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第二十二話
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そこには、不思議な光景が広がっていました。
「そのまま足を伸ばして~……はい、頭のほうへぐいっと曲げて、ゆっくり下ろしてください」
「ぬううう~……みぎゃ!」
ベンチに仰向けになって、繰り返し揃えた足を精一杯上へと上げては悲鳴を上げるジョヴァンナ。
その横でトレーナー役のメイドたちが応援しています。
老執事長ドナートとシェフはガーデンテーブルをいくつか出して、ここにいる使用人全員分の昼食を用意していました。
見渡せば、いつの間にか庭の小道はジョヴァンナのために走りやすいよう石畳を外して芝生を植えられ、庭全体に樹木を増やして木陰が作られていました。一部は屋根を拵え、絨毯が敷かれた休憩所もあります。
グレーゼ侯爵邸の庭は、すっかりジョヴァンナ専用トレーニング場となっていました。おそらく、老執事長ドナートの計らいでしょう。
薄いクッションを敷いたベンチで、足上げ腹筋というとても貴族の淑女がやる種目ではないトレーニングに励むジョヴァンナは、ゼエゼエと息切れしながらお腹を押さえていました。
「これきついです、腹筋が激痛です」
「我慢してください。死にはしません」
「うぅ……」
諦めそうになるジョヴァンナへ、メイドから厳しい指導が飛びます。励まされてまたプルプル痙攣する足を上げ、苦しそうに足を下ろす、その繰り返しです。
見慣れたはずの実家の庭がとんでもない光景です。しかし、よく見れば花壇の片隅に見覚えのある人物が倒れていました。
正確には、縄でぐるぐる巻きにされ、芋虫のようになった叔父、セネラ子爵の姿を目の当たりにしたベレンガリオは、開いた口が塞がりません。いえ、どのみち捕縛しようと思っていましたから、ちょうどよかったのですが。
ふん縛られたセネラ子爵は、ベレンガリオと目が合うとにこやかに——『呪い』の元凶であるにもかかわらず——挨拶をしました。
「やあ、ベレンガリオ」
「叔父う、え……?」
「ゆえあってみっともない姿で失礼するよ」
「みっともないというか、簀巻きというか」
どう考えてもセネラ子爵はグレーゼ侯爵家の人々の手で捕縛されていますが、ベレンガリオには経緯がさっぱり分かりません。
そこへ、老執事長ドナートが主人の出迎えにやってきました。
「お帰りなさいませ、坊っちゃま」
「え? ベレンガリオ様!?」
ジョヴァンナもベレンガリオの帰宅に気付き、慌てて起き上がっていました。
ベレンガリオが何かを口にする前に、老執事長ドナートとジョヴァンナが話しはじめます。特に、ジョヴァンナはひどく憤慨していました。
「今からそこのセネラ子爵をサンドバッグに、奥様のダイエットの一環としてボクササイズをやろうとしていたところです、はい」
「は? ……は?」
「ひどいことをしたので、私がその罰を命じました!」
ジョヴァンナはプンスカと可愛らしく怒っています。相当おかんむりのようですが、ここまで怒ったジョヴァンナを見るのは、ベレンガリオも初めてです。
「とりあえずボクササイズまでに時間がかかるので、もう少々お待ちください。そろそろ足の筋肉を鍛えましょう。しっかり大地を踏み締めて殴れるように」
「はい~……」
どうやら、ジョヴァンナはダイエットの前に、セネラ子爵を殴るという目的を果たそうとトレーニングをしているようです。穏やかで虫も殺せない彼女に、セネラ子爵は一体全体何をしたというのか。
すると、その本人が会話に加わってきました。
「ひどいとは心外だな。ちょっと毒を盛っただけなのに」
「まさか、ジョヴァンナに?」
「私とシェフが阻止しました。そのあと、領内でベレンガリオ様の悪評を流そうとなさっておいででしたので、領兵たちに捕まえさせました」
「逃げようとしたんだがねぇ、ワイン畑でタコ殴りにされたよ」
「???」
ベレンガリオはわけが分かりません。
状況を整理しましょう。
まず、セネラ子爵が『魔女集会』という組織を通じてベレンガリオへ呪いをかけ、それをジョヴァンナが身代わりとして受けたため太ってしまいました。つまり、そこで簀巻きにされているセネラ子爵は、今回の騒動の元凶です。
その元凶が自らグレーゼ侯爵領にやってきて、何をしたのかと思えば、ジョヴァンナへ毒を盛ろうとして失敗し、さらにやらかそうとしたところを領兵たちに捕縛されたのです。
セネラ子爵の目的は、ベレンガリオへの嫌がらせでしょうか。
いえ、そうではありません。ベレンガリオは腑に落ちない部分を解き明かすためにも、この厄介な叔父と話をしなくてはなりませんでした。
ひとまず、毒に関しては無事だったジョヴァンナが、一生懸命説明します。
「ご安心ください、ベレンガリオ様。私、毒キノコの研究をしていた先祖のおかげでそういう毒は効かないので問題はありません!」
「そういう問題じゃない! 無事でよかった、本当に」
「はい! ……あの、ベレンガリオ様?」
近づいてきたジョヴァンナを、ベレンガリオは抱きしめました。
ちょっと、いや、だいぶ肉厚になりましたが、何も変わりません。触れた柔らかさも、髪の匂いも、潤った頬も、何一つ変わらないジョヴァンナがいることを、確認したかったのです。
困惑と恥じらいで無言になったジョヴァンナでしたが、満更でもありません。
そのまま、ベレンガリオはセネラ子爵へ問いかけます。
「叔父上、なぜ? 私に呪いをかけ、あまつさえジョヴァンナの命まで狙うとは、それほどまでに侯爵の爵位を欲してのことですか」
「いやあ、目的は別のところにある、というところかな」
「はい?」
「ほら、私は警察長官のもとで長年実務を任されていてね。王政打破を目指す、王都の反政府組織『魔女集会』の捜査をしていたんだが、意外にも彼女らと仲良くなれて、誰かに呪いをかけたいかと聞かれたから、断れなくてお前を指名した」
「はい!?」
ベレンガリオはめまいがしそうになりました。この自由すぎる叔父は、本当に長年警察長官の下で働いているのです。先代グレーゼ侯爵の弟である彼は、グレーゼ侯爵家の持つ爵位の一つ、セネラ子爵をもらって独立し、それ以来王都の治安維持を裏方として支えてきていました。
もちろん、仕事の詳細を明かされたことはごくわずかで、ベレンガリオがその世話になったことはほとんどありません。なので、正直に言えばベレンガリオは叔父の思惑や本性を察することはできかねる程度にしか理解していません。
それでも、ベレンガリオへ呪いをかけさせた理由は、妙に合理的でした。
「そもそも、呪いのほぼない今の時代、呪いの実在をどう実証するかは最大の課題だった。それで、お前の妻、ダーナテスカ出身の、魔法使いの裔であるジョヴァンナなら何とかできるだろう、と思ってそうさせたまでのことだよ」
「そのまま足を伸ばして~……はい、頭のほうへぐいっと曲げて、ゆっくり下ろしてください」
「ぬううう~……みぎゃ!」
ベンチに仰向けになって、繰り返し揃えた足を精一杯上へと上げては悲鳴を上げるジョヴァンナ。
その横でトレーナー役のメイドたちが応援しています。
老執事長ドナートとシェフはガーデンテーブルをいくつか出して、ここにいる使用人全員分の昼食を用意していました。
見渡せば、いつの間にか庭の小道はジョヴァンナのために走りやすいよう石畳を外して芝生を植えられ、庭全体に樹木を増やして木陰が作られていました。一部は屋根を拵え、絨毯が敷かれた休憩所もあります。
グレーゼ侯爵邸の庭は、すっかりジョヴァンナ専用トレーニング場となっていました。おそらく、老執事長ドナートの計らいでしょう。
薄いクッションを敷いたベンチで、足上げ腹筋というとても貴族の淑女がやる種目ではないトレーニングに励むジョヴァンナは、ゼエゼエと息切れしながらお腹を押さえていました。
「これきついです、腹筋が激痛です」
「我慢してください。死にはしません」
「うぅ……」
諦めそうになるジョヴァンナへ、メイドから厳しい指導が飛びます。励まされてまたプルプル痙攣する足を上げ、苦しそうに足を下ろす、その繰り返しです。
見慣れたはずの実家の庭がとんでもない光景です。しかし、よく見れば花壇の片隅に見覚えのある人物が倒れていました。
正確には、縄でぐるぐる巻きにされ、芋虫のようになった叔父、セネラ子爵の姿を目の当たりにしたベレンガリオは、開いた口が塞がりません。いえ、どのみち捕縛しようと思っていましたから、ちょうどよかったのですが。
ふん縛られたセネラ子爵は、ベレンガリオと目が合うとにこやかに——『呪い』の元凶であるにもかかわらず——挨拶をしました。
「やあ、ベレンガリオ」
「叔父う、え……?」
「ゆえあってみっともない姿で失礼するよ」
「みっともないというか、簀巻きというか」
どう考えてもセネラ子爵はグレーゼ侯爵家の人々の手で捕縛されていますが、ベレンガリオには経緯がさっぱり分かりません。
そこへ、老執事長ドナートが主人の出迎えにやってきました。
「お帰りなさいませ、坊っちゃま」
「え? ベレンガリオ様!?」
ジョヴァンナもベレンガリオの帰宅に気付き、慌てて起き上がっていました。
ベレンガリオが何かを口にする前に、老執事長ドナートとジョヴァンナが話しはじめます。特に、ジョヴァンナはひどく憤慨していました。
「今からそこのセネラ子爵をサンドバッグに、奥様のダイエットの一環としてボクササイズをやろうとしていたところです、はい」
「は? ……は?」
「ひどいことをしたので、私がその罰を命じました!」
ジョヴァンナはプンスカと可愛らしく怒っています。相当おかんむりのようですが、ここまで怒ったジョヴァンナを見るのは、ベレンガリオも初めてです。
「とりあえずボクササイズまでに時間がかかるので、もう少々お待ちください。そろそろ足の筋肉を鍛えましょう。しっかり大地を踏み締めて殴れるように」
「はい~……」
どうやら、ジョヴァンナはダイエットの前に、セネラ子爵を殴るという目的を果たそうとトレーニングをしているようです。穏やかで虫も殺せない彼女に、セネラ子爵は一体全体何をしたというのか。
すると、その本人が会話に加わってきました。
「ひどいとは心外だな。ちょっと毒を盛っただけなのに」
「まさか、ジョヴァンナに?」
「私とシェフが阻止しました。そのあと、領内でベレンガリオ様の悪評を流そうとなさっておいででしたので、領兵たちに捕まえさせました」
「逃げようとしたんだがねぇ、ワイン畑でタコ殴りにされたよ」
「???」
ベレンガリオはわけが分かりません。
状況を整理しましょう。
まず、セネラ子爵が『魔女集会』という組織を通じてベレンガリオへ呪いをかけ、それをジョヴァンナが身代わりとして受けたため太ってしまいました。つまり、そこで簀巻きにされているセネラ子爵は、今回の騒動の元凶です。
その元凶が自らグレーゼ侯爵領にやってきて、何をしたのかと思えば、ジョヴァンナへ毒を盛ろうとして失敗し、さらにやらかそうとしたところを領兵たちに捕縛されたのです。
セネラ子爵の目的は、ベレンガリオへの嫌がらせでしょうか。
いえ、そうではありません。ベレンガリオは腑に落ちない部分を解き明かすためにも、この厄介な叔父と話をしなくてはなりませんでした。
ひとまず、毒に関しては無事だったジョヴァンナが、一生懸命説明します。
「ご安心ください、ベレンガリオ様。私、毒キノコの研究をしていた先祖のおかげでそういう毒は効かないので問題はありません!」
「そういう問題じゃない! 無事でよかった、本当に」
「はい! ……あの、ベレンガリオ様?」
近づいてきたジョヴァンナを、ベレンガリオは抱きしめました。
ちょっと、いや、だいぶ肉厚になりましたが、何も変わりません。触れた柔らかさも、髪の匂いも、潤った頬も、何一つ変わらないジョヴァンナがいることを、確認したかったのです。
困惑と恥じらいで無言になったジョヴァンナでしたが、満更でもありません。
そのまま、ベレンガリオはセネラ子爵へ問いかけます。
「叔父上、なぜ? 私に呪いをかけ、あまつさえジョヴァンナの命まで狙うとは、それほどまでに侯爵の爵位を欲してのことですか」
「いやあ、目的は別のところにある、というところかな」
「はい?」
「ほら、私は警察長官のもとで長年実務を任されていてね。王政打破を目指す、王都の反政府組織『魔女集会』の捜査をしていたんだが、意外にも彼女らと仲良くなれて、誰かに呪いをかけたいかと聞かれたから、断れなくてお前を指名した」
「はい!?」
ベレンガリオはめまいがしそうになりました。この自由すぎる叔父は、本当に長年警察長官の下で働いているのです。先代グレーゼ侯爵の弟である彼は、グレーゼ侯爵家の持つ爵位の一つ、セネラ子爵をもらって独立し、それ以来王都の治安維持を裏方として支えてきていました。
もちろん、仕事の詳細を明かされたことはごくわずかで、ベレンガリオがその世話になったことはほとんどありません。なので、正直に言えばベレンガリオは叔父の思惑や本性を察することはできかねる程度にしか理解していません。
それでも、ベレンガリオへ呪いをかけさせた理由は、妙に合理的でした。
「そもそも、呪いのほぼない今の時代、呪いの実在をどう実証するかは最大の課題だった。それで、お前の妻、ダーナテスカ出身の、魔法使いの裔であるジョヴァンナなら何とかできるだろう、と思ってそうさせたまでのことだよ」
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