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第四十六話
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ニキータは意味深に笑う。賭場という単語を初めて聞いた私は、賭け事をする場だと理解はできたけど、それ以上のことはまったく想像できない。それにニキータが王族なのに主神ステュクスではなくヘルメスを信仰していることも、よく分からなかった。後になって、ニキータがステュクス神殿の聖職者としての職を追われていたことを知るけど——それでも、やっぱりよく分からない。
どことなくサナシスと似ている美貌のニキータは、ちょっと笑い方に陰があって、今まで私が出会ったどの人よりも底知れない感じがした。経歴や話を聞いても、私はきっとニキータを理解し切ることはできないだろう。それでも、話をすることは決して不可能ではないし、少しずつ私はニキータの話を面白く感じてきていた。
「それはともかく。サナシス様は何かと賭場にいる私のところに来て、天賦の才と豪運で賭けに勝つものですから、私は身包みを剥がされました」
「まあ」
「ついでに、私の今後の人生と忠誠まで賭けに勝ってもぎ取っていかれましたよ。それ以来、私は我らが聡明なる王子に仕えている、というわけです」
正直に言えば、ニキータの話の半分も私は理解しているとは思わない。だって、あまりにも知らない世界のことばかりだからだ。つい先日まで城と修道院が世界のすべてだった私には、城下町や賭場のことなんて想像の埒外だ。それでも私は興味を惹かれる。頑張って、理解しようと努める。
路地裏に、食欲をそそる香りが漂ってきた。嗅いだことのないしょっぱい香りや刺激的なスパイス臭が鼻をつく。無意識のうちに、口の中に涎が増えていた。
何だろう。どんな料理の匂いなのだろう。すれ違う人々が、路地に樽と椅子をいくつも並べた店に入っていく。昼食にとやってきて、樽の上にある香ばしい揚げ物や見たこともない白いソース、ほんのりとアルコールの入った飲み物を美味しそうにいただいている。
私の視線は釘付けだった。ニキータは旅行ガイドのように手で店を指し示す。
「そういうわけで、昔はよくそこの食堂でよくカラマラキア・ティガニタを買ってくるよう言いつけられておりまして、今も時折土産に持っていきます。あなたの夫君の好物ですので、よく憶えておいてください」
食堂。名前だけは聞いたことがある。調理した食べ物を供するお店。
そういう店は、実は私は——行ったことがない。
行ってみたい、ちょっとだけ、心が躍っていた。だって、いい匂いがするもの。でもお金もない、どうやって頼むのだろう。
種々葛藤を乗り越えて、私は、思い切ってニキータに尋ねた。
「あの、ニキータ様。教えていただきたいことがあります」
「何でしょう?」
「恥ずかしながら、私、食堂に入ったことがございません。買い物はできるのですが、いつも小麦や塩を注文するくらいで、食べに行ったり、買い食いすることなんて、したことが……その、注文の仕方など、教えていただければ、とても助かります……はい」
お金がないから今日買って帰れなくても、次の機会には買って帰れるように。
私はそんな藁にも縋る気持ちで、ニキータを見上げた。
すると、ニキータはとても柔和な表情で、自分の服のポケットから硬貨を取り出して、私の手のひらに乗せた。
「これがステュクス王国で使われているオボルス硬貨です。城下町ではドラクマ硬貨より頻繁に使いますので、とりあえず十枚ほど差し上げます」
「ありがとうございます!」
「では、中へ」
私はニキータに誘われて、生まれて初めて食堂へ足を踏み入れる。
そこでは、思いがけない人物が、肉を頬張っていた。
「え……エレーニ様!?」
「コーリャ? どうしてここに?」
どことなくサナシスと似ている美貌のニキータは、ちょっと笑い方に陰があって、今まで私が出会ったどの人よりも底知れない感じがした。経歴や話を聞いても、私はきっとニキータを理解し切ることはできないだろう。それでも、話をすることは決して不可能ではないし、少しずつ私はニキータの話を面白く感じてきていた。
「それはともかく。サナシス様は何かと賭場にいる私のところに来て、天賦の才と豪運で賭けに勝つものですから、私は身包みを剥がされました」
「まあ」
「ついでに、私の今後の人生と忠誠まで賭けに勝ってもぎ取っていかれましたよ。それ以来、私は我らが聡明なる王子に仕えている、というわけです」
正直に言えば、ニキータの話の半分も私は理解しているとは思わない。だって、あまりにも知らない世界のことばかりだからだ。つい先日まで城と修道院が世界のすべてだった私には、城下町や賭場のことなんて想像の埒外だ。それでも私は興味を惹かれる。頑張って、理解しようと努める。
路地裏に、食欲をそそる香りが漂ってきた。嗅いだことのないしょっぱい香りや刺激的なスパイス臭が鼻をつく。無意識のうちに、口の中に涎が増えていた。
何だろう。どんな料理の匂いなのだろう。すれ違う人々が、路地に樽と椅子をいくつも並べた店に入っていく。昼食にとやってきて、樽の上にある香ばしい揚げ物や見たこともない白いソース、ほんのりとアルコールの入った飲み物を美味しそうにいただいている。
私の視線は釘付けだった。ニキータは旅行ガイドのように手で店を指し示す。
「そういうわけで、昔はよくそこの食堂でよくカラマラキア・ティガニタを買ってくるよう言いつけられておりまして、今も時折土産に持っていきます。あなたの夫君の好物ですので、よく憶えておいてください」
食堂。名前だけは聞いたことがある。調理した食べ物を供するお店。
そういう店は、実は私は——行ったことがない。
行ってみたい、ちょっとだけ、心が躍っていた。だって、いい匂いがするもの。でもお金もない、どうやって頼むのだろう。
種々葛藤を乗り越えて、私は、思い切ってニキータに尋ねた。
「あの、ニキータ様。教えていただきたいことがあります」
「何でしょう?」
「恥ずかしながら、私、食堂に入ったことがございません。買い物はできるのですが、いつも小麦や塩を注文するくらいで、食べに行ったり、買い食いすることなんて、したことが……その、注文の仕方など、教えていただければ、とても助かります……はい」
お金がないから今日買って帰れなくても、次の機会には買って帰れるように。
私はそんな藁にも縋る気持ちで、ニキータを見上げた。
すると、ニキータはとても柔和な表情で、自分の服のポケットから硬貨を取り出して、私の手のひらに乗せた。
「これがステュクス王国で使われているオボルス硬貨です。城下町ではドラクマ硬貨より頻繁に使いますので、とりあえず十枚ほど差し上げます」
「ありがとうございます!」
「では、中へ」
私はニキータに誘われて、生まれて初めて食堂へ足を踏み入れる。
そこでは、思いがけない人物が、肉を頬張っていた。
「え……エレーニ様!?」
「コーリャ? どうしてここに?」
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