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イングラム家のパンプキンパイ
5話
しおりを挟む少し気持ちが落ち着いた所で温室に戻ると、そこにケイジュと兄貴の姿は見当たらなかった。
ダイナとルチアは噴水のそばでぬいぐるみを歩かせて遊んでいる。
ルイーズ義姉さんと母さんはそれを見守っていた。
「かえってきた!」
「おじさま!」
おれに気付いたダイナとルチアは駆け寄ってきたが、おれの表情に気付いて勢いを失う。
「おじさま、だいじょうぶ?とってもつかれたおかおしてるわ」
「おじいさまに、おこられたの?」
口々に心配されて、おれは苦笑する。
「いや、怒られてはない……と思うけど、わからない……」
おれは先程の出来事をまだ受け止めきれていなかったので、歯切れの悪い言い方になってしまった。
ダイナとルチアは顔を見合わせて、それからそっとおれの手を取る。
しっとりして温かい子供の手が、柔くおれの指を握った。
「おちこまないで、おじさま。わたしもおじいさまにはよくしかられるの。でも、おじいさまはしかったあとかならずおはなをおくってくださるわ。おじさまのところにも、きっとなにかとどくわ」
ダイナは一生懸命おれを励まそうとしてくれている。
おれはようやく、引きつっていない笑みを浮かべることができた。
「……そうだな……考えてばかりじゃ、何も変わらないよな……」
ダイナとルチアはホッとしたように笑い、またぬいぐるみ遊びに戻っていった。
おれの様子を見て、遊んでもらうことは諦めたのだろう。
聡くて優しい子たちだ。
おれも噴水の側に歩み寄り、母さんとルイーズ義姉さんにケイジュのことを尋ねる。
「ケイジュはどこに?兄貴も見当たらないけど……」
「ヴァージルはケイジュさんにお話があると言って、お庭に向かいましたわ。すぐに戻ってらっしゃるから、少し休みなさい」
母さんはおれの表情から色々察したらしい。
その声色は優しかった。
給仕が母さんの隣に椅子と冷たいお茶を用意してくれたので、腰を下ろす。
喉がカラカラだ。
一気にグラスの中身を飲み干した。
「……セオドア、逃げたければ、それでもいいのよ。ただ、エドガーのことを恨まないであげて?あの人は、交渉するときはあんなに口が回るのに、家族相手にはどう接していいかわからない不器用な人なの」
母は穏やかに語りかけてくる。
同じことを、今まで何度か聞かされてきた。
けど、以前はその言葉を素直には受け取れなかった。
不器用だからと言って、父親の今までの態度が正当化されるわけじゃない。
おれはまだ忘れていないんだ。
姉さんが死んだときにも冷酷な態度を崩さず、徹底的に居なかったものとして扱ったことを。
おれが何度も姉の墓参りに行きたいと言っても、何年もそれを許さなかった。
その癖他の貴族には、娘を失った哀れな公爵を演じて同情を買った。
おれや兄貴たちだけでなく、死んだ姉でさえも交渉の道具として扱うその姿に、おれは心底絶望した。
その親父を肯定し、姉の死を立派な最期だったと持て囃す貴族たちにも失望した。
親父の道具として生きるくらいなら、何も持たない人間になって親父の知らないところで死にたいと思うようになった。
その思いは、今も変わらない。
おれも、殻の外に生きる亜人も、人形じゃない。
尊厳ある人間だ。
だから、家を出た。
けど、今は、少しだけ、ほんの少しだけ、親父の不器用さがわかった気がした。
これは商談だとしつこいくらいに念押ししないと、おれに気をつけての一言も言えない人なんだ。
「……おれは、逃げないよ。けど、親父を恨むかどうかは、おれが決める」
おれの言葉に、母さんは深いため息をついていた。
「あなた、変に頑固な所はあの人に似てしまったのね……いいわ、好きにしなさいな。ただ、危なくなったら、何より先に逃げて。約束よ」
おれは母さんの言葉に頷いた。
ケイジュに出逢わなければ、野垂れ死んでもいいかと思っていたかもしれない。
けど、おれはまだまだ生きたい。
見たことない景色を、ケイジュと一緒に眺めたい。
母さんはしばらくおれに不安げな視線を送っていたけど、もう一度息を吐くと立ち上がった。
母の視線は温室の外側の扉に向けられている。
ちょうど庭に出ていたケイジュと兄貴が入ってくる所だった。
何の話をしていたのかわからないけど、ケイジュの表情が険しい。
兄貴も珍しく眉をしかめたままだった。
「兄貴、ケイジュと何の話をしてたんだ?」
おれはまさかと思いつつ兄貴を睨む。
兄貴は味方だと思っていたのに、ケイジュに難癖つけてたんじゃないだろうな。
おれが問い詰めようと近付くと、ケイジュが片手でおれの前を遮った。
「……ヴァージルが話してくれたことは、おれにとって大事なことだった。内容については話せないが、おれは知ることができて良かったと思っている。だから、何も言わないでくれ」
ケイジュの声は少し震えているようにも聞こえた。
おれが兄貴をもう一度見ると、見たことないくらい苛立った顔をしていた。
しかし、兄貴は親指で何度か眉間を揉むと、すぐに元通りの穏やかな表情に戻って、ケイジュを無視して横をすり抜けて行ってしまう。
「待たせて悪かったね……そろそろお開きにしよう。ダイナとルチアも、少し昼寝したらお勉強するんだぞ」
「え~~っ」
「お勉強も運動も、毎日ちょっとでもいいから続けないとすぐに鈍ってしまうぞ。お父さんもお仕事してくるから、頑張ろうな」
ぐずる娘達をあやすヴァージルは、すっかり元通りだ。
おれはわけもわからずケイジュの顔色を窺う。
「……大丈夫、なのか?」
ケイジュは深く呼吸したあと、おれを見た。
貫くような視線に、弱々しさは感じない。
「ああ。大丈夫だ。だが、少し気持ちを整理する時間が欲しい」
「……それは、構わないけど……後で何の話してたのか教えてくれよ?」
おれのお願いに、ケイジュはきっぱりと首を横に降った。
「それは出来ない。だが、おれの気持ちは今までと何も変わらない。不審に思うだろうが、それで納得してくれ」
ケイジュの声に迷いはなかった。
気迫に満ちた決意の言葉に、おれは黙って頷くしかない。
ケイジュがここまで言うならこれ以上食い下がれないし、諦めるしかないか。
その後、おれとケイジュはお土産を持たされて帰ることになった。
玄関まで見送りに来てくれた母さんに別れの抱擁をして、兄貴には肩を叩かれる。
「セオドア、父上の話を受けるにしろ、断るにしろ、おれはお前の味方だ。何かあれば、必ず頼ってくれ」
ヴァージル兄ぃの眉間には、またシワが寄っていた。
けど、苛立ちの表情ではなく、辛そうな顔だった。断ればすぐにでも泣き出しそうな顔だったので、おれは苦笑する。
「そんなに心配しなくても何とかやってみせるさ。おれにはケイジュもついてるんだから」
おれがケイジュと名前を出した瞬間、兄貴の眉にピリッと緊張が走る。
「……その男に、泣かされるようなことがあれば、すぐにおれが迎えに行くからな……安心してくれ、セオドア」
兄貴は全く安心とはかけ離れた険しい表情に、無理やり笑みを浮かべて凄んだ。
基本的には温和な兄貴だけど、ごくたまにこうして余裕のない姿を見せることもある。
おれが他の貴族の子弟に揶揄われた時や、理不尽な言葉で罵られた時も、兄貴はこんな顔で怒り狂っていた。
今回は何がそんなに兄貴の逆鱗に触れたのかわからないので、おれはコクコク頷くしかない。
そしてケイジュにも鋭い視線を向け、見ているからな、と身振り手振りで伝えていた。
ケイジュが神妙な顔で頷くと、兄貴はようやくおれの肩から手を離す。
おれは寂しそうな顔をしているお姫様二人にも別れの挨拶をして、今度はきちんと遊ぶ時間を作る、と約束した。
最後に丁寧に頭を下げ、邸宅に背を向ける。
ケイジュも振り返ることなく歩き始め、おれたちはその場を立ち去った。
自宅へ帰る道中、おれはふと嫌な予感がしてお土産に持たされたお菓子の袋をのぞき込んだ。
中に入っていたのはシンプルな焼き菓子だったが、飾り付けの乾燥果物に違和感がある。
おれが一つ取り出して確認してみると、それは乾燥果物ではなかった。
焼き菓子に埋め込まれていてぱっと見では気付かなかったけど、これ、石だ。
しかも、相当値段が張りそうな透明度の宝石だ。赤や橙のそれは、宝石商に持っていけばとんでもない値段になるのだろう。
「やられた……」
おれはため息を吐いた。
たぶん母さんの仕業だ。
おれはもう自立したんだからお小遣いは必要ないと固辞しているのに、あの手この手で渡そうとしてくる。
持たされたお土産が軽かったので、こっそり金塊を仕込んでいることはなさそうだと油断していた。
おれはそっと袋の中に菓子を戻して、ケイジュに忠告する。
「ケイジュ、このお菓子食べるとき気を付けてくれ。中に宝石が隠してあった。何も知らずに食べたら歯が欠けるかも」
「……おれでは想像もつかないような方法でお小遣いを渡してくるんだな……」
「金銭感覚がおかしくなってるんだよ……しばらく銀行に預けて保管したあと、こっそり返しに行くよ」
ケイジュの反応はない。何か考え込んでいるようで、虚空を睨んでいた。
「ケイジュ……?」
おれが心配になって声をかけると、急に腕を引かれた。
帰り道からそれて、細い路地に引っ張りこまれる。
おれがあたふたしていると、強い力で抱き締められた。
高級住宅街なので人通りは少ないけど、それでもたまに通行人が居るので慌てて周りを見渡す。
「どうしたんだよ……」
おれの問いにも、ケイジュは腕の力を強めるだけで答えない。
胸が圧迫されて苦しい。
でも、ケイジュが痛々しいほど必死に抱きしめるのでおれは何も言えなくなってしまった。
とりあえずケイジュの背中に手を回して、ゆっくりと擦る。
ケイジュの力は少し緩んだけど、体を離そうとはしない。
やがて、くぐもった声が聞こえた。
「セオドア、すまない……もう少し、このままで居させてくれ」
おれは返事の代わりにケイジュの背中を軽く叩く。
そのまましばらくおれたちは抱き合ったままだった。
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