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番外編②
レポンのスライムゼリー⑤
しおりを挟むセオドアの汚れてしまったズボンの裾やら外套の裾やらにケイジュが浄化魔法をかけつつ、まったりと休憩していると、ニクスが二人のもとにやってきた。
「待たせたな。まだ夕飯には早いけど、腹減ってるよな?ゼリーは今冷やしてるから、これでも食べて待っててくれ」
ニクスはミトンをはめた手でお盆から器を持ち上げ、二人の前に置いた。
器ごと熱してあるのか、まだぐつぐつと煮えているオニオンスープだった。
パンが一切れとチーズが沈められており、琥珀色のスープをたっぷり吸って見るからに熱くて美味しそうである。
春になりつつあるとはいえ、まだまだ底冷えするので温かいスープはありがたい。
セオドアは香ばしい匂いに目を細め、それから申し訳なさに眉を下げてニクスに言った。
「わざわざすまない……お代を後で払わせてくれ」
「気にしないで。レグルスがおれの分のついでに用意してくれたものだし、二人のおかげで川スライムも備蓄ができたし、これも報酬の一部だと思って食べて。あとこれ、ディークトのロースト。それから茹でた野菜、塩とか酢とか置いとくから、好きなものかけて食べてくれ」
レグルスがどんどん厨房から料理を差し入れてくるので、ニクスもどんどん二人の前に皿を並べていく。
あっという間にテーブルの上は料理で一杯になった。
ニクスは隣のテーブルに自分の分を配膳すると、さっさと座って厨房のレグルスにいただきますと声をかけ、先に食べ始めた。
セオドアはケイジュと顔を見合わせ、手を合わせる。
「じゃあ、遠慮なく……いただきます」
セオドアはスプーンを手に取ると、ほこほこと湯気をあげるオニオンスープをすくう。
何度も息を吹きかけて冷やしてから慎重に口に含むと、玉ねぎの甘味と香ばしさとまろやかな塩味が口に広がった。
汗が引いて冷たくなり始めていた身体にじんわり染み込む美味しさに、セオドアはほうっと息を吐き出した。
ケイジュはディークトのローストにナイフをいれ、大きめに切り取ってからソースをたっぷりまぶして口に運ぶ。
ディークトはイタチのような細長い胴体に嘴を持つという奇妙な在来生物で、臭みも少なく脂がのっていることから在来生物の肉の中では高級な部類に入る。
一番美味しいのは冬眠前だが、冬眠明けのディークトも脂が少なくさっぱりしているのに柔らかくてなかなか美味だ。
甘辛いにんにくの効いたソースとの相性も抜群で、ケイジュはもくもくと咀嚼した。
三人がもりもり食べていると、一仕事終えたレグルスがエプロンを外しながら厨房から出てくる。
そのままニクスの向かいに座り、ニクスが繊細な美しい顔に似合わない勢いで食べている様子を微笑ましく見守っていた。
「そういえば、ヨルクとメルは?」
ニクスが顔をあげ、唇についたソースを舐めながら尋ねる。
「今日は二人とも荷物運びの仕事で出掛けていったよ。屋根も直ったし、寒天の仕込みも昨日のうちに終わったから」
「そっか。張り切ってるな……無理してなきゃいいけど」
「大丈夫。自分たちの実力をちゃんと理解して仕事を受けてるみたいだから。若いのに、冷静に動けてるよ」
ニクスとレグルスの会話を聞いて、ケイジュはこっそりと微笑んだ。
一年半前、ケイジュは彼らにとにかく死ぬなと助言をしていた。
その言葉は今も二人の指針になっているようだ。
「森の中の様子はどうだった?」
レグルスが話を振ってきたので、セオドアはオニオンスープのおかげでふにゃふにゃに緩んでいた表情を引き締めて応える。
「すごい体験ができたよ。もちろん川スライムの捕獲も面白かったけど、ヨナの大森林の深淵を少しだけ覗くことができた」
レグルスが首を傾げたので、ケイジュが言葉を引き継ぐ。
「今回ニクスが案内した道は、エオテリウムの通り道だったんだ」
「エオテリウム?!それは、初心者にはちょっと刺激強かったんじゃ、」
レグルスが心配そうにセオドアを見やる。
セオドアは胸ポケットからエオテリウムの抜け毛を取り出すと、その煌めきを確かめて笑う。
「もちろん腰が抜けるほど驚いたけど、美しい光景だった」
その表情が生き生きとしていたので、レグルスはほっと胸を撫で下ろした。
ヨナの大森林の独特の圧力に負けて、気がおかしくなってしまう冒険者もたまにいるが、セオドアの場合は探究心のほうが勝ったようだ。
「とにかく、何事もなく帰って来られて良かった」
「あの道を選んで正解だった。もし違う道だったら、帰り道にかなりの数の在来生物と遭遇していただろう」
「もうそんなに活発になってた?」
「ああ。雨をきっかけに目を覚ました奴が多いようだ。あと数日もすれば、街道にも現れるようになるだろう」
「例年より少し早いな」
「雪解けが少し遅くなったから、森の中の餌が足りてないんだろうな」
「今朝、ヨルクとメルがギルドで聞いた話だと、一週間後くらいに冒険者をたくさん集めて討伐作戦をやるらしい。そこで一掃できればいいけど、その前に何度か襲撃が起こりそうだね」
「ケイジュとセオドアはどうすんの?一週間後の討伐作戦には参加する?」
「いや、明後日にはヘレントスを出発しないといけないんだ。今預かってる小包をリル・クーロまで届けないと。まだ北の方は雪が深いかな?」
「いや、街道沿いはもうほとんど雪も溶けてるって話だ。まあ、まだ雪が新しく積もるかもしれないし、行ける時に行ったほうが良いと思う」
4人は冒険者らしい情報交換に勤しみつつ、同時に料理も食べて皿を空にしていく。
そうして小一時間ほど経った。
すっかり綺麗に料理が消えた皿を重ねて、レグルスが立ち上がる。
「よし、そろそろ冷えてるだろうから、ゼリーを持ってくるよ。ニクス、手伝って」
ニクスは素直に立ち上がり、セオドアとケイジュの分の器も回収した。
テーブルを整頓し、新しくデザート用のスプーンを並べる動作も手慣れている。
喫茶店レポンでは、レグルスは調理担当、ヨルクとメルは給仕担当、ニクスは主に仕入れを担当、となんとなく役割分担が出来ているのだが、忙しい時はニクスも給仕を手伝うことがある。
ニクスは給仕用のシンプルなシャツとエプロンもよく似合うし、何より顔が良いので密かな人気を呼んでいる。
本人は愛想よくすることが苦手なので、淡々と食器を整えて並べるだけだったが、その態度もどこか洗練されているように感じるのは容姿のおかげだろう。
ワクワクと期待感で目を輝かせるセオドアの前に、ガラスの器が運ばれてくる。
「冬の間は新鮮な果物が手に入りにくいから、今日は干しタムルと紅茶のゼリーにしたよ。お口に合えばいいけど」
レグルスは注釈を入れつつ、セオドアの前に真っ赤なスライム寒天とレモン水を配膳した。
円錐台のぷるんとした塊で、上の方は比較的淡い紅茶色だが、底面は干しタムルが沈んでいて濃い紅色になっている。
タムルはヘレントスではよく見かける果実の一つで、ぶどうと同じような見た目だが甘さが強く果肉が濃い赤色をしている。
ぶどうよりひとまわり大きく、生で食べると渋い場合があるので干して食べるのが一般的だ。
砂糖のような甘くて香ばしい香りがするので、酒に漬けたりそのまま干した状態で携帯食として売られていたりもする。
その干しタムルを一晩紅茶に漬けて柔らかくし、スライム寒天で固めたものだとレグルスは説明した。
「すごい……本当にゼリーだ……これがスライムで出来てるなんて信じられない」
セオドアは記憶の中にあるゼリーとほとんど質感が変わらないことに驚いていた。
色鮮やかだし、濁りも気泡も見えない。
紅茶の香りと甘い干しタムルの香りも素晴らしい。
セオドアは一瞬石の裏にびっしりと張り付いていた川スライムを思い出して躊躇したが、思いきってスプーンを手に取り、上からゼリーをすくい取った。
案外さっくりとスプーンに切り取られたゼリーは、セオドアが知っているゼラチンのゼリーとは少し固さが違うようだ。
セオドアは紅茶色の透明なそれをこわごわ口に運び、目を見開いた。
つるんと滑らかで、歯切れのいい心地よい食感。
優しいタムルの甘みと紅茶の香りが広がり、気がつくと飲み込んでいた。
「お、美味しい……!」
「良かった……甘さはどう?しつこくない?」
まだちょっと不安そうに眉を下げているレグルスを、セオドアはしっかりと見つめて言い切る。
「すごく上品で、美味しいゼリーだ。正直、貴族の茶会にこれが出てきてもおれはなんの違和感もなく食べると思う」
レグルスは照れ臭そうにこめかみをぽりぽり掻いた。
「そ、そうかな……貴族の茶会なんて見たこともないから、実感湧かないけど……」
セオドアはやっと自分が今はポーター・セドリックであることを思い出して言い訳した。
「あ、いや、その、おれの顧客には何人か貴族も居て、その繋がりでお茶会に呼ばれたことがあるんだ。とにかく、もっと高級なお店とか、晩餐会でも通用するデザートだと思う。ゼラチンのゼリーとはちょっと食感が違うけど、それも心地良いし、喉越しもいいし……これが、スライムなのか……」
べた褒めするセオドアを見て、ケイジュも慎重にゼリーをすくい上げて口に運んだ。
そしてしばらく固まった後、無言でもう一口食べる。
「どう?美味しいよな?」
セオドアが同意を求めると、ケイジュは難しい顔のまま頷いた。
「これは、美味しいんだと、思う。ただ、おれはこういう菓子をあまり食べたことがないから、どう言ったらいいのかわからないが……食べるのが楽しい」
言葉は淡白だったが、ケイジュはなおもゼリーをすくって口に運ぶ作業を続けている。
甘いもの好きというわけではないケイジュが、ここまで夢中になって食べているのは非常に珍しいことだ。
セオドアも一口ずつ味わって食べ、紅茶の味が染み込んだ干しタムルのねっとりとした濃厚な甘みと爽やかなゼリーの食感を楽しむ。
上の方はあっさりしているが、下の方は味が濃厚なので飽きも来ない。
好評を得られて嬉しくなったレグルスは、もう1種類作っていたゼリーを厨房から運んできた。
「良かったら、こっちも味見してほしい。こっちはコーヒーを寒天で固めたものなんだけど、新しく店に出すかどうか、ニクスと意見が分かれててさ」
ニクスはのんびりと干しタムルと紅茶のゼリーを食べていたのだが、黒い塊にも見えるゼリーを見て眉間にシワを寄せた。
「うーん、おれはコーヒーだけじゃなくて牛乳も混ぜたやつをゼリーにしたほうが良いと思うんだけどな……コーヒーだけだと苦すぎるし、黒いし……」
「コーヒーをゼリーに?」
旅の途中でもコーヒーが飲みたいと、豆を挽いた粉を持ち歩いているセオドアは少し身を乗り出した。
涼し気な透明なグラスの中に、黒曜石のようなゼリーが大きめに砕かれて入っている。
確かに黒くて一目では食べ物だとわかりにくいが、これはこれで目新しい。
「うん。コーヒーだけだと苦いから、少し甘みはつけてあるよ。あと、やっぱりニクスみたいにまろやかな方が良いって人も居るし、おれは後から甘いクリームをかける方が良いかなって思うんだけど……」
レグルスは言いながら生クリームが入った小瓶を横に置く。
「なるほど……じゃあ、味見してみても?」
「もちろん。忌憚のない意見をお願いしたい」
レグルスは終始穏やかだった表情にほんの少し料理人としての矜持をのぞかせて言った。
セオドアは真面目な顔で水を一口飲んで口の中をリセットし、ゼリーをスプーンですくう。
冷たいのでコーヒーの香りはほんのりだ。
セオドアはコーヒーゼリーを口に含み、目を閉じた。
苦味と酸味と仄かな甘み、そしてコーヒーの香り。
もちろん飲み物としてのコーヒーとは違いも多いが、確かにコーヒーだ。
それが固体として噛めることがまず面白いし、セオドアのようなコーヒー好きにはたまらないデザートになっている。
「うーん、これも美味しい……味も目新しいし、おれはすぐにでも売り出してほしいくらいだけど……」
上流階級の食文化も知っているとはいえ、評論家でも料理人でもないセオドアにはそれぐらいのことしか言えなかった。
セオドアは隣のケイジュに助けを求める。
ケイジュも静かに咀嚼したあと、少し頷いた。
「確かに美味しいが、甘味が控えめな分、少し物足りないのもわかる。これをかけてみても?」
ケイジュはクリームの入った小瓶を手に取り、とろりとコーヒーゼリーに回しかけた。
混ざり合う白いクリームと黒いゼリーのコントラストが美しい。
セオドアもケイジュもクリームをしっかり絡めてから口に運び、ん!と顔を見合わせた。
「かけたほうが美味しいな!」
「……元からクリームとコーヒーを混ぜて作っても美味しいかもしれないが……後がけにするとコーヒーの味が引き立つな」
レグルスは二人の反応を興味深そうにふむふむと頷きながら観察し、ニクスは本当に?と訝しげにしながらも自分でもクリームのかかったコーヒーゼリーを食べてみる。
「……あ、これなら、おれも好き」
ニクスのこぼした言葉にレグルスは破顔した。
「良かった~!これなら自分で好きな甘さに調節できるし、これで行こうよ」
「でも、クリームも付けるなら原価が高くならないか?」
「そうだね。その分値段は上げなきゃいけないけど、懐に余裕がある人は頼んでくれるんじゃないかな……味も大人向けだし」
「目新しい物が好きな客なら、多少高くても頼むと思う」
レグルスとニクスはそのまま真剣な様子で話し合いを始めたので、セオドアとケイジュもたまに口を挟んだりしてコーヒーゼリーをメニューに載せるべく話を進める。
成り行きで始まった4人の新商品開発会議は、日が暮れてヨルクとメルが帰宅するまで続いたのだった。
結局日が暮れたあとも話が弾み、他のゼリーの味に関してもヨルクとメルを加えた6人で盛り上がって話し合ううちに色々と案が出たので、セオドアとケイジュもついつい長居してしまった。
レグルスが定期的にお菓子やら料理やらを出してくれるので、居心地が良すぎたというのもある。
セオドアもケイジュも外が真っ暗になっていることにやっと気付き、慌てて店を出ることにした。
「遅くまで居座ってごめんな。今度は店が開いてるときに、客としてお邪魔させてもらうよ。開いてるのは週末だっけ?」
セオドアが尋ねると、玄関先まで見送りに来てくれたレグルスが笑う。
「うん。今の所週末だけ。セドリックとケイジュが来てくれる頃には、コーヒーゼリーもメニューに並んでると思う」
「楽しみにしてる」
「あと、もし週末じゃなくても、ヘレントスに寄ることがあったら訪ねて来て欲しい。ニクスが友達に会えなくて寂しがると思うから」
レグルスが付け加えた言葉に、ニクスはモワッと尻尾を膨らませた。
「レグルス!おれは別に寂しくはない……けど、まぁその、暇なら……また立ち寄ってくれ」
勢いが良かったのは最初だけで、ニクスの声はどんどん小さくなる。
しかしちゃんと最後まで聞き取れた。
レグルスはニクスに尻尾を引っ張られてイタタと苦笑し、セオドアも笑い返す。
「じゃあ、友人として気兼ねなく遊びに来るよ」
その言葉でようやくぎこちない笑みを浮かべたニクスは、ケイジュとセオドアを交互に見た。
「セドリック、ケイジュ、旅の無事を祈ってる。またな」
ニクスはまだ少し居心地悪そうにしながらも、はっきりと告げた。
「今度来るときは、おれとメルとも一緒にクエスト受けてくれよ。おれたちも前より強くなったから、今度は頼りっきりにはならない」
「それでもまだまだセドリックさんとケイジュさんには敵わないと思うけど……また会えたら嬉しいです」
ヨルクとメルにも別れの言葉をもらった二人は、温かい目で頷いた。
「いつになるかはわからないけど、必ず。おれもヨルクとメルに負けないように腕を磨いておくよ」
「……次会うときまで、死ぬなよ」
ケイジュは前と同じ激励の言葉をかけて仄かに笑い、セオドアも手を振りつつ喫茶店レポンに背を向けた。
しばらく歩いて、その真新しい看板が見えなくなった所でセオドアは呟いた。
「……またヘレントスでの楽しみが一つ増えたな」
「ああ。いい店を見つけた」
ケイジュも穏やかな声で返す。
そしてセオドアの手をさらうと、上機嫌な様子で口元に持っていった。
手の甲に軽く口付けながら、しばらく封印していた甘い声で囁く。
「……今夜はどうする?どこかで飲み直すか?」
セオドアはわかりきったことを尋ねるケイジュに、むっと唇を突き出した。
「帰るに決まってるだろ。ケイジュの家に。それとも、いよいよ荷物が多くなって、寝る場所もなくなったか?」
「いや、それだけはちゃんと確保している」
ケイジュの声は楽しげだ。
「それならいい」
セオドアの少し拗ねたような、甘えたような声を最後に会話は途切れ、二人は仲良く手を繋いだままヘレントスの街の闇に消えていった。
レポンのスライムゼリー (了)
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