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第一話
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突然ですが、私、デラム公女アリスタ・デラム・ヴィースィングには、婚約者がいます。
婚約者の名はクラルスク公爵家嫡男ヴュルストというのですが、この方、女性を取っ替え引っ替えするのです。
婚約者がいようと舞踏会や夜会へ友達と主張するどこかの令嬢に同伴しますし、パーティーやお茶会、旅行、そういった外出の機会があれば私でなく別の女性を連れていきます。毎回違う女性、それも十五歳から三十歳までの美女を伴っているものですから、その派手な女性遍歴は誰もが知るところです。
私は嫌じゃないかって? いえ、もういつものこととなってしまっていて、私はすっかり呆れて放置しています。それをいいことに、あちこちの令嬢やご夫人、未亡人に唾をつけて、仲間内ではモテる男扱いだそうです。仲間って誰よ? と思いますが、次期公爵の取り巻きと思ってかまいません。
とはいえ、私もこのままではちょっとなぁ、宗教的に婚前交渉は厳禁で本当によかったけれど、さすがに将来のことを考えると常識的にアレです。もし仮に私が将来クラルスク公爵夫人になったとして、絶対に非嫡出子が大勢出てくるに決まっています。一部は認知して実子扱いにしたり、養子にしたり、気に入った子どもを贔屓してヴュルストが色々と勝手に策動したり……そんな面倒が目に見えています。
で、問題はそこからです。夫もまともに留めて置けない魅力のない女扱いされてはですね、私も堪忍袋の緒が切れるというものです。
そういう未来が見通せているのなら、悪い方向には行かないように今、行動すべきです。ですよね?
なので、ちょっと私、真面目が取り柄ですから、各所に真面目にお話をして、公女の身分で打てる手をすべて打っておきました。
これは、そんな私が婚約破棄して、元婚約者ヴュルストとおさらばし——新しい人生を見つける小さな物語です。
☆
トレディエールの晩餐会。年に一度、三月の初めに開かれ、国王夫妻が貴族たちを集めて夕食を共にし、一夜を語り明かす。
我が国ではこの晩餐会に招待されることが、一人前の貴族であると認められる証になっています。高位貴族の子女は当然一生涯に一度以上は晩餐会に参加し、中小貴族も優雅で広大な国立歌劇場を貸し切って行われる晩餐会に参加することを目指して、あの手この手で出世をするのです。
開催年によって招待客数は異なりますが、選ばれた二百人前後の貴族たちは精一杯着飾って、家の名誉にかけて失礼のないように、多くの貴族たちの憧憬や尊敬を勝ち得るように過ごします。
私も今年は招待され、婚約者であるヴュルストを誘って出席することになりました。
ヴュルストもトレディエールの晩餐会ともなれば、断りはしません。出席の意向を確認してから、私は祖母から譲られた由緒正しいブラックドレスにアレンジを加え、目立たず淑女らしい格好を心がけます。
私ももう十八歳です。いつ結婚してもいい年齢になりましたし、一つ年上のヴュルストは言わずもがなです。非公式ながらも舞踏会や夜会では既婚者として扱われる立場であり、男女の触れ合うダンスなどにかまけず堂々としていなければなりません。
そう、堂々と。何が起きてもめげず、くじけず、やってのけなければならない。
それが大人の貴族というものです。
私はその精神を墨守し、貴族たらんとするデラム公女アリスタです。それ以外に能がないため、全うするしかないのです。
国立歌劇場のロビーでは、多くの貴族たちが立ち話をしていました。待ち合わせ、旧友との再会を喜ぶ紳士淑女もいれば、最後の身だしなみの調整に追われるお目付け役が慌ただしくもしています。
私もまた、ロビーの大階段のたもとで、親友であるルチアと再会しました。ピンクパールのような美しい艶の髪を上げ、粉銀を含んだ白粉の乗りに乗った肌、南海の浅瀬のごとき透き通るような水色の瞳。まったくもって美人に成長したルチアは、ペリドットをあしらったマーメイドドレスを着こなしていました。
私を見るなり、ルチアは子どものころの陽気な顔に戻って、はしゃいでいました。
「久しぶり、アリスタ。顔を合わせるのは二年ぶりね」
「ええ、また会えて嬉しいわ、ルチア。お父上のお体の具合はどうかしら? 昨年怪我をなさったと聞いたけれど」
「もう大丈夫よ。まったく、年甲斐もなくポロではしゃいで落馬してお母様に叱られて……おかげで私は留学から帰ってすぐに領地経営の引き継ぎよ」
「ふふ、そう言いつつちゃんとこなしてしまうのだから、ルチアは本当、ゴダール公爵自慢の娘ね」
「あら、褒めたって何も出ないわよ?」
「まさか」
そうなのです、ルチアは哲学者の都たる隣国へ留学に行くことが許されるほどの才女。手紙のやり取りは続けていましたが、何分にもルチアのゴダール公爵家は問題のある領地が多く、ルチアの実父である現ゴダール公爵は年中領地を巡って調停するほど多忙です。そのゴダール公爵が怪我をしたとなれば嫡男が普通は引き継ぐものですが、何せルチアのほうが才覚有り余っているものですから、あっさりとルチアが引き継いであちこちを飛び回っています。
そのルチアとやっと会えて、私は安心しました——今日はルチアの助力なしにはどうにもならなかったから。
「ねえ、アリスタ。他に知り合いは?」
「今年はそうね、半分くらいは見知った顔かしら。王太子夫妻に、テレーズ王女、セルヴァ王子……あとは各地の大公の後継ぎたちね。新興貴族も多そうだわ」
晩餐会の招待客リストは直前まで明かされません。親交のある貴族同士であれば直接確認し合えますが、そうでなければ沈黙を貫くことが慣習です。それにしたって、今回は名だたる名家や王家が勢揃いです。会場となるオペラハウスフロアが開けば、王家を筆頭に序列順で入場しますから、何となくロビーでの貴族たちの位置もそれに合わせた形になっています。
そんな中を、燕尾服に身を包んだターゲット……もとい、私の婚約者であるクラルスク公爵家嫡男ヴュルストがやってきます。
あろうことか、純白のレースをふんだんに使ったドレスを着た、見知らぬ令嬢を連れて。
「アリスタ、ひょっとしてあれ、あなたの婚約者?」
ルチアは信じられない、と眉をひそめています。その気持ちは分かりますが、私は無言で頷くだけです。
さてさて、さあ! 役者は揃いました。やるべきことをやるまです。
私はルチアへ一言。
「ルチア、打ち合わせどおりに」
「任せて」
ルチアはサッと姿を消し、どこかに行ってしまいました。
私はロビーと、まだ扉が閉まったままのオペラハウスフロア入り口の境に立って、堂々と歩いてくる婚約者を出迎えます。
婚約者の名はクラルスク公爵家嫡男ヴュルストというのですが、この方、女性を取っ替え引っ替えするのです。
婚約者がいようと舞踏会や夜会へ友達と主張するどこかの令嬢に同伴しますし、パーティーやお茶会、旅行、そういった外出の機会があれば私でなく別の女性を連れていきます。毎回違う女性、それも十五歳から三十歳までの美女を伴っているものですから、その派手な女性遍歴は誰もが知るところです。
私は嫌じゃないかって? いえ、もういつものこととなってしまっていて、私はすっかり呆れて放置しています。それをいいことに、あちこちの令嬢やご夫人、未亡人に唾をつけて、仲間内ではモテる男扱いだそうです。仲間って誰よ? と思いますが、次期公爵の取り巻きと思ってかまいません。
とはいえ、私もこのままではちょっとなぁ、宗教的に婚前交渉は厳禁で本当によかったけれど、さすがに将来のことを考えると常識的にアレです。もし仮に私が将来クラルスク公爵夫人になったとして、絶対に非嫡出子が大勢出てくるに決まっています。一部は認知して実子扱いにしたり、養子にしたり、気に入った子どもを贔屓してヴュルストが色々と勝手に策動したり……そんな面倒が目に見えています。
で、問題はそこからです。夫もまともに留めて置けない魅力のない女扱いされてはですね、私も堪忍袋の緒が切れるというものです。
そういう未来が見通せているのなら、悪い方向には行かないように今、行動すべきです。ですよね?
なので、ちょっと私、真面目が取り柄ですから、各所に真面目にお話をして、公女の身分で打てる手をすべて打っておきました。
これは、そんな私が婚約破棄して、元婚約者ヴュルストとおさらばし——新しい人生を見つける小さな物語です。
☆
トレディエールの晩餐会。年に一度、三月の初めに開かれ、国王夫妻が貴族たちを集めて夕食を共にし、一夜を語り明かす。
我が国ではこの晩餐会に招待されることが、一人前の貴族であると認められる証になっています。高位貴族の子女は当然一生涯に一度以上は晩餐会に参加し、中小貴族も優雅で広大な国立歌劇場を貸し切って行われる晩餐会に参加することを目指して、あの手この手で出世をするのです。
開催年によって招待客数は異なりますが、選ばれた二百人前後の貴族たちは精一杯着飾って、家の名誉にかけて失礼のないように、多くの貴族たちの憧憬や尊敬を勝ち得るように過ごします。
私も今年は招待され、婚約者であるヴュルストを誘って出席することになりました。
ヴュルストもトレディエールの晩餐会ともなれば、断りはしません。出席の意向を確認してから、私は祖母から譲られた由緒正しいブラックドレスにアレンジを加え、目立たず淑女らしい格好を心がけます。
私ももう十八歳です。いつ結婚してもいい年齢になりましたし、一つ年上のヴュルストは言わずもがなです。非公式ながらも舞踏会や夜会では既婚者として扱われる立場であり、男女の触れ合うダンスなどにかまけず堂々としていなければなりません。
そう、堂々と。何が起きてもめげず、くじけず、やってのけなければならない。
それが大人の貴族というものです。
私はその精神を墨守し、貴族たらんとするデラム公女アリスタです。それ以外に能がないため、全うするしかないのです。
国立歌劇場のロビーでは、多くの貴族たちが立ち話をしていました。待ち合わせ、旧友との再会を喜ぶ紳士淑女もいれば、最後の身だしなみの調整に追われるお目付け役が慌ただしくもしています。
私もまた、ロビーの大階段のたもとで、親友であるルチアと再会しました。ピンクパールのような美しい艶の髪を上げ、粉銀を含んだ白粉の乗りに乗った肌、南海の浅瀬のごとき透き通るような水色の瞳。まったくもって美人に成長したルチアは、ペリドットをあしらったマーメイドドレスを着こなしていました。
私を見るなり、ルチアは子どものころの陽気な顔に戻って、はしゃいでいました。
「久しぶり、アリスタ。顔を合わせるのは二年ぶりね」
「ええ、また会えて嬉しいわ、ルチア。お父上のお体の具合はどうかしら? 昨年怪我をなさったと聞いたけれど」
「もう大丈夫よ。まったく、年甲斐もなくポロではしゃいで落馬してお母様に叱られて……おかげで私は留学から帰ってすぐに領地経営の引き継ぎよ」
「ふふ、そう言いつつちゃんとこなしてしまうのだから、ルチアは本当、ゴダール公爵自慢の娘ね」
「あら、褒めたって何も出ないわよ?」
「まさか」
そうなのです、ルチアは哲学者の都たる隣国へ留学に行くことが許されるほどの才女。手紙のやり取りは続けていましたが、何分にもルチアのゴダール公爵家は問題のある領地が多く、ルチアの実父である現ゴダール公爵は年中領地を巡って調停するほど多忙です。そのゴダール公爵が怪我をしたとなれば嫡男が普通は引き継ぐものですが、何せルチアのほうが才覚有り余っているものですから、あっさりとルチアが引き継いであちこちを飛び回っています。
そのルチアとやっと会えて、私は安心しました——今日はルチアの助力なしにはどうにもならなかったから。
「ねえ、アリスタ。他に知り合いは?」
「今年はそうね、半分くらいは見知った顔かしら。王太子夫妻に、テレーズ王女、セルヴァ王子……あとは各地の大公の後継ぎたちね。新興貴族も多そうだわ」
晩餐会の招待客リストは直前まで明かされません。親交のある貴族同士であれば直接確認し合えますが、そうでなければ沈黙を貫くことが慣習です。それにしたって、今回は名だたる名家や王家が勢揃いです。会場となるオペラハウスフロアが開けば、王家を筆頭に序列順で入場しますから、何となくロビーでの貴族たちの位置もそれに合わせた形になっています。
そんな中を、燕尾服に身を包んだターゲット……もとい、私の婚約者であるクラルスク公爵家嫡男ヴュルストがやってきます。
あろうことか、純白のレースをふんだんに使ったドレスを着た、見知らぬ令嬢を連れて。
「アリスタ、ひょっとしてあれ、あなたの婚約者?」
ルチアは信じられない、と眉をひそめています。その気持ちは分かりますが、私は無言で頷くだけです。
さてさて、さあ! 役者は揃いました。やるべきことをやるまです。
私はルチアへ一言。
「ルチア、打ち合わせどおりに」
「任せて」
ルチアはサッと姿を消し、どこかに行ってしまいました。
私はロビーと、まだ扉が閉まったままのオペラハウスフロア入り口の境に立って、堂々と歩いてくる婚約者を出迎えます。
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