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第八話 用件は矢文以外でお願いします
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聖ヘレナ修道院に到着した翌朝、意外とドロシーはスッキリ目覚めた。夜間は思ったよりも寒くなく、これなら暖房の薪は節約できそうだと気付き、固くなりつつあるパンを頬張る。
さて、とドロシーは身だしなみを整えてから、腰を上げた。やるべきことをリストアップする前に、まずは現状をしっかりと把握するべきだ。
「熊が出てこないことを祈る以外に、何かできることは、修道院からクレナード王国への道を確かめることくらいかしら」
つまり、昨日の夜思いついたことを実行する——聖ヘレナ修道院の小さな鐘楼へ上ってみよう、というわけである。
修道院の階段は、石造りの小さな螺旋階段だった。一階から二階へ、さらに鐘楼へ上るには、この階段を使うようだ。しかし、肩幅ギリギリの螺旋階段はかなり窮屈で、小柄なドロシーでもやっとこさ上り切ることができるくらいである。しかも埃っぽい。
とはいえ、かなり古い鉄製の薄い引き戸を押してみれば、気持ちのいい晴れた空がドロシーを迎えてくれた。手すりも何もない、時を告げる鐘楼の鐘さえも外され、ただの高台と化した場所だが、この辺りでは一番背の高い建物なのだ。ざっと三階、修道院の天井の高さを考えれば五階建てビルに届くか届かないか、くらいの高さがある。
自分が高所恐怖症でないことを幸いに思いつつ、ドロシーは平原の果ての山脈、あるいはクレナード王国領まで見渡せそうな景色にはしゃぐ。
「あら、けっこういい眺めじゃない! 双眼鏡があればよかったのに!」
昨日と変わらぬ青空に、澄んだ朝の空気、少し強い風は南へと向かう。平原のさほど背の高くない草花は風に揺れて波打ち、緑の海の中で古の街道が南北に伸びる。故郷の北ではなく、南へ目を向ければ、はるか遠方に区画整備された畑がうっすらと見えた。おそらく、あそこはクレナード王国だろう。いつしか西洋菩提樹は糸杉に変わり、最果てまで伸びる街道を見守っていた。
まるで、イタリア北部の街道そのままの風景だ。ドロシーも、一度ならず世界史や西洋史の教科書に載っているところを見かけたことがある。現代化著しい北部イタリアでは、もうこんな風景はさほど残っていないかもしれないほど、のどかで、美しく、悠久の歴史の登場人物たちが何度も何度も歩いてきた道。
感動に耽るドロシーが、近くに村落を見つけられないかと柱の出っ張りを掴んで、身を乗り出そうとした、そのとき。
風切り音が耳をつんざき、足元の柱の石を砕いて矢が撃ち込まれたのである。
「ぎゃあ!?」
聞いたことのない破壊音とともに、柱の一部が砕け、金属製の金色の矢がざっくり刺さっている。怖い。物理法則的にこれは許されてはいけないのではないか、とドロシーは恐怖で思考が混乱し、そのままその場にへたり込む。
「矢、ややや、矢……! 撃ち込まれたんですけど!?」
しかしだ、矢とは人間の道具であり、人間でなくては放てないものだ。
つまり、人間が近くにいる。弓矢を装備していなかったヴィル以外の、誰かが。
そう思うと、すうっとドロシーは冷静になった。金色の矢をまじまじ見つめると、鷹の羽の矢羽近くに裂かれた羊皮紙が結ばれている。これは——。
「矢文だわ、これ。え? もう撃ってこない? 大丈夫?」
ドロシーは柱にがっつり刺さる矢が、自分の力では抜けないことを確認してから、結ばれた羊皮紙を解く。中には、インクでサラッとこう書かれていた。
『今からお伺いします。ネストル・オットーネ・デメトリーナ・ド・クレミーノ』
長い。本文より名前が長い。そんなツッコミよりも、ドロシーははたと、もっと重要なツッコミを繰り出した。
「誰!?」
さて、とドロシーは身だしなみを整えてから、腰を上げた。やるべきことをリストアップする前に、まずは現状をしっかりと把握するべきだ。
「熊が出てこないことを祈る以外に、何かできることは、修道院からクレナード王国への道を確かめることくらいかしら」
つまり、昨日の夜思いついたことを実行する——聖ヘレナ修道院の小さな鐘楼へ上ってみよう、というわけである。
修道院の階段は、石造りの小さな螺旋階段だった。一階から二階へ、さらに鐘楼へ上るには、この階段を使うようだ。しかし、肩幅ギリギリの螺旋階段はかなり窮屈で、小柄なドロシーでもやっとこさ上り切ることができるくらいである。しかも埃っぽい。
とはいえ、かなり古い鉄製の薄い引き戸を押してみれば、気持ちのいい晴れた空がドロシーを迎えてくれた。手すりも何もない、時を告げる鐘楼の鐘さえも外され、ただの高台と化した場所だが、この辺りでは一番背の高い建物なのだ。ざっと三階、修道院の天井の高さを考えれば五階建てビルに届くか届かないか、くらいの高さがある。
自分が高所恐怖症でないことを幸いに思いつつ、ドロシーは平原の果ての山脈、あるいはクレナード王国領まで見渡せそうな景色にはしゃぐ。
「あら、けっこういい眺めじゃない! 双眼鏡があればよかったのに!」
昨日と変わらぬ青空に、澄んだ朝の空気、少し強い風は南へと向かう。平原のさほど背の高くない草花は風に揺れて波打ち、緑の海の中で古の街道が南北に伸びる。故郷の北ではなく、南へ目を向ければ、はるか遠方に区画整備された畑がうっすらと見えた。おそらく、あそこはクレナード王国だろう。いつしか西洋菩提樹は糸杉に変わり、最果てまで伸びる街道を見守っていた。
まるで、イタリア北部の街道そのままの風景だ。ドロシーも、一度ならず世界史や西洋史の教科書に載っているところを見かけたことがある。現代化著しい北部イタリアでは、もうこんな風景はさほど残っていないかもしれないほど、のどかで、美しく、悠久の歴史の登場人物たちが何度も何度も歩いてきた道。
感動に耽るドロシーが、近くに村落を見つけられないかと柱の出っ張りを掴んで、身を乗り出そうとした、そのとき。
風切り音が耳をつんざき、足元の柱の石を砕いて矢が撃ち込まれたのである。
「ぎゃあ!?」
聞いたことのない破壊音とともに、柱の一部が砕け、金属製の金色の矢がざっくり刺さっている。怖い。物理法則的にこれは許されてはいけないのではないか、とドロシーは恐怖で思考が混乱し、そのままその場にへたり込む。
「矢、ややや、矢……! 撃ち込まれたんですけど!?」
しかしだ、矢とは人間の道具であり、人間でなくては放てないものだ。
つまり、人間が近くにいる。弓矢を装備していなかったヴィル以外の、誰かが。
そう思うと、すうっとドロシーは冷静になった。金色の矢をまじまじ見つめると、鷹の羽の矢羽近くに裂かれた羊皮紙が結ばれている。これは——。
「矢文だわ、これ。え? もう撃ってこない? 大丈夫?」
ドロシーは柱にがっつり刺さる矢が、自分の力では抜けないことを確認してから、結ばれた羊皮紙を解く。中には、インクでサラッとこう書かれていた。
『今からお伺いします。ネストル・オットーネ・デメトリーナ・ド・クレミーノ』
長い。本文より名前が長い。そんなツッコミよりも、ドロシーははたと、もっと重要なツッコミを繰り出した。
「誰!?」
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