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南駅の駅弁
6話(ケイジュ視点)
しおりを挟む機関車は順調にヘレントスへと向かっていた。
もう少しで夜明けを迎える客車の中は、大小の寝息が聞こえているが、概ね静かだ。
正面に座るコウタロウとマリコは仲良く同じ体勢で寝息を立てている。
空はうっすら明るくなってきたが、もうしばらく寝ていていいだろう。
おれは横に座るセオドアに目を向けた。
セオドアはおれの肩に寄り掛かるように眠っていた。
おれとセオドアにはさほど身長差もないので寝にくそうだが、ずっしりと感じる体の重さが妙に心地よくてそのままにしてある。
起きたときに首を痛めていないといいのだが。
昨日は一日で色々なことがあったので、流石におれも疲れていたのか、先程少し居眠りをしてしまった。
精気をちゃんと摂っているにもかかわらず眠くなってしまったのは初めてだ。
体は疲れていないが、頭が疲れていたということなのだろう。
昨日は本当に色々なことを考えた一日だった。
朝、目の前の親子から相席を拒否されそうになったとき、おれはもう正直何も思っていなかった。
相席になった相手が淫魔のおれを嫌がることは日常茶飯事で、幼い娘がいるとなれば半ば当然とも思って席を立った。
そしてわざわざ追いかけてくれたセオドアに、何故か話の流れで本名を打ち明けられた。
セオドア・リオ・イングラム。
想像していたよりもずっと大物貴族の名前が出てきて、おれは流石に動揺した。
イングラム公爵といえば、フォリオの実質的な支配者だ。
セオドアが偽名を使っていたのも当然だろう。
それなのに、おれに前触れなく本名を明かしてしまうのがセオドアらしい。
そしておれの動揺もよそに、セオドアは貴族という出自を気にして、恨んでいるかとのたまう始末だ。
おれはつい腹が立って、セオドアを睨みつけてしまった。
おれは淫魔だからと嫌悪されることにもうんざりだが、淫魔だからと同情されるのはもっと気に食わない。
それでつい怒りを露わにしてしまったが、セオドアは気圧されてはいるものの、しっかりとおれの目を見つめ返してきた。
普通の人間なら、おれの目を見つめ返すことは出来ない。
おれが怒ると、ごく弱い力ではあるが、相手に恐怖を与える精神操作魔法が自動的に発動してしまうようなのだ。
市販の魅了魔法よけでは、恐怖を植え付ける魔法までは防ぎきれないらしく、魔法に耐性がない人間だと卒倒してしまうこともある。
魔法に耐性があっても流石に真正面から見つめ合うことはできず、たいてい相手は目をそらしてしまう。
厄介な同業者や在来生物を相手にするときはかなり重宝する能力だったが、気軽に口喧嘩も出来ない体質であることは悲しくもあった。
しかし、セオドアにはその魔法も効かないとわかって、おれはまた一段階解放された気分だ。
おれが出自を理由に嫌うことはないと告げると、ようやくセオドアは納得し、安心したように笑ってくれた。
それからようやく不用心に本名を明かしたことを問いただせたのだが、理由は、本名を呼んでほしかったと、それだけだった。
そのときのおれはこみ上げてくるものをこらえるので必死で、自分がどんな顔をしたのか想像できない。
間違いなく言えるのは、嬉しかった、ということだけだ。
おれは、家族以外の人間と親密になれたことがない。
同郷の仲間も、普通の淫魔のやり方で精気をもらうのが嫌だというおれを、変わり者として扱っていた。
村を出た後も、親しい人を作ることは出来なかった。
村を出て数年間は自分の力をコントロールできておらず、するつもりのない人まで魅了してしまったり、精気をもらいすぎて気を失わせてしまったり、散々だった。
その経験からおれ自身が人を遠ざけるようになってしまったのも、普通の人間らしい関係を築けなかった要因だろう。
ある程度自分の力を使いこなせるようになった後も、団長と団員、という事務的な関係でしか人と繋がりを持てなかった。
少しでもおれが力の使い方を誤れば、相手はおれの魔法に操られてしまうのだ。
当然の話ではある。
そんなおれの前に現れたセオドアは、そういう今までの前例をすべて覆す存在だ。
現状を見る限り、セオドアならばずっと行動を共にしていても魅了状態になることがない。
おれが気を抜いて感情をぶつけても恐慌状態になることもない。
おれはここにいていい、という安心感を与えてくれた。
そんな男からの、本名で呼んでくれ、という願いはおれの頭を一気にお花畑にするぐらいの威力があった。
そのあとの、二人きりのときは、という言葉もおれにとっては殺し文句だった。
セオドアがおれを懐の深いところにまで招き入れてくれている。
おれだけを、特別に。
本当に特別かどうかはわからない。
セオドアという名前を、家族以外にも知っている人間が他にもいるかも知れない。
それでも、今、この場で、セオドアと呼んでいいのはおれだけなのだ。
それはあまりにも、あまりにも甘美な心地だった。
おれが万感の思いでセオドアと呼びかけると、セオドアも幸福そうに笑いながら振り返った。
おれとさほど体格は変わらず、肩幅も胸の厚みもしっかりとあるのに、セオドアが振り返る動作は酷く優美に見えた。
柔らかい榛色の髪が差し込んだ朝の光に照らされ、風に吹かれると癖のある毛先が楽しげに踊る。
同じ色の睫毛が影を作る銀青色の瞳がおれを親しげに見つめ、男らしくも繊細に整った顔が照れくさそうな笑みを形作る。
なんだよ、とおれにかけられる柔らかい声。
これは現実だろうか、と疑わしく思えてくるほど、世界が美しく見えた。
おれの頭にお花が咲いていたからだと言ってしまえばそうだが、確かにあの瞬間、おれの世界は一気に鮮やかになったのだ。
つい昨日、おれは、いつか魅了魔法がかかってしまったらおれはセオドアの側から離れる、と決意したはずなのに。
すでにその決意は揺らいでいる。
車両に戻ると、親子の態度が一変していておれは驚いた。
おれがいない間に、セオドアが橋渡しをしてくれていたのだろう。
恐縮している父親を落ち着けようと、おれが魔族の対処法について少し話をすると、思ったよりも興味津々で話を聞いてくれた。
聞いてみれば、魔族を正体もわからないまま怖がっていたという。
確かに、知る機会が多いとは言えないから、おれの雑な助言でも役立つことはあるだろう。
ドルトス鉄道には何度も乗ったが、こんなふうに相席した人と和気あいあいと過ごすのは初めてだった。
おれ一人だったらここまで誤解を解いて雰囲気を和らげることは難しかっただろう。
セオドアのおかげだ。
新鮮な気持ちで列車旅を楽しんでいたのだが、日が暮れてくると不穏な遠吠えが聞こえ始める。年々在来生物が鉄道を襲う頻度は高くなっているので、今回も、と危惧していたが、どうやらそれは当たってしまったらしい。
ロノムスは機関車に攻撃を仕掛けてくることはないが、こうして縄張りを通るよそ者を監視して、遠吠えで他の在来生物を呼び集める。
運良く強い在来生物がやってきて機関車を襲い、そして獲物を仕留めたならば、おこぼれをもらおうという魂胆だ。
セオドアに客車から出ないようにと言いつけておいたが、やや不安が残る。
セオドアは自分の安全に無頓着だ。
考え無しな無鉄砲ではなく、それをしなかったら後悔するから危険でもやる、という、若干生き急いでいるような気配がある。
貴族なのに家出しているところからも、その傾向は読み取れる。
だったら、セオドアが思い切った行動に出る前にさっさとおれが危険を排除してしまえばいい。
案の定機関車が緊急停止し、撃退に協力するように呼びかけられたので、おれは迷わず立ち上がった。
心配する間も与えないくらい、すぐに帰ってこようと思っていた。
しかし、運の悪いことにロノムスが呼び寄せたのは、最近ベルグム火山で確認されたという新種の在来生物で、かなり大型だった。
在来生物同士の生存競争は苛烈で、弱ければあっという間に淘汰され、新種もひっきりなしに報告されている。
魔力の影響か、殻の中の生き物より進化の速度が早いのだ。
巨大な体に細長い鎌状の足をいくつもはやした新種は、更に風魔法も使えるという厄介な相手だった。
今回の鉄道の護衛に重戦士の数が少なかったことも影響し、ジリジリと機関車の方へと進攻を許してしまう。
それに焦った冒険者達ががむしゃらに襲いかかった結果、強風によって線路の土手の下まで吹き飛ばされてしまい、おれは在来生物と真正面から対峙することになった。
氷での足止めを試みたが、巨体過ぎてなかなか動きを止める事ができない。
こうなったら魔力をありったけ使って一気にカタを付けるしかないとおれが覚悟したとき、突如視界が真っ白な光で埋め尽くされた。
轟音で一瞬耳が聞こえなくなっていたが、おれの体は自動的に駆け出して、弱った在来生物に短槍を突き立てる。
在来生物が絶命してから、ようやくおれはさっきの閃光が雷だったのだと気づいた。
しかし、空は晴れている。
となれば誰かの魔法のはずだが、あんな上級魔法を使えるやつが冒険者の中に混じっていたのか。
おれは混乱しつつ死骸から飛び降りると、客車にいるはずのセオドアの姿を見つけた。
また自分を危険にさらして、と怒りがこみ上げて叱りつけたら、がっしりと真正面から抱きすくめられた。
強い力でぎゅうと胴体を圧迫されて息が詰まる。
背中が温かいのは撫でられたからだと、セオドアが体を離してから気づいた。
目と耳のことを心配されて、もしやと思って問いかけると、セオドアは肯定した。
先程の雷を放ったのは、セオドアだった。
客席に戻って丁寧な治療を受けた後、おれとセオドアは朝にも会話した外の通路に出た。
すぐに人がいないことを確認し、姿隠しの魔法を使った。
これで心置きなくセオドアの話が聞ける。
まずは外に出た経緯を聞くと、やはり最終的には自分の心配ではなくおれの心配をして出てきてしまったようだった。
今回は実際なかなかの窮地だったので、セオドアの行動は正しかった。
それに、おれも精霊術の威力というのを勘違いしていたらしい。
フォリオを発ってから今まで、セオドアは精霊術を自動二輪車で進むときにしか使わなかった。
だからおれは、精霊術を威力は弱いが長く効果が続く類の術だと思っていたのだが、違っていたらしい。
説明を求めると、セオドアは冷静な顔つきで淡々と言葉を紡いだ。
まるでいつか話そうと思っていた、とでも言いそうな態度だった。
しかし、急に服を脱ぎだすので流石に驚いた。
旅が始まってから、セオドアは寝るときも常に服をしっかりと着込んでいたので、高貴な生まれだと寝姿まで教育されるのかと思っていた。
だから急に肌をあらわにされると、見てはいけないものを見てしまった気がして焦ってしまう。
しかしセオドアは豪快に胸板をさらけ出し、そこに埋め込まれた異物をおれに見せた。
流石に最初はぎょっとしてしまったが、説明を聞いているうちに落ち着いて、素直に感心した。
魔力を持たないことをうまく利用して精霊を集めるなんて、さすが神話時代の知識を持つ貴族だ。
これだけの切り札を持っていれば、確かに多少の無茶も許されるだろう。
今まで在来生物を相手にするときはセオドアを完全に保護対象として扱ってきたが、そうしなくてもいいかもしれない。
これから旅の途中でセオドアに狩人としての振る舞いを教えていけば、そこらの冒険者よりもよっぽど強くなれるだろう。
先が楽しみになってきた。
大体のことは聞き終わったので、そろそろ服を着るように促すと、またもやセオドアが不用心なことを言い出した。
貴族であることは隠したほうが得策だ。
欲に目がくらんだ人間は何をしでかすかわかったものじゃない。
おれが警告すると、セオドアはなんでもないことのように衝撃の事実を告げた。
セオドアの胸に埋め込まれた遺物には、自爆機能がついている。
しかも遺物が離れると強制的に発動するものらしい。おれは言葉を失った。
機能自体は、非人道的ではあるがおかしなものではない。
秘密を守りたい魔法使いが死ぬ間際にすべての記憶を消すのはよくある話だ。
おれが信じられなかったのはセオドアの態度だ。
胸の遺物を奪われたら、自爆して死ぬ。
そのことをごく当たり前のように受け入れている。
貴族の間ではそれが当然のことなのか?
それとも滅多に起きないことだから実感が無いのか?
それでも、爆弾を体の中に埋め込まれて、これでいいんだと納得して良いはずがない。
天寿を全うしたいと思っているならば。
おれは確信する。
セオドアは、いつ死んでも良いように、生きている。
もし、これがセオドア以外の人間が思っているならば、おれは何も言わなかっただろう。
しかし、おれは想像してしまった。
セオドアが死んだ世界を。
誰の特別でもなく、誰かを特別に思うこともなく、茫洋と大陸を行き来するだけの人生を。
魔力を持たない、他の貴族の側で生きていくことも一瞬考えたが、それには吐き気をもよおすほど嫌悪感があった。
魅了が効かない相手なら誰でもいいわけじゃない。
セオドアだから、おれはこんなにも動揺しているんだ。
おれは懇願するようにセオドアの肩を掴む。
今まで口にしたことのない言葉ばかりで、舌がもつれそうになる。
それでも必死に、セオドアの目を見つめ続ける。
一瞬セオドアの瞳が焦点を失い、唇から血の気が引いた。
おれが諦めずに言葉を紡ぐと、セオドアの肩からようやく力が抜けた。
そして、かすかに震える声で、セオドアは言った。
おれのことを、大事な人、と。
セオドアの眦はわずかに赤くなり、銀青の瞳は涙で艶めいている。
おれはあえて友人という言葉を使ったのを、早くも後悔していた。
友人以上の、もっと深い関係までも、おれが望んでしまったからだ。
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