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第四十八話

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 肉が美味しすぎたため、王城への帰り道、ニキータに見つからないよう何度か小さくげっぷをして胃から空気を抜いた。いきなりあんなに美味しいものはちょっと胃に悪かった気がする。コーリャ青年が大口でギロピタを食べている姿がとても食欲をそそったせいだ、と私はぷんすか他人のせいにした。

 それはさておき、私の手にはカラマラキア・ティガニタの包みがある。蝋引き紙を新聞紙で包んだ中に、サナシスの好物が入っているわけだけど、冷めないよう私はちょっとだけ早足でニキータを急かす。

「早く戻りましょう。サナシス様がお待ちかねです」
「ええ、そうですね。ギロピタは美味しかったですか?」
「……とっても」

 私が食堂タベルナでギロピタをちまちま食べていたせいで時間がかかったのだ、と暗に指摘されてしまった気がする。私もそう思うけど、からかわれているのが分かるから、それに関してはノーコメントだ。

 ニキータは白や青が基調のこの王都でものすごく目立つ真っ黒の服を着ているせいで、どう見ても不審な人物にしか見えないらしく、途中で見回りの衛兵に二回捕まった。どちらもニキータの身分証明である、王族が所持する黄金のステュクスの印を見て飛び上がって驚いていた。ニキータはそれをにやにや見ていたから、確信犯だと思う。王城の通用門を抜け、私はニキータに案内されて、初めてサナシスの執務室に入った。

 一瞬、どこかの神殿に迷い込んだのか、と思うほどに、荘厳かつ広大な部屋だった。最奥の執務机は真っ白の大理石でできており、書類棚もことごとくが白で統一されている。応接用のソファは精巧な金細工と白の革張り、そしてテーブルは私よりもずっと大きな長方形の磨りガラスと金メッキの流麗な金属細工の足でできていた。部屋の天井は二階分はあるだろうか、吊り下げられたガラスの半円形の器に、見たこともない光る石と水が詰められ、全体を日の光のように明るく照らす。

 いきなりやってきた私とニキータを見て、サナシスは驚きを隠さなかった。私は叱責される前に、サナシスの机に包みを置く。

「ニキータ様からうかがいました。サナシス様の好物、カラマラキア・ティガニタです」

 開けてみてください、と私は勧めた。サナシスは何も言わず、包みを開ける。

 すると——揚げ物、オリーブ油の匂いが鼻に到達した。それから私の嗅いだことのない匂い。のちにそれは、小さなイカカラマラキアのものだと私は知る。海のないウラノス公国では、絶対に見られないものだった。

 つまり、カラマラキア・ティガニタは、小さなイカの揚げ物だ。ステュクス王国では主菜、ときにおやつのように親しまれ、一口サイズでぽんぽん食べられる。カリカリの小麦色の衣に、白いヨーグルトソース『ザジキ』がかかっている。肉とはまた違った、搦め手のような食欲のそそり方をする香りだった。海産物に慣れていない私には、ちょっと癖が強い気がする。

 サナシスは包みから目線を上げた。

「エレーニ、少し待っていろ。ニキータ」

 サナシスはニキータを睨みつけたけど、ニキータはまったく動じない。それどころか先手を打った。

「何か? 散々王城を抜け出し放題だったアサナシオス王子殿下が、今日初めて王城を出ただけのエレーニ姫を責められるとはまったくもって思わないのだがね?」
「……お前、どの口でそんなことを」

 二人の間で火花が散る。とはいえ、サナシスは無駄な時間を費やすつもりはない、とばかりに私へ向き直った。

「エレーニ!」
「は、はい」
「ああいう怪しい人間についていくのはやめろ。人攫いかもしれないぞ」
「え? サナシス様の部下は人攫いなのですか?」
「違う! だから、ニキータはああいう、人をからかって遊ぶところが」
「でも、サナシス様だって、最近私をからかうでしょう」

 私はちょっとだけ、仕返しをした。最近、サナシスにはよくからかわれるから、このくらいでは主神ステュクスも神罰を下したりはしない。

 むむむ、とサナシスは唸っていた。ひとしきり天井を見上げて、それから観念したかのように、こう言った。

「分かった、つまり、俺はお前にこう言うべきだな。エレーニ、ありがとう。わざわざ、俺のためにカラマラキア・ティガニタを買ってきてくれて」
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