94 / 193
ナイエア島のシーフード
9話(ケイジュ視点)
しおりを挟む長椅子に寝そべってぼんやりと天井を見上げているセオドアに歩み寄る。
榛色の柔らかい髪を丁寧に梳くと、セオドアの表情はより穏やかになった。
そのまま長椅子の端に座ってセオドアの顔色を確認する。
早朝から大暴れする船の上で揺さぶられて、何とかユパ・ココのホテルまで辿り着いたときは顔面蒼白になっていたが、ようやく船酔いが落ち着いたようだ。
荷物を置いたまま一晩帰ってこなかったおれたちは、当然ホテルの従業員から注意を受けることになったのだが、事情を説明するとすぐに納得してくれた。
またか、という顔をしていたので、あの若い伯爵は普段から急な予定変更も多いのだろう。
更に、紫月5日まで滞在したいとセオドアが頼むと、今度は特に苦言を呈されることもなく受け入れてもらえた。
もし伯爵と行動を共にするのならその旨は先に教えてください、とは言われていたが。
セオドアはまだふらふらと足元が覚束なかったので、ひとまず部屋で休むことにして、長椅子にセオドアが倒れ込むように横になったのが数時間前。
それから一眠りして気分も良くなったらしいセオドアは、おれに髪を撫でられながら、昨夜の交渉やこれからの予定について話してくれた。
ネレウスから秘密にしてくれと頼まれたから詳細は話せないが、と前置きしたセオドアは達成感に満ちた穏やかな表情で語った。
結果から言うと交渉は成立し、ネレウスが同盟に参加してくれること。
今まで頑なにフォリオからの外交官の話を受け入れなかったのは一応ネレウスにも理由があったのだが、何とか説得したこと。
その説得の一環で、福音の問題が解決したら辺境のトゴルゴに行く予定ができたこと。
ネレウスの提案で、転移装置を使ってフォリオに帰ること。
フォリオに帰ったら、公爵とネレウスが直接会って話し合いができるように場を整え、その話し合いに同席すること。
おれが転移装置について尋ねると、一瞬で殻都から殻都まで移動できる神話時代の遺物だと言う。
にわかには信じがたいが、トゴルゴを除いた全ての殻都の城の地下に存在しており、魔力によって装置を動かしているそうだ。
おそらく魔術と科学技術を融合させたもので、現在は詳しい原理はわかっておらず、貴族だけがその装置の使い方を連綿と受け継いでいるのだという。
そんな便利なものがあるなら、セオドアがわざわざ手紙を運ばなくてもその装置を使えばよかったんじゃないのか、とおれが疑問を口にすると、セオドアは少し悩んだあとに答えた。
「転送装置は軽々しく使えるものじゃないんだ。距離によって消費量は多少変わるけど、とにかく魔力がたくさん必要だ。普通の魔術師だったら十人がかりでやっと1回使える。燃費がめちゃくちゃ悪いから、人の手で運べるときはそうした方が良い。
それに転送先が城の真下ってこともあって、検閲もめちゃくちゃ厳しい。手紙なら一言一句確認されるし、人間を転送するときは下着まで脱がされて検査される。手紙の内容を秘密にしたいときは、転送装置よりもおれみたいな運び屋を利用するってわけだ。
だからおれもネレウスが転送装置を使おうって言い出したときは驚いた。けど、それだけ急いでフォリオに行って、きちんと同盟を結びたいってことだから、まぁ、良いことだ。
ついでにおれたちも安全にフォリオに移動できる。丁度妙なやつに付けられてるし、ここで振り切れると良いな……」
セオドアは一瞬表情を曇らせたが、すぐに微笑むとおれの手を捕まえて頬ずりした。
「とにかく、おれの仕事は終わった。まだやることはあるけど、付き添いみたいなもんだ。やっと肩の荷が下りたよ」
セオドアは嬉しそうに眉を下げていたが、おれの内心は正直穏やかではない。
あの破天荒な伯爵と、また行動を共にしなければならないのか。
見当違いな嫌悪感だとは思う。
だが、セオドアが親しげにネレウスと口にする度に、おれはどろりとした昏いものを腹の底に感じずにはいられなかった。
セオドアの言葉を疑っているわけではない。
おれよりも冒険を優先するとも思っていない。
けれど、もし、これから先、セオドアがおれの側を離れて生きていくことになったら。
過去を思い出し、おれの顔を見るのも辛くなったら。
セオドアはあの男の船に乗るのだろうか。
あの男の隣に立ち、あの明るさに救われて笑うのだろうか。
……………………許さない。
こんな狭量な人間になりたくなかった。
だが、セオドアはおれのものだ。
離れていこうとしたら、閉じ込めて、目を塞ぎ、おれが居ないと生きていけないようにしてやる。
いや、駄目だ。
セオドアはそんなことを望まないだろう。
相反する思考がおれの視界を暗くする。
おれは目を閉じて、深く呼吸した。
おれの顔を下から見上げていたセオドアは表情を曇らせている。
感情を隠すのは得意だと思っていたのに、しっかり伝わってしまった。
実際は、隠すのが得意なのではなく、隠すほどの感情を呼び起こされることが少なかっただけなのだ。
「ケイジュ、やっぱり、昨日から少し変だ。追跡者のことが気になってるのか?」
セオドアは下から手を伸ばして、労るようにおれの頬を撫でた。
セオドアの青銀の瞳には陰鬱な顔をしたおれが写り込んでいる。
こんな顔をしてなんでもないと言っても、更に怪しいだけだろう。
「…………ただの、嫉妬だ」
やっとの思いで言葉を絞り出すと、気持ちが少し軽くなった。
言葉にしてしまえば、案外陳腐だ。
しかし、セオドアはそんなおれを笑うことはなく、ただただ意外そうに目を丸くしている。
「嫉妬?」
「ああ、あのユパ・ココの伯爵にな。随分気が合うようだったし、セオドアもあいつの話に夢中になっていただろう?」
おれがついでとばかりに言い募ると、セオドアは長椅子から起き上がり、わざわざ姿勢を正しておれと視線を重ねた。
「外の大陸に興味があることは否定しないけど、パラディオ伯爵は友人以上の関係になることはあり得ない」
「……もし、おれと出会っていなければ、わからないだろう」
おれは自分が思っていたよりも嫌な口調で言ってしまったことにヒヤリとしたが、セオドアは困ったように眉を下げて淡く微笑むだけだった。
「それでもあり得ない。航海に付いていったとしても、仲間とか、友人とか……もしくはそれ以上にあっさりした関係になるだろうな」
「どうして言い切れる?」
「直感だから、上手く言い表せないんだけど……強いて言うなら、似てるところが多すぎる?いや、反対に似てないところも多いかな。
なんというか、おれとネレウスは自分の興味のあることを追っかけるのに必死になって、お互いの姿が目に入らないって感じになりそうなんだ。境遇が似てるとは思うんだけど、根本は違うというか……難しいな、ちょっと待ってくれ、上手い説明を考える」
セオドアは頭を抱えてしまったが、おれはなんとなく理解できるような気がした。
散歩に行けることに興奮しすぎて飼い主を引きずっているような飼い犬をたまに見かけるが、そんな飼い犬が二匹居て、飼い主の手から逃げ出しててんでバラバラの方向に走り去っていく、そんな映像が頭に浮かぶ。
おれはようやく肩から力を抜いて笑うことに成功した。
「……わかった、もう大丈夫だ」
「ほんとに?」
セオドアは心配そうにおれの顔を覗き込んできた。
実際には、おれの不安は解消されていない。
未来のことはわからないのだ。
けど、おれのために真剣に悩むセオドアを見ていたら、いつの間にか凶暴で行き過ぎたおれの独占欲は鳴りを潜めていた。
無くなったわけではない。
おれがセオドアを想う限りこの薄暗い欲望は消えないだろう。
だからこそ、上手く飼いならしていくしかない。
おれは返事の代わりにセオドアの顎を軽く掴み、やや強引に唇を奪った。
セオドアは驚いたように一瞬硬直したが、すぐに身体をおれに預けて積極的に応えてくれる。
しばらく満足に熱を発散できていなかったので、すぐに口付けは深くなった。
柔らかい唇を堪能し、セオドアに徐々に体重をかけて押し倒す。
セオドアは抵抗することなく、象牙色の長椅子に再び横たわった。
「ケイジュ、実は、ちょっと楽しみにしてることがあったんだ」
キスの合間に、セオドアが楽しげに囁く。
まだ昼に差し掛かったばかりで、南国の太陽は未だ高いところにある。
ここまで来てお預けというのは辛いが、セオドアのためなら耐えよう、とおれは覚悟を決めて目を合わせた。
セオドアは、淫魔のおれでも怖気づきそうになるくらい、妖艶に目を細めた。
「南国の高級ホテルで、真っ昼間から部屋に閉じこもって、一日ベッドの上で自堕落に過ごす。いい考えだろ?ずっと楽しみにしてたんだ」
セオドアは何の悪気もない顔でおれにそう言ったが、セオドアの指先はしっかりと思わせぶりにおれの首筋を撫でている。
おれは凶悪な顔で笑っていただろう。
それでも嬉しそうにおれを見つめるセオドアに、おれは呆気なく煽られて噛み付いた。
26
お気に入りに追加
87
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。
受け付けの全裸お兄さんが店主に客の前で公開プレイされる大人の玩具専門店
ミクリ21 (新)
BL
大人の玩具専門店【ラブシモン】を営む執事服の店主レイザーと、受け付けの全裸お兄さんシモンが毎日公開プレイしている話。
新しいパパは超美人??~母と息子の雌堕ち記録~
焼き芋さん
BL
ママが連れてきたパパは超美人でした。
美しい声、引き締まったボディ、スラリと伸びた美しいおみ足。
スタイルも良くママよりも綺麗…でもそんなパパには太くて立派なおちんちんが付いていました。
これは…そんなパパに快楽地獄に堕とされた母と息子の物語…
※DLsite様でCG集販売の予定あり
淫紋付けたら逆襲!!巨根絶倫種付けでメス奴隷に堕とされる悪魔ちゃん♂
朝井染両
BL
お久しぶりです!
ご飯を二日食べずに寝ていたら、身体が生きようとしてエロ小説が書き終わりました。人間って不思議ですね。
こういう間抜けな受けが好きなんだと思います。可愛いね~ばかだね~可愛いね~と大切にしてあげたいですね。
合意のようで合意ではないのでお気をつけ下さい。幸せラブラブエンドなのでご安心下さい。
ご飯食べます。
壁穴奴隷No.19 麻袋の男
猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。
麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は?
シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。
前編・後編+後日談の全3話
SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。
※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。
※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。
童貞が建設会社に就職したらメスにされちゃった
なる
BL
主人公の高梨優(男)は18歳で高校卒業後、小さな建設会社に就職した。しかし、そこはおじさんばかりの職場だった。
ストレスや性欲が溜まったおじさん達は、優にエッチな視線を浴びせ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる