上 下
46 / 73

第四十六話

しおりを挟む
 ニキータは意味深に笑う。賭場という単語を初めて聞いた私は、賭け事をする場だと理解はできたけど、それ以上のことはまったく想像できない。それにニキータが王族なのに主神ステュクスではなくヘルメスを信仰していることも、よく分からなかった。後になって、ニキータがステュクス神殿の聖職者としての職を追われていたことを知るけど——それでも、やっぱりよく分からない。

 どことなくサナシスと似ている美貌のニキータは、ちょっと笑い方に陰があって、今まで私が出会ったどの人よりも底知れない感じがした。経歴や話を聞いても、私はきっとニキータを理解し切ることはできないだろう。それでも、話をすることは決して不可能ではないし、少しずつ私はニキータの話を面白く感じてきていた。

「それはともかく。サナシス様は何かと賭場にいる私のところに来て、天賦の才と豪運で賭けに勝つものですから、私は身包みを剥がされました」
「まあ」
「ついでに、私の今後の人生と忠誠まで賭けに勝ってもぎ取っていかれましたよ。それ以来、私は我らが聡明なる王子に仕えている、というわけです」

 正直に言えば、ニキータの話の半分も私は理解しているとは思わない。だって、あまりにも知らない世界のことばかりだからだ。つい先日まで城と修道院が世界のすべてだった私には、城下町や賭場のことなんて想像の埒外だ。それでも私は興味を惹かれる。頑張って、理解しようと努める。

 路地裏に、食欲をそそる香りが漂ってきた。嗅いだことのないしょっぱい香りや刺激的なスパイス臭が鼻をつく。無意識のうちに、口の中に涎が増えていた。

 何だろう。どんな料理の匂いなのだろう。すれ違う人々が、路地に樽と椅子をいくつも並べた店に入っていく。昼食にとやってきて、樽の上にある香ばしい揚げ物や見たこともない白いソース、ほんのりとアルコールの入った飲み物を美味しそうにいただいている。

 私の視線は釘付けだった。ニキータは旅行ガイドのように手で店を指し示す。

「そういうわけで、昔はよくそこの食堂タベルナでよくカラマラキア・ティガニタを買ってくるよう言いつけられておりまして、今も時折土産に持っていきます。あなたの夫君の好物ですので、よく憶えておいてください」

 食堂タベルナ。名前だけは聞いたことがある。調理した食べ物を供するお店。

 そういう店は、実は私は——行ったことがない。

 行ってみたい、ちょっとだけ、心が躍っていた。だって、いい匂いがするもの。でもお金もない、どうやって頼むのだろう。

 種々葛藤を乗り越えて、私は、思い切ってニキータに尋ねた。

「あの、ニキータ様。教えていただきたいことがあります」
「何でしょう?」
「恥ずかしながら、私、食堂タベルナに入ったことがございません。買い物はできるのですが、いつも小麦や塩を注文するくらいで、食べに行ったり、買い食いすることなんて、したことが……その、注文の仕方など、教えていただければ、とても助かります……はい」

 お金がないから今日買って帰れなくても、次の機会には買って帰れるように。

 私はそんな藁にも縋る気持ちで、ニキータを見上げた。

 すると、ニキータはとても柔和な表情で、自分の服のポケットから硬貨を取り出して、私の手のひらに乗せた。

「これがステュクス王国で使われているオボルス硬貨です。城下町ではドラクマ硬貨より頻繁に使いますので、とりあえず十枚ほど差し上げます」
「ありがとうございます!」
「では、中へ」

 私はニキータに誘われて、生まれて初めて食堂タベルナへ足を踏み入れる。

 そこでは、思いがけない人物が、肉を頬張っていた。

「え……エレーニ様!?」
「コーリャ? どうしてここに?」
しおりを挟む
感想 19

あなたにおすすめの小説

殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね

さこの
恋愛
恋がしたい。 ウィルフレッド殿下が言った… それではどうぞ、美しい恋をしてください。 婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました! 話の視点が回毎に変わることがあります。 緩い設定です。二十話程です。 本編+番外編の別視点

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

絶望?いえいえ、余裕です! 10年にも及ぶ婚約を解消されても化物令嬢はモフモフに夢中ですので

ハートリオ
恋愛
伯爵令嬢ステラは6才の時に隣国の公爵令息ディングに見初められて婚約し、10才から婚約者ディングの公爵邸の別邸で暮らしていた。 しかし、ステラを呼び寄せてすぐにディングは婚約を後悔し、ステラを放置する事となる。 異様な姿で異臭を放つ『化物令嬢』となったステラを嫌った為だ。 異国の公爵邸の別邸で一人放置される事となった10才の少女ステラだが。 公爵邸別邸は森の中にあり、その森には白いモフモフがいたので。 『ツン』だけど優しい白クマさんがいたので耐えられた。 更にある事件をきっかけに自分を取り戻した後は、ディングの執事カロンと共に公爵家の仕事をこなすなどして暮らして来た。 だがステラが16才、王立高等学校卒業一ヶ月前にとうとう婚約解消され、ステラは公爵邸を出て行く。 ステラを厄介払い出来たはずの公爵令息ディングはなぜかモヤモヤする。 モヤモヤの理由が分からないまま、ステラが出て行った後の公爵邸では次々と不具合が起こり始めて―― 奇跡的に出会い、優しい時を過ごして愛を育んだ一人と一頭(?)の愛の物語です。 異世界、魔法のある世界です。 色々ゆるゆるです。

許婚と親友は両片思いだったので2人の仲を取り持つことにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
<2人の仲を応援するので、どうか私を嫌わないでください> 私には子供のころから決められた許嫁がいた。ある日、久しぶりに再会した親友を紹介した私は次第に2人がお互いを好きになっていく様子に気が付いた。どちらも私にとっては大切な存在。2人から邪魔者と思われ、嫌われたくはないので、私は全力で許嫁と親友の仲を取り持つ事を心に決めた。すると彼の評判が悪くなっていき、それまで冷たかった彼の態度が軟化してきて話は意外な展開に・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

【完結】種馬の分際で愛人を家に連れて来るなんて一体何様なのかしら?

夢見 歩
恋愛
頭を空っぽにしてお読み下さい。

ある王国の王室の物語

朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。 顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。 それから 「承知しました」とだけ言った。 ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。 それからバウンドケーキに手を伸ばした。 カクヨムで公開したものに手を入れたものです。

処理中です...