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ナイエア島のシーフード
7話
しおりを挟む「ネレウス、今いいか?」
「おお、来たか。どうだ、飯は美味かっただろう?」
ネレウスは気さくに手を軽く挙げると快活に笑いながら問いかける。
「ああ、とても美味しかった。珍しい料理も多くて大満足だ」
「ふふ、そうだろう。まだこの島は開拓されて間もないからな、新しい料理も開発している途中なんだ」
ネレウスは自慢気に言いながら、同じテーブルで食事をしていた大工達に目配せをする。
みんな程よく酔っ払っていたようだが、ネレウスの仕草にはすぐ気付いて、またな大将、明日は気ぃつけて帰れよ、などと親しげに言い残して別のテーブルに移動していった。
ネレウスに促されたので、空いた席に座る。
ケイジュは護衛よろしく影のようにおれの後ろに控えていた。
「さてと、まずは手紙を受け取ろう」
ネレウスは先程の陽気な態度とは一転して、落ち着いた声色でおれに言う。
ヤトの言うとおり酔った様子もないし、ちゃんと真面目に話を聞いてくれそうだ。
おれはずっと大事に布に包んでいた手紙を出し、ネレウスに手渡す。
おれは手紙の文章をそのまま写したものを持っていたので、手紙自体は未開封だ。
ネレウスは手紙の封蝋印を確認すると、貴族らしい慣れた手つきで封筒を開けて中の便箋を読み始めた。
明るい笑顔を引っ込めて、冷静な表情で文字を追う。
そしてしばらくの無言のあとネレウスが顔を上げた。
「ふむ、今まで受け取った手紙と大筋は変わらないようだな。ならば、おれの返答も変わらない。インゲルの福音が復活するなぞ、ハカイムの宗教かぶれ貴族が舞い上がって吹聴しているだけだろう。もし、福音の復活が実現したとしても、海の先に逃げればいい話だ」
ネレウスの答えは投げやりなものだった。
民と距離の近い貴族らしからぬ答えにも思えて、おれは眉をひそめる。
「……今日一日、おれはネレウスの成したことをこの目で見てきた。冒険心に突き動かされているだけじゃなく、聡明さと勇気を兼ね備えている。先見の明も人への気遣いもある。多くの人に慕われていることも知った」
ネレウスは少し照れ臭そうに頭を掻いた。
「よせよ、褒め殺しで説得しようってのか?」
「違う。おれが感じたことを言っただけだ。だからこそ、違和感がある。ネレウスなら、ここまでしつこく手紙を送られれば、福音の復活もある程度は真実を含んだものだとわかっているはずじゃないのか?知ってるだろ、フォリオの公爵は実現不可能な案件に無駄な労力を費やす男じゃない」
「父親のことをまるで他人のように話すんだな……家出してからもずっと喧嘩してるのか?」
ネレウスはニヤニヤと笑っている。
「話をそらすな。答えてくれ。ここまできても実現不可能だと言い張るのには理由があるのか?」
おれが睨むと、ネレウスはようやく観念したようにため息を吐いた。
「……わかったよ、そんなに怒るなって……」
ネレウスは後ろを振り向くと、護衛の騎士たちに手で合図を出した。
すると、そのうちの一人が呪文を唱え始める。
最近見慣れてきた姿隠しの魔法がおれとネレウスを包み込んだ。
「悪いが、その用心棒も少し離れていてくれ。あまり人に聞かせたくない話だからな」
おれは振り向いて、ケイジュに頷いてみせる。
少し不本意そうに眉をしかめたケイジュだったが、静かに退いて姿隠しの結界の外に出た。
ネレウスはそれを見届けると、おれの目をひたと見つめる。
その琥珀色の瞳は真剣そのもので、眉には強い意志が表れていた。
「……お前の言うとおり、ここまで言われたらおれだってわかってる。インゲルの福音は決して神話や伝説ではなく、現実に存在していて、まさに復活しそうになってるってことはな」
「……だったら、どうして?魔法で人の意思を縛って、自由とはかけ離れた世界になるんだぞ」
「それはおれだって胸糞悪い。そんなことを本気で実行しようとしてる貴族とは、一生かけても分かり合えないだろうよ。だが、おれはこのままインゲルの福音が復活する流れになればいいと思ってる」
矛盾したことを言われておれが怪訝な顔をしていると、ネレウスは自分の髪をぐしゃぐしゃにかき回した。
「あ~~、この話、誰にも言うなよ、約束しろ」
ネレウスがおれに詰め寄って凄むので、おれは勢いに押されるように頷いた。
「わ、わかった、秘密は守ろう。核に誓う」
「……よし。おれはな、とにかく急いで外の大陸に行きたいんだ。そのためには、沢山の賛同者が欲しい。
もしインゲルの福音が復活するとなれば、おそらく次の議会でもう一度話し合うことになるだろう。フォリオやドルンゾーシェ、ヘレントスが反対してるなら、すぐには可決されずにしばらく揉めるはずだ。
おれはその間に話を広めて、福音の影響を受けたくない市民や貴族を取り込みたいんだ。福音に縛られたくないなら、エレグノアの外に出るべしってな。
インゲルの福音ってのは音を媒介にして魅了状態にするって話だから、鐘の音も届かない場所に行っちまえばいい。童歌や詩は禁止して、新しい歌を作ればいい。
魔法を使ってまで亜人を支配するのは反対だって貴族が賛同者になってくれれば、船の安全性も上がる。精霊術で船が速く移動できればその分危険も減るし、新天地にたどり着いたときも精霊術があれば多少手強い在来生物がいてもしばらくはしのげるはずだ。
船の開発も賛同者が多いほど早く進むし、今おれが一人でやってるよりも格段に早い段階で外の世界にたどり着けるだろう」
「……だが、そのやり方だと、エレグノアの中に取り残される亜人も多いはずだ。船に乗れる人数には限界がある。それにもし、ネレウスが外の大陸に辿り着けたとしても、そこには殻壁が存在しないんだ。多くの亜人が死ぬだろう。その犠牲を払ってでも、外に行きたいのか?」
おれの問いに、ネレウスはぐっと拳を握りしめる。
目尻は緊張し、朗らかな印象だったネレウスの顔は死線をくぐり抜けてきた戦士のように厳しくなった。
「……ああ、行きたい。為政者としては間違ってるとわかっている。だが、それでもおれは早く自由になりたいんだ」
「なぜ?今の自由じゃまだ足りないと?」
おれはネレウスの気迫に負けないように言い返す。ネレウスは鋭い視線でおれを貫いた。
「足りないな。……三男坊のお前にはわからないかもしれないが、おれには跡継ぎをつくる義務がある。おれには兄弟も居ないし、母親はとうの昔に亡くなった。親父も死んだ。ユパ・ココの次の議長を務められるのは、おれの子しか居ないんだ。
だから、おれは数年以内にどこかの貴族の娘と結婚することになるだろう。だが、おれはそうしたくない……おれにはもう、添い遂げたい人がいる」
ネレウスは絞り出すように言った。
色恋に惑わされて道を見失っているのか、とおれは言い募りたくなったが、それは出来なかった。
それを言うには、あまりにネレウスの表情が切実だったからだ。
おれ自身、家出してケイジュと恋仲になっているので、人のことは責められない。
「……その人とは、結婚を認めてはもらえないのか?」
おれが聞くと、ネレウスは首を横に振った。
「無理だ。もし子供が産めるなら、認めてもらえたかもしれないが……」
ネレウスの言葉に、おれは息をのむ。
相手は何らかの事情で子供を産めない女性か、もしくは男性か。
おれの脳裏には咄嗟にヤトの姿が思い浮かんだが、慌てて打ち消した。
もし直感が当たっていたとしても、今重要なのはそこじゃない。
「……ネレウスは、決められた結婚から解放されるために、外の大陸を目指しているのか……?」
「半分は、そうだな。新天地には、法も貴族もない。おれは開拓者の一人として生きていける。そこでなら、おれはおれの気持ちを裏切らずに、あいつを愛することができる」
「…………その為に、多くの人が犠牲になってもか?」
おれがなおも食い下がると、ネレウスは自嘲気味に笑った。
「ああ。自分勝手で、馬鹿な男だと幻滅したか?
だが、犠牲を抑えるための努力は惜しまないつもりだ。最初の航海には腕っぷしに自信のある奴だけを連れていく。
取り残されて、福音の影響を受けてしまった人々に関しても、何とか言いくるめて徐々にエレグノアの外に連れ出すつもりでいる。
貴族を愛するということは、少なくともおれの言うことには従ってくれるはず。術が届かない場所に連れ出してしまえば、おそらく福音も長くは効果を保てないだろうし、魅了を解くための時間も多くある。
幸いなことに、福音は亜人を殺すための術じゃない。術の範囲外に出てしまえば、やりようはいくらでもあるさ」
ネレウスは罪悪感に表情を蝕まれながらそう語った。
おれもようやくネレウスの意図を理解できた気がする。
けど、おれもこれでそうですかと引き下がるわけにはいかない。
「福音反対派としてこの問題を解決した後に、外の大陸を目指すことはできないか?福音の影響から逃れるという動機がなくても、外の大陸というのは多くの人を惹きつける話題だ。焦らなくても、きっと賛同者は多く集まる」
「そうかもしれない。しかし、時間はかかる。誰も彼も、おれやお前のように外に憧れを持っているわけじゃない。自分の生活が維持できるなら冒険なんてしなくていいと思うやつが大半だ。この調子で人と金を集めていたら、外の大陸にたどり着くまであと十年はかかる。のんびりやってたらおれも結婚から逃げられなくなっちまう」
「ユパ・ココの議長はネレウスだろう、結婚の時期を遅らせることは出来ないのか?」
「おれはまだ親父のあとを継いだばかりで、ユパ・ココの他の貴族から圧力をかけられたら逆らえない。親父と違ってまだ若いし、実績がないからな。あと数年くらいは無理やり逃げるつもりだが、いつまで突っぱねられるか……。
だが、福音から逃れるという動機があれば、短期間で人も金も集められる……この機会を逃すわけにはいかない……!」
ネレウスの語気が強くなった。
それほど必死なのだ。
きっと彼は、インゲルの福音の話を聞くまでは、半ば諦めていたのだろう。
想い人を諦め、家のためユパ・ココのために貴族令嬢と結婚し、子を残して伯爵として死ぬしかないのだ、と。
しかしこの土壇場で唯一の活路を見出し、それに縋っている。
おれは歯噛みする。
ネレウスが貴族として生まれていなければ、ユパ・ココの議長を継ぐ伯爵として生まれなければ、兄弟が居れば、想い人が貴族であれば、きっとこんなことにはならなかった。
おれがもし、三男ではなく長男でヴァージル兄もヴィンセントも居なかったら、きっとネレウスと同じ気持ちになっていただろう。
それでも、おれはこの交渉を諦めるわけにはいかない。
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