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再生の繭

1話(ケイジュ視点)

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 その日も、セオドアの様子に変わりはなかった。
おれはこの一月ですっかり柔らかい表情を作ることが上手くなっている。
目の下の隈は隠せないが、少しでも安心するように笑顔を作り、寝室に入る。
おはよう、と声をかけてから、ぼんやりと天井を見上げるセオドアの背中を支え、起こしてやる。
また少し、痩せたか。
おれはその事実を直視しないように目をつむり、セオドアの身体に浄化魔法をかける。
ぐら、と頭の中が揺れる。
もう、魔力も限界に近い。
精力が足りないせいで、魔力が回復していないのだ。
その事実も思考から追い出して、おれは粛々とセオドアの着替えを手伝った。

 昼頃、いつもとは違う出来事があった。
来客だ。しかも、おれに会いに来たという。
呼び出されて応接室に向かうと、そこにはギルド職員の制服で身を包んだザッカリーが居た。
在来生物の襲撃事件に関わったことで、ザッカリーにもある程度事情の説明が行われたらしい。
セオドアに起きたことを知り、おれの身を案じる手紙を受け取っていたが、心配ないと最低限の返事だけを返していた。
しかし、もう1ヶ月も経ったのにおれがイングラム家の屋敷から出てこないので、ザッカリーの方から押しかけてきたようだ。
おれの顔を見るなりザッカリーは立ち上がっておれに駆け寄って、怒涛のように話しかけてきた。
頭がぼんやりしているせいで、何を言っているのかよくわからない。
しかし、ザッカリーは怒っているようだった。
おれが何と言うべきか考えていると、ザッカリーは急に距離を詰めておれと視線を合わせてきた。

「今すぐ吸精して!ちゃんと魅了避けは持ってるから、とにかく早く!」

黒い複眼におれの顔が映りこんでいる。
おれは離れようとしたのだが、ザッカリーの4本腕ががっちりとおれの肩と腕を掴んでいたので顔をそらすことしか出来なかった。

「……まだ大丈夫だ。理性は保っているし、必要ない」

「そういうことはおれの目をちゃんと見れるようになってから言ってよ!団長が吸精したくないのはわかるけど、これ以上耐えてたら本当に死んじゃうって!」

「だが、」

「だがじゃない!今の団長、見てらんないよ……少しでいいから、頼むよ……」

ザッカリーの細い指が肩に食い込む。
蟲人の表情はわかりにくいのだが、ザッカリーの目には涙が溜まっていた。
そこから感じるのはおれを慕うザッカリーの精気だ。
懐かしい、友人としての好意が、おれの本能を揺らす。
気が付くと、おれはザッカリーの目を見つめて精気を奪っていた。
そのおかげで思考力が戻り、慌ててザッカリーを突き飛ばす。
危なく、意識を失うまで精気を吸い取る所だった。
十分な量ではないが、身体に久々に精気が巡る。
鈍っていた感覚が戻り、常におれを蝕んでいた飢餓感は和らいでいた。
しかし、これで完全にセオドアからもらった精気は感じられなくなってしまった。
胸にまた一つ穴が空いたように虚しくなったが、久々に頭にかかっていた靄も晴れた。

「ザッカリー……すまない、大丈夫か?」

突き飛ばしてしまったのに、ザッカリーは安堵したような笑顔を浮かべていた。

「ふぅ、良かった。ちょっとは話が聞ける状態になったかな」

ザッカリーは大袈裟に手の甲で額を拭う仕草をした。
良かった、今回は魅了状態にはならなかったようだ。

「団長、全然ギルドにも顔出さないし、心配したよ。元気そう……ではないけど、とりあえず生きててよかった。ちょっと情報交換しようよ」

ザッカリーはあっさりと話題を変えて応接室の長椅子に腰掛ける。
その遠慮のない振る舞いは、かつて傭兵団の窓口役として働いていた頃となんら変わりない。
おれは流されるままザッカリーの向かいに座る。

「……1ヶ月前のネウルラとロカリスの襲撃事件で犯人として逮捕された男がどうなったのか、聞きたい?」

ザッカリーは気負いもなくさらりと尋ねてきた。
逆恨みと勘違いでセオドアをあんな状態にした張本人のことを、おれはなるべく意識しないように過ごしてきた。
セオドアが苦しんでいる姿を見るたびに、あの男を殺したくなるからだ。
居場所を知ってしまえば、おれは間違いなく殺しに行く。 
だから、敢えて調べることもなく、セオドアのことだけを考えて過ごしてきたのだ。
だが、現状どうなっているかを知るくらいなら大丈夫だろう。
おれは頷いた。
ザッカリーは表情を消し去ると、淡々と告げる。

「おれも事件に関わったからある程度事情は教えてもらったよ。それでも全てを知ってるわけじゃないけど、とりあえず話すから。
……逮捕された男は、東エレグノア島北部の淫魔の隠れ里出身で、ゼノと名乗っている。彼は、20年前に奴隷商人に誘拐された姉のキリエを追って各地を転々とし、キリエと最後に接点があったセオドアに復讐するために在来生物の襲撃を引き起こした。幸い、死人は出なかったけど、復讐自体が見当違いで、被害にあったセオドアが心神喪失状態になってしまったこと、協力者の子爵令嬢クラウディアも大怪我を負ったことから罪は重いと判じられたよ。
情報を集めるために多くの女性を魅了状態にして、違法行為を繰り返していたこともわかった。今も余罪を追求するために監獄で尋問を受けている。それが終われば正式に判決が下されるけど、おそらく終身刑だ。
逮捕された後、貴族を侮辱するばかりでまともに会話が成立しなかったから、復讐が見当違いであることも説明したらしい。ちゃんとイングラム家の許可をとってからね。姉のキリエが残した最後の記録……内容はおれも知らないけど……誘拐事件の時の記録を、ゼノに聞かせたんだって。けど、それでもゼノは真実を認めようとしなかった……結局、正気を取り戻すことは出来なかったみたいだね。
協力者のクラウディアも、貴族令嬢とはいえ多くの市民を危険に晒したことから、身分を剥奪されて服役することになった。懲役が終わったあとは、実家のエランド家の監視のもと福祉活動に奉仕することになっている。彼女はちゃんと自分の罪を認めて、今は大人しくしているよ。セオドアに対しても、謝罪したいと言っているそうだ、けど、まぁ、面会は無理だから手紙での謝罪になるだろうね。
……こんな所かな」

ザッカリーはごく平坦な調子で説明を終えると、おれの様子を窺った。

「……団長、犯人はもう法で裁かれることになった。だから、馬鹿なことは考えないでね。気分はスッキリしないだろうけど、さ」

そう付け加えたザッカリーの表情は不安そうだ。
おれは笑顔を浮かべたつもりだったが、自信はない。
ザッカリーはますます心配そうに眉間にシワを寄せるだけだった。

「団長、あのさ……セオドアは、どう?」

おれは視線を下げる。
どう説明したものか。

「……セオドアは……まだ、おれと会話できる状態ではない。ずっとぼんやりしている。怯えて泣くことは少なくなってきたから、快方には向かってる」

最後の言葉は、おれ自身に向けたものだ。
それを聞いたザッカリーは、そっか、と小さく呟いて黙り込む。
重い沈黙のあと、ザッカリーが身を乗り出して口を開いた。

「団長、おれはセオドアが前みたいに元気になるって信じてる。酷い光景を目にして、廃人みたいになってしまった冒険者を何人も見てきたけど、ちゃんと立ち直った人も多いから。
だから、きっと良くなるよ……けど、時間はかかると思う。1ヶ月2ヶ月じゃなくて、何年、何十年かかるかもしれない。酷いことを言うけど、団長も、このまま何年も待つことになるかもしれない。
だから、少しこの屋敷から離れるべきだ。セオドアには世話してくれる家族が居るんだから、団長がずっと付き添わなくても大丈夫だよ」

「……違う、おれが頼み込んでセオドアの側に居るだけだ。そうしないと、俺の気が済まない」

おれが首を横に振っても、ザッカリーは引き下がろうとしなかった。

「それじゃあ、団長まで体を壊しちゃうよ。実際、さっきも精気不足で倒れそうだったし。顔色も悪いし、痩せてるし、こんな調子じゃセオドアが良くなる前に団長が死んじゃう。辛くても、自分の身を大事にしなきゃ、この先保たない。
だから、ここを離れて、少し休んでよ。何かしないと気が休まらないなら、復帰用の簡単なクエスト用意するから。前みたいに仲間を募ってもいい。ちゃんと誰かから精気をもらって、ちゃんと食べて、ちゃんと寝て。
セオドアが心配なら、毎日お見舞いに来たらいい。それは止めない。けど、今は、少し距離を置くべきだ」

おれは顔を上げられなかった。
ザッカリーの言うことはわかる。
そうするべきだと、屋敷の使用人からも医師からも言われたことがある。
けど、そうすることで、セオドアが二度とおれのことを思い出せなくなってしまったら。
そう考えると、どうしても決断できないのだ。
黙り込むおれに、ザッカリーは小さくため息を吐いた。

「……団長がめちゃくちゃ頑固で、責任感強くて、優しくて、セオドアのことが一番大事なのはおれも知ってるから、今回だけで説得できるとは思ってない。だから、おれは何度も来るよ。安否確認も兼ねて、何度でもね。団長が会いたくないって言っても、強引に屋敷に入って説教する。覚悟してて」

ザッカリーの声色は真剣だった。
いつも陽気でおちゃらけている男だったが、本気の時は一歩も引かない男だとおれも知っている。
おれは何とか声を絞り出した。

「……まだ、答えは出せない……今日は、帰ってくれ」

「うん、わかった。じゃあ、またね」

ザッカリーはあっさりと返事をすると立ち上がった。
そのまま屋敷の使用人にも声をかけて帰り支度を始める。
おれは一応見送りをしたが、ザッカリーに帰り際にもう一度、また来るから、と念を押された。
すっかり顔見知りになった屋敷の使用人は、おれに心配そうな視線を向けてくる。
おれは気付かないふりをして、セオドアの寝室に足を向けた。
まだ、縋らせてくれ。
明日になれば、きっとセオドアはおれのことも思い出してくれる。
すっかり元気になって、何か食いに行こうか、と言い出すに違いない。
だから、そんな目で見ないでくれ。





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