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第五話
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太りたくて太ったわけではないし、食べたくてたまらなくなるのも呪いのせいなのに——その言葉は、いくら傷つけられてもジョヴァンナの口から出ていくことはありません。心のどこかで、ベレンガリオの言うとおり、呪いだけでなく自らの心の弱さから食べすぎて太ってしまったのかもしれない、という可能性がどうしても捨てきれないのです。
それらを夫ベレンガリオに分かってほしいと思うのはわがままではなかろうか。口をつぐんだままのジョヴァンナに代わり、老執事長ドナートがついにベレンガリオを諌めました。
「坊っちゃま、女性にそのような物言いは厳に慎むべきかと。あなたはすでにグレーゼ侯爵家当主とおなりなのですから」
「なら、その坊っちゃまというのもやめろ」
「坊っちゃまはいつまでも坊っちゃまですとも。立派な紳士が、他人の目の前で淑女を泣かせますか?」
ベレンガリオも、少々気難しいだけで、頑迷な馬鹿というわけではありません。
それに、俯いて心持ち縮こまる妻ジョヴァンナを見て、思うところがないわけでもないのです。
致し方なし、とばかりに、ベレンガリオは大袈裟なため息を吐いて、やっとジョヴァンナへ向き直りました。ようやく、ジョヴァンナと対話する気持ちになったのでしょう。
「ふん。ジョヴァンナ、呪いというのは本当か?」
ジョヴァンナは再び傷つけられることを恐れて顔を上げられず、そのまま答えます。
「はい。ベレンガリオ様が出征なさったころから、何となく察しておりました。それで文献を探し、母に確認を取って」
「私にかけられた呪いを、お前が肩代わりしたということか」
「……はい。出過ぎた真似をいたしました」
とうの昔に、呪いは古い時代の名残に過ぎず、悪魔も妖精もこの世にはいない、という常識がこの世界には蔓延っています。さすがに信仰する神は実在するのだと表向きは言うものの、みな頭のどこかでは実在しないとは分かっています。少なくとも、人間にとって都合のいい幻想の存在がいた時代はとっくに終わりを迎えました。
とはいえ、常識が必ずしも正しいわけではなく、大勢が信じるからといって事実に則しているとも言えません。
本来の対象であるベレンガリオからジョヴァンナの身へと振りかかった呪いは、可憐で華奢な乙女を、半年の間に夫よりも体重を重くすることに成功しているのです。
その根拠をジョヴァンナは語れなくはないのですが、ベレンガリオが聞きたいことではないと承知しているため、黙るしかないのです。すでに老執事長ドナートや使用人たちには話を通しており、ジョヴァンナの言い分を信じてもらえたことだけが救いです。
俯いた目頭にじわりと水分が溜まります。これは汗、そうに違いないとジョヴァンナは懸命に我慢します。泣いた姿を見られて喜ぶのは子どもだけなのです。
少しして、ベレンガリオは自分の中でどうにか整理がついたらしく、神妙そうにこう言いました。
「いいか、私は呪いなどという非科学的なものを信じていない。お前が勝手に思い込んで、勝手に太っただけだ。もちろん——それは、私がお前に心配をかけたせいだろう。それに関しては……すまなかった。先ほど、出ていけ、といったのは撤回する」
呪いを認めないあたりまだわだかまりはあるものの、ベレンガリオから謝るというのは大変な事態です。進歩と言っていいかもしれません。
これにはジョヴァンナも、愛するベレンガリオと仲直りできる未来に希望が持てました。鼻息荒く、ジョヴァンナからも歩み寄ります。
「では、もうしばらくお待ちください。どうか、痩せてみせますので!」
しかし、ベレンガリオはうん、と気のない返事をしただけです。言外に「その肉の塊が何とかなるとは思えない」という意味を含んでいそうですが、ジョヴァンナはそんな邪推を自分の頭から追い出します。
さらには、あまりにもまっすぐなジョヴァンナに居た堪れなくなったのか、ベレンガリオは老執事長ドナートへ助けを求めました。
「ドナート、何とかしてやれ」
「無論です。しかし、やはり坊っちゃま」
「何だ」
「坊っちゃまの帰りを今か今かと待ち侘びた新婚の妻の気持ちを、もう少し汲んで差し上げればいかがですかな」
付き合いの長い老執事長ドナートの進言に、ベレンガリオは悩む素振りを見せつつも、やっとジョヴァンナを正面から見据えました。
「ジョヴァンナ」
「は、はい」
何を言われるのだろう、不安と期待で高鳴る胸を抑えて、ジョヴァンナはじっと待ちます。
二人が向かい合ってのしばしの沈黙ののち、ベレンガリオはつらそうに顔を背けました。
「いや……うん、無理だ。痩せろ、できるだけ早く」
どうやら、ベレンガリオは太ったジョヴァンナを見ていることすら苦痛であるようです。
ベレンガリオに拒絶されたショックのあまり、ジョヴァンナは無意識のうちにカルパッチョの大皿を食べ尽くしてしまいました。一体全体、どうしましょう。
それらを夫ベレンガリオに分かってほしいと思うのはわがままではなかろうか。口をつぐんだままのジョヴァンナに代わり、老執事長ドナートがついにベレンガリオを諌めました。
「坊っちゃま、女性にそのような物言いは厳に慎むべきかと。あなたはすでにグレーゼ侯爵家当主とおなりなのですから」
「なら、その坊っちゃまというのもやめろ」
「坊っちゃまはいつまでも坊っちゃまですとも。立派な紳士が、他人の目の前で淑女を泣かせますか?」
ベレンガリオも、少々気難しいだけで、頑迷な馬鹿というわけではありません。
それに、俯いて心持ち縮こまる妻ジョヴァンナを見て、思うところがないわけでもないのです。
致し方なし、とばかりに、ベレンガリオは大袈裟なため息を吐いて、やっとジョヴァンナへ向き直りました。ようやく、ジョヴァンナと対話する気持ちになったのでしょう。
「ふん。ジョヴァンナ、呪いというのは本当か?」
ジョヴァンナは再び傷つけられることを恐れて顔を上げられず、そのまま答えます。
「はい。ベレンガリオ様が出征なさったころから、何となく察しておりました。それで文献を探し、母に確認を取って」
「私にかけられた呪いを、お前が肩代わりしたということか」
「……はい。出過ぎた真似をいたしました」
とうの昔に、呪いは古い時代の名残に過ぎず、悪魔も妖精もこの世にはいない、という常識がこの世界には蔓延っています。さすがに信仰する神は実在するのだと表向きは言うものの、みな頭のどこかでは実在しないとは分かっています。少なくとも、人間にとって都合のいい幻想の存在がいた時代はとっくに終わりを迎えました。
とはいえ、常識が必ずしも正しいわけではなく、大勢が信じるからといって事実に則しているとも言えません。
本来の対象であるベレンガリオからジョヴァンナの身へと振りかかった呪いは、可憐で華奢な乙女を、半年の間に夫よりも体重を重くすることに成功しているのです。
その根拠をジョヴァンナは語れなくはないのですが、ベレンガリオが聞きたいことではないと承知しているため、黙るしかないのです。すでに老執事長ドナートや使用人たちには話を通しており、ジョヴァンナの言い分を信じてもらえたことだけが救いです。
俯いた目頭にじわりと水分が溜まります。これは汗、そうに違いないとジョヴァンナは懸命に我慢します。泣いた姿を見られて喜ぶのは子どもだけなのです。
少しして、ベレンガリオは自分の中でどうにか整理がついたらしく、神妙そうにこう言いました。
「いいか、私は呪いなどという非科学的なものを信じていない。お前が勝手に思い込んで、勝手に太っただけだ。もちろん——それは、私がお前に心配をかけたせいだろう。それに関しては……すまなかった。先ほど、出ていけ、といったのは撤回する」
呪いを認めないあたりまだわだかまりはあるものの、ベレンガリオから謝るというのは大変な事態です。進歩と言っていいかもしれません。
これにはジョヴァンナも、愛するベレンガリオと仲直りできる未来に希望が持てました。鼻息荒く、ジョヴァンナからも歩み寄ります。
「では、もうしばらくお待ちください。どうか、痩せてみせますので!」
しかし、ベレンガリオはうん、と気のない返事をしただけです。言外に「その肉の塊が何とかなるとは思えない」という意味を含んでいそうですが、ジョヴァンナはそんな邪推を自分の頭から追い出します。
さらには、あまりにもまっすぐなジョヴァンナに居た堪れなくなったのか、ベレンガリオは老執事長ドナートへ助けを求めました。
「ドナート、何とかしてやれ」
「無論です。しかし、やはり坊っちゃま」
「何だ」
「坊っちゃまの帰りを今か今かと待ち侘びた新婚の妻の気持ちを、もう少し汲んで差し上げればいかがですかな」
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「ジョヴァンナ」
「は、はい」
何を言われるのだろう、不安と期待で高鳴る胸を抑えて、ジョヴァンナはじっと待ちます。
二人が向かい合ってのしばしの沈黙ののち、ベレンガリオはつらそうに顔を背けました。
「いや……うん、無理だ。痩せろ、できるだけ早く」
どうやら、ベレンガリオは太ったジョヴァンナを見ていることすら苦痛であるようです。
ベレンガリオに拒絶されたショックのあまり、ジョヴァンナは無意識のうちにカルパッチョの大皿を食べ尽くしてしまいました。一体全体、どうしましょう。
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