上 下
6 / 24

第六話

しおりを挟む
 翌日午前、グレーゼ侯爵邸本館前にある広い庭を、ジョヴァンナは駆け足で走り回っていました。花壇に植えられていた秋の草花はすでに咲き終わり、じきにサフランやシクラメンといった冬の花が控えめに咲くことでしょう。

 太りはじめたことを自覚してから、ジョヴァンナも痩せるための努力をしなかったわけではありません。あまり外出はできないため、心持ち多めに庭内の散歩はしていたのですが——脂肪の増加速度はとんでもなく、あれよあれよという間にジョヴァンナの体重はかつての二倍になったのです。その結果、有酸素運動に熱心に取り組むべきだとの領内にいる教導騎士からの助言どおり、特注の大きなシャツと大きなズボン、それにしっかりとした布靴を着用して、走り込みに勤しむことになりました。

 もちろん、運動など優雅と気品を尊ぶ侯爵夫人として褒められた行動ではないので、庭の広大な花壇と植木の外周をぐるぐると回るだけです。それに、走るといっても常人の早歩き程度の速さでしかなく、一周目後半で早くも息が上がっています。

「ほあああ~」

 嘆きとも悲鳴とも似つかぬ声を漏らしながら、ジョヴァンナは息苦しさに耐えて二周目に突入します。太った体はただただ重たく、子どものころあちこちを駆け回った記憶よりもずっと手足は上がらなくなっており、振動で身体中の脂肪が揺れる感触は気持ち悪くてたまりません。

 ジョヴァンナを見守っていた若いメイドの一人は、いつの間にかジョヴァンナと並走しながら応援していました。

「奥様、頑張って! もう少しですよ!」
「うぅーん」

 ジョヴァンナは軽やかに付いてくる若いメイドを羨ましく思いながら、三周目に入ろうとしたところで、ついにレンガ道へへたり込みました。息も絶え絶えに今の気持ちを吐き出します。

「だめ、無理、運動、苦手」

 他の若いメイドたちがジョヴァンナへ駆け寄り、ジョヴァンナへ各々休憩アイテムを差し出しました。

「はい奥様、冷やしたタオルです! お飲み物はこちらのお茶です!」
「熱っ、苦っ!」
「シェフが昔飲んでいた痩身効果があるお茶です!」
「お腹が、空い、た」
「はい、大豆と鳥ささみで作った特製タルトです。これを食べたら筋力トレーニングですよ」
「うわああん、美味しいー!」

 弱音とは別腹とばかりに、お茶と特製タルトはジョヴァンナのお腹に吸い込まれていきます。火照った体は首元の冷たいタオルで回復していき、息が整ってきたころには泣きそうな顔でよろよろと立ち上がりました。

 それでも、やはり本音は漏れます。

凍菓ジェラートココアプリンボネット食べたいよぅ」
「今作るとなると、もれなくシェフに砂糖抜きのダイエット仕様にされますよ!」
「いやー、甘くないー」
「そういえば、シェフから聞いたんですが、いい豚肉が入ったそうでお夕食は豚薄切り肉の卵衣付きソテーポークピカタですよ」

 ぴくり、とジョヴァンナの耳が好物の名前を捉え、少しだけ笑みが浮かびました。

 ポークピカタ。本来はたっぷりのバターを使うものの、脂っこすぎるのであえてオリーブオイルで焼き揚げた卵の薄衣に、しっかり叩いて伸ばした柔らかく薄い豚肉、隠し味にちょっとだけこってりなチーズ、ソースよりも岩塩と数種類のスパイスをミックスした塩胡椒を振って食べるのがジョヴァンナ流です。

 グレーゼ侯爵家の筆頭料理人であるシェフは、南のダーナテスカから来たジョヴァンナの好みに合わせた料理を苦もなく作ってくれるので、見知らぬ土地に嫁いだジョヴァンナは郷愁に負けることなく随分と助けられました。美味しいものは、人を救うのです。

 ジョヴァンナは、涙を拭いて、ぐっと力強く頷きました。

「頑張る。もっと走らなきゃ」
「その調子です! 私たちもおやつを抜いてますから、一緒ですよ!」

 若いメイドたちの声援を背に、痩せたい気持ちと休みたい気持ちのせめぎ合いを制したジョヴァンナは、ゆっくりと走り出します。

 その姿にかつての貴族令嬢らしさは微塵もなく、貴族の目に見つかればみっともないと後ろ指を差されるであろう有様ですが——ジョヴァンナはそれらを飲み下した上で、前に進みました。

 ただただ、愛するベレンガリオにもう一度振り向いてもらうために。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

三度の飯より犬好きな悪役令嬢は辺境で犬とスローライフがしたい

平山和人
恋愛
名門貴族であるコーネリア家の一人娘、クロエは容姿端麗、文武両道な才女として名を馳せている。 そんな彼女の秘密は大の犬好き。しかし、コーネリア家の令嬢として相応しい人物になるべく、その事は周囲には秘密にしている。 そんなある日、クロエに第一王子ラインハルトとの婚約話が持ち上がる。王子と婚約してしまったら犬と遊ぶ時間が無くなってしまう。 そう危惧したクロエはなんとしても婚約を破棄し、今まで通り犬を飼える立場になろうと企む。

クラヴィスの華〜BADエンドが確定している乙女ゲー世界のモブに転生した私が攻略対象から溺愛されているワケ〜

アルト
恋愛
たった一つのトゥルーエンドを除き、どの攻略ルートであってもBADエンドが確定している乙女ゲーム「クラヴィスの華」。 そのゲームの本編にて、攻略対象である王子殿下の婚約者であった公爵令嬢に主人公は転生をしてしまう。 とは言っても、王子殿下の婚約者とはいえ、「クラヴィスの華」では冒頭付近に婚約を破棄され、グラフィックは勿論、声すら割り当てられておらず、名前だけ登場するというモブの中のモブとも言えるご令嬢。 主人公は、己の不幸フラグを叩き折りつつ、BADエンドしかない未来を変えるべく頑張っていたのだが、何故か次第に雲行きが怪しくなって行き────? 「────婚約破棄? 何故俺がお前との婚約を破棄しなきゃいけないんだ? ああ、そうだ。この肩書きも煩わしいな。いっそもう式をあげてしまおうか。ああ、心配はいらない。必要な事は俺が全て────」 「…………(わ、私はどこで間違っちゃったんだろうか)」 これは、どうにかして己の悲惨な末路を変えたい主人公による生存戦略転生記である。

時間が戻った令嬢は新しい婚約者が出来ました。

屋月 トム伽
恋愛
ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。(リディアとオズワルド以外はなかった事になっているのでifとしてます。) 私は、リディア・ウォード侯爵令嬢19歳だ。 婚約者のレオンハルト・グラディオ様はこの国の第2王子だ。 レオン様の誕生日パーティーで、私はエスコートなしで行くと、婚約者のレオン様はアリシア男爵令嬢と仲睦まじい姿を見せつけられた。 一人壁の花になっていると、レオン様の兄のアレク様のご友人オズワルド様と知り合う。 話が弾み、つい地がでそうになるが…。 そして、パーティーの控室で私は襲われ、倒れてしまった。 朦朧とする意識の中、最後に見えたのはオズワルド様が私の名前を叫びながら控室に飛び込んでくる姿だった…。 そして、目が覚めると、オズワルド様と半年前に時間が戻っていた。 レオン様との婚約を避ける為に、オズワルド様と婚約することになり、二人の日常が始まる。 ifとして、時間が戻る前の半年間を時々入れます。 第14回恋愛小説大賞にて奨励賞受賞

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

姉に代わって立派に息子を育てます! 前日譚

mio
恋愛
ウェルカ・ティー・バーセリクは侯爵家の二女であるが、母亡き後に侯爵家に嫁いできた義母、転がり込んできた義妹に姉と共に邪魔者扱いされていた。 王家へと嫁ぐ姉について王都に移住したウェルカは侯爵家から離れて、実母の実家へと身を寄せることになった。姉が嫁ぐ中、学園に通いながらウェルカは自分の才能を伸ばしていく。 数年後、多少の問題を抱えつつ姉は懐妊。しかし、出産と同時にその命は尽きてしまう。そして残された息子をウェルカは姉に代わって育てる決意をした。そのためにはなんとしても王宮での地位を確立しなければ! 自分でも考えていたよりだいぶ話数が伸びてしまったため、こちらを姉が子を産むまでの前日譚として本編は別に作っていきたいと思います。申し訳ございません。

ダメンズな彼から離れようとしたら、なんか執着されたお話

下菊みこと
恋愛
ソフトヤンデレに捕まるお話。 あるいはダメンズが努力の末スパダリになるお話。 小説家になろう様でも投稿しています。 御都合主義のハッピーエンドのSSです。

婚約破棄された検品令嬢ですが、冷酷辺境伯の子を身籠りました。 でも本当はお優しい方で毎日幸せです

青空あかな
恋愛
旧題:「荷物検査など誰でもできる」と婚約破棄された検品令嬢ですが、極悪非道な辺境伯の子を身籠りました。でも本当はお優しい方で毎日心が癒されています チェック男爵家長女のキュリティは、貴重な闇魔法の解呪師として王宮で荷物検査の仕事をしていた。 しかし、ある日突然婚約破棄されてしまう。 婚約者である伯爵家嫡男から、キュリティの義妹が好きになったと言われたのだ。 さらには、婚約者の権力によって検査係の仕事まで義妹に奪われる。 失意の中、キュリティは辺境へ向かうと、極悪非道と噂される辺境伯が魔法実験を行っていた。 目立たず通り過ぎようとしたが、魔法事故が起きて辺境伯の子を身ごもってしまう。 二人は形式上の夫婦となるが、辺境伯は存外優しい人でキュリティは温かい日々に心を癒されていく。 一方、義妹は仕事でミスばかり。 闇魔法を解呪することはおろか見破ることさえできない。 挙句の果てには、闇魔法に呪われた荷物を王宮内に入れてしまう――。 ※おかげさまでHOTランキング1位になりました! ありがとうございます! ※ノベマ!様で短編版を掲載中でございます。

もう長くは生きられないので好きに行動したら、大好きな公爵令息に溺愛されました

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユリアは、8歳の時に両親を亡くして以降、叔父に引き取られたものの、厄介者として虐げられて生きてきた。さらにこの世界では命を削る魔法と言われている、治癒魔法も長年強要され続けてきた。 そのせいで体はボロボロ、髪も真っ白になり、老婆の様な見た目になってしまったユリア。家の外にも出してもらえず、メイド以下の生活を強いられてきた。まさに、この世の地獄を味わっているユリアだが、“どんな時でも笑顔を忘れないで”という亡き母の言葉を胸に、どんなに辛くても笑顔を絶やすことはない。 そんな辛い生活の中、15歳になったユリアは貴族学院に入学する日を心待ちにしていた。なぜなら、昔自分を助けてくれた公爵令息、ブラックに会えるからだ。 「どうせもう私は長くは生きられない。それなら、ブラック様との思い出を作りたい」 そんな思いで、意気揚々と貴族学院の入学式に向かったユリア。そこで久しぶりに、ブラックとの再会を果たした。相変わらず自分に優しくしてくれるブラックに、ユリアはどんどん惹かれていく。 かつての友人達とも再開し、楽しい学院生活をスタートさせたかのように見えたのだが… ※虐げられてきたユリアが、幸せを掴むまでのお話しです。 ザ・王道シンデレラストーリーが書きたくて書いてみました。 よろしくお願いしますm(__)m

処理中です...