9 / 73
第九話
しおりを挟む
私は男性を知らない。そもそも、城にいたときだって遠目に騎士を見るくらいで、ろくに会話もしたことがない。修道院でだって、私は修道女だから男性のほうが気を遣ってあまり積極的に話しかけようとしなかった。男だろうが女だろうが人間と接することのない辺境の修道院で、私は老修道女ヨルギアとともに十年間を過ごした。
そんな私でも、ポリーナの発言が無礼にすぎることは分かる。ポリーナが私を陥れ、笑いものにし、弄ぶためにそのようなことをしているのだろうと理解している。
だけど、こればかりは看過できない。ポリーナはやりすぎた。人生も何もかもどうでもいいはずの私の心に、仄暗くも激しい怒りの火を灯すほどに、言葉がすぎたのだ。
私は、自分の口から吐かれた言葉が、想像以上に冷たく感じられた。
「ポリーナ様」
「何?」
「私を罵られることはけっこうです。聞き流しましょう」
「罵るだなんて、人聞きの悪い」
「ですけども。アサナシオス王子殿下を貶すということなら、私はこれを断じて許容することはできません」
ポリーナの顔色が変わった。いかに貴族の箱入り娘とはいえ、ステュクス王国の強大さは知っているし、王子のはるか高き尊き身分を重んじない、と公言することの無謀さを理解しているはずだ。
しかし何より、妻が何の瑕疵もない夫を擁護しない、ということはあり得ないのだと、彼女は知らなかったらしい。
ポリーナは明らかに目を泳がせていた。それでも過ぎた言葉はやめない。
「あ、あら、会ったこともない殿方を、いたく庇うものですわね」
「たとえ面識がなくとも、アサナシオス王子殿下は私の夫となる方です。ならば、私は夫の名誉を守らねばなりません。そして、貴族の淑女たるあなたが、男女の仲や営みについて開け広げに語ることは、あまりにも軽薄で淫ら。ウラノス公の娘として、恥ずかしくはございませんか?」
一つ一つ、静かにナイフで斬り込まれるかのように、私の言葉がポリーナのプライドを傷つけていったのだろう。
後ろのメイドが顔を真っ青に、そしてポリーナは反対に顔を真っ赤にしている。何を言っても反論しないおもちゃに、よりによって自らの貴族の子女としての体面を論って思いっきり言い返され、ポリーナは瞬間的に怒りが頂点に達したのだろう。
ついに、ポリーナは私の頬へ、平手打ちを食らわせた。唾が飛び散るほどに、喚く。
「黙りなさい、手違いで生まれた娘のくせして! お父様は取り入ろうとするあなたの母に誑かされ、間違いを犯してしまったのですわ! ふん、結局あなたが生まれたところで、歓心を買うこともできずに無駄死にしたようですけれど!」
私は頬を押さえることもせず、真正面からポリーナを睨みつけた。不思議と、心は平静で、こう認識していた。
目の前の女は私と私の母と私の夫の名誉を傷つけんとする者であり、私はこれに対抗せねばならない、と。
つまりは、ポリーナは私の敵だった。
私は心を落ち着けて、生まれて初めて啖呵を切る。
「何が無駄かは、これから証してみせましょうか」
メイドたちがポリーナの腕を掴み、後ろに下がらせようとしている。
ポリーナは捨て台詞よろしく、叫びながら去っていく。
「できるものならやってみなさいな! ああ忌々しい、気分の悪い娘! さっさとどこへなりとも行ってしまいなさい!」
自分から会いにきたのだろうに。
私はそんな言葉を飲み込み、一礼をして顔を背けた。
そんな私でも、ポリーナの発言が無礼にすぎることは分かる。ポリーナが私を陥れ、笑いものにし、弄ぶためにそのようなことをしているのだろうと理解している。
だけど、こればかりは看過できない。ポリーナはやりすぎた。人生も何もかもどうでもいいはずの私の心に、仄暗くも激しい怒りの火を灯すほどに、言葉がすぎたのだ。
私は、自分の口から吐かれた言葉が、想像以上に冷たく感じられた。
「ポリーナ様」
「何?」
「私を罵られることはけっこうです。聞き流しましょう」
「罵るだなんて、人聞きの悪い」
「ですけども。アサナシオス王子殿下を貶すということなら、私はこれを断じて許容することはできません」
ポリーナの顔色が変わった。いかに貴族の箱入り娘とはいえ、ステュクス王国の強大さは知っているし、王子のはるか高き尊き身分を重んじない、と公言することの無謀さを理解しているはずだ。
しかし何より、妻が何の瑕疵もない夫を擁護しない、ということはあり得ないのだと、彼女は知らなかったらしい。
ポリーナは明らかに目を泳がせていた。それでも過ぎた言葉はやめない。
「あ、あら、会ったこともない殿方を、いたく庇うものですわね」
「たとえ面識がなくとも、アサナシオス王子殿下は私の夫となる方です。ならば、私は夫の名誉を守らねばなりません。そして、貴族の淑女たるあなたが、男女の仲や営みについて開け広げに語ることは、あまりにも軽薄で淫ら。ウラノス公の娘として、恥ずかしくはございませんか?」
一つ一つ、静かにナイフで斬り込まれるかのように、私の言葉がポリーナのプライドを傷つけていったのだろう。
後ろのメイドが顔を真っ青に、そしてポリーナは反対に顔を真っ赤にしている。何を言っても反論しないおもちゃに、よりによって自らの貴族の子女としての体面を論って思いっきり言い返され、ポリーナは瞬間的に怒りが頂点に達したのだろう。
ついに、ポリーナは私の頬へ、平手打ちを食らわせた。唾が飛び散るほどに、喚く。
「黙りなさい、手違いで生まれた娘のくせして! お父様は取り入ろうとするあなたの母に誑かされ、間違いを犯してしまったのですわ! ふん、結局あなたが生まれたところで、歓心を買うこともできずに無駄死にしたようですけれど!」
私は頬を押さえることもせず、真正面からポリーナを睨みつけた。不思議と、心は平静で、こう認識していた。
目の前の女は私と私の母と私の夫の名誉を傷つけんとする者であり、私はこれに対抗せねばならない、と。
つまりは、ポリーナは私の敵だった。
私は心を落ち着けて、生まれて初めて啖呵を切る。
「何が無駄かは、これから証してみせましょうか」
メイドたちがポリーナの腕を掴み、後ろに下がらせようとしている。
ポリーナは捨て台詞よろしく、叫びながら去っていく。
「できるものならやってみなさいな! ああ忌々しい、気分の悪い娘! さっさとどこへなりとも行ってしまいなさい!」
自分から会いにきたのだろうに。
私はそんな言葉を飲み込み、一礼をして顔を背けた。
18
お気に入りに追加
2,639
あなたにおすすめの小説
絶望?いえいえ、余裕です! 10年にも及ぶ婚約を解消されても化物令嬢はモフモフに夢中ですので
ハートリオ
恋愛
伯爵令嬢ステラは6才の時に隣国の公爵令息ディングに見初められて婚約し、10才から婚約者ディングの公爵邸の別邸で暮らしていた。
しかし、ステラを呼び寄せてすぐにディングは婚約を後悔し、ステラを放置する事となる。
異様な姿で異臭を放つ『化物令嬢』となったステラを嫌った為だ。
異国の公爵邸の別邸で一人放置される事となった10才の少女ステラだが。
公爵邸別邸は森の中にあり、その森には白いモフモフがいたので。
『ツン』だけど優しい白クマさんがいたので耐えられた。
更にある事件をきっかけに自分を取り戻した後は、ディングの執事カロンと共に公爵家の仕事をこなすなどして暮らして来た。
だがステラが16才、王立高等学校卒業一ヶ月前にとうとう婚約解消され、ステラは公爵邸を出て行く。
ステラを厄介払い出来たはずの公爵令息ディングはなぜかモヤモヤする。
モヤモヤの理由が分からないまま、ステラが出て行った後の公爵邸では次々と不具合が起こり始めて――
奇跡的に出会い、優しい時を過ごして愛を育んだ一人と一頭(?)の愛の物語です。
異世界、魔法のある世界です。
色々ゆるゆるです。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
殿下が恋をしたいと言うのでさせてみる事にしました。婚約者候補からは外れますね
さこの
恋愛
恋がしたい。
ウィルフレッド殿下が言った…
それではどうぞ、美しい恋をしてください。
婚約者候補から外れるようにと同じく婚約者候補のマドレーヌ様が話をつけてくださりました!
話の視点が回毎に変わることがあります。
緩い設定です。二十話程です。
本編+番外編の別視点
別に要りませんけど?
ユウキ
恋愛
「お前を愛することは無い!」
そう言ったのは、今日結婚して私の夫となったネイサンだ。夫婦の寝室、これから初夜をという時に投げつけられた言葉に、私は素直に返事をした。
「……別に要りませんけど?」
※Rに触れる様な部分は有りませんが、情事を指す言葉が出ますので念のため。
※なろうでも掲載中
【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。
千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。
だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。
いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……?
と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。
侯爵家のお飾り妻をやめたら、王太子様からの溺愛が始まりました。
二位関りをん
恋愛
子爵令嬢メアリーが侯爵家当主ウィルソンに嫁いで、はや1年。その間挨拶くらいしか会話は無く、夜の営みも無かった。
そんな中ウィルソンから子供が出来たと語る男爵令嬢アンナを愛人として迎えたいと言われたメアリーはショックを受ける。しかもアンナはウィルソンにメアリーを陥れる嘘を付き、ウィルソンはそれを信じていたのだった。
ある日、色々あって職業案内所へ訪れたメアリーは秒速で王宮の女官に合格。結婚生活は1年を過ぎ、離婚成立の条件も整っていたため、メアリーは思い切ってウィルソンに離婚届をつきつけた。
そして王宮の女官になったメアリーは、王太子レアードからある提案を受けて……?
※世界観などゆるゆるです。温かい目で見てください
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる