど様になる男だ。
ただ、病弱で成人できるかもわからなかったし、ヴァージル兄が居たのであまり表舞台に姿を現すことがなく、イングラム家の美しき秘宝などと揶揄されることもあった。
そんなわけで、兄弟とはいえおれとヴィンセントはあまり親しくない。
特に誘拐事件の後は家族の注目がおれに向くようになってしまったので、ヴィンセントからは嫌われている気がする。
今も、ヴィンセントの視線がおれに向くことは一切なかった。

「……ご心配には及びません、兄上。転移酔いも今は治まりました。皆様をお待たせしてしまい、申し訳ありません」

ヴィンセントは少し頭を下げると、貴公子らしい優雅さで椅子を引いて女性を座らせた。
女性もごく自然にその椅子に座り、ついに円卓の空席が埋まった。
女性は自信に満ちた表情でおれたちを見回す。
先程の名乗りが本当なら、彼女がリル・クーロの元老院議長、オリガ・クーロ・アルビエフだ。
リル・クーロで噂話だけは聞いていたが、まさかこんな美しい女性だとは知らなかった。
ヴィンセントの金髪を月とするならば、彼女の髪は太陽の光を集めたような艶やかさだ。
長い金髪は緩く波打ち、雪のように白い肌と葡萄酒色のドレスを彩っている。
そして瞳は紫水晶の如き神秘的な紫色をしていて、生き生きと輝いている。
瞳を飾る睫毛は極上の金細工のように繊細かつ豪奢で、唇は艷やかな薔薇色。
絵本に出てくる美しいお姫様そのものである。
しかし、ヴィンセントと並んで立っている所を見るに彼女はかなりの長身で、肩や腕も貴族女性にしては細くない。
リル・クーロの服屋で聞いた話だと、彼女は貴族ながら狩猟を嗜み、専門家に負けないほど優れた狩人だという。
アルビエフ伯爵の身体から溢れる生命力を見ていると、あれは本当の事だったんだなと不思議と納得してしまった。

「……役者が揃ったのは良いが……アルビエフ伯爵……さっき、婚約者がどうのと言ってなかったか?」

事情を知らない面々を代表して、ネレウスが質問してくれた。
おれの聞き間違いかと思っていたが、やっぱり婚約者って言ってたよな?
おれたちの視線を受け止めたアルビエフ伯爵は、よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに笑みを深くした。

「ええ。わたくしがヴィンセントに一目惚れしましたの。それで、同盟に参加することと引き換えに、ヴィンセントを婿としてリル・クーロにくださいとお願いしましたのよ。エドガー様もお許しくださいましたし、ヴィンセントもわたくしを愛してくれていますので、年が明けたら結婚しますわ」

アルビエフ伯爵はやや低めな落ち着いた声をしていたが、語り口は結婚に胸踊らせる少女のそれだ。
アルビエフ伯爵は隣のヴィンセントをちらりと見てうふふと幸せそうに笑い、桃色に染まった頬に左手を当てた。
その薬指には美しい輝きを放つ指輪が嵌っている。
まさか、兄弟と久しぶりに会っていきなり婚約の報告を聞くことになろうとは。
一応、政略結婚ということになるのだろうか。
ヴィンセントの顔を窺うと、見たこともない表情になっていた。
公式の場では美しい王子様として如才ない振る舞いをするヴィンセントが、眉間に深い皺を刻んでいる。
唇も噛み締めているし、顔が赤い。
しかし、ヴィンセントと近い席に座っていたおれは見てしまった。
円卓の下で、ヴィンセントはアルビエフ伯爵の手をしっかりと握っていたのである。
結婚に納得していないなら手を握ったりはしないだろう。
あのしかめっ面は照れ隠しなのか……。

「それは……おめでとう」

ネレウスは二人の様子を見て、気が抜けた声で祝福した。
ハッダード侯爵やジーニーまでも、呆気にとられた顔でとりあえず祝福の言葉をかける。
ヴィンセントはちょっと唇を引き攣らせながらも笑みを浮かべ、一応貴族らしく謝辞を述べた。
親父もヴァージル兄も何も言わないので、婚約のことは知っていたようだ。

「こんな危機にもかかわらず、喜ばしい報告を聞けたのは嬉しい……だが、そろそろ本題に移ろう」

アルビエフ伯爵の宣言で奪われていた主導権を、ヴァージル兄が取り戻して告げる。

「これで西島の全ての殻都の元老院議長が集まった。そして皆、エレグノアの人々の自由を望んでいる。我々は同じ目的に向かって進む同志だ。それぞれが抱く理想の世界は違っても、今は固く手を取り合い、共に戦ってほしい。いよいよ、インゲルの福音復活をどうやって阻止するか、その具体的な方法について話し合おう」

ヴァージル兄の声は穏やかだったが、言葉は力強く会議室に響いた。
その後を引き継いだのは、親父の冷静で抑揚のない声だ。

「……インゲルの福音を発動しているのは、エレグノアの初代の王インゲルが遺した魔導具、大鐘だ。我々の目標は、それを破壊すること。神話時代の生き残りであるインゲルが作らせた魔導具だ。単純に兵を集めて火を放てば良いという話ではない。今までにわかったことをまず共有しておこう……ブレナン」

親父が声をかけるとエランド子爵は立ち上がり、おれたちに資料を配った。

「その資料はこの話し合いが終わったら処分する。我々の動向が東島の連中に知られれば、焦ったハカイムが強引に福音の復活を前倒しする可能性もある。情報の取り扱いには細心の注意を払え」

親父の忠告を聞きながら、おれも資料に目を通した。

 インゲルの福音。
今から400年以上前に編み出されたという亜人の心を操る魔術で、亜人が純粋な人間を愛するように仕向ける精神操作魔法の一種。
発動したばかりの頃は、亜人を貴族の思いのままに操れるほどの威力があったらしいが、400年の間に徐々に劣化。
現在は貴族に好意を抱きやすく、敵意を抱きにくくする程度の効力しか無い。
このまま劣化が進めばあと50年程度で効果がほとんど消え去ると思われていたが、インゲルの福音を管理する第五殻都ハカイムはインゲルの福音の永続を望んだ。

 インゲルの福音は巨大な鐘に魔法陣を刻み、その鐘の音と各地の聖殻教の教会の鐘と共鳴させることで発動している。
教会の鐘だけではなく、時を告げる鐘の音や、童謡や、吟遊詩人が歌い継ぐ旋律でもインゲルの福音と共鳴するように魔術が仕込まれており、エレグノア全土に効果を行き渡らせている。
そして一度その福音を受け取ってしまうと、大元である大鐘が破壊されたとしても、その効果は死ぬまで続く。
無意識下に純粋な人間への愛情を植え付けられるので、自分が福音の影響下にあると自覚することも難しい。
その仕組を知るのはエレグノアの王家だけだったが、新暦213年に起きたクーデターにより、エレグノア王家は一人の姫を残して断絶。
インゲルの福音に関する知識も失われ、第五殻都ハカイムがインゲルの福音の管理を行うことになった。
ハカイムは200年という長い時間をかけてインゲルの福音を解析、研究し、そしてついに全容を解明した。
400年の間に劣化してしまった部分を改修し、更に強力な術に作り変える方法さえ編み出した。
今までインゲルの福音は、魅了魔法の扱いに長けた魔人や莫大な魔力を持つ竜人には効果がなかったが、改良に成功して全ての亜人に純粋な人間への愛情を植え付けることが可能になったのだという。
インゲルの福音を復活させ、亜人を貴族が徹底的に管理することでエレグノアを繁栄に導こうと、ハカイムの元老院議長、ランバルト・イム・リューエル公爵が宣言したのが昨年灰月の年末議会だ。

 リューエル公爵の宣言に、第二殻都セロニカ、第八殻都オクタロアル、第十殻都トゴルゴは賛成。
第三殻都ドルンゾーシェ、第七殻都ヘレントスは反対。
第六殻都リル・クーロと第九殻都ユパ・ココはそもそも福音の復活など不可能だし、そんなことよりも他にやるべきことがあるだろうとまともに取り合わなかった。
第一殻都イルターノアと第四殻都フォリオはすぐに結論を出すべきではないと判断し、一年間の検討期間を設けることを提案。
リューエル公爵もとりあえずはそれで納得し、現在に至る。

 もうすぐ検討期間が終了し、今年の年末議会の日にちも迫っている。
福音の復活に賛成か、反対か。
強化した福音が一度市民に行き渡ってしまえばもう無かったことには出来ないので、非常に重要な決断を迫られることになる。
そこで反対が過半数取れなければハカイムは反対派の声も強引に押し切って福音を復活させる可能性もあるだろう。
一応は中立の立場をとっていたイルターノアも、この1年で賛成側についてしまったらしい。
そこで、おれの親父は東島との明確な対立は避けつつ、水面下で反対派のヘレントス、ドルンゾーシェと手を組み、おれやヴィンセントを使ってリル・クーロとユパ・ココを反対派に引き入れた。
こうして西島の殻都は福音復活に反対、東島は福音復活に賛成、と綺麗にエレグノアが分割されてしまったのである。
ヘレントスとドルンゾーシェだけなら強引に福音の復活を推し進めたかもしれないが、フォリオを含む半分の殻都が反対しているのならハカイムもすぐには計画を実行できないだろうという見立てだ。
しかし、油断はできない。
とりあえず事態が膠着している間に、インゲルの福音を発動させている大鐘を破壊し、強化された福音を市民が聞いてしまう前に大元を絶つことでハカイムの思惑を潰す。
それが西島同盟の最終目標だ。

 大鐘の破壊にこだわるのには、二つの理由がある。
一つは、東島の殻都のいずれかを反対派に引き入れたとしても、大鐘を所有するハカイムの独断で強化した福音を発動してしまう可能性があるため。
この問題で圧倒的に有利な切り札を、ハカイムだけが手にしているのだ。
となれば、その切り札を早々に奪ってしまわないと、西島の殻都が団結した所で意味がない。
二つ目は、大鐘は一度破壊してしまえば、二度と同じものは造れないと思われるため。
大鐘が製造されたのは神話時代の技術力や知識が残る400年前のこと。
その当時から生きているという竜人アエクオルによると、大鐘は殻壁と同じ物質で作られている。
大鐘に刻まれた魔法陣を修復したり、魔術を書き換えて強化する事はできても、大鐘の本体を作る技術は今のエレグノアにはない。
神話時代の遺物を破壊するのは決して推奨されることではないが、ハカイムの暴走を食い止めるには大鐘を修復不可能な所まで壊してしまうのが一番確実だ。

 肝心な壊し方は、アエクオルの協力のおかげで判明している。
資料の中には詳細な大鐘の絵もあった。
鐘の表面には、インゲルの福音を発動するための魔法陣がびっしりと書き込まれているらしい。
人の背丈の2倍以上の高さがあり、空洞の中には舌と呼ばれる鉄の棒のようなものがぶら下がっている。
それを揺らして外側の鐘にぶつけて振動させ、福音を響かせるのだ。
その舌の付け根、鐘との接続部分はあえて脆く作られているとアエクオルは言う。
この大鐘を作ったインゲルが、もし何かあったときに強制的に効果を打ち消せるようにと、わざと弱点を作ったのだ。
その付け根部分を壊し、舌を落としてしまえば、大鐘の自壊機能が働き大鐘自体も崩れ去る。
これで強化された福音を発することは不可能となり、今現在の劣化した福音の効果は残るものの、世代が入れ替わればいずれかは福音の影響を一切受けていない市民たちが増えていくことになる。
とはいえ、結界の中に入れなければ、この弱点を突くこともできない。
ハカイムではどのような形でこの大鐘を安置しているのかわからないが、弱点がわかっていることはおれたちにとって大きなアドバンテージになりそうだ。



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