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第一話
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「やあああ!」
誰もいない薄暗い王城の廊下で、あたしは掛け声とともに黒塗りのナイフを振りかざす。
ターゲットは目の前にいるエリアス王子。長身で眉目秀麗、廊下の弱々しい蝋燭だって黒いツヤのある髪を照らす、美しい王子だ。この国の次期国王、それゆえに殺される理由なんていくらでもある。金、地位、権力、様々な陰謀渦巻く王城で、身の守りをおろそかにしているから悪いのだ。
なのに——。
「レモニア、嬉しいよ」
思いもよらない言葉に、あたしはエリアス王子の顔を見上げた。
すでにナイフはエリアス王子の胸元を貫かんとしている。なのに、「嬉しいよ」? 困惑しても、手元は狂わない、あたしはしっかりとナイフへ力を込めていた。
ところが、不意にナイフを握る右手が止まる。気付けば、手首がエリアス王子の大きな手にがっしりと掴まれて、ぐいっと引き寄せられる。十五の小娘と成年間近の男性では、力比べなどできようもない。
あたしはしくじったと焦ると同時に、違和感が生まれた。ぼすん、とエリアス王子の胸に飛び込む形で、抱き寄せられたのだ。
エリアス王子の陽気な声が、頭の上から降ってくる。
「んー! この私を殺したいほど愛してくれているなんて、幸せだなぁ!」
「は!?」
「よし決めた! 結婚しよう、レモニア!」
ぎゅっと強く抱きしめられ、あたしは「ぐえっ」とカエルのような声を上げてしまった。
その間にもエリアス王子は私のナイフを持った手をするりと開いて、指を絡める。黒塗りのナイフは光も届かない床に落ち、甲高い音が二、三回すればすぐに見えなくなった。
まるで社交ダンスを踊っているかのように、あたしはエリアス王子とくっついて、さらには振り回された。
「ちょっ、待っ、下ろして」
「ははははは! どうだいレモニア、返事が欲しいんだが?」
「返事って、本気なの!?」
「ああ! 私と結婚して、王妃になってくれ!」
愉快そうに、場違いなプロポーズの言葉を吐くエリアス王子。
しかし、あたしの耳元でこうもささやく。
「そうすれば、また暗殺する機会もあるかもしれないよ?」
あたしはぐっと、口から出そうになっていた悪態の言葉を呑み込んだ。
そう、たった今、あたしはエリアス王子の暗殺に失敗した。ターゲットを殺せなかった暗殺者は、もはや逃げる道も生きる道はない。このまま警備に突き出されて、拷問されて依頼主の名を吐かされる運命だ。
なのに、エリアス王子はそれをせず、またチャンスを与えようとばかりに——この場を『偽装』しようとしている。
(暗殺されかけたのに、何でそんなことを? いや、あたしに選択肢はない。暗殺を続けるしかない、逃げる隙を窺うためにも話に乗らないと)
何にせよ、あたしは暗殺を続けるにも、生きるためにもこの場をやり過ごさなくてはならない。しょうがなく、あたしはエリアス王子の申し出を受け入れるしかなかった。
「い、いいわ。結婚、なんてどうせお遊びだろうけど」
あたしは強がってみせたのだが、エリアス王子はお構いなしだった。
「お遊び? いいや違うね! 私は君を愛している、君だって私を愛しているだろう?」
「は?」
「照れ隠しかい? 気にすることはない! 私は正直、君になら殺されてもいいと思っているんだ」
エリアス王子はにっこりと、どんな女でも瞬殺されそうな笑みを浮かべ、あたしを見つめる。
幸運の星の下に生まれた王子、星空を瞳に宿す王子、そんなふうに称賛される美貌のエリアス王子に顔を近づけられると、とても心臓に悪い。その発言がどれほど意味不明であっても、美の女神に愛されたその容姿で何でも押し切ってしまえそうだ。
「でも、まだ死ぬわけにはいかない。もう少しだけ待ってほしいし、このまま君を帰してしまえば二度と会えなくなるだろう。だから、結婚してくれ、レモニア」
相変わらず何を言っているのか理解に苦しむことばかりだけど、あたしに選択肢はなく、エリアス王子の望むとおり結婚を受け入れるしかない。少なくとも、今は。
ちょっとうんざりしているあたしへ、エリアス王子は素っ頓狂なことを言う。
「あ、もし私が死んでも君を愛しているから心配しないでいいよ?」
「……あ、そう」
——この王子、見た目と違ってかなり変だ。
こうして、暗殺者のあたしは、暗殺対象のエリアス王子と結婚することになった。
誰もいない薄暗い王城の廊下で、あたしは掛け声とともに黒塗りのナイフを振りかざす。
ターゲットは目の前にいるエリアス王子。長身で眉目秀麗、廊下の弱々しい蝋燭だって黒いツヤのある髪を照らす、美しい王子だ。この国の次期国王、それゆえに殺される理由なんていくらでもある。金、地位、権力、様々な陰謀渦巻く王城で、身の守りをおろそかにしているから悪いのだ。
なのに——。
「レモニア、嬉しいよ」
思いもよらない言葉に、あたしはエリアス王子の顔を見上げた。
すでにナイフはエリアス王子の胸元を貫かんとしている。なのに、「嬉しいよ」? 困惑しても、手元は狂わない、あたしはしっかりとナイフへ力を込めていた。
ところが、不意にナイフを握る右手が止まる。気付けば、手首がエリアス王子の大きな手にがっしりと掴まれて、ぐいっと引き寄せられる。十五の小娘と成年間近の男性では、力比べなどできようもない。
あたしはしくじったと焦ると同時に、違和感が生まれた。ぼすん、とエリアス王子の胸に飛び込む形で、抱き寄せられたのだ。
エリアス王子の陽気な声が、頭の上から降ってくる。
「んー! この私を殺したいほど愛してくれているなんて、幸せだなぁ!」
「は!?」
「よし決めた! 結婚しよう、レモニア!」
ぎゅっと強く抱きしめられ、あたしは「ぐえっ」とカエルのような声を上げてしまった。
その間にもエリアス王子は私のナイフを持った手をするりと開いて、指を絡める。黒塗りのナイフは光も届かない床に落ち、甲高い音が二、三回すればすぐに見えなくなった。
まるで社交ダンスを踊っているかのように、あたしはエリアス王子とくっついて、さらには振り回された。
「ちょっ、待っ、下ろして」
「ははははは! どうだいレモニア、返事が欲しいんだが?」
「返事って、本気なの!?」
「ああ! 私と結婚して、王妃になってくれ!」
愉快そうに、場違いなプロポーズの言葉を吐くエリアス王子。
しかし、あたしの耳元でこうもささやく。
「そうすれば、また暗殺する機会もあるかもしれないよ?」
あたしはぐっと、口から出そうになっていた悪態の言葉を呑み込んだ。
そう、たった今、あたしはエリアス王子の暗殺に失敗した。ターゲットを殺せなかった暗殺者は、もはや逃げる道も生きる道はない。このまま警備に突き出されて、拷問されて依頼主の名を吐かされる運命だ。
なのに、エリアス王子はそれをせず、またチャンスを与えようとばかりに——この場を『偽装』しようとしている。
(暗殺されかけたのに、何でそんなことを? いや、あたしに選択肢はない。暗殺を続けるしかない、逃げる隙を窺うためにも話に乗らないと)
何にせよ、あたしは暗殺を続けるにも、生きるためにもこの場をやり過ごさなくてはならない。しょうがなく、あたしはエリアス王子の申し出を受け入れるしかなかった。
「い、いいわ。結婚、なんてどうせお遊びだろうけど」
あたしは強がってみせたのだが、エリアス王子はお構いなしだった。
「お遊び? いいや違うね! 私は君を愛している、君だって私を愛しているだろう?」
「は?」
「照れ隠しかい? 気にすることはない! 私は正直、君になら殺されてもいいと思っているんだ」
エリアス王子はにっこりと、どんな女でも瞬殺されそうな笑みを浮かべ、あたしを見つめる。
幸運の星の下に生まれた王子、星空を瞳に宿す王子、そんなふうに称賛される美貌のエリアス王子に顔を近づけられると、とても心臓に悪い。その発言がどれほど意味不明であっても、美の女神に愛されたその容姿で何でも押し切ってしまえそうだ。
「でも、まだ死ぬわけにはいかない。もう少しだけ待ってほしいし、このまま君を帰してしまえば二度と会えなくなるだろう。だから、結婚してくれ、レモニア」
相変わらず何を言っているのか理解に苦しむことばかりだけど、あたしに選択肢はなく、エリアス王子の望むとおり結婚を受け入れるしかない。少なくとも、今は。
ちょっとうんざりしているあたしへ、エリアス王子は素っ頓狂なことを言う。
「あ、もし私が死んでも君を愛しているから心配しないでいいよ?」
「……あ、そう」
——この王子、見た目と違ってかなり変だ。
こうして、暗殺者のあたしは、暗殺対象のエリアス王子と結婚することになった。
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