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魔女の薬湯
4話
しおりを挟むおれの記憶は、途中から酷く曖昧になる。
倒れた自動二輪車を起こそうとしているところまでは覚えているのだが、そこからは断片的にしか思い出せない。
自分で歩きたいのに身体は重くて動かず、ケイジュに背負われて移動したような気がする。
重いだろうに、ケイジュの背中は力強くおれを持ち上げてくれた。
その後、雨が身体を打つ感触が消え、少し温かくなった。
けど、寒気がおさまらない。
体の先端から段々と血の気が失われていく感覚に襲われて、おれは暗闇の中で死さえ覚悟した。
けどその冷たい予感の中、重たい服が取り去られて、
代わりに温かく、柔らかいものがおれを包んだ。
一瞬でおれの中にあった恐怖が跡形もなく溶けて、代わりに幸福感が胸を満たす。
ぞくぞくと寒気が這いのぼっていた背中も、優しく撫でられている。
きっとケイジュの手だと思うんだけど、自信はない。
高熱のせいで勘違いを起こしているのかもしれない。
けど、もしおれが思う通りのことが起こっていたなら、おれはケイジュに抱き締められて温められていたことになる。
そんな都合のいいことが本当に起こったとは思えないのに、おれは酷く幸せで、そして辛かった。
こんなことをさせてごめん、とおれは謝りたかった。
ちゃんとは言えていないだろうけど、何度も頭の中では繰り返していた。
そしたらケイジュの顔がぼんやりと見えて、だいじょうぶ、と言って抱き寄せてくれる。
これはきっと夢なんだろう。
そう思うと、一気に気が楽になった。
夢なら、幸せに浸っても許される。
おれの意識は再び遠のいていった。
次の記憶は、水が喉を滑り落ちる感覚だ。
煮えているように熱い身体に一筋の心地よい冷たさが流れていく。
それと同時に苦い何かも口の中に流し込まれたので、それも必死に飲み込んだ。
それは薬だったんだろう。
それを飲んだあと、久々におれは意識をはっきりと取り戻した。
まず空気が温かいことと、屋根があることに驚いて、自分がどこにいるのかわからなくなった。
荒野の真ん中で倒れたはずなのに、ここはどこなんだろう。
おれが朦朧とした頭でなんとか思考を続けていると、ケイジュがおれをのぞき込んできた。
ケイジュは珍しく眉尻を下げて、おれを見てため息をもらしていた。
心配かけてしまったな。
しかもこんな小屋まで、背負って移動させてしまったんだろうか。
場所を尋ねると、なんと魔法で作った小屋だと言う。
驚くとともに、申し訳なくなった。
ケイジュの仕事は護衛だ。
おれの看病までさせるつもりはなかったのに。
しかもおれはその時服を着ていなかった。
濡れていたから脱がしてくれたんだろうけど、恥ずかしい。
ケイジュは火のそばで乾かしていたらしい服を手渡してくれた。
この小屋、ちゃんと煙突まであるのか、ケイジュの有能さには驚かされるばかりだ。
その後ケイジュ手製の粥を食べさせてもらい、おれは幸せにふわふわと酔っ払ったような気分になった。
小さな小屋の中で、ケイジュがおれだけを見て、おれだけを労ってくれる。
いつか別々の道を歩まなきゃいけないなら、今だけはおれがケイジュを独占しててもいいよな、と甘えた考えに支配される。
小用を足すのにもケイジュの手を借りてしまったので流石に申し訳なかったが。
水を与えられ、寝床に優しく横たえられ、額の汗を丁寧に拭われて、おれは幸せなまま目を閉じた。
しかし、その後に待っていたのは灼熱だった。
身体が焼けるように熱い。
身体の関節は酷い痛みを訴え、頭もずっと爆音を聞かされているかのようにぐらぐら揺れる。
それをやり過ごすと今度は恐ろしい寒気が襲い、その度に優しい手がおれを抱き締めて温めてくれたが、それでも身体は言うことを聞かない。
熱と寒さの波を何度も何度も繰り返し、その度におれの意識は削り取られていく。
まともに言葉を発することもできず、おれはひたすら命をつなぐことしかできなかった。
一瞬でも気を抜けば奈落に落ちて、二度と這い上がってこられない。
そんな予感がしていた。
崖の淵に腕だけでぶら下がったまま、ひたすら耐えるような時間が延々と続く。
おれの精神力が限界を迎えようとしていたとき、喉の奥をどろりとしたものが流れていく感覚があった。
喉が塞がれそうになり、おれは咳き込むが、何度も何度も口の中に流し込まれる。
意識が朦朧としているはずなのに、その液体の苦さは、一生忘れることができないだろう。
舌そのものが水分を抜き取られて干からびそうなほど苦く、意識を手放しそうなほど渋く、砂でも飲み込んでいるかのようにざらついていて喉に引っかかる。
おれは合間合間に与えられる水を必死に飲みながら、その液体を身体に送り込んでいく。
その時はこの世のものとは思えないくらい不味い液体をなんとかやり過ごそうと必死だったのだが、今思えばあれは薬だったんだろう。
最初に飲まされた薬とは比べ物にならないくらい不味かったが、それ以上に薬効もあったのだろう。
熱と寒気の波が、徐々に落ち着いて楽になってくる。
おれは回復の予兆を感じ、ようやく深い眠りに落ちた。
まるで今までのことがすべて夢に思えるほど、急に意識がはっきりして目を覚ます。
おれの目にまず入ったのは、炎の淡い灯りに照らされる土色の丸い天井。
ケイジュが作ったという小屋の中におれはまだ居るらしい。
おれはまず頭だけを傾けて、あたりを見回した。
焚き火の前に、ケイジュが座り込んでいるのが見えた。
背中を丸めて、小さな鍋の中身をかき混ぜている。
ケイジュが居ることに安心して、おれは次の行動に移る。
何とか一人で起き上がれないか、背中に力を込める。
しかし予想していた地面の固さはなく、ふかふかしていて柔らかい。
いつの間にか体の下に枯れ草が山ほど敷かれていた。
その上にテントを敷き、簡易のベッドにしているようだ。
通りで寝心地がいいはずだ。
案外すんなりと起き上がれた。
その物音に、ケイジュが弾かれたように振り向き、おれを見て目を丸くする。
「セオドア!」
目にも止まらぬ素早さでおれの傍らにやってきて、背中に手を当て、おれの体を支える。
そしてもう片方の手はおれの頬に触れて、体温を確かめられた。
ケイジュの目が真正面からおれを見つめる。
ケイジュの青い瞳が、珍しく充血していた。
おれが呆然としている間に、その目に涙がたまり、目尻から溢れて一筋流れていった。
ケイジュの端正な顔がぐしゃりと歪んで、気が付いたらおれはケイジュに抱き締められていた。
おれは声をかけようとしたのに、喉がカラカラで声が出ない。
代わりにケイジュの背中に手を回して、ぽんぽんと叩いて返事の代わりにした。
ケイジュの背中がかすかに震えているのが手のひらに伝わってくる。
それからようやく、おれは喜びに打ち震えた。
あの冷静なケイジュが泣くほど、おれは大事に思われていたんだ。
散々心配かけておいて喜ぶなんて、おれは駄目なやつだな。
けど、嬉しいのが止まらない。
ケイジュは苦しくない程度の力でおれをしばらく抱き締め、それから鼻をすする音がした。
それからゆっくり体が離れていく。
再びケイジュと目を合わせたが、もういつもの落ち着いた表情に戻っていた。
けど、目は充血したままだし鼻も少し赤い。
おれは声が出ない代わりに笑ってみせた。
「……よかった……水を持ってくる」
ケイジュは少し鼻声のまま言うと、立ち上がって小屋の中の荷物から水筒を取り出す。
ケイジュが当然のように蓋を外して飲み口をおれの方に向け飲ませてくれようとしたが、おれは慌てて水筒を受け取る。
熱はまだありそうだけど意識ははっきりしてる。ちゃんと自分で飲める。
ケイジュはなぜかちょっと残念そうに水筒を手渡し、火にかけたままだった鍋を脇に避けた。
おれが貪るように水を飲んでいる間に、ケイジュはその鍋の中身を木の器に移す。
今気がついたが、なかなか強烈な青臭さだ。
その匂いに覚えがあった。あの苦くて渋い液体だ。
どうやらその薬のおかげでおれは死地を脱したらしい。
まさしくおれはケイジュに命を救われたわけだ。
おれは水で潤った喉の調子を整え、久々に声を出した。
「ケイジュ、ありがとう」
声は掠れていたけど、ケイジュにはちゃんと届いた。
ケイジュは振り返り、淡い微笑みをたたえて頷く。
「気にするな。意識が戻ってよかった。薬、出来たから飲んでくれ」
ケイジュが器を片手におれの傍らに膝をつく。
熱のせいで嗅覚もかなり鈍っているはずなのに、つんと鼻の奥を刺激する匂いがする。
口の中に冒涜的な苦味が甦り、反射的に口がへの字になってしまう。
ケイジュにそれを見られて、ちょっと呆れたように笑われた。
「まさか、あんなに朦朧としていたのに薬の苦さは覚えているのか?さすがだな」
「あ、ああ……病気も逃げ出すような味だった……ありがたくいただくよ」
おれはケイジュから器を受け取って、茶色いドロドロの液体を直視しないように目を閉じつつ、一気に器に口をつけて喉に流し込んだ。
記憶よりも更に不味い液体が口の中を蹂躙していくが、無理矢理飲み込み、その後水で後味を流し落とす。
けど、なかなか苦味とエグみが消えない。
ケイジュはおれが薬を最後まで飲み終わるまで横について背中を擦ってくれていた。
その後も水のおかわりを持ってきてくれたり、ついでに浄化魔法をかけられたりして、一通りお世話される。
ケイジュはおれの体温を確かめたあと、安心したように長く息を吐いて、おれの肩に頭をぶつけてきた。
「……もう、大丈夫そうだな……ここ数日、生きた心地がしなかったぞ」
おれを詰るような声色。
おれはケイジュの顔がすくそばにあることに緊張しながらも、真面目に謝った。
「色々、悪かった、ケイジュ。迷惑かけたし、心配もかけたよな……」
「……自分を大事にしろと、前にも言ったはずなんだがな」
「悪い……焦って、無理をした」
まさかここまで体調を崩すとは思っていなかったのだが、それは予想できなかったおれが甘かった。
おれが背中を丸めておとなしくしていると、ケイジュはおれの肩から顔を上げる。
「おれも、悪かった。おれも土砂降りになることを予想できなかったし、セオドアが無理してることもわかっていたのに止めなかった。もう二度とこんな無茶は許さないから、セオドアも肝に銘じておいてくれ」
「はい」
おれはしおらしく頷いた。
ケイジュはその後何かを迷うように口をもごもごさせていたが、結局何も言わないのでおれはおそるおそる聞いてみる。
「……その、今日って何日か教えてくれるか?絶対焦って出発したりしないって誓うから」
ケイジュはちょっと残念そうに眉を下げたあと、今日は蒼月28日の夕方だと教えてくれた。
おれが倒れたのは26日の昼ごろだったので、それから丸2日経過しているということか。
「セオドアが倒れたあと、この小屋を作って運び込んだ所までは覚えているか?」
ケイジュに問われたので、曖昧な記憶を辿り頷く。
ケイジュに看病され、粥を食べさせてもらったことは覚えている。
幸せな記憶だ。しかしその後の記憶は殆ど無い。
「最初に薬を飲ませてもらって、一度は快方に向かったんだよな?たぶん」
「ああ。おれの手持ちの薬を飲ませたのは26日の夜で、27日の朝には薬効が切れたらしく、また悪化し始めた。おれは一度街道に戻って通行人から薬を買おうとしたんだが、前日の雨のせいか、なかなか人が捕まらなかった。その間にも、セオドアの熱は上がり続けていて……かなり辛そうだった……」
そう言うケイジュの方が辛そうな顔をしている。
おれは俯き、もう二度と自分の体力を過信しないと誓った。
「……27日の日暮れ直前に、街道を通りかかった薬売りを捕まえることができてな。交渉したら、病状も見てくれるというので連れてきて、薬を作ってもらった。さっきの薬もその薬売りが調合したものだ。今もすぐそばにキャンプしているから、話せるようなら連れてくる」
「……命の恩人だな……出来るだけ早く礼を言いたいんだが、呼んだら来てくれるか?」
「ああ。セオドアを診てもらう時に、一応礼金は渡しているんだ。向こうは仕事として受けてくれている」
ケイジュはそこで言葉を区切って、何か言いたげにおれの顔を見ていたが、すくっと立ち上がった。
「眠くならないうちに呼んでこよう。経過も診てもらわないと」
ケイジュが小屋を出ていったので、おれは乱れていた服をできる限り直して、薬売りを待った。
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