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第三十一話

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 パンケーキでお腹いっぱいになったエレーニは、サナシスに寝室へ運ばれた。メイドたちにふかふかの布団と毛布に包まれて、お昼寝だ。ベッドに入った途端力尽き、すやすやと寝息を立てはじめたエレーニの寝顔を見て、サナシスは満足げに頭を一撫でする。可愛いものだ、風呂に入れてやれば毎日綺麗になっていくし、栄養のある食事を与えれば日に日に健康的になっていく。愛する妻への奉仕というよりも、今は飼いはじめた痩せぎすの大型犬を何とか人並みにしてやるために、世話を焼いている、という感じだ。たくさん眠って、たくさん育つように、とサナシスは願わずにはいられない。

 音を立てないように、サナシスはメイドたちとともに寝室を出る。起きたら飲み物でも用意してやるように、と言いつけ、部屋の前に控えていたイオエルを連れて、サナシスは自身の執務室へと向かう。

 その道すがら、壮年の男性がやってきて、サナシスの前で恭しく頭を下げた。

 白亜の王城には似合わない黒づくめの伊達男、ニキータだ。黒いターバンの下には紺色の髪が伸び、珍しい金色の目は妖しく光る。これでも王族の末席に連なる人物なのだが、いかんせん胡散臭い。それはそのはずで、ニキータは決して表に出てこない、暗躍を何よりも好み、ステュクス王国における情報収集をはじめ工作や暗殺も含めての活動全般を一手に引き受ける。

 サナシスの顔からは、すっと感情が消えた。

「状況は?」

 並んで歩きながら、ニキータはすらすらと答える。

「へメラポリスとアンフィトリテの好戦派貴族たちは、北部のカイルス宮殿で開かれる舞踏会に目が向いている。年に一度の祭りとあれば、体面を何よりも気にする貴族たちがに開催しないわけにはいかない。すでに主だった貴族たちのそばには間諜を潜ませてある、私の息のかかった人間だけでサロンが開けそうなほどにね」

 大陸北部のへメラポリスとアンフィトリテによる大戦争は、ここ数年衝突と小康状態を繰り返している。そんな敵対関係にある彼らも、周辺国の貴族たちがこぞって参加するカイルス宮殿の舞踏会にばかりは顔を背けるわけにはいかない。その間だけでも、彼らは戦いをやめ、貴族らしく社交界で談笑し、煌びやかな衣装でダンスを楽しむ。貴族間の結束を高め、血縁を結び、新たな世代が参入する。

 その一大行事は、ステュクス王国にとっては儀礼上の意味しかなく、正直に言ってあまり好かれている行事でもない。ただ、ステュクス王国主導の和平調停を行うには、都合のいい時期だ。先日スタヴロス将軍が失敗した和平調停を、何としてでも成功させなければならない。

 そのために、世事に長け、世の貴族について手に取るように把握しているニキータの協力が必要不可欠だった。もっとも、ニキータはサナシスの忠実なる臣下を自称する男で、言われなくても力を貸しにくるのだが。
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